幸せホルモンの出る生き方

 それは先ず、人を許すことです。幼い兄弟を捨てて家を出て、男性のもとに走ったお母さんもいるでしょう。お母さんと子供がいるのに、家族を捨てて家出をした身勝手なお父さんもいるでしょう。子供の時、色々なハラスメントを受けた人もいるでしょう。また、屈辱的な言葉やいじめ、裏切りを体験した人もいるでしょう。でももう十分にその悲しみを味わったはずです。死ぬ時までその悲しみを抱えていくのでしょうか。あなたに悲しみを与えた人は、あなたほど悲しんではいません。むしろほどほどの幸せを味わっているかもしれません。恨みの世界には穴は一つしかないのです。その暗い穴に落ち込んでいるのか、光の中を歩みだすのかは本人の問題なのです。

 悲しい、辛い思いをした人ほど大きい新の幸せを味わう資格と権利があるのです。私たちには、物事を感じたり認識するのに作用・反作用の法則が働いているのです。おなかが空かなければ食事がおいしくありません。寒さに震えたからぬくもりや人の暖かさがありがたいのです。辛い思いをしたからこそ、大きい幸せ、喜びに出会えるのです。 

 先日、合唱作曲家の弓削田健介さんが挿入歌を手掛けた「天から見れば」という映画を見ました。事故で小学生の時に両手を失くした人の話です。今は画家として、口に筆をくわえて絵を描き成功し、結婚もして幸せに暮らしているというのです。天からの大きい視野でものを見れば、不幸と思っていた悲しみの事故もまた、幸せへの道のりのひとつだったと言うのです。「禍福一如」、悲しみの裏には喜びが潜んでいます。そのことが分かってくると、腹が立たなくなります。

 目の前に大きな問題が生じたとします。その不都合に腹が立ちますか。事実、問題は目の前にありますが、腹を立てるか立てないかは自分の問題なのです。だから同じような問題が生じても腹を立てる人と、立たない人がいるのです。。人に対して腹を立てている人をよく見ると、ほとんどのことはその人の誤解によるものです。相手の人が悪気があって言ったのではなく、何気なく発した言葉に傷ついて腹を立てているのです。それでは自分が可愛そうです。不幸せホルモンが出てくるのですから。

何で私たちはこの世に存在しているのでしょうか。人生の意味とは何でしょう。

幸せにならずして天下をとったとしても、何の人生でしょう。

新の幸せになりましょう。そして回りに幸せの輪を広げましょう。

幸せホルモンの出る生き方をしましょう。大自然の法則は単純明快です。

幸せになりなさいという呼びかけに沿って生きていくだけのことです。

有り難し。

風雨有情
幸せの輪を広げよう

私は新の幸せの輪を広げて行きたいと思っています。

地位や名誉やお金に左右されない、新の幸せの種を蒔きたいのです。

何故ならば、人のことを幸せにすることが、自分の幸せと繋がっていることを

知っているからです。

 どうか、あなたの人生に幸せがありますように。

                   任天山人