HAKANA
〜「いとしの儚」より〜
R.U.P.プロデュース


「泣いた芝居」はありすぎて、いくつあるのかすらわからない。でも「号泣した芝居」は 数少なく、HAKANAの元になってる「いとしの儚」は確実にその「号泣した芝居」の1つです。そして、 「感動的なラストシーン」のMy Best3にも入るほど美しいラストシーンの芝居でした。その時の 感想はこちらから→「いとしの儚」の感想を読む。

今回「HAKANA」を上演すると知った途端絶対にチケット取る!と決意しました。それと同時に かなり不安でもありました。不安だった点は3点。1. R.U.P.プロデュースという点。2. 井川遥主演 という点。3. タイトルが「HAKANA」に変わり、しかも「【いとしの儚】より」となっている点。
1.については心配しすぎって感じで悪くなかったです。2.については不安よりも「頑張ってたなぁ」 という評価の方が勝ってました。良くもなければ悪くもなかった。でもどちらかというと良い印象に 近いです。初舞台にしては彼女は頑張ってたと思う。赤ん坊の時の儚はとても良かった。ただ 女になってから弱かった。「させず太夫」の時の凛とした感じとか最後の芯の強さはなかった。でも 悪くなかった。うん。んで、3.については私にとって私の不安は的中したって感じです。 当たり前のことですが、これは「いとしの儚」ではなかった。「いとしの儚」を基にした「HAKANA」 という全く新しい芝居と思えば何でもいい。でも、「いとしの儚」の再演として捉えてしまった 私には結論として「悲しい」という印象の芝居になってしまったのです。

今回驚くほど「いとしの儚」を忠実に再現してたと思う。セリフも展開もそのまま。儚 メインかと思いきやちゃんと鈴次郎メインだったし。「いとしの儚」の頃から「いらない」と 思ってた「させず太夫」の唄までちゃんとあってびっくりしてしまった。あれ必要なのかなぁ。 あれは省いて良かったものだと思うけど・・・。
山崎銀之丞さん演じた鈴次郎はかっこよかったです、特にラスト。「いとしの儚」で鈴次郎演じた 山中さんが「人でなし」「ろくでなし」で最後の最後まで「情けない」鈴次郎だったのに対して、 山崎さんは「人でなし」「ろくでなし」だけど最後には「かっこよく」「せつなく」「愛おしい」 鈴次郎でしたね。ていうか山崎さんかっこいいなぁ。上手だし。HAKANA上演山崎さん出演と聞いて 胸躍ったもんなぁ。こんな適役あんのかー!!ってくらい。イメージ先行したけどそれでもイメージ 通りでした。最後にかっこよくなっちゃったのはちょっと「むむー」って感じではあるけれど、( 私は鈴次郎は最後まで情けない方がいいと思う人)でもかっこよかったのでいいや。鈴次郎がかっこ 良かった分、儚はちょっと最後弱かったけどね。
赤鬼演じた総代は、良くも悪くも総代でしか なかったような気が・・・。最初の鬼の本性出すシーンで、「こんなに軽くていいのかー!!」って 思ったし、最後鈴次郎が「鬼、出てきてくれ・・・」と懇願するシーンで軽く「何ー?」って 出てきた時にはマジで吹き出してしまった。私は総代のあの軽さは嫌いじゃないので、今回はまぁ 良い意味で芝居を壊してたような気がするかな、っていうか、何ていうか・・・(苦笑)。
ゾロ政演じた谷原さんですが、あの人は演劇界で守るべきです。保護すべきです。TVには2枚目なんて 余ってるんだからあんだけ美形で芝居が上手な人はこれからも演劇界で使い続けるべきです。そう 思った。上手だった。「幽霊はここにいる」で「美声な人だなぁ」と思ったけど、正直ここまで 演技上手だとは思いませんでした。そんでもって意外とこの人若くないのね。さー、これから男と して役者として油が乗ってきてますます魅力的になる時期ですよ。どんどん芝居出てください。 どっちかっていうとシェイクスピアとかで見てみたい気も。
その他の役者さんたちは皆上手だったなぁ、やっぱり。円城寺さんとかEHHEの今奈良さんとか(苦笑)。 中坪姉さんはやっぱりキレイ。皆川猿時さんはおいしい役だった。はまりすぎ。で、絶対にこの人 いなかったら見に行かなかったと思うのはやっぱり六角さん。六角さん声いいし、上手だし、やっぱり 青鬼はこの人以外考えられない。ただ、ね。はぁ。六角さんには不満はないが、六角さんの使い方 には不満がある。この辺プロデュース公演だからなのかなぁ・・・。

