世界の民俗の旅 2
世界の三猿

     世界の狛犬・世界の竜族


              世界の三猿

 25年前トルコのバザールで、三猿のキーホルダーを見てびっくりしましたが、三猿はヨーロッパやアフリカなど世界中にあるみたいです。

 [英語]    Three wise monkey : see no evil, hear no evil, speak no evil.
 [フランス語]  Les trois singes : celui qui ne voit rien, celui qui n'entend rien, celui qui ne dit rien.
 [スペイン語] Los tres monos sabios : no ver, no oir y no hablar cosas inapropiadas.
 [中国] 孔子の『論語』のなかには「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」
     (礼にあらざるものを視るなかれ、聴くなかれ、言うなかれ、おこなうなかれ)という言葉があります。


 世界の三猿のリンクです             内   容   説   明
エミル(Emil)さんのHP  スイス在住、30年間「三猿」を研究している、エミル シュッテンヘルム( Emil Schuttenhelm )さんのHP。
普通の日本人も知らない、日本の三猿資料も載せてあります。
世界の三猿収集家  世界の三猿収集家の、蒐集物を見ることができます。
「うる星やつら」の博物誌  皆さんご存じ、 「うる星やつら」に関する研究家のHP。
この中に、三猿「見ザル・言わザル・聞かザル」のページがあります。



 アジアの三猿


 左の四猿は、東南アジアですが制作地不明、白檀製。

 右2品は[タイ製]
陶器と練り物で出来ている。




 下の、三猿は[インドネシア製の三猿]













 右側の彫刻は、バリ島の博物館あった黒檀製の親子の三猿。
 上の三猿は、インターネットのオークションで買った三猿、300円でした。






  下の四猿と三猿は、私の同期生である[今野さん]が旅行先から買った来てくれました。
  四猿は[パキスタン製]
 四猿で気が付いたことは、「せざる」が必ず向かって最左側にいて、他の三猿はバラバラであること。
中牧弘充さんの『世界の三猿』で調べても9割が左で、違う物は最右側にありました。
 もう一つ、パキスタンの四猿の裏側の尾っぽについてです、真ん中の2匹の尾が絡まっています。
これは日本の三猿ではあり得ないことです、何故かと言いますとニホンザルの尾は短いからです。













 [ネパールの三猿]
 左側の三猿は、今野さんからいただいたもの、ネパールのポカラにあるペワ湖近くの日本食レストラン「古都」の側の店で購入したそうです。
 木彫から型をとったらしく木目がついていますが、タイで購入した4猿とおなじ練り物製と思われます。
 縦長の細身で、ニホンザルとは違う短い尻尾がついています。


 右側の三猿は、ペール旅行で御一緒した橋本氏提供の写真です、カトマンズ市内の「ドゥワリカ」ホテルの売店にあったそうです。




 [インドの三猿]
 インド旅行の折、インドで購入した三猿。三猿の発祥地とも言われているとおり沢山が三猿が売られていました


 中近東の三猿

 左四猿・三猿は、キプロス島青銅製の玩具。

 右の三猿の像は、レバノンからシリアに抜ける街道沿いにあるレストラン前の三猿

 キプロスやレバノンでガイドさんに聞いたところ。「見ざる、聞かざる、言わざる」、もう一つは「せざる」ということで禁欲が加わるとのこと。
 なぜレストランの前にあるのかと聞いたら「可愛いじゃない」との答え、三猿は単なる愛玩物として親しまれているようです。

 
 オーストラリア、アメリカの三猿                                    

 私の同期生の蘭々さん(ペンネームです)が、オーストラリアで三猿の看板を見つけて写真を撮ってきていただきました。
 場所はシドニーの中心街にあったそうです
 日本のように道徳的でなものでなく、レバノンの食堂にあったように可愛い装飾で使われているんでしょうね。

















 三猿のピューターチャーム、材質は錫。
 猿の大きさが、1.3p、横幅1.9pの小さな物。
 小さいけれど、結構細かい彫り。
 アメリカ製


 猿以外の動物の物
 
2005年7月、今野さんがまた三猿の変形「三蛙」を見つけてきてくれました。
 場所は、ロシア サンクト ペテロブルグのレストラン、
地下の階段の壁に蛙の置物が沢山飾ってあり、その中にあったそうです。

