昔懐かしいパソコン、ゲーム関係の言葉について思いつきで語っています。もしご存じのもの、想い出のあるものがありましたら、それについて掲示板に書き込んで下さい。
下に行くほど新しくなってます。
2003年5月号をもって休刊することになった電波新聞社発刊のコンピュータ雑誌です。BASICによる投稿プログラムの掲載を中心にした”わかる、動かせる、プログラムが組める雑誌”でした。
もとは82年に「ラジオの製作」の付録としてスタートしたそうです。私が買い始めたのは84年10月号からでした。そのころは家にパソコン(日立MB−S1/20)が来たばかりでした。
当時は今のようにたくさんゲームなどが発売されるわけでも無いですし、お金も無いし、よりによってマイナーマシンだったので買って遊ぶソフトはほんのわずかでした。そんな中でベーマガを買えば毎月、自分の機種用の数本のゲームプログラムが載っていて、それを打ち込めばゲームは遊べるし、打ち込むことによってキーボードにも慣れるし、BASICも覚えられるという非常に有意義なものでした。
タイピングに関してはベーマガを片手に持って片手でキーボードを打つのでブライドタッチは覚えられずにほぼ右手しか使わない変なクセがつきました。まじめにブライドタッチを覚えようとしてないというのもありますが、今になってもクセは抜けません。手が覚えるのがPRINT","LOCATE","SCREEN"などのBASICの命令だったりして普通にABC...と打っていくと遅かったりします。後、片手で打つと括弧などのシフトを使うのが打ちにくいんですよねぇ。
BASICを覚えるというのは、初めは本を見ながら、ただ頭から打っていくだけでしたが、そのうち少しずつ内容がわかってくれば、残機を増やそう、タイトル画面はいらないとかゲームオーバー画面は飛ばしちゃえとか改造をしたくなって構造を理解するようになりますし、他機種のもので面白そうなものがあれば移植してみることによって機種間の違いがわかったりします。また、プログラム講座も毎月いろいろな形で載っていたので、その記事も勉強になりました。投稿プログラムにはDr.DによるCHECKER FLAGというのがあってそのプログラムの良い点、改良すべき点が書かれていてこれも参考になりました。
そして、プログラムコーナー以外にも”スーパーソフト・コーナー”(別冊のマガジンの時期もあり)がありました。このコーナーではアーケード、パソコン、コンシューマーの様々なソフトの紹介、攻略記事がありました。古参のアーケードゲーマーにとってはベーマガはハイスコア集計雑誌という認識があるようです。山下章による、”チャレンジAVG(RPG)”、”レスキューAVG&RPG”、”ホンキでプレー、ホンネでレビュー”も面白い記事でした。ただの紹介、攻略ではなく、いかにそのゲームの面白さを伝えるかを考え、良いところは誉め、悪いと思うところには苦言を呈するという書き方には好感が持てました。まずスポンサーありきの提灯記事ではそうは行かないと思います。また、スーパーファミコン発売当時のF-ZEROの記事、”1分58秒台への道”はかなり盛り上がっていて、私もMUTE CITY1ばかり走っていました。結局2分切れませんでしたけど・・・
ということでベーマガは非常に思い出深い雑誌です。当時私たちはこの雑誌を入り口にしてパソコンやアーケードゲームに入っていったという部分がありましたが、今そういう役目を担う雑誌はあるのでしょうか?
