―ハロウィンにはどうしてカボチャなんだろう? 下駄箱の上にちょこんと置かれていた小さなカボチャをふと思い出して、ほたるはそんなことを考えた。 確かに収穫の時期ではあるけれど、でもそれならもっと他の野菜だっていいはずだ。わざわざカボチャにするからには、何かそれなりの理由があるのだろう。―冬至とも違うし…。 「日が落ちるともう寒いねー」 ジャケットを脱ぎながら、せつなは出迎えたみちるにそう微笑んだ。 「そうですわね。でももう一一月でしてよ」 みちるはみちるでさも当然のように言葉と、そして笑みを返す。 そう、もう一一月になるのだ。一日は長いのに一年は全く短い。今年の初めにはもっと何かをしようとしていた気がするのに…。 顔を上げ、立ち止まった。 「……………」 それにしても相変わらず広い部屋だと思った。もう何度も来ているが、そのたびにそう思う。 ほたるが廊下を奥へ進むと、センサー式のライトが次々と点いて足元を照らした。マンションの廊下なのにいくつも。 「やあ、来たね」 廊下を抜けると、いつもの通りはるかがいた。いつものようにお気に入りのソファに腰掛け、いつものように高々と脚を組んで。 「こんばんわ」 ほたるがひょこりと会釈をすると、はるかは軽く手を挙げてそれに答えた。そして待ち受けていたかのように立ち上がる。 「花火しないかい」 それは唐突に投げられたボールだった。ほたるは会釈のまま目をぱちくりし、続いて部屋に入ったせつなは上着をハンガーに掛けるポーズのまま「は?」と動きを止めた。 「片付けてたら、夏に買ったやつの残ってたのが出てきたんだ。火薬だし、来年まで置いておく訳にもいかないだろ?」 そう言うとテーブルの下から「ファミリー花火セット」を取り出して見せた。 「いや…」 口を僅かに開いたのはせつなだった。しかし余りの突っ込み所の多さにすぐに口籠もる。 「さっきバルコニーにバケツ出しといたから、すぐに出来るよ」 「あら、さっきゴソゴソしてたのはそれでしたの?」 みちるが歩み寄り、そっと寄り添った。この人は、はるかのその発言も突飛だとは感じていないみたいだった。さすがだとほたるは変に感心する。 「バルコニーってはるか、下の階とか危ないでしょーが」 そのせつなの言葉はもっともだった。全く正論だと思う。自分でも分かるくらいに。 「大丈夫さ。ウチのバルコニー広いから」 しかしせつなの言葉をものともせず、はるかは「花火大会」の開催が既に決定したかのように立ち上がると、さっさと窓へ向かって歩き出した。訳知り顔で笑みを浮かべるみちるもそれに続き、家主二人がいなくなってしまっては仕方ないので、せつなも脱ぎかけた上着に再度袖を通すと、ほたるの手を取って二人に続いた。 「相変わらず非常識な…」 ぽそりとせつなの呟いたその声を、今度もほたるは聞き逃さなかった。 それは非常識な光景だった。この部屋には何度も来ているが、バルコニーに出たのは初めてだったので知らなかったのだ。 地上170mにこんな広場があるなんて! こんなの「バルコニー」じゃない! ちょっとしたテニスコートくらいありそうだ。―一瞬「空中庭園」と言う言葉がほたるの頭に浮かんで消えた。 少し肌寒い夜気の中を、せつながほたると手をつないで歩き出した。二人の元へ。 ラバー張りの広場のほぼ中央にバケツがあった。レトロ調の「街灯」に照らされて、それが浮かび上がって見える。 「ほら、ほたる」 取り敢えずせつなに引かれて歩いてきたほたるに、はるかは花火を差し出した。半ば反射的に受け取るほたる。 その光景をニコニコと見ていたみちるが、小さなリモコンのスイッチを押した。ピッと言う微かな音がして街灯の明かりが消える。一瞬四人は闇に包まれた。 が、すぐに部屋の明かりと何より月夜に目は慣れ、今まで見えなかった小さな光がチカチカと見上げたほたるの瞳に反射した。 都会の喧噪もこの高さまでは上がってこない。静かに、ただ星の瞬く音だけが、ネリリ、ネリリと聞こえるような錯覚に捉えられる。 