 中牧弘充さんの「世界の三猿」には「蛙」の三猿がオランダと台湾の物が載っていました。猿以外の物としては、少女やコアラ、日本製ですがピンクパンサーとかキティちゃん・ゲゲゲの鬼太郎目玉の親父のものまであります。




 左の三蛙は、ペルー製
 縦約4p、横11p、高さ5p、とても可愛らしい。


 右の小さな写真は、最近手に入れた、アメリカのディズニーランドで発売してる、変形三猿の ミッキー・ グーフィー・ ドナルドのピンです。
 日本のディズニーランドでも売っているかどうかは、行ったことがないので判りません。誰か見たことがある方は、教えて下さい。アメリカだけの発売であれば、アメリカ産の変わり三猿です。
 写真が小さいのは、ディズニーキャラクターの使用はとても厳しいと聞いたためです。私としては、ピンがとても可愛いので好きな人は探して買って下さいと、大きな写真で宣伝したいのですが… 。





 左の三猫は、札幌の世界の小物を売っている店で見つけました。
 店に入った途端、私を呼んでいるような気がしたので探したらありました。

 インドネシアの物と言っていました。



  下の左2個の三カンガルーは、蘭々さん提供のオーストラリアの変形三猿です。
 像の後ろに、ハンドメイドとありますから、作られた物は少しずつ違う1点物と思います。

  右の三コアラは、これまた同級生のみよさん提供、オーストラリアのコアラの三猿。






 三猿の銀貨・三猿の切手・ハガキなど

 世界で発行されている銀貨に、「三猿」を図柄にしているものが有ります。

 左の銀貨は、2001年にソマリアで発行された 10ドル銀貨。右もソマリアの銀貨、2006年発行、4000シリング。
 両方とも、ネットオークションで購入

 もう一つとてつもない超大型の三猿銀貨が有ります。
 英連邦に属するクック諸島政府発行の物で、直径10センチ、厚さ1.5センチ、重さなんと1キロの堂々たるコインです。
 高額貨幣のため、残念ながら購入できません。


 ニューカレドニア「年賀・申」(2004年2月2日)の切手

 図案は、三猿と香港の夜景。この切手の右側には羊の図案のタブが付いています

 ニューカレドニアは南太平洋にある島、正式国名は、フランス領ニューカレドニア、Nouvelle-Caledonie 英名New Caledonia
 面積は、1万8575km2 四国とほぼ同じ、人口は約20万8000人(2002年) 、首都 ヌメア Noumea
























  「日本で作られた、外国人用の絵葉書」

 写真に、手作業で色が付けられています。

 上のハガキには、1905年(明治38)年の消印が押されています、このハガキが出されてから100年以上経っているということです。
 製作地は不明ですが、幕末から明治にかけて彩色横浜写真というのが流行しました、
これらのものに何か関係があるかも知れません。



 日本の三猿・玩具・鈴

 
  日本各地に、いろいろな郷土人形があり。
  その中から、三猿に関する人形、土鈴、玩具等を、手持ちの中から、
 いくつかを展示したいと思います。

 左の、猿ではなくて、達磨さんの三猿もどき
 高さが、なんと1.5センチしかない小さな物。
 残念ながら、どこで作られた物かわかりません、ご存じの方は教えて下さい。




 左の三猿は、
上の三猿達磨より少し大きな、
高さ3.5センチの小さな陶器製の三猿。











 左側が、「招福三猿」と書かれた木製の板に、おどけた三猿(石膏製?)がぶら下がったユニークな物。
 高さは17p、製作地不明。


 右側の物は、土鈴の銅鐸の上に三猿が描かれています。
高さは15p、これも製作地不明。














  左の、縦型の三猿は

  和歌山県、熊野、那智勝浦、那智宮の
  「えんぎ三猿」

  戸田 昌 作 といわれていますが
  詳しいことは判りません。
















 左の三猿は
戦前に、九州の高崎山で作られた陶器製の三猿人形。
 後ろに書かれている字が、右から書かれて入れています。
 高さは約4.5p。








下の土鈴は 「博多土鈴」の作者、故井上博秀氏が昭和57年頃に作られた土鈴です。
            下の写真、撮し方が綺麗ですよね!  (hyakkodo 中村正邦氏が撮影した物です)




