何が私を「悲しく」させるかというと色んな点がありすぎて、それはもう「いとしの儚」への 思い入れが強すぎたっていうただその一言につきるわけなんですが。まず、テンポが悪い。2時間45分 って。長すぎ。終盤に近づけば近づくほどテンポが悪くなる感じで、何ていうか「泣かせよう」と してる気がしてかえって泣けなくなった。「いとしの儚」が涙で舞台が見えにくくなったのと対象的 に、最後になればなるほど涙は乾いてしまいました。テンポが悪かった1番の原因は絶対に賽子姫 だと思う。ホリヒロシさんの人形で今回賽子姫を表現したのだけど、最初に出てきた時にはすごく 幻想的できれいで「おおっ!!」って思ったんですが、いやー、人形だけに動きが遅いでしょ。 入りも出も遅い。そんでもって最後の最後まで幻想的な「博打の神様」だったので、鈴次郎に怒って 裏切る瞬間のあの「無邪気な残酷さ」が表現できなかったのが痛い。役者の表情というものがどれだけ 自分にとって大切か痛感してしまった。賽子姫は「いとしの儚」みたいに、少女みたいな わがままさがあった方が良かったと思う。
あと最後、鈴次郎=青鬼とわからせるのが最後の最後ってのがなぁ。まぁ確かに 赤鬼(今回は鬼シゲか)に「鬼になれ」と言われた時点でわかるっちゃーわかるんだけど。でも最後に 鈴次郎と青鬼のセリフが被るのが感動的だったのに。青鬼はずーっと隅っこでうつむいてるだけ。 そんなの嫌じゃー!あの六角さんの美声を聞かせてくれ・・・。あの泣きそうな呟きが 聞きたかった・・・。(でも、「そこは半だろう!!」と儚を賭けた時のとっさの爆発はさすがに 感動しまくったです)
で、最後儚は花になるんだけどもその後の余韻があったのが気に入りません。儚が花に なった途端にずばっと潔く終わってほしかったのに。あの余韻はどうなんだろう。あの余韻がある為に 鈴次郎のせつなさが見えてしまって私は「ふーん」ってなってしまったんだけど。っていうか、あの 最後のバックの地球は何なんですか。意味がわからんかった。あれは何?鬼の世界は異世界?ていうか 別惑星!?月ならわかるけど、地球ってのが・・・。意味不明・・・。

で、決定的に気に入らなかったのが、「花が少ない」です。ラストの花。パラパラ落ちてきて きれいだったんだけど(そういや芝居途中でパラパラ1枚とか4,5枚落ちてきたので正直引いた。 落とすなよ・・・)あの花吹雪が未だに目に焼きついて離れない私としては「花少ねえー!!!!」と 叫びそうになった。(隣の友人も同じ意見でした) 儚は花になりましたが、あんな少量で いいのか。きれいだけど、「きれいだねぇ」で終わってしまうし、しかもその後余韻があるし。友達が 「あのあと儚が復活してハッピーエンドになるかと思って恐かった」と言ってましたが正に同感。
ただ、「いとしの儚」を知らない人にはきっととても美しいラストだったんではないかと思い ました。とても美しく、とても悲しいラストだったのではないかなぁと。でも衝撃的ではないよね。 それほど「いとしの儚」のラストは私には衝撃的な美しさだったんです。泣かずにはいられないほどの。 だから、「悲しい」んです。「いとしの儚」を求めてしまった自分に対しても。

そういや井川遥さんが主演ということで、だいぶソフトになってましたね。露骨な性描写とか なくなってたし。エロバカ殿じゃなくて横暴な殿様になってたし。 あれが限界なのかなーってくらいの所で頑張ってたような気がします。ソフトに なってしまった分だけ、儚の純真さが薄れたような気がしないでもない。ふと思い出した んですが、「いとしの儚」の後にえんぺで「和尚ホモネタ」が物議をかもしたのが懐かしいです。

なんだかんだ言って後もう1回見に行ってしまいます。井川遥さんが声がもつのかどうか未知数だけ に不安。野村祐香さんみたいに恐ろしいまでにKeepしてる人もいるので、Keepする方に期待。

初演への思い入れが強すぎると再演を素直に受け入れられないってのを痛感してしまいました。 だから、「ビューティフル・サンデイ」は正直再演してほしくないです。そして、「嵐」の再々演が またしても恐くなった私でした。再演は初演を超えないってのは、思い入れが強すぎるからなんで しょうかね・・・。

(7/6 19:00 PARCO劇場)


