音戸山通信第12話 (改訂版) 2001.01.13(2000.03.15)

音戸山の家(1)眺めがよく、変形地で、売れ残りの古家を捜せ

 音戸山の家というのは、今、僕の住んでいる家、つまり、自邸である。これから4回に分けて、この家の設計に際して何を考えたか、そして結果それはどうであったか、についてまとめておこうと思う。文章の中で触れることであるが、建築家が、自邸を設計するというのはどういうことか、これはやってみないとなかなか解らないことだ。僕自信も、この家の設計を契機に、それまでとすいぶん住宅に関して考え方が変わった。

古屋付き変形地を捜す

 前に住んでいた家はやはり鳴滝の近所にあり、女房の里親のものを結婚後、長い間借りていた。6年前、姪が京都の学校に通うというので、この機に出ようということに。出る以上、家を何処かに持たねばならない。ちょうど、二条にあった事務所も引払う潮時だったので、その家賃でローンを返せばよいという計算になる。お金を借りて、ちょっとくらい仕事のできる、ピアノも弾ける家に住めばいい。

 子供や女房のピアノの生徒さんたちの都合で、なるべく近所ということで、まずは中古マンションを捜した。少し高雄寄りの森の中の2階建ての古いマンションが空き部屋を広告に出していた。悪くはなかったけれども、ちと狭く、寒そうだ。ちょっと目をやると、もっと山の奥の方に戸建て分譲とある。渓流の傍の山の中。雰囲気はもっといいが、バブルも終わり、山の中とはいえ、60坪ほどではなかなかいい値段。ベンツで駆け付けた太っちょの不動産屋を横目に、積もる雪の中、あきらめた。それから不動産広告とにらめっこの日が続く。

 そうだ古家を改造しよう。なにしろ、この辺は風致地区で建蔽率が40%に制限されている。新築はよほどの金持ちか、阿呆か、違法でなければ、まず建たない。古家なら、適当にいじってなんとかなる。土台のいい、いじって人の迷惑にならないような物件、それを若い不動産屋に捜させたところ、すぐに見つかった。高雄学区、梅ヶ畑集落の高台の家、石垣の上にある木造二階建て。石垣の中にガレージがある。およそ3mほど石段を上がってテラスがあり、玄関に入る。北向きだけれども、南側には少々ゆとりがあって、陽も射さないことはない。なによりテラスからの眺めが素晴らしい。おりしも、眼下の雪で白い屋根の集落の風景がとても気に入ってしまった。住人の老夫婦もわれわれなら喜んで譲るとおっしゃる。

 しかし、反対意見も出て来た。まず子供たちが、高雄小学校は嫌だと言う。僻地なみの少人数にくわえて、評判はもとより悪く、ましな生徒は他所の私立の学校に出ている。わが子らは、そういう風評を変えてしまうほど強力ではなさそうだ。女房も親が石段を登って来れないと、難色を示し出した。そこへくだんの不動産屋が先方の不動産屋と喧嘩になって、値交渉どころではないという。吹抜け書斎風リビングルームを中心にした改造プランをつくったのに、残念、あきらめた。(この家はその後、すぐに売れてしまった。)

 古家付きで斜面地の変形地は、一般的には不動産価値は低くなるというので、そればかりを捜しているうちに、裏の老夫婦から買わないかという話が出た。立派な構えの家である。土地も広い。立派な変形地で斜面に食い込んで建っている。老夫婦は有名な音楽家のご両親である。桜と梅の樹の間の石段を登って玄関に入るという俗っぽさが気に入った。昭和45年ごろではあるが、京間建ちなので、ゆったりしている。材料もまあまあ。平家部分をレンガ壁にして、暖炉を中心にいいリビングルームができそうだと、すぐにも改造プランができあがった。問題は価格。やはり広いだけあって高い。貧乏家族にはちょっと贅沢かな?親に無心するにも、身の程知らず!と怒られそうだ。

お墓の横にあった変形地

 悩んでいるところへ不動産屋からまた情報が。向いの音戸山の斜面地に物件があるとのこと。さっそく出向いてみると、お墓の前で道路よりも下の屋敷である。それだけで2割は叩けそうだ、と内心喜ぶ。1軒だけある隣(弟の家だそうだ)が新築し、違法建築の見本のような大きな家が聳えている。道路とこの家に囲まれて、2階建ての古家は沈んで見えた。家の中を見せてくれた。中はやや湿気っぽい。宅地造成の程度もそれほどよくないらしく、盛り土と思われるあたりが10cmほど下がっている。そのせいであちこちに大きなひび割れがあって、家の材料は最悪ではないようだが、そのままでは具合が悪い。設計もひどく、せっかくの見晴しがちっとも生きていない。さすがの僕もこのまま生かすプランが見えて来ない。除去して建て直すしかない。金が掛かり過ぎるか?