  【山本香泉創作土鈴の『三猿鈴』】


 左の物は、昭和中期に作られた、山本香泉創作土鈴の『三猿鈴』です。一つの高さは3.6p〜3.8p。

 手押しに手捻りが加味されて、味のある彩色が施されています。短冊には手書きにて「土佐 去難」の文字があります。

 右の物は、普通の木彫りの三猿





  【木葉猿各種 】
 私の好きな素朴な素焼き郷土玩具「木葉猿」には色々な物があります(猿の話にも違う猿が載せてあります)。
 木葉の里に伝わる古文書(木葉焼物の由来)には、約1300年前、虎の牙(現、玉東町木葉)にわび住まいをしていた都の落人が、夢枕に立った翁のお告げの通りにしたところ、天変地異の災害にも平穏無事に暮らすことが出来たと言うことから、猿の土焼き物が夫婦円満、子孫繁栄、悪病災難避けの縁起物として作られ始めた、と記されています。
 純粋な手びねり製法で素焼の伝統工芸郷土玩具で、大正初期に全国郷土玩具番付表で東の正横綱となり郷土玩具日本一となりました。
 
 「素焼き」の素朴な土焼きの猿は、愛嬌たっぷりで、つい微笑んでしまう憎めない表情や、おどけた格好が全国的に人気を集め、現代もなお、縁起物、郷土玩具木葉猿として広く愛玩されています。 














  【土人形の『三猿』】

 左の土人形は高さは5.7pで、購入時に「佐野土鈴」の名工として知られる、故「相澤市太郎」翁の作と聞きました。
 上部に金具があり、紐を付けられる作りとなってます。

 写真写りより、実物の方が何倍もよく見えます。人間と同じで写真写りのいい物と悪い物があるんですね。
 佐野土鈴は、息子さんの相澤俊作さんがあとを継いでいるそうです。





 左の「相模土鈴」は、相澤伊寛(ただひろ)さんの作品。

 伊寛さんは、なんと上の相澤市太郎さんの息子さんだそうです。
 信楽産の土を原料として、藤沢市に窯を立ち上げ、相模土鈴を作ったんだそうです。







  【春日部張り子】

 天保時代より埼玉五関に伝わる「五関張子」職人(現在は廃絶)蓮見豊吉氏より技法と木型を受け継いだ五十嵐健二が,昭和42年より、春日部市に於いて流れを汲みつつ独自の色を出しながら製作を始めたのが「春日部張子」の始まりです。この三猿は五十嵐建二氏の初期の物。

 現在は、五十嵐健二の息子の俊介・祐輔の両氏も春日部張子の製作に精力的に携わり、更なる新しい人形作りに現在力を注いでいます。

 張子人形は、まず木型に和紙を水貼りし、天日で乾燥後、二つ割りにし中の木型を取り出した後、胡粉と膠(にかわ)で固め、彩色したものをいいます。




  【川西誠治さんの遺作『三猿絵馬土鈴』】

 「神戸土鈴友の会」初代会長である川西誠治さんの遺作『三猿絵馬土鈴』です。高さは5.8p、幅は6.9p、小さいけれど趣のある土鈴です。

 川西さんは、平成7年1月17日未明の阪神淡路大震災により亡くなられました。

 土鈴は全国に愛好家がいて多くの同好会があるようですが、私は門外漢のためよく判りません。




  【起土人形の『姫乗り三猿』】

 とても珍しい三猿人形を手に入れました。高さは18.3p。底に「五代目起人形 中島一夫 三猿お姫乗り」の自著があります。他の人形に比べて、大きくてとても迫力のある魅力的な人形です。

 起(おこし)は地名で、愛知県尾西市の起宿一帯(現・富田町)です。この辺りでは養蚕業が盛んで、美江寺では近年まで起土人形製の「蚕鈴」が授与されていました。養蚕室にこの土鈴を下げておくと、お蚕さんがよく育つという謂れのものです。
 そのため、この姫は「蚕神」ではないかと推察されますが詳細はわかりません。

 起土人形は、天保年間(1830-1844)に、冨田村中屋敷(現尾西市冨田)の中島佐右衛門が、同郷の日比野忠四郎と共に名古屋御器所七本松(名古屋市昭和区)の土人形師のもとで技術を習得してこの地で作り始めたといわれ、五代目中島一夫氏のみがこの技を受け継いでいました。
 しかし、中島一夫氏も近年亡くなられたため、この三猿姫乗り人形も今後作られない貴重品です。



