世界遺産の史跡

インド編の世界遺産 1

インドには、自然遺産が5件、文化遺産が22件で27件の世界遺産があります。
そのうち私の見た世界遺産は、
アジャンタ石窟寺群、エローラ石窟群、アグラ城塞、タージ・マハル、カジュラホの建造物群、ファテープル・シクリー、
エレファンタ石窟群、サーンチーの仏教遺跡、デリーのフマユーン廟、デリーのクトゥブ・ミナールとその周辺遺跡群、
ビムベトカの岩窟群、チャトラパティ・シヴァジ・ターミナス駅、レッド・フォートの建築物群の13件です。
何回かに分けて紹介したいともいます。

     インドの世界遺産2 インドの世界遺産3
エローラ石窟寺院 アジャンタ石窟
インドの世界遺産4
(未設定)
インドの世界遺産5
(未設定)


  ムンバイ周辺の世界遺産

 ムンバイの名の由来

 2008年11月のテロで名前が知れ渡った「ムンバイー」は、この地が小さな漁村だった頃のこの地の名前で、ヒンドゥー教の女神ムンバ・デヴィの名に由来します。
一般的には「ボンベイ」の名で知られていますが、この別名はイギリスの植民地となるまえからありポルトガル語だそうです。
 1995年に、ボンベイからムンバイに名称変更されました、おそらく外国語由来を自国由来の名に戻したのではと推定します(私の考えですが)。
ただ、ムンバイと呼ばれていたのは小さな一地区でしたので、現在のように大きくなったボンベイの名に愛着を持ち、地名変更に抵抗感を持っている人も多く
いまでもボンベイと呼ぶ人が多数います。


エレファンタ島

 【エレファンタ島石窟寺院】  文化遺産 登録基準(@)(B) 1987年

 インド西部、ムンバイ湾の東10キロの海上にあるエレファンタ島(元々の名はガーラープリー島)にあるヒンドゥー教の石窟寺院。
エレファンタ島は周囲わずか7キロメートル。名前は、この島を訪れたポルトガル人が海岸で黒い像の彫刻を見つけたことから命名された。
このゾウの像は、次の植民者であるイギリス人がイギリスに持ち帰ろうと企て、1864年に解体してムンバイにまで運んだが挫折。
1912年に組み立てられ現在はムンバイのヴィクトリア・ガーデンの博物館の庭に置かれています。

 エレファンタ島には、ムンバイ湾から船で行きます。下の写真がムンバイ湾、向かって右側の巨大なインド門は、英国王(兼インド帝国皇帝)
ジョージ5世夫妻のインド訪問を記念して1911年に建立されました。
 左側の建物は、昨年のテロで有名になった世界有数の高級ホテルであるタージ・マハル・ホテル
20世紀の初めに、インド有数の財閥の一つであるターター財閥によって建立された大変美しいホテルです。
  石窟群は、6世紀から8世紀頃に造営された7つの石窟からなる。完成度の一番高い第1窟は、破壊と創造の神としてインド人に崇められている
 シヴァ神に捧げられたもので、6世紀中頃の造営。幅、奥行きとも約40メートルあり、インドでも最大級の石窟です。
  左が第1窟東院入り口、右がその内部で奥に「三面シヴァ」の彫刻が見える
  この窟には、シヴァ神を現す多くの浮彫りがあります。北側の入口から入ると、まず右側に「踊る(ナトラジ)・シヴァ神」。(下の写真左側)
 シヴァ神は舞踏の神としても人々から愛され、その踊りは宇宙の舞踏と呼ばれ、踊りの数も108種類あると言われています。
 シヴァ神のまわりでは飛天、ガネーシャなどが舞っています。 
  入り口左側にあるのが右側の写真、「瞑想するシバ神(マホヨギ・シヴァ)」周辺部の神々は破損がひどい。
   窟内部にある「シヴァ神殿」は、約9m四方の神殿で「本尊シヴァ神のリンガ祀る祠堂」(写真左)です。
 入口両側にはドゥワルパラと呼ばれる守護神が対で列び神殿を守っています(写真右側)。 
   「シヴァ神とパールヴァティの婚礼」、シヴァ神とパールヴァティがカイラース山での結婚式の様子を現しています。(写真左)
 二人を取り囲むようにパールヴァティの父(ヒマラヤの神)と母、それにヒンドゥー教の3大神シヴァ神の他のブラフマー、ヴィシュヌ神も参列しています。