良くも悪くも私の人生に大きな影響を与えた雑誌だと思いますし、そういう人がかなりいるのではないかと思います。ほんとうに21年間お疲れ様でした。
初めて買ったベーマガです。裏表紙は工藤夕貴です。
ドルアーガの宝の出し方は重宝しました。プログラム講座もとても良いです。
1982年に発売されたマンガによるパソコン入門書です。著者は「ゲームセンターあらし」で有名なすがやみつる氏です。なので登場人物はゲームセンターあらしのあらし、大文字さとる、月影一平太で、話はさとるが2人にいろいろと教えていく形で進行します。
2巻構成で、1巻ではまず、身の回りのマイコン、世界初のコンピュータ”エニアック”、マイコンで生活がどう便利になるか(キャプテンシステムなんて出てきます。)というような話から始まって、実際にパソコン(NEC PC6001)にさわってみて、ゲームのロードの仕方、キーボードの打ち方の説明があり、BASICで簡単な足し算プログラムを作ります。
2巻はパソコンでプログラムが動くしくみ(CPU、RAM、ROMの働き)、繰り返し、配列などのより高度なBASICの命令の解説、ミステリーハウスなどゲームの紹介、実際にゲームを作っている人の話(ナムコでゼビウスを作っている遠藤氏!)があって、最後に「あらしのテニスゲーム」という簡単なスカッシュゲームを作ります。
今、読み返してみても、マンガで取っつきやすいし、とてもうまい構成だと思います。特にBASICのプログラムが動く仕組みをマンガで説明してあるのは頭で動きをイメージしやすくて良かったです。
私がマイコン(パソコン)に興味を持ったのはこの本がきっかけでした。近所の友達が見せてくれて、こんな面白いものがあるのかと思いました。
最近のパソコンははじめからウィンドウズ等のGUIですし、ソフトを使うものでプログラムを組むなんてことはそうそうありませんし、BASICなんて特に使わないでしょうが、この本を読んでおけばコンピュータの動きの理解には繋がると思います。
それに普通に読み物としても面白いです。「人間が命令しなければ何も出来ないマイコンはただの道具、人間の方が偉い」とか「ゲームを作るにはマイコンの知識よりも楽しいことをしたい、みんなを楽しませたいという心の方が大事なんだ」なんて台詞は子供ながらになるほどなぁと思ったものです。
そして、ここで使われていたパソコンがNECのPC6001だったので憧れましたし、2巻の最後にはPC6001mkIIの紹介がありそれを見て、すげぇ〜しゃべれるんだぁとか思った覚えがあります。
その後、同級生がPC6001mkIIを買ったものだから、散々遊びに行かせてもらいました。
この「こんにちはマイコン」もベーマガに並んでその洗礼を受けた人は多かったのではないでしょうか。
1巻
2巻
今回は昔のパソコンの記憶装置についてです。現在は読み書きするのはハードディスク、データを持ち運ぶにはDVD−RAM、CD/DVD−RW、販売、配布するのはCD/DVD−ROM等になり、フロッピーディスクすら過去の物になりつつありますが、私が初めてパソコンに触れたころの記憶装置はカセットテープでした。フロッピーディスクもありましたが、まだまだ高価な物でした。幸いなことにうちでパソコン(日立MB−S1/20)を買ったときはフロッピーディスクドライブも一緒でしたが、メディア自体が高かったですし、ゲームもテープ版に比べてフロッピーディスク版は高価だったのでテープを使っていました。
ゲームもテープ版を買いました。テープ版はゲームを始めるまでに10分は待たされました。なにしろ速度が600/1200ボーレート程度で速くても2400ボーレートくらいだったので信じられない遅さです。
(1200ボー以下だとbps(bit par second)と同じらしいので、1200ボーとしても一秒間に150バイト送れません。)
ゲームをするときは、カセットテープをセットして、BASIC上で「RUN"CAS0:"」なんてやると、テープからまずBASICで作られたローダーを読み込んで実行、その後、マシン語部分を読み込んで起動というような感じになっていました。なので買ってきたソフトしか使わない人を当時のゲームに例えてロードランナー(LOAD,RUNしか使わない。)なんて言ったりしてました。
データレコーダーからは”ピーガガー、ギャッギャ、ガ、ガー”と音が聞こえてきます。一昔前ならモデムから同じ様な音がしてましたね。読み込みでエラーが出て失敗する場合もあり、そうすると再生する音量を変えてみたりして再挑戦でした。慣れてくると音で、ここが危ないとかエラーが出る場所を覚えてしまったりしました。