 日光の三猿・三猿の発生


 【日光の三猿】 
 左は40年前の修学旅行の時撮した物。右はテレホンカードになったもの。
 猿は馬を病気から守ると言うことで厩舎に猿の彫刻をほどこしたと思われます。
 サルを厩につないでその守護とする風習はインドで発生、現在でも北部インドで行われているといいます。古来の諺にも「厩の病気は猿の頭上に集まる」というものがあります。中国の李時珍の『本草綱目』『馬経』には,「馬小屋で母猴を飼うと,馬が病気にかからない。毎月草の上に流れる猴の経血が染みこんだ敷草を,馬が餌として口にすると体が丈夫になるという。」と書いてあります。そういえば、インドネシアでも猿が馬を曳いている黒檀の彫刻を売っていました。
 右下、テレホンカードの三猿みつけましたので載せました。

 《三猿の発生》
 道教では、人体内に三尸(さんし)と呼ばれる三匹の虫いて、庚申の日の夜間に、寝入った人体を抜け出し、天帝にその人間の罪業を報告。天帝はその報告に基づきその人の寿命を決定するといわれています。そのため、庚申の日に三尸が身体から抜け出さないように夜を徹して、呪文を唱えたり茶を飲んだり、歌合わせ等をする庚申待ちという風習ができました。
 また、庚申の申(さる)=(猿)との関連で、庚申信仰に三匹の猿が登場します。三尸による天帝への報告阻止という意味で、「見ざる・聞かざる・言わざる」で知られる三猿が庚申信仰に取り入れられました。四猿についてはよく分かりませんが、日本になくて東南アジア・韓国にあることを考えると孔子の『論語』「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」
からきているのかもしれません。


 庚申信仰と庚申塔・塚


 【庚申塔の猿について】
 三猿が庚申信仰や庚申塔に結びついたのは。室町時代、山王(日吉神社)信仰と庚申信仰の対象として共に北斗七星があったところから両者が結びついたとする説があります。
 初期の庚申塔にあらわれた猿は三猿ではなく、一匹や二匹で、目・耳・口をふさいだものではなかったそうです。江戸時代、17世紀中ごろに庚申塔に三猿が現れました。庚申の夜に天の神(天帝)に悪事を告げるといわれる三尸(さんし)との兼ね合いで「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が結びついたということです。

 【庚申塔と青面金剛(しょうめんこんごう)】

 庚申待ちは平安貴族の間に始まり、近世に入っては、近隣の庚申講の人々が集まって夜通し酒宴を行うという風習が民間にも広まっていき、明治時代まで続いていたようです。
 江戸期に入ると、青面金剛を主尊とする庚申堂が建てられました。青面金剛は疫病を流行させる神で、その神をまつることによって疫病を防ごうとしたものですが、なぜ庚申塔の主尊となったのか定かではありません。
 青面金剛は、日本仏教における信仰対象の一つ。インド由来の仏教尊像ではなく、中国の道教思想に由来し、日本の民間信仰のなかで独自に発展した尊像で、庚申講の本尊として知られています。像容は、一面三眼六臂で、手足に蛇が巻き付く姿が一般的で、密教の明王像、特に軍荼利明王に通ずるものがあります。
 庚申塔には、「庚申」「青面金剛」「猿田彦」(神道では青面金剛の代わりに猿田彦を祀る)などの文字を刻んだ文字塔と、青面金剛の像を刻んだ刻像塔があります。

 【庚申塔】

 
下の物は、東京に出張中に南麻布4丁目で見つけた庚申塔です



  【仙人庚申塚】


 札幌市北区あいの里(旧篠路町拓北)にある庚申塚(左が昔の写真)。

 高さは1メートル余り。石像は「役行者(えんのぎょうじゃ)」を表し、右手に錫杖、左手に金剛杵を持つ。役行者は山岳信仰の開祖。仙人庚申塚は明治28年、岸本濱造氏により建立された。現在は祠堂(上右の写真)に収められています。

 仙人庚申塚は、道内ではここにしかないという貴重な物。なぜあいの里に仙人庚申塚が有るかについては、このへんを開墾したのが主として徳島県人で、庚申塚研究家の故会田金吾さんの話によると「徳島県は石像造りも、山岳信仰も盛んな所。開拓が軌道に乗りひと息ついたので、徳島出身者がふるさとを思いつつ篠路に土着するんだという証に、庚申塚を建てたものと思う。」とのこと。
          (広報さっぽろ北区版 昭和51年8月号掲載)

 下左の写真が、像の基部にある三猿、だいぶ風化していますが左から「聞かざる、言わざる、見ざる」。