近江 水口城

石垣見学コースやリフレッシュの園、すべり台も完備!


城跡といえば、公園・学校・役所になることが多いですよね。最近では史跡公園と呼ばれる形の公園として
整備し、保存と活用の両面を狙ってゆくことが多いのですが、それはごく一部の城郭だけなのです。
大半の城跡は発掘調査報告書だけを世に残し、破壊されて住宅地やゴルフ場となって消滅するのです。
今回、私は二つの水口(みなくち)城をご紹介します。どちらもちょっと待てといいたくなるような城跡の
保存・活用をしている箇所がちらほらと・・・


水口岡山城(中世)
江戸時代の水口城に対し、水口古城と呼ぶことも。本来、こちらは岡山城というのですが、近江八幡城の西にも
岡山城(こちらは水茎岡山城とも)があるので、区別のためにこうしておきます。いつか水茎の城も取り上げることが
ありそうなので・・・。
ここ甲賀地方は土豪の連合社会であったため拠点となる城郭があまりなく、天正13年(1585)に秀吉が土豪の
連合結社(甲賀郡同名中惣)を解体したとき、新たに作られたのがこの岡山城です。城主は中村一氏、増田長盛、
長束正家と豊臣政権の重要人物が務め、長束正家の時に関ヶ原が起こり落城して廃城になっています。
戦乱の舞台になりやすいとされる近江では破城が徹底しており、豊臣時代に新造されたここ水口岡山城も、塁線が
はっきりしないくらいの破壊を受けています。石垣の石は近世の水口城を築く際に転用されたともいいます。
現在残る水口宿はもともと岡山城の城下として整備されたものなので、水口宿の探訪も城跡とあわせて是非こちら
もどうぞ。



水口城(近世)
碧水城という美しい別名があります。そして現在では水口高校グラウンドという美しくない呼び名も・・・。
こちらの水口城は平和な時代になってから築かれた、比較的歴史の浅い城です。
寛永9年〜11年(1632〜1634)に、徳川三代将軍家光の宿所(御茶屋御殿)として作られたのが始まりで、
幕府は城番を置いて管理していました。天和2年(1682)に加藤明友(加藤嘉明の孫)が2万石の大名として入城
し、水口藩が成立します。が、さすがに将軍宿所として作られた豪壮な殿舎を、居所や藩庁として使うのは抵抗が
あったのか、本丸の外に二の丸を築き、そこに藩庁や武家屋敷を建てたそうです。城域が拡大したため、本丸の
そばまで広がっていた水口宿の街地は移転、東海道も城地を迂回と大変なことになっています。明治維新で廃城と
なり、二の丸は市街地に、石垣は鉄道敷設の際に石材として利用されましたが、本丸はグラウンドとなり四囲の水堀
も残されました。くだんの豪壮な殿舎は、江戸時代に取り壊されていて、廃城時にはすでになくなっていたようです。






では、出発しましょう!



前回の黒井城に続き、今回も18きっぷです。貴生川駅で近江鉄道に乗り換えて、水口城南駅へ。
近江鉄道は18きっぷが使えないので別料金です。にしても・・・





水口城南駅内

水口城南駅、やる気なし。
昔はもっと賑わっていたような・・・?駅員だっていたと思うんですけどねえ。
さびれているのはいいんですが、というよりむしろ歓迎します!が、汚いのはどうも・・・。
城を意識した、いい感じの駅だっただけに、残念です。奮起せよ!近江鉄道!