2度目見てきました。何ていうかなぁ。感想そのものは全然変わりません。2度目は「こういう 演出なんだ」と理解してるので号泣できるかと思いきや全然全然。あげく、1回目は結構良かった じゃないの、頑張ったじゃないの、と思っていた井川さんがダメになるおまけ付。いや、悪くは なかったんだけどさぁ・・・。何ていうかただただずーっと泣いて叫んでるだけに思えてきて、 あげくそのうちその泣いてる姿が笑ってるようにしか見えなくなってね。その使い分けっていうか 泣いて叫ぶその姿に共感できなかったのが痛いのかも。かわいかったし良かった部分もいっぱい あるんだけど、私が見たかった「儚」は彼女じゃなかったってことです。

しかし山崎さんはかっこよかったなぁ・・・。たまたま席の都合で間近で見たんですけどね、 いやー、目が離せなかったよ・・・。かっこよかったね。でもふと思ったんですが、佐藤アツヒロは 年をとると山崎さん系統になりませんか?何か似てるとか思っちゃった。演技力じゃないよ、見た目。

2度目見た時、谷原さんが思いっきりやらかしました。最初の赤鬼vs鈴次郎の対戦で、 賽を振ったのがゾロ政(=谷原さん)だったのですが、その賽をふっ飛ばしました。「あっ」とか 言ってるのが笑ってしまい、なおかつその後2人に「何やってんだよー」とか散々突っ込まれてるのに さらに大笑い。あげく鈴次郎に向かって「うるせぇ!好きでやってるわけじゃねぇんだよ!」と 逆切れかましてるのが最高でした。いやー、いい物見た。

今回いかに私の中で「いとしの儚」が伝説化されてたかって感じなんだけど、見る前から 井川さんがインタビューで「儚という赤ん坊が大人の女性に成長していく物語」って言ってて 「それは違うだろー!」って思ってた私。私はこの芝居は、「愛するということがわからない男が 大切な女の為に必死で「愛し方」を模索してどん底に落ちていき最後まで上手に愛せなかった男」と、 そんな男の為に「何が何でも人間になろうとする物」の恋物語だと思っていたので、儚の成長物語 なんざ最初から興味ないんだよぅって感じ。あくまでも私の楽しみ方として。
だから、扉座版の「いとしの儚」のラスト前からとにかく泣けてしょうがなかったのは三木さん 演じた儚が必死で人間になろうとそれにこだわるのはとにかく「鈴次郎の為」ってのが見えてた からだと思うんだよね。だからそれが危うくなった時も、鈴次郎が命を賭けて儚を救った時も、 助かったけど鈴次郎がいないので「抱いて」とお願いする時も全部泣けてしょうがなかったんだと 思った。「人間になる」と「鈴次郎」が常にセットだったからだと思うのね。
でも、井川さんというか今回の儚は「人間になる」だけが独立してる気がしたのよ。鈴次郎のため ではなく、あくまでも自分の為に人間になりたいように見えた。鈴次郎と幸せになりたいという 欲望と、人間になりたいという欲望がそれぞれ独立して儚の中にあったような気がするというか。 それが井川さんの演技力のせいなのか、演出のせいなのかは知らん。 でも独立して見えてしまったので、最後の「抱いて」がじーんと来なかった気がしますです。

あとやっぱり、「いとしの儚」では赤鬼なんかと同様脇の1人に過ぎなかった賽子姫を中心に 持ってくることで(青鬼よりも大事な位置付け)、話そのものがむちゃくちゃ神秘的になったよね。 私はこの話はもっと俗物的で良かったと思うのよ。もっと俗物でもっと汚くて良いと 思った。(その方が御伽草子っぽいじゃん)  だからこそ、儚と鈴次郎の不器用な思いが最後すごく純粋できれいに見えた気がするのよね・・・ なんて、よっぽど初演好きだったんだなぁとここまで書いてて思った。とにかく賽子姫をあそこまで 中心に持ってくる必要性はやっぱりなかったとしか思えない。あの恐ろしいまでの「無邪気な 残酷さ」が好きだった私としては、あの神秘的で格が高い賽子姫には感動も恐怖も何も なかったよ。2度目見た時にはうざかっただけだ。動きがたるい、うざい。

何気にパンフ見ると最初に今回の演出家が横内さんに語ったコメントがあって、「儚は鈴次郎の 元を去らないんじゃない、去れないんだ」っていう解釈だったそうです。あー、この時点で私が 今回の演出好きになるわけないじゃんか。私は何が起きてもそれでも鈴次郎の側にいたいと思う 儚だと思ってたからこそ感動したんだよ。世間をよく知らなかったからこそ、ただただ一途に 純粋にひたむきに鈴次郎を思うことができたんだって。だから最後はあんなに泣けたんだと思ってた けど、「去らない」と「去れない」は違いすぎる。鈴次郎のもとを「去りたくても去れない」儚 なんざ知らん。勝手に花になってしまえ。

(7/11 19:00 PARCO劇場)

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