空虚な墓
Jesus, Lover Of My Soul
新約聖書 ヨハネによる福音書20章1-15節
旧約聖書 ダニエル書3章16-30節
空虚な墓
 マグダラのマリアをはじめとする婦人の弟子たちは、主のご遺体を求めて御墓へと急ぎました。しかし、墓に着いて見ると、墓はぽっかりと口を開けて、中は空っぽであったというのです。

 これについては四つの福音書がそれぞれに記しておりますが、その内容にいくつかの食い違いがあります。たとえば、お墓に行った婦人の人数が違います。『マタイによる福音書』では「マグダラのマリアともう一人のマリア」とありますから二人になっております。これが『マルコによる福音書』と『ルカによる福音書』になると、三人の婦人の名前が挙げているのです。今日、お読みしました『ヨハネによる福音書』では、マグダラのマリア一人が墓に行ったことになっております。

 天使の数も違います。マタイとマルコでは、婦人たちに現れた天使が一人でありました。しかし、ヨハネとルカをみますと、二人の天使が現れたと書かれているのです。三浦綾子さんは、このように聖書の中に矛盾があることについて、夫婦でも共通の思い出のはずなのに二人の記憶が食い違うことがあると言っています。だから、弟子たちに記憶違いがあっても少しも不思議ではないと言うのです。それどころか、つじつまが合っていない部分を、敢えて修正したり、加筆したりすることなく、そのままの形で聖書に残したというところに聖書の真実性を見る思いがすると語っておられるのです。皆さんも、この三浦さんのお考えに同意なさることができるのではないでしょうか。

 とはいえ、私はある程度、調和させることは可能だと思います。おそらく、お墓に行ったのはマグダラのマリア一人ではなく、他の婦人たちも一緒であったでありましょう。ところが、その後で、マグダラのマリアと他の婦人たちは別々の行動をすることになったのだと思うのです。たとえば、お墓が空っぽであることを発見したとき、マグダラのマリアはすぐに弟子たちのところに報告に行ったと記されています。

 「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。『主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。』」(ヨハネ20:1-2節)

 マグダラのマリアだけが引き返したのです。そして、他の婦人たちはそのまま墓に残っていたと考えたらどうでしょう。残った婦人たちは途方に暮れ、お墓の周りを探したり、何度も中を覗き込んだりしていただろうと思います。そうしているうちに彼女たちに天使が現れたのでした。

 「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(『ルカによる福音書』24章5-6節)

 「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(『マルコによる福音書』16章7節)

 これを聞いて、残った婦人達もお墓を去り、弟子たちのもとに報告に行くことになります。

 「婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。」(『マタイによる福音書』28章8節)

 『マルコによる福音書』ではこう書かれています。

 「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(『マルコによる福音書』16章8節)

 おそらく、どちらも真実なのでありましょう。その時の気持ちというのは、婦人によってそれぞれ違っていただろうと思うからです。

 一方、先に引き返したマグダラのマリアから、「空っぽの墓」の話を聞いたペトロとヨハネは、それを確かめようとすぐに墓に向かいました。

 「そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。」(『ヨハネによる福音書』20章3節)

 もちろん、マグダラのマリアも一緒にお墓に向かいました。その時、他の婦人たちは、天使から聞いた言葉を伝えようとして弟子たちのところに向かっているのです。途中で鉢合わせしてもおかしくありません。しかし、そういうことがあったとは聖書に記されていません。おそらく、マグダラのマリアと他の婦人たちは行き違いになったのだろうと思うのです。

 お墓にはまずヨハネが、次にペトロが到着しました。

 「二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」(『ヨハネによる福音書』20章3-8節)

 二人がお墓の中を確かめると、マグダラのマリアの言う通り、墓の中にイエス様のご遺体はなく、ただそのご遺体を包んでいた亜麻布や覆いがまるで脱ぎ散らかしたように丸めて置いてあったというのです。これが何を意味するのか、二人にはまだ分からなかったかもしれません。しかし、ただならぬ事が起こったということだけは確かであります。二人はすぐに他の弟子たちにも知らせようと帰って行きました。
マリアの悲しみ
 そこにポツンとマグダラのマリアが残っているのです。