駅から2〜3分ほどで近世の水口城に到着です。


水口城

・・・・・・・・・・・・・・・。
あ〜!木が邪魔っ。場所を変えたり、しゃがんだり、いろいろしてみたけど、ダメでした。
どうやら建物と一緒に、木の枝も写真に写りたくてしょうがないみたいです。せっかく美観を気にして
城郭風の建物を建てたんなら、よく見えるようにしておかないと意味がないんじゃあ?
でもこの木のまわりの植え込みとか、すごく手入れが行き届いていて、ほったらかしというわけでは
ないみたいです。観光客の視点になってくれていないんだろうなあ。





がんばります

くう〜、どうしても枝がぁ!
少しだけ枝を剪定してくれれば、もっときれいに写せるのに。
ま、どうせ資料館の建物だし、いっか。復元でもない模擬建造物だし、いっか。鯱さえ乗ってないような・・・
別にいいよ、ふんだ。





水堀です

隅画部

気を取り直して、水堀!
ううむ、すばらしい。石垣が失われたとはいえ、よくぞ残った。近世期のものだけあって、すごい堀幅です。
この城は二条城の縮小版というイメージが強いのですが、このあたりの景観は近世城郭の総構っぽいです。





乾櫓跡

立派な櫓台がありました。
なんか唐突な感じがしますが、石垣作りの櫓台がありました。乾櫓の跡ですね。んんっ?でも、よく見ると・・・





わかりにくい?

なんか積み方がヘンですよ!
下のほう1/3くらいまでは普通に横目地が通っていて、きれいな布積みなのですが、途中から目地が
斜めに通っていて、上の方はステンドグラスみたいになってます。ほええ〜。どういうこっちゃ?
これは現代の復元ではなく、幕末に地震で壊れたのを修繕したときか、廃城時に石垣が撤去された後、
もう一度積み直した石垣だそうです。
新しく積み直した石垣なのはわかりますが、なんでこんなことに?
全部が斜め積みならそういうものとして認識してしまいますが、途中から急に変わられると吃驚仰天ですね。
昔は石垣を積み直すとき、下の石垣に合わせようという気はなかったんでしょうか。





櫓台の上から

などと文句を言いながらも、櫓台に登ってみました。
積み直した石垣だと思うと、この櫓台の高さ自体も怪しく感じてしまいますが、けっこう高くて気分いいですね。
本丸内部はグラウンドになっていて、この日も何かスポーツ(何やってたか忘れた)をやってました。
気のせいか滋賀県内の高校生はやたらと挨拶をしてくるみたいなんですが、そういうもんなんでしょうか?
この日も女の子に挨拶されたのですが。





普通はここから

じゃあ、ちょいと行ってくるぜ。
遅くなりましたが、ようやく資料館に突撃です。そういや、いまは水口町じゃなく甲賀市なんですね。
あちこちの「水口町立」部分が「甲賀市立」に修正されていました。





内部から

ここの資料館の人は、やたらと親切。
学生時代に来たときもそうでしたが、ビデオ再生の用意をしてくれたり、お茶を出してくれたりと、
とても親切で恐縮してしまいます。荷物を置かせてもらって、手ぶらで館内を見学できました。
至れり尽くせりなのは入館者がすくな・・・いやいや利用者を大切にする気持ちが大切なのですよ。





西水口商店街

さて、どこかで昼食を。
と思ったのですが、このあたりの商店街はいい味だしてますねえ。昭和の夢がつまった街灯のデザイン、
旧道そのままの道幅、古くて修理もしていない家並み・・・。実にいい。
いいのですが、ちょっと昼食をどこかで・・・・。なんかどこも営業してなさそうな、もしくは入るのに勇気が
いるような、味のある店ばかり。いや、そういう味はもういいって。




藤栄神社

藤栄(ふじさか)神社にやってきました。
ここでは水口藩を開いた加藤明友の祖父、加藤嘉明が祀られています。
まったく、戦国武将はすぐに神様になるんだから
最初に水口の城と町を作ったのは中村一氏じゃあ?とか、やぼなツッコミを入れるのはやめておきましょう。