X1などシャープのマシンはクリーンコンピュータだった所為もあってかデータの読み込み速度は速かったですし、ソフトでテープの早送り、巻き戻しなどができるようになっていました。その機能で電波新聞社の「ゼビウス」は面が進むと自動的に読み込んでいました。日本ファルコムの「ザナドゥ」は強烈でボスキャラにあったりするとテープの頭出しをして読み込みのですさまじい時間待たされたりしました。
カセットテープということはデータは音で保存されていたわけです。そこで工学者から出ていた雑誌「PIO」にはプログラムが入ったソノシートが付いていました。これをテープに落としてからパソコンで読み込むわけですが、これがなかなかデリケートでうまくいかず、どうすればうまく読めるかなんてコツが雑誌に載ってたりしました。
あと、ソフトのコ○ーはダビングで可能でした。同じ機種を持ってる友人がいなかったのであまりしませんでしたけど。
それと、自分でプログラムを打ち込んだ場合も当然テープに保存するわけですが、時間が掛かります。そこでついマシン語のソフトなどを保存する前に実行しちゃうとバグがあって暴走して全部パーなんてこともあったりしました。あとはカセットテープの頭の余白は送ってから保存しないと頭が書き込めないのでダメでした。余白部分の無いデータ専用カセットテープなんていうのもありましたけど。
ということでカセットテープに関する想い出をつらつらと書き並べてみました。うちで使っていたMB−S1用
DATA IN,REMOTE,DATA OUTの端子がある。
昭和57年(1982年)からテレビ東京(関東では)日曜朝9:30〜10:00に放送されていたシャープ提供の番組です。放送終了はいつだったか記憶していないのですが、最後はX68000が出ていたので少なくとも昭和63年(1988年)くらいまでは放送されていたと思います。初めのころは男女2人のタレントが司会者でDr.パソコン宮永好道氏にBASICを教えてもらうというような内容だったと思います。出ていたタレントは大和田莫、坂上美和、下条アトム、斎藤とも子、三波豊和、白石まるみ、小倉智昭などでした。
使用していたパソコンは当然全てシャープ製でMZ-2000/80B、MZ-700、MZ-2200、MZ-5500、MZ-1500という流れでその後はX1、X68000になっていきました。
テキストが半年毎に発売されていて、うちに残っていたのは5,6期(MZ-5500、MZ-1500)のものです。テレビでの放送内容に合わせていたのかどうかは覚えてませんが、25ステップで覚えるBASICプログラミングがメインの内容でした。それ以外にはゲーム等のプログラムソースやマシン語講座などがありました。
この番組の話になると必ずに話題に上るのが、副音声で流されていたプログラムです。当時はまだまだ記憶媒体としてはカセットテープが中心だったので副音声でピー、ガーガッガーと流れてくるプログラムをテープに取ってパソコンに読ませればプログラムが動くというわけです。画面の下に今から副音声でプログラムを流しますというようなメッセージが出て、司会者がはい、流しまーす。というと副音声ではピーガーと始まるわけです。今では考えられない配信方法ですよね。
Dr.パソコン宮永好道氏も忘れられない存在です。↓の広告にもある四角い帽子に丸いメガネ、”X”を”エッキス”と発音するのが印象的でした。当時からかなりお年を召されていたように見えたのですが、当時は50代だったようです。残念ながら1999年にお亡くなりになりました。
BASIC講座がメインだった番組も世の中の流れに合わせて少しずつ変わってきました。最後のころは山下章氏が出演してゲームの紹介などもしていました。あと、ちょっと太った高橋雄一氏のちょっと良いテクニックというコーナーがありました。だいたいは1,2行のマシン語でちょっとしたお遊びをするものだったと思います。POKE&H・・・というフレーズが妙に頭に残ってます。
また、ドラクエ、シレン等(当時はドアドア、ニュートロン)で有名な中村光一氏も出演されていてプログラミングやゲームについて話をしていました。
この番組もベーマガ、こんにちはマイコンと並んで当時のパソコン少年(^_^; はみんな知っていたものではないかと思います。
これを書くにあたりネットで記憶の補完をしていたらこんなものを発見したので勝手にリンクしておきます。