 「マリアは墓の外に立って泣いていた。」(『ヨハネによる福音書』20章11節)

 「空っぽの墓」の出来事が、私たちにとってどんな意味を持ち、何を語りかけてくるのかということを考える時、私達はまず、このマグダラのマリアの悲しみを理解しなければなりません。もちろん、愛する者の死は、深く考えるまでもなく誰にとっても悲しいことであります。しかし、もっとよく考えてみると、単に愛する人を失った悲しみではありません。キリストを失った悲しみがここにあるのです。

 キリスト・イエスも愛する人かもしれません。しかし、マリアにはそれ以上の方でもありました。イエス様はマリアから七つの悪霊を追い出し、新しい人生をくださったと聖書に記されています。イエス様は、マリアの救い主なのです。救い主を、マリアは見失ってしまったのです。救い主を失うということは、悲しみ以上のことであります。もはやどこにも救いがないということだからです。慰めも、助けも、希望もないです。

 ですから、マリアも必死です。ただ泣いているだけではなく、そのことを必死になって人々に訴えます。最初はペトロのところに行き、「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」と訴えました。次にヨハネのところにも行き、同じ事を訴えます。それから、マリアに現れた天使にも、「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」と言います。

 その後、復活のイエス様がマリアに出会ってくださるのですが、悲しみというのは物を見えなくするようです。涙で目と心が曇ってしまったマリアはそれをすっかり園丁だと思い込んで、このように訴えました。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」

 ところで、このマリアの悲しみについて考える時、こういうことも考えてみるべきだと思います。すなわち、もしお墓の中にイエス様の遺体をちゃんと見いだすことができたならば、マリアは救い主を失わずに済んだのか、ということです。マリアは、イエス様の遺体が盗まれたと思いこんで気が動転してそのことに気づいていないようですが、冷静に考えれば、たとえイエス様の遺体がそこにちゃんとあったとしても、マリアの救い主が失われてしまったという事実には代わりがないのです。

 たとえば、私達の目の前にイエス様のご遺体があったとして、私達はそれでどんな救いを得ることができるでしょうか。それはイエス様がかつて救い主であられたことを思い来させてくれるかもしれません。しかし今、そして今後とも、その方はもはやいないのだという現実を突きつけるだけでありましょう。今生きておられるからこそ、イエス様は救い主なのです。

 しかし、マリアは遺体にこだわります。思いますに、マリアは残りの人生をずっとイエス様のご遺体の側に仕えながら、イエス様との思い出一筋に生きるつもりだったのではないでしょうか。現在にも、未来にも救い主はおられないのですから、希望を失い、未来を棄て、過去におられたイエス様と共に生きようとしたのではないかと思うのです。それは絶望の人生です。

 ところが、イエス様のご遺体がなければ、それさえも叶いません。マリアにとって、空っぽのお墓が意味するものは、空っぽの世界、空っぽの自分であったのです。これがマリアの悲しみであります。空っぽのお墓、空っぽの世界、空っぽの人生、その前でマリアは一人たたずみ、泣き続けるのです。
絶望の哲学
 最近、興味深いニュースをひとつ読みました。ロシア政府が旧ソ連の建設者であるレーニンの遺体を埋葬しようと提案したところ、ロシア共産党を中心に大規模な反対運動が繰り広げられ、世論も真っ二つに分かれているというのです。ご存じかと思いますが、レーニンの遺体は防腐処理を施され、まるで蝋人形のように生きていたときの面影を生々しく保存し、また人々に一般公開されています。一種の偶像化が行われているわけです。

 まったく同じような遺体の偶像化は中国の毛沢東にも、ベトナムのホーチミンにも行われています。そして注目すべきことは、この人たちは、いずれも神を信じない唯物論を哲学とした国家の建設を果たした指導者たちなのです。

 実はキリスト教でも、特にカトリック教会などでは死後の復活に備えて、遺体に保存処置をするということがあります。しかし、彼等のように死後に埋葬しないで、その遺体を偶像化し、一般公開するというようなことはしません。いったいどうして唯物論の社会主義の国でこういう事が起こるのでしょうか? 