領境碑

境内に、こんなものが。
どこかから持ってきたんでしょうか?水口城を出てすぐにこんなものがあったとしたら、
いくらなんでも水口領せますぎでしょう。





水口神社を目指して

次の目的地は水口神社です。
いかにも最近できたっぽい郊外型大型店がひしめくあたりで昼食をすませ、水口神社へ。
今回はスルーしましたが、水口城南駅のそばに歴史民俗資料館があって、そこでは水口神社の
曳山祭りに関する展示をやっています。




けっこう大きい

で、ここに曳山が保管されているそうです。
祭り関係の史跡は、祭りの日以外は味気ないなあ。ま、それだからこそ祭りの時が華やかなんでしょうけど。
このあたりの参道は常夜灯や並木が良く残っていていい感じです。
これでクルマが入ってこなければさらに良かったのに。





水口神社

頑張って渡ろう

曳山がでっかい割に、水口神社はこじんまり。
町の中にしては広い境内だとは思いますが、規模はそれほど大きくありません。
がらんとした感じなのは、やっぱり祭りを行うからでしょうか?





うじゃうじゃ

曳山は都市のシンボル
だったそうです。当時はそういうところを頑張っていたんですね。
どうやらこの付近、祭り好きにはたまらない世界が展開されているようなのですが、お城好きにとっては、
ふうんってところです。





西見附そばの一里塚

だあ〜っと戻りまして、水口の西端までやってきました。
いやあ、昼食を求めてとんだ回り道をしましたが、ようやくここからが東海道です。
ここから東海道を東に歩いてゆけば、目指す水口岡山城にたどり着きます。事前に地図で確認して、
効率よく見て回らないと時間がなくなってしまいますね。
・・・まあ、いつも寄り道がメインになってしまいがちなのですが。
水口の観光地図を見つけたので、参考までに紹介しておきます。

  外部リンク<甲賀市水口町観光協会> 画面左上の「みなくちお散歩マップ」が見やすいです






旧東海道

この道が東海道。右側が水口城なのですが・・・
まったくもって、それらしくない。水口城は水堀に囲まれた本丸部分以外まったく残っていないようです。





力石ともいうそうです

わずかに残る城下町の痕跡
こういうのを見つけるのが好きなんですが、これって物好きでしょうか?
この町のエライところは、こういうものをそのままの場所で保存してあるところですね。
普通なら開発の際に、邪魔だからと毀してしまったり、神社かどこかへ持っていったりするもんですが。





ところどころ、いい感じ

ここで直角に折れてます

水口宿のあとから作られた城下町
街道が屈曲し、街路だった部分が城内に。
御茶屋御殿を藩城に転用したという水口藩の特殊な立藩を物語っていますね。このあたりは街路が
完全に残っていて面白いのです。これで水口城の藩庁や百間長屋が残っていれば・・・





奥にからくり時計が

水口石橋駅前。
東海道は線路をまたいでから、なんと三手に分かれます。
ええーっ、どうしよう。どの道を行けばいいんだろう?・・・・って悩むこともなく、またそのうち一本にまとまります。
なかなか愉快な町割りだと思うのですが。ところでこの付近、以前はスーパーか何かがあって、買い物の
おばちゃんたちがうようよ歩いていたと記憶しているのですが、今はごらんの通りです。





井戸がありますよ

とりあえず北側のルートから。
結局、三手に分かれたルートを全部歩くんですけどね。古い街並み、静かな道、異様に少ない通行人と、
まったくいい感じであります。





少し奥まったところに

旧朱印所、大徳寺です。
水口岡山城が廃城になってから、水口御茶屋(後の水口城)が出来るまでの間、水口には徳川家の
宿所がなく、この大徳寺を使っていたそうです。ちなみに水口神社の曳山山蔵の東には、東福門院の
御茶屋があったそうです。





もちろん、腰掛けました

で、これが徳川家康の腰掛石。
本当に徳川家康がここに来たんだぞ、と言わんばかりの貫禄です。そもそも腰掛石のためだけに石垣作りの
基壇が築かれているあたり、かなりうさん臭いのですが。
わざわざ石段を登らないと腰掛けられない腰掛石なんて!
それとも後世、この石を讃えんがために基壇を築いたんでしょうか?それならそれで、やりすぎだと思います。
前回の丹波黒井城の時も「お福の腰掛石」なんてものがあったような。
各地の史跡を巡っていると、あちこちで「有名人の腰掛石」に出会うのですが、これっていったい・・・?