オープニング曲(要Real Player)
PSG音源とはProgrammable Sound Generatorの略です。General Instruments社のAY-3-8910かYAHAMAの互換品YM2149がPC6001,MSX,FM7,X1,S1など当時の8bitマシンの多くに搭載されていました。
3音の矩形波と1音のノイズが出力可能です。(コナミのサウンドチームは矩形波倶楽部でしたね。)ファミコンもPSGでしたが、少し違うチップの様です。
BASICからはPLAY命令でMML(Music Macro Language)を使って楽譜を打ち込み、音楽を演奏させたり、SOUND命令でノイズを発生させて爆発音などの効果音を鳴らしたりできました。
MMLとは”ドレミファソラシ”を”CDEFGAB”で表し、それに音符の長さを数字でつけることによって音を表現しました。
例えば PLAY"T120O4C4D4E4" とするとテンポ120、オクターブ4の高さでドレミと四分音符の長さで鳴ります。
私は当時、楽譜を読めませんでしたが、このMMLで音楽を入力するために楽譜を読めるようになりました。自分では楽器を演奏できないので打ち込むことによって音楽を鳴らせられるのはすごく嬉しかった覚えがあります。
また、ノイズを発生させると3音のうち1音をスネアドラムやハイハットの様に使うことができ、表現力が増しました。ツインビーのBGMなどはかなり雰囲気がでました。
ベーマガやオールアバウトナムコに掲載された譜面を見ながら、ドルアーガ、マッピーなど当時のアーケードゲームのBGMを打ち込んだりしていました。
また、PC8001mkIISRなどに搭載されたFM音源チップYM2203はFM音源3音+PSG3音という構成だったので、PSGをいかにうまく使いこなすかで音の厚みが全然違うものになりました。
その中で短い音符を音程やボリュームを変えて並べることにことによって本来一本調子の音しか出ないPSGとは思えない音を出すというような技も使われていました。
PSG音源は表現力が弱くピコピコ音しか鳴りませんでしたが、それがかえってコンピュータらしさゲームらしさになって面白かったという部分もあると思います。
制限が厳しいからこそ元の音に似せる工夫が楽しいというのもありますし、私のように音楽の知識の無い人でもそれなりのものが作れて楽しめたとも言えると思います。
パソコン、ゲーム機の音源としてPSGの次に来たのはFM音源でした。FM音源とは複数のオペレータ(正弦波発信器)をアルゴリズムと呼ばれる繋ぎ方によって組み合わせ、変調をかけることによって様々な音色を作り出す音源装置です。
当時の8ビット、16ビットパソコンで一番普及していたのは、YM−2203、YM−2151という4オペレータの音源でした。YM−2203はPC8001/8801mkIISR、PC6001/6601mkIISR、FM77AV、MZ2500等に、YM−2151はX68000、X1turboZ等で使われていました。またMSXのFM音源パック(YM−3526)やセガのマスターシステム(YM−2413)等で使われた2オペレータのものもありました。
アーケードゲームでも当然、FM音源は使用されました。印象に残っているのはYM−2203を使ったスペースハリアー、ダライアス、YM−2151のアフターバーナー、ドラゴンスピリット、AJAX、カプコンCPシステムの各作品などでしょうか。アーケードの場合は他のチップも積んでいてそれだけではない場合が多かったですけど。
今は携帯電話でも使われています。シャープの携帯電話SH53のマニュアルを見たらFM音源での音の作り方まで書いてあって懐かしさを感じました。
ですが、FM音源で思い通りの音を作るのはとても難しいと思います。当時、ベーマガなど音の作り方を読みましたが、さっぱりわかりませんでした。
パソコンではじめにFM音源を搭載したのはどのマシンなのか正確にはわかりませんが、私が初めて触れたのはPC8801mkIISRでした。テクザー、ザナドゥ、ザナドゥシナリオIIなどは、初期の作品でFM音源の使い方はまだまだでしたが、パソコンでこんな綺麗な音が出る物なのかと感動しました。
そのころベーマガ(1986年4月から)ではYK−2(古代祐三)氏やYu-You氏によるビデオゲームのBGMのプログラムが載っていました。スペースハリアー、沙羅曼陀(元がステレオなのでプログラムは左右で2本)などを打ち込んで聞いていました。載っている楽譜を見ながらFM77AVで打ち込んでもいましたが、なかなか思うように似なかったです。
