ふと顔を上げると、何だかフワフワした所を漂っていた。 暗いような明るいような、涼しいような暖かいような。 上とか下とかそう言う感覚もなく、無重力みたい、と何となく思った。 取り敢えず、ぼんやりと「お風呂のような」空間に身を委ねてみる。 「……………」 何だか全てが理解できなかったけど、でもしばらく経つと頭が働きだし色々なことを思い出した。 そして気付いた。 ―そか。 私…死んじゃったのか― そう言えば、さっきまで病院にいた気がする。いつの間にこんな「不思議空間」に移動したんだろうと思ったけど、これが「死後の世界」だとすれば納得だ。 「……………」 …つまんない。 あの世はこの世の50倍楽しい(by丹波哲朗)って聞いてたけど、こりゃダメだ。何もないじゃん。 誰もいないし、何もないし、景色すらないなんて! うーん、と腕組みなんかして少し考え、そして遂に美有紀は声を上げた。 「これが死後の世界!?」 「違います」 びくぅっ!! 驚いた! 心臓止まるかと思った! あ、もう止まってるんだっけか。 低い声に美有紀が振り返ると、女の人が立っていた。一瞬見とれてしまう。 すらりと冷たく切れ上がる目尻と、その周りを彩る愁いを含む長い睫毛。女性にしてはしっかりと張り出した肩と、そこから流れるように滑らかに伸びる腕がとても逞しい。 髪は長く背も高く、およそこの世のものではない紅い目も相まって、何だか神様みたいな超然とした佇まいに見えた。―カラコンかな? 「広範な意味に於いては確かにここは"死後の世界"ですが、しかしここはまだ所謂"あの世"とか"冥界"とか言われる所ではありません」 「は、はぁ…」 何にも分からない。取り敢えず相槌とも返事とも取れる生返事を返す。 しかしそんな混乱やら困惑やら不審やら警戒やらで訳が分からなくなってる美有紀をよそに、突如現れた女の人は続けた。 「混乱するのも無理はありません」 じっと顔を見る。人の話を聞く時の美有紀の癖だ。 ―綺麗な紅い目。ローズブラウンの口紅も褐色の肌に合っててすごく素敵。 「通常、人間が死んだ場合行く先は決まっています」 ―引き締まった二の腕。何かのスポーツ選手みたい。私なんてぷにゅぷにゅだもんな…。 「ですがごく稀に、こうして自分で行く先を選択できる人もいます」 ―胸もすごいなー。どーんって出てるのに全然脇に流れてないもんなー。天然かな。よっぽどサイドから押さえ付けてんのかなー…。 「特別な―祝福とでも言いますか、それを受けた人だけに許される特権です」 ―私もこんな胸ならもっと写真集も売れたんだろうなー。DVDだって…。 「で、あなたにはこれから行く先を決めて頂きたいのですが―聞いてますか?」 「はい、結構なお胸で…」 「……………」 刹那の沈黙。そして女の人は「聞きましょうよ」と小さく溜息をついた。 「で、どうしますか?」 「いや、どうと言われてもですね…」 自分のことをただ「案内人」だと名乗った女の人はそう切り出したが、急にそんなことを言われてもどう答えればいいものやら。ああ。でも好きな所に行けるなら― 「―家に帰りたい」 逡巡の後ぽそりと言葉を零す。しかし"案内人"は寂しそうな申し訳なさそうな顔をして、ただ「すみません」と、でもきっぱりそう言った。 「そだよね。死んじゃったんだもんね…」 初めて死を強く自覚した。途端に何だかぎゅっと胸の真ん中に黒く重い塊が生まれたみたいに息苦しくなる。 ―悲しい。 私は死んで、もう全部終わっちゃったんだ…。楽しいことも、―夢も。 「あ、ホラ!」 突如、案内人のおねーさんが場違いな声を出した。 「お葬式もしちゃったし。そう! 近所のこすもす会館でやったんですよ。今更家に帰ってもみんなびっくりしちゃうだろうし…」 きょとんとする美有紀。しかしおねーさんは、半ばオロオロと何か要領を得ないことを話し続けた。 ふと笑いが込み上げた。胸の重い塊はなくならないけど、でも、こうして私を励まそうとしてくれる、その心遣いにちょっと気持ちが軽くなる。 「そか…、そだよね。お葬式もしたんだもんね」 もう体も焼かれちゃっただろうし、そりゃ7つの玉でも集めないと無理な話だよね。…てかどんな感じだったんだろう、お葬式。こすもす会館って言ってたけど…。 両親は言うに及ばず、祖父母すら全員健在な美有紀にお葬式の経験はない。前に事務所の偉い人が亡くなったりもしたが、その頃は入りたてだったし、テレ東の仕事もあったので結局出ることはなかった。 お葬式って辛気くさくてやだな…。(当たり前と言えば当たり前だけど)みんな暗い顔して泣いてるし、お線香も何か好きじゃない匂い。お香ならいいのに。あと、菊ってのも何かねぇ…。 と、ふと友達に聞いた話を思い出した。クリスチャンの友人で、そのお母さんが亡くなった時の話だ。写真も見せて貰った。 ―綺麗だった。 白い壁、アーチ型の柱が支える高い天井。