予想通りというか・・・

はい、こちらは真ん中の通りです。
三つの通りのうちで、最も盛大にシャッターが並んでいるルートです。かつてのメインストリート・・・にしても、
今は人通りさえないというのは寂しすぎますね。





なかなかすごい

アーケードが残っていました。
ツタの絡まり方が、ただ事じゃありません。これはもう文化財ですね。ぜひ残していきましょう。
商店を失った商店街のアーケード。それは港を失った港町における灯台のようなものでしょうか。





守ってゆきましょう

アーケードの内部。
営業しているお店もあるのですが、人通りの少なさがすごいです。店舗・従業員・商品が揃っていても、
やっぱりお客さんがいないと商店街の景観にはならないんですね。
と思っていたら、店員さえいない店が。お〜い!





からくり時計

岡山城が見えた!
寄り道に次ぐ寄り道の果てに、ようやくたどり着きました。あの山こそが城山です。
こうして見ると、水口宿は間違いなく岡山城の城下町ですね。宿の東半分は帰りに寄るとして、
今は岡山城を目指します。





大岡寺

とかいいながら、また寄り道。
大岡寺、だったかな。背後に交通量の多い道路があるせいか、あまり落ち着きません。
写真ではそんなことないのですが、どうも暗い感じのする寺でした。





登山口

さあ、いよいよです。
岡山城跡と書かれた石碑を見ながら、舗装路を登ってゆきます。ここはやたらと整備されているので、
当時の城道がわからないのですが、この道は当時からあったものでしょうか?





主郭部

はい到着。
はやいなあ。途中、大きな堀切があったのですが、すみません写真撮ってないです。公園化されて
しまって、城山の風情は微塵も感じられないのですが、堀切や曲輪などの大物はしっかりと残っています。





主郭の看板より

え〜と、ここは展望広場ですね。
で、さっきの堀切の向こうが緑陰のお花畑、東に行くとリフレッシュの園お祭り広場子供の園・・・と。
ここはどこの夢の国ですか。確かに名前が付いていた方が分かりやすいのですが・・・その、もうちょっと
何とかならなかったのでしょうか、このネーミングセンス。
下手に城郭っぽい名前を付けると、築城当時からそう呼ばれていたような誤解を招くことになりますし、
難しいのは分かっているんですが・・・。展望広場はまだしも、ほかはちょっと・・・・





屈曲した虎口

夢の国のことは忘れて、城跡を紹介しましょう。
この城は廃城時に破城され、細部は残っていないのですが、築城が天正13年ということもあって
戦国山城に比べると作りが大きいので、わりと全体を掴みやすいです。
写真は緑陰のお花畑方面から展望広場に入る虎口です。・・・いかんいかん、どうしても夢の国の
言葉が出てきますね。しかたない、ずっと夢の国の言葉で解説してゆきましょうか。





まさに夢の入り口

出ました。
このページのトップに置いてあったこの写真に胸ときめかせていた石垣ファンの皆様、たいへん長らく
お待たせしました。とうとうこの時がやって参りました。では、どうぞ!





おおっ、石垣!

いかがでしょうか?
おそらく天正13年当時の石垣だと思われます。ほとんど石垣の残っていない水口岡山城において、
最も良く残っている石垣だと思うのですが・・・・に、してもあんな入り口を作るほどのものでしょうか?
それよりは解説板を設置したり、周辺を復元したりした方がいいんじゃあ・・・





天守台?

