ここにも赤い格子の家があった。
13:32
ここで左に分かれ、細い昔の道に戻る。
また京阪電車の踏切がある。
このまま進むとJRの線路がある。
手元の地図を見ると、JRの石山駅構内を通過するように
なっている。
ここは1号線の旧道と勝手に思っている。
坂の頂点に大乗寺というお寺があった。
こんな道になる。
この先は上り坂になるはずだ。最後の上り坂になる。
ここは日ノ岡峠と言う峠道だ。これで最後の上り坂になる。
歩きだすと、こんな風船がところどころに見られる。
京都名物 山科なすびのPRだ。
この歩道橋で、京阪電車と国道を横断する。
少し広い道になり、瀬田の唐橋に近づいてきた。
しばらく歩くと住宅は途切れて、比叡山の山並みが見えてきた。
京都に近づいているのがわかる。
矢倉立場跡
ここには茶店があり、現在でも草津名物でもある
「うばがもち」が売られていたと言われる。
また広重の絵に書かれている場所だ。
いよいよ最後の区間になった。2009年の夏、日本橋をスタートして26日目に500kmの旅を終了する。
今回は知人のNさんが同行する。
前日に草津に入り、駅前のホテルに泊まって7時過ぎにホテルを出た。
すぐに前回の最終地点である草津本陣前まで向かった。
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元々はこの通りには京阪電車が通っていたが、今は京都地下鉄
と共に地下を走っている。
その時道路は拡幅されて今のようになっていると言う事だ。
これは牛車のモニュメントだが道路沿いに作られている。
ここで左の小道へ入らないといけないのだが、
まっすぐ行ってしまった。
引き返して正しい道を行く、3分のロスをした。
ほとんど案内が無い。
これは親切な案内だ。
この歩道橋のすぐ横は民家があり、道を尋ねる人が
多いかもしれない
歩道橋で国道一号線を横断し、再び細い道に入る。
車石がある。
昔、京都、大津間は往来が盛んで、牛車により物資が
運ばれていた。そのために牛車が通るところには、
石が敷かれていたらしい。
この石がくぼんでいるのはわだちで削れたところだ。
道を歩いているとこんな標識がある。
我々は右のほうへ向かって歩いているがどういうことだろう。
地図を見る限り間違っていないが、なんとなく不安になる。
通っている道は、大津市と京都市の境らしい。
後で調べてみると間違いではないということが判ったが
こんな表示はないほうがいい。
13:06
道路を横断すると逢坂の関の案内板がある。
ここで逢坂峠は頂点になる。
この先の信号で反対側に横断しなければならない。
逢坂の常夜燈も道路の反対側にある。
道路の反対側に蝉丸神社の上社がある。
JRの石山駅前に着いた。
歩道にはこんな埋め込みがされていた。
街灯の形が変わってきた。
8:18
道路の右側に小さな池のようなものがあった。
総時間(休憩含む) | 8時間30分 |
歩行時間 | 7時間33分 |
歩行距離(概算) | 24.8km |
この区間の歩数 | 39,915歩 |
この日の総歩数 | 41,299歩 |
正面の高いビルが三条大橋のはずだ。
京都には久しぶりに来たが、かすかな記憶がよみがえる。
鴨川へ繋がる川を渡る
こんなところに旧東海道の案内がある。
先ほどの分岐点に欲しいものだ。
五条別れの道標から進むと広い道に出る。
右へ曲がってJRのガード下を進む。
ここら辺りで左へ細い道へ入るはずなので。横断する。
13:56
いよいよ京都市に入った。
ここまで来ると間違いなく京都方面がわかる。
確かにこの道路は市境のようだ。
そのまま歩いていると、この人に呼び止められた。
「ちょっと待って」と言われ待っていると。
前を行く同志と思われる。
こういう旅は菅笠が似合う。
中々いいものだ。
ここまでくれば余りためらいはないがこれをかぶって
銀座通りを通るのはちょっと勇気がいる。
名神高速道路の下を通る。
横は国道一号線で車の量は多い。この部分は左側に歩道が
あるが、国道一号線合流地点で横断しておかなければいけない。
またまた踏み切りだ、この後もう一回ある。
8:47
月輪寺前を通過。まだ足も軽い。どんどん進んでいく。
7:41
そのまま進むと、少し広い道を横切り、その向こうに
立木神社がある。
ここは草津宿街道交流館で中には展示物があるらしいが
朝早いのでまだ開いていない。
7:00
歩数計をリセットしてFinal Walk が始まった。
本陣前の通りは商店街になっているが、本陣以外は
あまり昔のものは残っていない。
三条大橋の近くで、軽く祝杯をあげた。
なんともいえない美味しさだった。
鴨川はの水はきれいに流れていた。
東山三条交差点を渡る。
三条大橋はすぐそこだ。
反対側はこんな建物があり、京都の市街地らしい風景に
なってきた
15:35
蹴上のミヤコホテル前通過