ステンドグラスからの光が会堂中に溢れる中、たくさんの、色とりどりの薔薇で飾られたお棺。 そんな中で生前の写真をスクリーンに映したり、出席したみんなで賛美歌を歌ったり、時には笑い声だって漏れるような、そんなお葬式。 カソリック式には「召天式」と言うらしいけど、そこに悲しみはなく、もちろん悲しいんだけれど、みんなで笑って、楽しく天国に送ってあげようと言う、そんな慈しみの気持ちに溢れてると思った。 第一、みんな泣いてたら不安じゃん。 指差して大笑いしろとは言わないけど、私の好きな花とか、好きな音楽とかで送り出して欲しい。……ま、そこは心配しなくてもやってくれるか。あと、遺影はカッコイイ写真にしてくれたかな―。出来たら、出来たら他セーラームーンがよかったな…。あ、セーラームーンが死んじゃったらマズイか(笑)。 「……………」 少し考えちゃったのを心配してか、目を上げると、おねーさんは優しい目でじっと私を見てくれていた。紅い色は深く、温かく、不安とか、ちょっと恐い気持ちとか、そう言うのを全部抱き留めてくれるみたい。 不意に涙が出た。 ―私…死んじゃったんだ。 やりたいこともまだいっぱいあったのに。 エポニールだって結局やってないし、ファッションの仕事だってしたかった。せっかく免許取ったのにバイクにも乗ってないし、史奈センパイみたいにサッカー選手と結婚もしたかった…。 いつも全力でやって来た。好きな言葉だって「全力」だ。 それなのに…。 それなのに―全部、おしまい。おしまい…。 思わず両手で顔を覆った。涙が溢れだし、困ったことに指の間からどんどん流れた。かっこわるい。 「―大丈夫」 そっと温度に包まれた。体温。柔らかな胸が、豊かにそれ以上の涙を隠してくれた。 ―死んで大丈夫もないもんだと美有紀が冷静に思った瞬間、それを見透かしたように、上からアルトの響きがふわりと舞い降りてきた。 「大丈夫ですよ。誰もあなたの夢を忘れない。お友達はみんな、あなたの想いを一緒に抱いてくれています」 す、と頭がおねーさんの体から離された。そして「ほんとはダメなんですが」と小さく言って私のおでこに手を当てた。 「あ…」 白いカーネーションで飾られた祭壇の前に、黒いドレスを着た小柄な子が立っている。後ろ姿の細い肩を小刻みに震わせ、その手にはひまわりの花束。 「ね」 おでこから手が離れるとその景色は掻き消えた。名残惜しかったが、過去やあっちの世界を覗き見てはいけないのだと、美有紀は本能的に察した。 そして理解した。 友達が。大切な友達が泣いてくれる。私の大好きな花を覚えてくれていて、多分、私のことを忘れないでくれる。きっと笑顔で思い出してくれる。今の後ろ姿を見てそう確信できる。 うん。 言っても私は夢を叶えた。 芸能人にもなったし、テレビにも出た。CDも写真集もDVDも出したし、ファンだと言ってくれる人も出来た。そして何より―かけがえのない友達が出来た。 夢を叶えて、また一つ夢が生まれて―。人は夢を叶え続けることが出来るのだ。 そう、それはきっと素敵。 私は夢を叶えた。 最初は星を掴むような夢だったけど、思い続けて全力で走り続けて―。そう多分、私の手は空に届いたと、そう信じてる。 死んじゃったし、もう私は進み続けることは出来ないけど、でも私の思いを抱いて一緒に進んでくれる人がいる。 私の夢を叶えてくれる人がいる。 すごい! それってすごい! うん。何か他力本願で悪いんだけどサ―、私の夢をヨロシクね! これからもビッグバン頑張れ!(笑) * * * 「―さて、じゃあ行きましょうか」 私が落ち着いた頃を見計らっておねーさんは口を開いた。若干非情だと思わんでもないけど、まぁこーゆー仕事なんだろう。死神って言うの? 「結局どこにしますか?」 「ん〜〜〜〜〜」 どこって言われてもなぁ。どこがあんのかも知らないし。 でも― もっと死ぬのって悲しいものかと思った。死んだら何もかも無くなって、何もかも終わっちゃうんだ、って。 でも分かった。 終わったりしない。無くなったりしない。 みんなが私を覚えていてくれる。みんなが笑顔で思い出してくれる。 想いは、夢は永遠に途切れない。―そうだ。そう言えば私ってば永遠伝説だったもんね。 死ぬことは無くなることではない。 死ぬことは終わることではない。 うん。そう。 もう大丈夫。 「―うん、行こう」 だから、もう笑顔でそう言える。 「どこへ行きますか」 優しい笑顔。この人となら安心してどこへでも行けそう。 「そだな―光の射す方へ」 そして楽しくて、あとあんまり退屈しない所へ(笑)。 自分の言葉が少し面白くて無意識に笑顔になる。 「分かりました。こっちは本当にいいですか?」 「うん」 よかないけどさ。でも― 「未練はあるけど悔いはないよ」 「ほぅ―」 くい、とおねーさんがちょっとびっくりしたみたいに眉を動かした。 