音戸山通信第13話 (改訂版) 2001.01.18(2000.03.18)

音戸山の家(2)わが家の原型をもとめて

 建築講座第13話は前回の続き、音戸山のわが家です。前回の最後にいたったプランや断面図を見てもわかるように、随分、多層の大きな建物となりました。これは予算的にも、法規的にも無理です。したがって、ここからのスタディはもっぱら、小さく圧縮していく努力ということになるわけですが、、、。 

北立面スケッチ1

立面スケッチ2 株丸太の柱で支える

 さて、立面のスケッチで注目して欲しいのは、車を入れるところ、前回の断面図や立面の1ではコンクリートの柱であるが、2では株付きの丸太がイメージされている。実はその後に堺の家で展開される株付き丸太柱はここで初めて出て来た。家全体は、真ん中に「象の鼻」と呼んでいる出っ張りがあって、これが平べったい家を突っかえ棒のように支えている。この鼻のスペースは、下は入口、上はWCである。

室内スケッチ

 室内は、構造をそのまま見せて行く方針で、真壁風のもの。従来の区分でいえば、和風とも洋風とも取れないものであるが、どちらにするかなどは、どうでもいいこと。住む人間とその生活は同じなのだ。

 この頃から、スケッチができると、傍らで構造模型を作り出した。今回、どうしても、構造にこだわってみたかったのである。それは、いわば素人の自分でも作れる家、セルフビルドに適した構造である。しかし、かといって、合板に頼って楽にできそうな2’×4’(ツーバイフォー)ではなく、やはり柱と梁と筋交いによって構成される軸組み、骨組みをしっかり意識したい。しかも、できれば、間伐材の有効利用で成し遂げたいという思いがあった。いわば、足場のような構造である。正月を挟み、竹串細工の模型つくりに明け暮れた。

構造スケッチ

 あれこれのあきらめと努力により、コンパクトにした案がどうにかできつつあって、ちょっと纏めたものを持って役所に行き、事前協議となる。家捜しを始めてからすでに1年以上経っていた。これがほぼ現在の家の原型となっている。断面図から解るように、地下室扱いになるように、平均地盤面の算定をあれこれやっていたわけだ。このころはまだ屋根の勾配は10/10、つまり45度である。この敷地はどういうわけか、ぽつんと風致地区からはずれている。それでいろいろな制限から解放されてこんなことが可能だった。(風致地区では、原則的に和風の外観が要請され、屋根勾配は5/10程度に制限される。)

 原案 断面図  5角形の家  ピアノを中2階というより、階段の踊り場におく

 原案 平面図 1Fと2F  どうも寝室のほうがリビングよりたのしそうだ

 建築の設計において、どの図面よりも、平面図は優位にあります。平面図をplanと呼んでいるのも、平面が居住の計画(プラン)性をもっともよく示しているからです。横の広がりを見ています。それに対して、断面図では、縦の空間のつながりを見ています。と同時に、立面的な見えを形作る根拠となるのが、断面計画です。立面は、その結果出て来るもので、壁や窓などの衣をこれで決めて行くのです。勾配屋根を持つ木造住宅の場合は、構造的な計画を断面で考えることが多い。特に、この音戸山の家では、巾が狭く、平面の自由度が少ないために、断面でほとんど設計しています。平面は、断面で示される空間を住めるかどうか、チェックするという副次的な道具となりました。

 原案 立面図

 立面は大壁でスッキリしたものになっている。手前の塀にはツタを這わせよう。これもなかなか気に入った立面だった。今の家よりも一回りコンパクトである。

 しかし、ここからが長い道程をうろうろすることになる。それは次回に紹介するとして、このあたりで、僕がこの家の基本理念として抱いていたものを並べてみよう。ぼくが自分の家でどうしても実現してみたかったことはなにか。

1 RC造と木造のハイブリッド(混構造)スタイルを確立したい

 それはソリッドなRCの箱に、柔らかい木軸のスケルトンが絡み付いている風景として、チベットあたりの山岳寺院に見られる原アジアのような風景かな。木軸で持ちこたえられない水平力をRCの剛体で負担するという考え方。2階建てであれば、それほど問題にならない水平力も、3階建てとなると、とても大きなものになる。大地からすっくと立上がる住宅をイメージしたい。これは、やがて平地を捨てて山岳に住むようになるかもしれない日本に必要なスタイルではないか?その時、源流は遠くアジア全体を見下ろす視野において求められる。地震により、しっかりと持ちこたえる部分と、ぐらぐら揺れることでエネルギーから逃れる構造体を考え、その役割分担を配分する。