さて、展望広場に戻って参りました。
まわりに木々が茂っていて、名前の割に展望がひらけていないのはご愛敬ということで。
以前来たときは展望台のようなものがあって、本当に田園地帯を見渡すことが出来たような記憶が
あるのですが。この曲輪の奥には少し高くなっている場所がありますが天守台でしょうか?
この写真に写っている石仏や石塔があるあたりですね。
仲良く一緒に写っている緑のドラム缶は、無いといけないんでしょうか?





ちょっと暗い

展望広場からリフレッシュの園の間の堀切。
あまりにも幅が広いので、堀切と呼んでいいのかどうか。展開が大きいあたり、近世の城郭を思わせます。





リフレッシュの園

リフレッシュの園の現状です。
主郭、いやいや展望広場の隣にありながら、展望広場よりもかなり低い位置にあります。
次のお祭り広場とはほぼ同じ高さなので、展望広場だけが一段と高くなっている感じですね。
ちなみに写真に写っているのは藤棚です。もちろん今は藤なんか生えていませんが。





山の橋

リフレッシュの園とお祭り広場の間の堀切
夢の国となった今では、山の橋という名の橋が架けられています。・・・・通行禁止になってますが。
どうせ夢の国をやるなら、ちゃんとやってほしいな。城跡とは違った意味で、夢の跡を感じてしまいます。





お祭り広場

お祭り広場にやってきました。
ここでいったい、どんな祭りが?謎は深まるばかりです。
変な名前さえ付いてなければ、きれいに整備された曲輪跡なんですけどね。





お祭り広場から

さて、次は子供の園です。
ごらんの通り、すごい高低差がありますね。
隣の曲輪に行くには、階段を下りるか、すべり台で滑るかの二択です。
閉鎖された橋のつぎは、すべり台と来ましたか。私なら迷わず滑り台ですね。





童心に帰って

このすべり台、全然すべらん!
とても城跡の見学に来たとは思えないような不平を叫んでしまいますが、すべり台のくせに
滑らないんですよ。やっぱり子供用なんでしょうか?そもそも子供の園だし・・・。
さっきからどうも中途半端なんですよね、ここって。史跡なら史跡!夢の国なら夢の国!
どっちにせよ本気で取り組んでほしいものです。ここから先にもすべり台があるのですが、こちらは・・・





手前のすべり台

めっちゃ滑ります!
眠りについたようなこの夢の国で、このすべり台だけがやたらと本気です。
軽い気持ちで滑ろうとするとびっくりします。
すごい勢いで滑り終わった後、前につんのめって顔を打ちそうになりました。
なにもこんなところで本気にならなくても・・・。
今回の旅で一番インパクトがあったのはこのすべり台ですね。





東見附

すべり台の衝撃が冷めやらぬまま、城下におりてきました。
ええっと、なんだっけ・・・。そう、水口宿ですね。ここは水口宿の東端、東見附です。
さっきまでの夢の国と違って、こちらは固いというか真面目というか、普通に整備されていますね。





折れ曲がってます

城下町らしい雰囲気

屈曲した街路、古い家並み。
このあたりは本当にいい感じです。このあたりに脇本陣跡があり、もう少し先に本陣跡があります。
草津ほど開発されてないけど、関に比べると古い家が少ないかな。
内部を見学できるような本陣や商家が残っていれば良かったんですけどね。





高札場

そろそろ日が暮れてきました。
写真が逆光です。すんません。三手に分かれていた街道がここで合流するのですが、ここに高札場が
設けられていました。見事な作りですね。このそばに本陣跡と、毎度おなじみ明治天皇の聖蹟があります。
ここからは南側の街道を通って水口石橋駅へと向かいます。





水口石橋駅構内

この駅もまた・・・
おかしいなあ、もっと賑やかな駅だったのになあ。
ひとりこの駅に佇んでいると、黄昏の草原のように淋しくなってきます。
哀愁にひたりながら、水口の町をあとにしました。それにしても、すごいすべり台だったなあ。





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