PC8801mkIISRの全盛期には各社ともFM音源を使いこなしたBGMを聞かせてくれましたが、特にファルコムは素晴らしかったです。イース、ソーサリアンは本当に名曲揃いです。日本テレネットもヴァリス、ファイナルゾーン、ルクソール、デスブリンガーなど結構好きなBGMがあります。またスキームというゲームは内容よりも小城祐三作曲のBGMだけで有名になってしまいました。
今はゲームのBGMはCDからの再生やPCM音源になりリアルな音が当たり前になってしまいましたが、FM音源独特の音色っていうのも良い物ですよね。
こういう本も発売されてました。自分でVGMを打ち込む時などには便利でした。
ソフトベンダー「TAKERU」とは1986年にブラザー工業株式会社が開発したパソコンソフトの自動販売機です。(初期は「武尊」と漢字だった?)パソコンショップに置かれ、電話回線によるデータ管理を行い在庫を置く必要が無いというのが売りでした。
筐体には画面と説明書を印字するプリンタ、パッケージとフロッピー等を排出する口、ソフトを書き込むためのフロッピードライブ(5インチ、3.5インチ)、MSX用RAMカートリッジの差し込み口がありました。
買う時の手順はまず画面を操作して機種を選びその中から欲しいソフトを選びます。簡単な説明文と1,2枚の画面写真が出ていたと思います。で、決めたらお金を入れます。するとパッケージとフロッピーが出てくるので、フロッピーを取り出して、ドライブに入れます。
フロッピーに書き込んでいるうちにだいたい筐体にぶら下げてあるペンでラベルにソフト名とディスク番号を書いておきます。(ここで書いておかないと帰ってからどれがどれだか分からなくなって困る。(^_^;)最後に説明書が印字されるのを待って終了です。
普通にパッケージで売っているソフトのちょっと安くなったものや、タケルでしか買えない専用ソフト、後半には同人ソフトなどが登録されていました。
私はX68000用「ハイドライド3SV」(これはタケルのみで販売)や電脳倶楽部(後でこれについても語るべきか)を買った覚えがあります。あと、適当に安そうな同人を買って後悔したこともあったかも・・・
ネット環境が整った現在はダウンロード販売が出来るので全く無用の長物ですが、技術の進歩の中で生まれたひとつの販売方法であったとは思います。ここで培った技術が通信カラオケに繋がったそうですから、そういった意味でも価値はあったのではないでしょうか。
あと、タケルのパッケージはフロッピーを持ち運ぶ時に便利でした。
ベーマガを読んでいた人で知らない人はいないと思われるのがこの人、山下章氏です。
1964年6月2日東京生まれ。国立一橋大学在学中の1984年2月号から「マイコンBASICマガジン」でゲームの流れに合わせて画面の紹介とその横に説明文を書くという形式でアドベンチャーゲームを紹介する「チャレンジ・アドベンチャーゲーム」の連載を開始し、翌年の3月号には読者から送られてきたアドベンチャーゲームの質問に答える「レスキュー!アドベンチャーゲーム」を開始、それ以降、ベーマガで多くの記事を書き、その後、ベーマガで一緒に記事を書いていたスタッフとともに株式会社スタジオベントスタッフを立ち上げ、現在も好略本などを作っています。詳しくはこちらを(http://www.bent.co.jp/index.htm)
一時期は「パソコンサンデー」でゲームの解説も努めていました。
1985年には「クイズ!ドレミファドン!」で優勝、そしてグランドチャンピオン大会でも優勝するというかなりの芸能通でもありました。氏の書いた記事ではよくRPGのキャラ名に当時のアイドルが使われていました。特に新田恵利が好きだったようです。
ベーマガで連載していた「チャレンジ・アドベンチャーゲーム」「チャレンジ・ロールプレイングゲーム」は別冊として「チャンレジ!!パソコン アドベンチャーゲーム」「チャレンジ!!パソコン アドベンチャーゲーム&ロールプレイングゲーム」(I〜V)として発売されました。これらは近頃、復刊されました。
私は1冊目を友人から譲ってもらい、それ以降は買っていたのでオリジナルで全冊所持しています。
今はゲームが発売されれば、必ず好略本が発売されますが、当時はまだそんな流れは無く、かなり特殊な存在だったと思います。