2 セルフビルドによる木造住宅の典型様式を提案する

 木軸は挟み梁方式でボルトにより留められるもの。難しい仕口がないので、学生でもできる。しかし、素人でも作れるとされる2’×4’(ツーバイフォー)では、構造が見えない。建築は構造を見える形で、支える肢体を意識し、ともに住む。なんとしてでも、柱梁からなる軸組みは欲しい。接合は、穴を開け、ボルトで締め結ぶ方法で。A.レーモンドの丸太を見せる構造の住宅や教会はしっかりと建っているではないか。

3 RC造の閉じた箱空間(室)と木軸の透けた明るい空間(堂)

 コンクリートの壁からなる閉じられた空間は庇護空間として、伝統的に寝間(塗り籠め)の私的空間に相当し、木軸の透けた明るい空間は皆が集まる公的空間に当たるのがそもそもの理にかなった配置である。さて、上に示した案では、そうなっていない。この基本線はどうしても守りたい。

4 全体としてオープンな単一空間

 縄文の竪穴住居は、全体が一体の1空間であり、寝るのも、調理も、食事も、食物貯蔵も、子育ても、家族成員のすべては同じ一つの空間において包容された。住宅は、基本的に、1室空間であってよいのではないか、視覚的な1室空間、あるいはひとつの同じ空間に共属しているという意識をもてるような空間構造にする、ということがよろしいのではないか。これは、特に、家族、という共同体意識より導かれた仮説だ。個室の集合体であってはならない。そのためには、大きな大空間が意味を持つ。個室は不完全で、この大空間のあちこちに分かたれ、つなげられして共属する。吹抜けが、手法として有効だ。

5 地山にのみ基礎を設け、上にいくほど大きくなる平面

 もともとあった古家は、70年ごろの建築だろうから、25年経過していた。しかし、すでに、東の谷側では、地盤の沈下による基礎や土台の破壊、床レベルの下がりが甚だしく、ために、壁には多くの大きなクラックが生じていた。もともとの地山のラインを推測し、基礎をその範囲に納めた。周囲の道路は、見知石積みによる石垣によって支えられており、石垣土留めもまた心もとない。大地震の時には、崩れる可能性が大である。それに突っ張れるほどの強度は、鉄筋コンクリートのしっかりとした箱でなければ、無理。地盤面の設定から見て、下階は地下扱いとするよう、RC造とし、上階を木造とした。道路から見れば、下に彫り下がったところから、すくと立上がった家になるだろう。

6 屋根の強調

 すっくと立上がっても、屋根を見せたい。急な勾配屋根は垂直性を強調し、水平に緩やかにつながる和風の景観とはならないが、すでに斜面にほぼ独立して建ち、隣家も洋風の立上がった家であることから、許されることと思った。また、急勾配の屋根裏は、その包容するボリュームの故に、内部空間を強く意識することになる。場合によっては、後の小屋裏の利用も有効となる。外観からは、道路面からすれば、平家とも見える形に納まるのは、何としても魅力と思われた。

7 宙に浮く 眺望の魅力

 山の中腹に建つ家の最大の魅力は何と言っても、眺望、見張らしだ。この家からの眺望は、あまり広いものとは言えないが、それでも行く手に双ケ岡を超え、都心部を望み、清水山を含む東山をも超えて、山科から大津へと向かう山並を重ねて望むものである。遠くを見るというのは、気持ちも晴れていいものだ。これをいつも見ていたい。

8 庭に樹を 緑に包まれた家

 散歩していて、惹かれる家は、デザインが格別によいというのではなく、共通して言えることは、緑にいっぱいに包まれているということ。しかも、風通しもちゃんと出来ているということでなくてはいけない。それなりに手入れがされている。しかし、しっかり手入れされ過ぎているというのも、趣味がよくなさそうだ。自然とうまく付き合っているというのが好ましい。そういうふうに作りたいもの。家と同様に、下からすっくと伸び上がって来る樹を植え育てたいとはおもう。

9 家の回りの小さなスペースを生かす

 何でも家の内部に床面積として勘定しなくてはいけないような、不動産屋的な勘定の仕方ではなく、十分に用に合うスペースであれば、外部にあってもまったく構わない。それどころか、半外部、半内部という空間をつくれば、とても魅力的な空間を作ることができる。もともと日本人は、そういう庇、土庇のような空間が得意だったはずだ。これを積極的につくろう。

                          音戸山の家-3 につづく