井 深 大
(いぶか・まさる)
(1908−1997)
・1908(明治41)年4月11日、栃木県日光町清瀧に生まれる。
・1910(明治43)年12月、父親(甫)没。愛知県安城市の祖父(基)のもとに引き取られる。
・1913(大正 2)年、母親とともに上京、日本女子大付属豊明幼稚園から後に同小学校に通う。
・1916(大正 5)年、再度、愛知県の祖父の家へ戻るが、母方の祖父(古田財一)の病気のため、
北海道苫小牧へ。数ヶ月滞在の後、愛知県へ戻る。
・1919(大正 8)年、母(さわ)の再婚先の神戸へ。
・1921(大正10)年、神戸市立諏訪山小学校卒業。
・1927(昭和 2)年、兵庫県立神戸第一中学校卒業。
・1930(昭和 5)年、早稲田第一高等学院理科卒業。
・1933(昭和 8)年、早稲田大学理工学部電気工学科卒業
・1936(昭和11)年、四月、PCL(写真化学研究所)入社
十二月、日本光音工業に移籍。前田多門(朝日新聞社論説委員)の次女・勢喜子と結婚。
・1940(昭和15)年、日本光音工業のブラウン管・真空管部門が独立、日本測定器の設立に参画。技術担当重役に。
・1943(昭和18)年、軍官民合同・科学技術委員会で盛田昭夫(当時・海軍技術中尉)と出会う。
・1945(昭和20)年、八月、日本測定器の疎開先長野県・須坂で終戦を迎える。日本測定器解散。
十月、東京・日本橋白木屋(現・東急百貨店)店内に東京通信研究所設立。
・1946(昭和21)年、五月、東京通信研究所を東京通信工業株式会社に改組。資本金19万円、
社長・前田多門、専務取締役・井深大、常務取締役・盛田昭夫
・1947(昭和22)年、一月、本社、工場を東京・北品川に移転。
・1950(昭和25)年、一月、テープレコーダーのG−1型試作品完成。
七月、国産初のテープレコーダーG型発売。
十一月、東京通信工業株式会社代表取締役社長に就任。
・1951(昭和26)年、G型の改良普及型・H型を発売。
H型で通産大臣賞受賞。
・1952(昭和27)年、携帯用テープレコーダー・M−1型(通称デンスケ)完成。
・1955(昭和30)年、八月、トランジスタラジオTR−55型発売。自社製品にSONYのマークを使用。
・1957(昭和32)年、三月、TR−63型発売、本格的輸出製品第1号に。
・1958(昭和33)年、一月、東京通信工業株式会社をソニー株式会社に社名変更。
・1959(昭和34)年、十二月、世界初のトランジスタテレビ・TV8−301型発表(翌年発売)。
・1960(昭和35)年、二月、アメリカ現地法人SONY Corporation of America 設立。
・1963(昭和38)年、九月、世界初の小型VTR・PV−100型発表。
・1964(昭和39)年、十一月、世界初の家庭用白黒VTR・CV−2000発表(翌年発売)。
・1965(昭和40)年、十月、心身障害者コロニー懇談会(現・心身障害者福祉協会運営協議会)委員に就任(50年7月まで)
社会福祉法人・太陽の家(大分県・別府市)設立。
・1969(昭和44)年、十月、財団法人幼児開発協会を創設、理事長に就任。
・1971(昭和46)年、六月、ソニー株式会社代表取締役会長に就任。
・1972(昭和47)年、十月、財団法人ソニー教育振興財団が発足。
・1973(昭和48)年、二月、社会福祉法人・希望の家(栃木県・鹿沼市)設立。
・1976(昭和51)年、一月、ソニー株式会社取締役名誉会長に就任。
・1979(昭和54)年、七月、超小型ステレオカセットプレーヤーTPS−L2(ウォークマン)を発売。
・1980(昭和55)年、三月、財団法人国際科学技術博覧会(筑波万博、昭和61年7月終了)副会長に就任。
・1985(昭和60)年、五月、財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長に就任。
・1989(平成元)年、十一月、文化功労者。
・1992(平成 4)年、十一月、文化勲章を受章。
・1997(平成 9)年、十二月十九日 没(急性心不全)。89歳。