いよいよ道路標識に三条大橋の名前が出てきた。
15:16
いよいよ現在の三条通に合流した。
この道を進めば三条大橋だ。
ちょっと急な坂だが、もう20kmも歩いているので
息を切らしながらなんとか上る。
向かいには天智天皇陵がある。
14:11
JR山科駅前に到着。ここで休憩
14:30 山科駅前を出発
ここから三条大橋まで約5km。 1時間半ぐらいだ。
山科地蔵徳林庵の前を通る。
これを頂いた。
中にはお香が入っておりかすかに匂う。
手作りで、街道歩きをしている人に渡していると言う。
ありがたく頂戴した。
白須賀で手作りわらじを頂いた事を思い出す。
ずっと国道一号線に沿って進む。
横は国道一号線、京阪電車、名神高速道路
13:19
左側に月心寺の門がある。
ここに走井の清水があり、茶店があったという。
信号の付近の側壁にこんなものがあった。
12:40
JR東海道線の上を横切る。
これは京阪電車で、レンガの下が、JRの逢坂山トンネル
の入口だ
札の辻交差点を左折する。
京阪電車京津線が路上を走っている。
このあたりが大津宿の中心地だったと言われる。
いよいよこれから逢坂峠にかかる。
11:56
滋賀県庁近くの交差点通過。
この後近くの大衆食堂で昼食休憩にした。
休憩
12:00〜12:18
11:39
義仲寺通過。
境内には源義仲をを葬ったと言う塚があるそうだ。
11:25
石坐神社前通過。
このお寺に突き当たるが右へ曲がる。
このお寺の外周を回るようにして進みむ。
11:10
縁心寺前を通過。
この辺りは膳所(ぜぜ)といって昔はお城あった地域だ。
時々、車が来るが比較的静かな通りだ。
また新しい街灯になった。
石山駅を通過し、再び静かな道に戻る。
下には瀬田川が流れている。
この奥は琵琶湖だ。
約3時間歩いたので少し休憩する事にした。
約20分ぐらい休憩した。
瀬田の唐橋手前の三叉路にこんな店があった。
たにし飴とはどんな味がするだろう。
緩やかではあるが坂道もある。
9:00
JR瀬田駅の近くの交差点にこんな道標が建っていた。
直進 三条大橋まで五里余り
後ろは 江戸日本橋まで 百二十里余り
百二十里も歩いてきた。
とはいえあと20km位ありそうだ。
昼食を入れるとあと6時間はかかるだろう。
8:25
右手に大きな池が現れた。名前は弁天池と言う。
このような道が続いている。
横に広い道があり横断する。
振り返って見るとこうなる。
向こうにあづまやが見える。
しばらく行くと、国道1号線に出るが、横断する。
この辺りは道がややこしいが、小さな公園に出た。
JRの南草津駅はこの近くだ。
草津川を渡る。 歩いているのはNさん
京都駅に戻り、家路についた。長かった旅もこれで終了だ。
16:00
念願の東海道歩き制覇の瞬間になった。
万歳しているのは私。
旧街道らしい道になった。この先は広い道になるので、
こんな道は最後になるだろう。
すぐに蝉丸神社が右側にある。
下社、上社と会わせて蝉丸神社と言う説もあるらしい。
何かややこしい。
逢坂のいわれが説明してある石碑
蝉丸神社下社は踏み切りの向こうにある。
別名「関蝉丸神社」というらしい
ここがメインの蝉丸神社と言われている。
石部〜草津で見たような赤い格子がここにもあった。
京阪電車石山線唐橋駅横の踏み切りを渡る。
同じような道が続くがいきなりこんなものが現れた。
8:36
いよいよ大津市に入る。
しばらく気がつかなかったが、街灯の形も変わってきた。
野路萩の玉川に着いた。
ここでは伏流水が湧き出ていたらしい。
7:50
「右やばせ道 これより廿十五丁 大津へ船わたし」
右へ行くと大津への船つき場(矢橋湊)があった。
前には草津宿の見取り図が表示してある。
この図で言えば左上の方から来て、右のほうへ出て行く。
こういった、ものはところどころにある。
三条神宮道交差点から右を見ると平安神宮の大鳥居が見える。
もうすぐだと思うと気持ちがわくわくする。
蹴上浄水場の横の緩やかな下り坂を歩く私。
五条別れの道標
右ハ 三条通
左ハ五条大橋
山科駅はもうすぐだ。
道路の右側を歩いているのは、先を行くNさん
中の庭は綺麗らしいが入れないので、塀越しに庭が見えた。
ここから下り坂になる。
ここには鰻やさん「かねよ」がある。
あらかじめわかっていればここで昼食にしてもよかった。
再び歩き出す。
すだれ、ヨシズのお店があった。
琵琶湖の葦は有名だ
旧街道らしき雰囲気が出てきた。
どう考えても旧東海道ではないのだが地図に従う事にする。
10:00
出発して瀬田の唐橋を渡る。
歩いているのは私です。
9:40
瀬田の唐橋に着いた。
ここはどちらへ行っても瀬田の唐橋に行くのだが、
左が正確な東海道だ。
こんなものも建っている。
特に説明は無い
小さなあづまやがありベンチもある。
ここの街灯はスポンサー付だ。
教善寺というお寺があり、前にこんな看板がある。