秋空はガラスのように澄み渡り、オレンジ色の火星がひときわ明るく、さっきのカボチャを思わせる色彩で輝いていた。 「点けるよ、しっかり持って」 そしてはるかがほたるの花火に火を点けた。途端に柔らかく炎は噴き出し、徐々に激しさを増し、やがて音を発てる光の奔流となって流れ落ちた。 魔法のほうきみたい… ほたるは火の粉を噴き出す花火を見て、そんなことを思った。ほうきと、めがねの魔法使いを。 そう言えば魔女もつきものだ。ハロウィンに。 カボチャ。 魔女。 ……シンデレラ? ほたるの想像がそんな変な所に辿り着いた頃、ほたるのほうきは着地するように火を止めた。 「はい」 はるかがまた新しく花火を渡してくれる。顔を上げると、何のかんの言っていたせつなも楽しそうに花火をしていた。 シュワーと火が流れ出す。 光を振りまいて飛ぶ魔女みたいに。 楽しかった。 確かに少し寒かったけど、でも輝く火の粉を見ていると何か落ち着いた気持ちになれた。実は火薬のにおいも嫌いじゃない。 しかし季節はずれの花火大会は、十分程度で終わってしまった。元々が「夏物処分」だったのだから仕方ないのだけれど…。 少しの物足りなさを感じながら、ほたると大人三人は再び暖かな部屋へと足を向けた。 部屋に戻ると、せつなと二人洗面台で手を洗った。あっちの二人はキッチンを使っているらしい音がする。 「ほたるちゃん、お腹減ったでしょ」 鏡の中のせつながほたるに微笑みかける。 「うん」 僅か十数分の「寄り道」とは言え、そもそも「夕食に来ないか」と誘われてここまで来たのだから、そもそもお腹の準備も出来ている。 と、キッチンから換気扇の動き出す音がした。 せつなと一緒にほたるがリビングに戻る途中にキッチンと覗くと、はるかの長身がコンロの鍋に向かっているのが見えた。 ―意外にもこの家でははるかが料理をする。生まれついてのお嬢様のみちるが料理だけは出来るなんてコトは、やっぱりないらしい。 気配に気付いたはるかが振り返る。グレーのエプロンをした姿がちょっとキュートだ。 「あ、すぐ温めるから二人とも座ってて」 そしてそれだけ言うと、はるかはまた背中を向けた。 いいにおいがする。 * * * 広いテーブルの上に小鉢が四つ並べられた。そしてお茶碗と、大皿のサラダ。白味噌のお味噌汁。器からそれぞれのにおいを宿した湯気が、ほこほこと天井に向かって拡散していく。 おいしそう…。 それは正直なほたるの感想だった。二人のイメージや部屋の感じから言ってイタリアンとかが出てきそうなものだったが、ほたるの前にあるのは「ちゃんとした」和食だった。(意外にも)「男の料理」ではなく…。 「あ、カボチャ…」 小鉢の中身に気が付き、ほたるが思わず呟いた。 嬉しそうにはるかが頷く。 「ハロウィンだろ? カボチャプリンも冷蔵庫にあるよ。プリン好きだったよね?」 「え? うん。あ…ありがとう」 ちょっと俯いてドギマギしてしまう、はるかが自分がプリンを好きだと覚えていてくれたことが嬉しい。 「じゃあ、頂きましょう」 会話の途切れるタイミングを計ってみちるが言った。お箸を取り上げるはるかが目に映る。 「いただきます」 口々に「いただきます」の聞こえる中、ほたるも呟くように大人たちに倣った。 そしてまずカボチャに箸を付ける。角をお箸で一口に切り取り、口へ運ぶ。 「……………」 …甘い。 それは一年間蓄えられた大地の滋味とはるかの気遣いの味だった。或いはこれを「愛情」と言うのかも知れない…。 (…そっか) と、ほたるは不意に理解した。 シンデレラは魔法のカボチャで幸せになったのだ。 ―カボチャの甘さは幸せの魔法。 この甘さが自分も幸せな気分にしてくれる。 うんうんと、一人納得して頷くほたる。 その大きな黒い瞳に、自慢気なはるかとはるかに軽口を叩くせつなとニコニコしながらそれを見ているみちるが映った。 家族の肖像。 はるかがいて、みちるがいて、そしてせつながいる。 その温かさが自分を満たしている幸せの全てなのだと、瞬間ほたるはそう悟った。 また一切れ口に運ぶ。 そしてカボチャを、幸せの魔法を噛みしめる。 |