  右側の写真は「シヴァ神と女神ガンガー」
 地上の伝説の上の王バギタータが先祖たちが仙人の怒りに触れて灰にされたの霊の罪に悩み苦行していたのをみて、その罪を流すべく、
 天上のガンガー女神(ガンジス河をつかさどる神)に、河の水を自分の髪の毛を通して地上に流すことを許可、それにより灰が流され罪が許されたという
 ヒンドゥー教の神話を表現している。神々や飛天がシヴァとパールヴァティの周りに集まってきています。
  写真右側の写真は、入口の正面奥(南面)にある「三面のシヴァ神」の彫刻、高さ5.6mの巨大な胸像でヒンドゥー教美術の傑作。
 東を向いている顔は恐るべき破壊神(バイラヴァ)の顔、西を向いた優美な女性(神妃ウマー)の顔は歓喜、中央の瞑想的な顔は調和を表している。
 
  左側は「両性具備のシヴァ神」。シヴァ神がパールヴァティ妃と結婚し、合体して両性具有りで表現されています。
 左半身が乳房のあるパールヴァティ、右半分がシヴァ神。シヴァ神は伴侶のパールヴァティと一体であるべしというヒンドゥー教の思想に基づいているという。
 確かにインドでは、常に寄り添ったこの二人の像が何処でもみられます。 
 左が「悪魔アンダカと戦うシヴァ神」、パールヴァティをかどわかそうとした悪魔のアンダカとの対決後、アンダカを殺したシヴァ神の像です。
 右が「怒るシヴァ神」
 左側が西院入り口、東院のとつながっている

 右の写真は、東の入口にある「シヴァ神とパールヴァティのダイスゲーム」、サイコロ遊びでパールヴァティに負けたシヴァ神が「お前がずるをしたからだ」
と怒りだしたところ、パールヴァティは落としたダイスを拾ってテーブルの上にもどし、シヴァ神に背を向けて怒ったふりをし「勝負には勝ち負けが必ずあるもの」
と、この世の習いを悟らせたという話を描いています。


ムンバイ市内
【チャトラパティ・シヴァージー駅】 文化遺産 登録基準 (A)(C)  2004年
 イギリス人建築家F.W.スティーヴンスの設計で、イギリス植民地時代の1878年から10年の歳月をかけて建てられた。
ヴィクトリア・ゴシック様式とインドの伝統的な建築様式を融合させた駅舎の傑作。
 近年、植民地時代の名称をインド固有のものに変更するようになり、かっての「ヴィクトリア駅」から、17世紀にムガール帝国に抵抗したヒンドゥーの部将、
「チャトラパティ・シヴァージー駅」に変更されました。
 【プリンス・オブ・ウエールズ博物館】 世界遺産ではありませんが素婆らしい彫刻がありましたので紹介します
 インド・サラセン様式の荘厳な建物が印象的なプリンス・オブ・ウェールズ博物館。プリンス・オブ・ウエールズとはジョージ5世のことで、元々は小さな病院だった。
展示品も非常に見ごたえのあるものばかりです。ヒンドゥー教の神々の彫像や石彫など数多くの傑作が展示されています。
下の2点はシヴァ神、パールヴァティ
 右にある象面の像はガネーシャシャ、シヴァ神とパールバティ妃の子で知恵と学問,商業の神様としても親しまれています。
仏教のなかの密教では歓喜天または聖天として信仰されている。