 私は、それは神様を信じない唯物論という絶望の哲学のせいではないかと思うのです。唯物論において唯一確かな存在とは、神ではなく、人間の心でもなく、物質存在なのです。宗教や人間の心といった目に見えない世界は、目に見える物質が生み出すものだというわけです。「宗教はアヘンだ」というマルクスの有名な言葉もあります。それは、宗教や信仰というのは人間の苦しみを麻痺させるけれども、根本的な解決にはならないという意味です。もし神様が実在するのではなく、人間が作り出したものであるならば、その通りでありましょう。

 パウロも、それは認めています。

 「そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。」(『コリントの信徒への手紙』15章17-19節)

 死んだ救い主を後生大事にしたいと願って、空っぽの墓の前で泣き続けているマリアと一緒だということでありましょう。しかし、パウロはこの後すぐそれを打ち消してこう言います。

 「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」((『コリントの信徒への手紙』15章20節)

 私達の信仰は作り話じゃないんだと言っているのです。逆に言うと、信仰を作り話だという唯物論こそが、もっと惨めな人間を作り出す哲学だと言うことでもあります。

 いったい唯物論では、人間の問題の根本的な解決をどのように考えるのでしょう。それは物質を支配することによってです。物質を第一とする哲学では、人間の問題も全部、物質からもたらされると考えます。貧困の問題も、病の問題も、魂の問題も、ぜんぶ物質の問題から来るという考えなのです。ですから、人間の科学力とか、技術力とか、生産力を増大させ、物質の問題を解決していくことが、人間の問題を解決すること直結するということになります。そうすれば、宗教はいらなくなるし、人間の心も幸せになり、健全になるのだというわけです。

 そう考えますと、社会主義国家が国家の偉大な指導者の遺体を永久保存しようとする考えが少し見えてくるのです。要するに、人間の死も物質の問題だということなのではないでしょうか。死んでも、科学技術をもってその体を生きながらの姿をそのまま残すことができれば、そして生きている時のように人々がその姿を見ることができるならば、死んでもなお存在し続けることができるのだということなのでしょう。

 しかし私には、それは空っぽの墓以上に絶望的なことに見えます。このマリアに対してではありませんが、他の婦人たちがイエス様の遺体を探しているときに、天使が現れてこう言ったと言います。

 「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。」(『ルカによる福音書』24章5節)

 死んだものの中に命を探す。朽ちるものの中に朽ちないものを見いだそうとする。そんなことをしてもダメだということではないでしょうか。私には唯物論というのは、このような絶望の哲学にしか思えないのです。

 そして、レーニンが死んで80年が経った今、ソ連は崩壊し、もう時代が変わったのだから埋葬した方がいいとか、維持費が大変だとか、いや歴史的な遺産として保存すべきだとか、あるいは重要な観光資源だからそのままにしておいた方がいいとか、そんな風に騒がれているのを見ますと、もの悲しい気持ちにさせられるのです。

目に見えないものを信じる
それに比べて、「空っぽのお墓」の前で泣き続けるマリアには、まだ希望があります。イエス様のご遺体がそこにあったならば、そして、それが永久に保存されて今日まで残っていたら、それこそ私達には絶望的ではありませんか。それは、イエス様は死んで、今はいないという確たる証拠となるのですから。

 しかし、そこに遺体はなかったのです。そこにないということは、どこにもないという証拠ではありません。また目に見えないということは、存在しないという証拠でもありません。空っぽの墓、脱ぎ捨てられていた亜麻布、頭を覆っていた布を見たとき、マリアは誰かが持ち去った、盗まれたと思いました。後から駆けつけたペトロもやはり同じように思いました。

