囲炉裏 第三話

暖かい冬の日だった。湿って大粒の雪が一片一片舞い落ちて きて、積もってゆく。柔らかい雪は杉の木の枝に絡み付くよう にして、濃い緑の枝葉を弓のようにしならせてゆく。限界まで 引き絞られた枝が、ぐん、と身を起こす。ボトボトッ・・・・ と、しがみ付いていた重たい雪が振り落とされる。 茅葺き屋根に積もっていた雪も自重に耐えられず、僅かな茅 を道連れに落下してゆく。ボスッ・・と言う音がやがて押し固 められて地響きのような音へと変わってゆく。 這い這いを始めた息子を紐で柱に結び付け、除雪の準備を始 めた。舅が玄関で、とよ、と呼ばれる雪樋にロウを塗りはじめ る。4、50センチ幅の板の両脇に10センチ幅の板を寄せて、 裏の三個所ほどに滑り止めの角材を打ち付けてある、その内側 に滴らしたロウをアイロンで馴染ませてゆく。セーターの上に ヤッケを着込み、姑に息子を頼む。藁沓にしっかりと結び付け た竹製のカンジキを履いて、屋根へと渡した梯子を上ってゆく。 嫁に来たばかりの頃、カンジキが邪魔で梯子の上り下りが辛かっ た思いでがある。屋根へ立て掛けられたトヨを引き上げる。下 では舅が、雪が流れやすいように脚を使って、トヨを継ぎ足し てゆく。屋根の下まで来た時点で引き上げたトヨを継ぎ足した。 シャベルで四角く切るようにして掬い上げた雪をトヨへと投 げ入れる。高低差によって勢いを増した雪の固まりがジャッと 音を立てて雪捨て場に流れてゆく。柔らかかった雪が屋根に近 づくにつれて固く、ザリザリとした感触に変わって行った。相 変わらずヤッケの上に降る雪はカサカサと滑り落ちてゆく。そ れでも汗ばんできて脱いだヤッケを梯子へと掛ける。舅は家の 周りの雪を運んでいた。セーターの上に積もってしまう雪を 時々叩き落としながら除雪を続ける。思い切り雪を投げてもト ヨまで届かなくなると、新しいトヨを引き上げては繋ぐ。雪捨 て場が詰まると 舅が少しトヨの向きを変える。やがて、自分 の汗か、解けた雪か区別がつかなくなるくらいに汗びっしょり になった頃、雪が張り付いて真っ白になったマントで季節雇い の郵便配達人のオジサンが小振りのカンジキで歩いてくる。寒 さで頬を赤くして、肩から斜めに下げた大きなかばんから手紙 を取り出すと、除雪の手を休めた舅に手渡した。 「粗忽屋のおっかちゃ、死んだってがね」 思わぬニュースに雪を掬う手が止まる。親戚だった。 「なしたってが?」 「屋根から落ちてそ、それに気ぃつかねぇで除雪車がそ、轢い ちゃったみてえんがあそ」 毎年、必ずある事故ではあったが・・・・。 思わず自分の足元を見る。・・ここまで除雪車は来ないからひ き殺されるという事はないが・・一人暮らしだったら動けなく てそのまま・・という可能性は大いにあった。300mほど離れた 所に住む、寝たきりのおばあさんと働き者のおじいさんの事を 思い浮かべて、ふと、寂しさがよぎる。 「わりぃね」 そう言うと郵便配達人のおじさんは雪にかき消されてゆく。か んじきをはいたあしあとは、あっという間に雪が埋めていった。 突然に慌ただしくなった家の中で不安を感じるのか、息子が 泣きながらうろうろとし始める。抱き上げる間もなくて、ふと 気付くと、柱に繋いであった紐に絡まって身動きが取れなくなっ ていた。慌てて解く途中で呼ばれ、そのまま目を離してしまっ た。 耳を劈くような子供の声に引き戻される。自分が転げ落ちそ うになりながら、急な階段を降りる。 一瞬、動けなかった。囲炉裏の中に両手を突っ込む形で落ち た息子がいた。無我夢中で引っつかむ様にして子供を抱き上げ ると表へと飛び出す。積もった雪に両手を差し込ませて、雪で 擦るようにする。右手は、少し赤くなっただけで済んだ。左手 は焼けた皮膚が白く浮いて・・・。ごめんね。ごめんね。泣き ながら雪を掴む。顔中を口にして、泣き声も枯れてのどをヒク 付かせる息子を抱きながら、あの時離れなければ・・!と激し く後悔する。涙が止まらなかった。ずっと、ずっと息子に謝り 続けていた。 どうやって、診療所に行ったのかも覚えていなかった。看護 婦さんに、大丈夫ですよ、と声をかけられてやっと少し周りが 見えた。忙しいだろう姑がついて着てくれたのに漸く気付く。 「少し跡は残りますが、大丈夫ですよ。ちゃんと指は動きます し、変形もしませんからね」 枯れていた筈なのに安堵の涙が落ちる。姑が、息子を抱き上げ て私の背を叩く。 「家に帰って、爺さの帰って来るがを待ってよて」
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