「それは潔いですね、若いのに感心です。では―その心意気に報いられるような場所に案内しますよ。私"案内人"ですから。死神とは違うんで」 死神だと思ったのを見抜かれてた。「たは」と小さく笑う。 そしてしばらく考えた。 最期か―。いよいよもう行かなくちゃなんないんだよね。 「ねえ―」 「はい?」 それにしてはここは殺風景でいけない。言ってみればこの世からの「卒業」なんだから、それにはそれに相応しい景色があると思う。 「一度でいいから地球って見てみたい」 くい、と、またおねーさんの眉が動いた。そーゆー個人的な希望ってやっぱ無理なのかな。と美有紀が思った時、おねーさんの表情が何だか自慢気に笑った。見とけよと言わんばかりに…。そして、 「分かりました、では―」 右手の杖が大きく掲げらた。先に付いた赤い玉が光り、そこから溢れた光が流れるように周りに広がっていく。 一面に、一斉に花咲くように無数の星が瞬き、そして― 幻のように美しい地球が、眼下に青く青く現れた。 「!」 言葉を失った。 この光景を表す言葉を、人間は持っていないと直感で感じた。 「すごい…」 また涙が出そうだった。圧倒的な存在感。それは自分があそこに生まれたことを誇りに思える程。 「これで」 そうちょっと胸を張ると、おねーさんは手を差し延べた。 そっとその手を取る。 ふわりとした浮揚感。そしてこの景色。ほんとに宇宙遊泳みたい。 「―うん、行こか」 そう。 しばらくこの星ともお別れだけど、漂う宇宙の塵になって、きっとあっと言う間に戻ってくる。 そうほんのしばらくの間。ほんの瞬き一つ。 今、実感できる。 命は宇宙から生まれた。だから。 だから、また、生まれる。それだけのこと。 そりゃあ、もっと恋もしたかった。もちろん結婚だってしたかった。 でも、生まれた。生きた。 そのことに未練はない。 治る人がいれば死んじゃう人だっている。残念だけどそれだけのことだ。 誰だって死は悲しい。それに辛い。 でも。 この人生に悔いはない。 生まれてきたこと。育てて貰ったこと。 その全てに感謝を。 じゃ、またね! □ATOGAKI□ ■岡崎です。 「追悼本を出す」と言ってから一年も経ってしまいまして、どうもすみませんでした。とは言え、そのお陰で変に感情的にもならず、ただ「生命賛歌」を書くことが出来たと思っています。 もし待っていてくれた人がいたらごめんなさいでした。そして、待っててくれて有り難う。 ■母はクリスチャンでした。僕はそうではありませんが、しかし喪主でした。だから「召天式」の様子は本当です。 例えば、骨壺は関西では大きく、関東では小さいそうです。そう言う、実際に喪主をしてみないと分からないような描写や、気持ちのリアリズムが出てればいいなと思います。 ■作品についてですが、とにかく、暗く湿っぽくならないように気を付けました。神戸にそう言うのは似合わないしね。 元々「生と死を同列に扱う」作風ですし、母の死をもう昇華してるのもありまして、「死は喪失ではない」「夢は受け継がれる」と言うことを、恥ずかし気もなく(笑)高らかに謳い上げられればなと意識して書きました。 とにかくプロットが出来なかったんですが、まぁ、何とか脱稿できてよかったです。 ■「美有紀」と書くことは悩みました。 僕の小品では主人公の名前が最後まで出てこないことも普通なのですが、まぁ、リスペクトも含めて。 一人称と三人称が混在することで、何か文章に違和感が残ることは否めませんが。 ■正確ではないかも知れませんが、紅白の出場が決まった時に確か「ビッグバン嬉しす」と言ってました。 多分「ビッグバン」が最上級なんでしょう。しょこたんさん。 ■史奈は神戸の高校の先輩です。同時に在学はしてませんが。ちなみに後輩には郡司がいます。 そして史奈が結婚したのは「元」サッカー選手なのでした。 ■悲しくはないですよ。 母が亡くなった時も悲しくはなかった。ただ、無念だっただけ。 僕は死が喪失ではないと実感で知っています。 もちろん惜しむし悼むけれど、でも平然と忘れない。 ■ここまで読んで頂き有り難うございました。 神戸の思い出やセーラームーンへの思いなど、何なりとメールでも頂けると嬉しいです。あ、ビッグバン嬉しす(笑)。 運がよくてやる気があれば(↑オイ)、また夏コミでお会いしましょう。『MOONCHILD 2』で皆様をお待ちしております。去年のハロウィンで「すっと話に入っていける」とお褒めを頂いた(嬉)作品の続編になります。 どうぞご期待とハッパの程を。 ■最後に、こんな作品でも神戸の供養になればと思います。 感謝を。 笑顔と、太陽のようなあなたに。 夢は受け継がれる。 誰も忘れたりなんかしない。 その手は、きっと天に届く。 ■それでは、有り難うございました。 きっとまたお会いしましょう! 岡崎京一郎 拝 |