 けれども、もう一人の弟子、つまりヨハネはどうか。「先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」とあります。「ない」ということを見て、信じたというのです。信仰とは、このように見えないものを信じることなのです。しかし、それは無理矢理信じ込むことではありません。神様の恵みによって信じさせていただくということなのです。

 先日放送されたFEBC(キリスト教ラジオ放送)での植木さんの証しを聞きました。植木さんは今、ご長女の恵子さんが危篤で大きな試練の中にありますが、この放送は恵子さんが倒れられる前に録音されたもので、23年前に亡くなられた次女のあっ子ちゃんから与えられた信仰について語られていました。今、植木さんが置かれている試練を思いつつ、それを聞かせていただき、深い感銘を覚えました。

 あっ子ちゃんは3歳から8年間、幼い体で白血病と闘って生き、11歳で天国に召されて生きました。亡くなる八ヶ月前、植木さんはあっ子ちゃんと一緒に。この荒川教会で洗礼を受けたそうです。その時からあっ子ちゃんは、イエス様、イエス様と、イエス様一筋の信仰をしっかりとお持ちになったといいます。

 しかし、植木さんは、勝野先生の強い勧めであっ子ちゃんと一緒に洗礼を受けたものの、まだ信仰というものがよく分からなかったそうです。ところが、あっ子ちゃんの病気が進み、いろいろな先生に相談しても治療の方法が何もないということが分かったとき、その絶望の中で植木さんはイエス様を信じようとはっきりと決心されたと言います。

 さらに死期が迫っている時、植木さん親子が尊敬するクリスチャンの方が、植木さんに「もう、あっ子ちゃんの病気が治るようにお祈りするのは止めて、こんな素晴らしい子どもを授けてくださり、育てさせてくださったことを神様に感謝しなさい。そして、あっ子ちゃんとお話ができるうちに、天国に住まいが用意されていることを話してあげなさい」と言われます。しかし、植木さんは「とてもそんなことを娘に言うことができない」と言うと、その先輩クリスチャンは、あっ子ちゃんに、「一時の艱難の後、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光がもたらされる」という聖書の言葉を読み、あっ子ちゃんのためにお祈りをしてくださったそうです。その時、あっ子ちゃんははっきりとした声で「アーメン」と答えます。それを見て、植木さんはあっ子ちゃんが天国を信じていることを確信したのだというのです。

 いよいよあっ子ちゃんの臨終の時、植木さんは「イエス様にしがみついていなさい」と必死に呼びかけました。あっ子ちゃんはそれに答えるように「イエス様、連れてって」という言葉と「ママ、ごめんね」という言葉を残して、天国に旅立っていかれたのだそうです。

 まだ幼い我が子を失うということは、母親にとって最大の絶望でありましょう。しかし、植木さんは、「その時、娘の姿に神様の栄光を見たのです。そして、私もはっきりと信じることができた。私の信仰はそこから始まったのです」と。

 神の栄光を見るとは、神様がそこに居ますということを、そして神様の力強き御業がそこで行われているということを体験することでありましょう。何も見えるはずのない絶望という真っ暗闇であるはずの愛するわが子の死の場面で、植木さんはそれを見たというのです。今日の聖書のお話になぞらえれば、空っぽのお墓の中で、イエス様が今も生きておられることを信じたということでありましょう。

 だから、それは、植木さんにとっての終わりではなく、始まりになりました。これは植木さんだけの特別な体験ではありません。特別といえば特別なのですが、マリアも、ペトロも、ヨハネも、すべてのクリスチャンが何らかの形で、空っぽの墓において絶望を体験し、しかもそこで主は今も生きておられるという栄光を見せていただいたのであります。そこから彼らの本物の信仰が始まり、キリスト教の伝道が始まりました。

 私達も、人生において空っぽの墓の前で途方に暮れ、泣き崩れるような経験をするかもしれません。けれども、それは終わりではなく、生けるイエス様との出会いの始まりであることを知り、どんな時にも希望を持ち続けたいと願います。 
 
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聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
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Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

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