その内容は素晴らしく、今読んでも十分に楽しめます。それはただゲームをクリアするためにはどうすれば良いかというようなものではなく、そのゲームの楽しさ、またはアドベンチャーゲーム、ロールプレイングゲームの楽しさを伝えようという内容だったからです。答えそのものズバリを書くことは無くあくまでもヒント止まりになっているのが、そのゲームを遊んでみたいと思わせる大事な要素だったと思います。
また、開発中に使われた資料、原画を載せたり、開発者の書いた開発日記があったりというのもメーカーが氏の書く記事を認めていたということになるのではないでしょうか。「チャレンジ!!AVG&RPGII」に載っている「ザナドゥシナリオII」の記事を書くに当たっての氏とファルコムとのやりとりからも、うかがえます。ハイドライドシリーズの制作者内藤時治氏はいつも面白い記事を載せてくれていました。
「チャレンジ!!〜」の後にベーマガで連載していた「ホンキでPlayホンネでReview」も興味深く読めました。
特に「ドラゴンクエストIII」に関する記事が印象的でした。ドラクエIIIは私も大好きでシリーズ最高傑作だと思いますが、そのドラクエIIIの良さを書くのははもちろん、ゲームがマスメディアとなっていくためには必要なこととしてシナリオの矛盾などに苦言を呈しています。
それを読んだ後にドラクエIVを遊ぶと堀井雄二、中村光一はその指摘を意識したのではないだろうか?と感じてしまう部分もありました。
最近は発売されるゲームの数もとんでもなく多く、またひとつひとつが長いので、ゲーム雑誌では簡単な紹介記事、ほんとに遊んだのか怪しいレビューくらいしかないですが、この当時は一本一本をじっくりと遊ぶ時間があったので、その内容に深く踏み込んだ記事も成り立ったのでしょう。
当時、私の中でパソコンゲームの方がファミコンゲームより上だという意識ができあがったのも氏の力に因るところが大きいと思います。
”私に解けないアドベンチャー・ゲームはない!!”
PB-100はカシオから発売されたポケットコンピュータです。PBシリーズはいくつか発売されていて、基本が最初のモデルがPB-100です。
メモリが増えたPB-200、その他PB-100F、PB-400やFXシリーズなどがあったのですが、全部でいくつあったのでしょう?
当時、シャープのPC-1245と人気を二分していたと思います。
このPBでできることは計算とBASICでのプログラミングです。計算には括弧やsin、cosなどの関数が使えたため普通の電卓より便利でした。
BASICでプログラムが組めるので、少々ややこしい計算もできましたし、数値を入力して、それを式に当てはめて計算したり、合計、平均の計算も可能だったので、理科の実験などでは重宝しました。
そしてBASICが使えるということはゲームも作れました。
何しろ、表示は横12文字分のみ、メモリは標準で544STEP、拡張して1568STEP(STEP=byteと考えて良い)、動作もとても低速ということで大したことはできませんでしたが、それでも毎月ベーマガには2本のゲームが掲載されていました。
他の雑誌にもリストが掲載されていたり、ポケコンだけのプログラム本なども発売されていたと思います。
ドラゴンバスター風の「Dragon Dragon」、ハイドライド風の「ハイドンライドン」などはなかなか遊べるものに仕上がっていて驚きました。
拡張無しの544STEPのみで3DダンジョンRPG風のゲームもあったりと少ないメモリをギリギリまで切りつめてゲームを作ることに楽しさを見いだしていた人もいました。
当時はリストを見て、”すごい、これだけのプログラムでこんな事が出来るのか”という感動もあったりしましたからね。
一通りの命令が使え、付属の入門書は丁寧に書かれていたので、BASICプログラミングの入門として、このPBシリーズは役立ったと思います。
周辺機器としてはマイクロカセットにプログラムを保存できるカセットレコーダー、プリンタ、普通のパソコンのカセットレコーダーに接続するためのインターフェースなどがありました。
私はカセットレコーダーインターフェースFA-3を持ったので前述のカセットレコーダーに繋いでプログラムの保存、呼び出しができました。
今の最新技術でこれくらいの大きさのBASIC専用コンピュータとか作ったら楽しいものが出来そうですけどね。
オールドファンしか喜びませんが。私が持っているPB-100F
カセットインターフェースFA−3
セットした状態
PB-100F+FA3とケース、マニュアル