 しかし、こちらは楽しいプランが山ほど出て来た。不動産購入価格を押さえ、建築コストを押さえさえすれば、不可能ではない。評判のよくない息子を抱え、一刻も早く出て行きたがっている売り主の様子と、他に買い手は出まいと読めたところから、目標の2割ダウンに応ずるまでプランを練って待つことにした。変形地ほど楽しいものはない。まず南側の下方に墓地なので、陽射しが遮られることはない。隣家には1面が接し、他の2面は道路なので、ピアノを教える女房にとって気が楽だ。道路面に車を置き、地下と地上2階という3階建てが目立たず可能。東南に開かれた眺望は音戸山の東尾根を前にして、双が丘を越えて清水寺を遠く望んでいる。これを主軸にしてプランをつくってみた。

スケッチ1 

 スケッチ1では、もともとあった家がそうであったように、道路に軸を合わせて東側を開け、張り出した食堂に眺めを持って来ている。ピアノと食堂と、キッチンとを中央の暖炉で繋ぐもので、家族それぞれがみな一体空間で顔を見ながら作業できる。隣家との間は下に降りて行くスロープとして、段々に開くたのしい斜路を考えた。食堂は片持ちの出窓になっていて、下は広く庭に開かれている。これ以上ないというくらい詰め込まれたコンパクトな案だ。

 スケッチ2

 スケッチ2では、軸を隣家に合わせて、道路との間に空きをとり、半内部のテラスとして取り込んでいる。入口もこの境の塀に開けられた穴へと階段で入る。囲炉裏風暖炉を中心とした構成は 4.5 帖を四間にとった形で纏められている。中央の大黒柱に対して、4本の丸太柱が立つことで室内をまとめている。道路側の主立面をスケッチ3のようにしたいわけだ。

スケッチ3

 そうこうしている内に、いろいろと条件が整い、いよいよこのお墓の横の土地を購入することに。田舎の両親も思いのほか、明るいお墓が気に入ったようで、地下に自分たちの京都宿所を設けるという条件付きで融資が了承された。銀行から土地購入分、親から新築分のお金を借りることにした。生まれてはじめての大変な借金である。

一体空間を求めて

 プランが進むにつれ、規模は拡大し、スケッチ4はその頂点にあるもので、空間構成や使い勝手で一番気に入っていたものである。ただ、残念ながら、予算の倍ほどのコストが想定された。他人からの依頼なら、何としてでも建てて欲しいと思うだろう。が、出来ないことは施主である自分がよく分かっていた。

スケッチ4

 この案は仕切りなしの一体空間の追求により、邪魔になること無く、コンパクトで広く大きな視野を確保するという希望から生れた。段差がかなり豊富に導入されていて、近頃流行りのバリアフリーに逆行した格好である。縦にも横にも3つの空間を重ねて、深い視野をつくってみた。要所に丸太の柱を見せて、構造感を出す。段差は視線を適当に切るための工夫。ただし、構造的にはとても厄介だ。大工が音を上げそうだね。ピアノの下に車が入る。この案は5層構造になっていて、とても複雑。空間的には魅力的だったけれども、断面的に構造を整理しなくてはならない。

断面スケッチ

 断面図を描いてみれば、5層のたいへんな家となっていた。地下は僕のアトリエと風呂便所などの水回り。その上がガレージと玄関からLDKのあるメインフロアー。その上が寝室、最上階にロフト(小屋裏)となる。上3層が木造、その下が鉄筋コンクリート造。巾が2、5間、長さが6、5間で、延べ42坪ほどになる。これはたいそうなことになったなあ。 

                           音戸山の家(2)につづく。