MR2



飼育期間 1987/1〜1989/5
紹介  MR2は皆さんご存知の通り、トヨタ初の量産ミッドシップエンジン車です。発売当初は4A−GのNAエンジンでしたが、マイナーチェンジで4A−Gにスーパーチャージャーが搭載されました。スペック的には145psとそれほどでも有りませんが、ほとんどアイドリング状態からスーパーチャージャーのトルクが強烈で、ターボと違って瞬時にレスポンスしてくれてなかなかいい感じでした。残念なことに4A−Gの高回転の伸びは若干失われてしまいますが、なんといっても「スーパーチャージャー」という響きがマッドマックス(知ってる?)みたいで好きでした。
 私の車は、このスーパーチャージャー付きにTバールーフも付けたもので、ボディーカラーはスーパーチャージャー専用のブルーマイカという紺色っぽい色にしました。Tバールーフの開閉はとっても簡単で、はずしたルーフもシートの後ろに置いとくだけでなかなかべんりなものでした。ただフロントウィンドが寝ているので開放感はいまいちでしたが...
そういえばラッキーなことにオプションで付けたカーステが間違ってサブウーハー付きの上級グレードが付いていてなかなかいい音がしてましたっけ。
 さて走りはというと、鋭い回頭性能とドライバー中心にコーナーリングする感覚は、これがミッドシップってものなのか!っていう感じで新鮮なものでした。ただフロントが軽いのでちょっと通常はアンダーが強く、突然オーバーステアが襲って来るので結構恐い感じがします。でも限界前ならすごく安定していて楽しめます。
 私の車歴のなかでは、もう一度愛車にしたい候補の筆頭に上げられます。
ハプニング
入社3日目の事故

 思えば意気揚々と入社したあのころ...
で、入社して初めての休日、まだまだ学生気分の抜けきれない私は家に遊びに来た友達とファミレスに飯でも食べに行くかということになり、私の車で出かけました。ファミレスまでの道のりは普段から通り慣れて勝手の知った道です。いつも2車線の右側は混んでいるのに何故か左側は空いているので、左側車線を青信号と同時にフル加速...右側はダンプの列、その時右側車線のダンプの影からウインカーも出さずに突然左折(そば屋に入りたかったらしい)してきたワンボックスが目の前に......
 フルブレーキしながら左にハンドルを切ったがそこにはガードレールが!、「会社くびか?」短時間にいろいろな考えが頭の中を横切ります。次の瞬間フロント右を相手の車に、左側をガードレールに擦りつけ、さらに相手の車を3mほど引きずって停止しました。相手の車はリヤハッチが開き、フルフラットにして布団を敷いて寝ていた母子の唖然とした姿が....
 MR2は購入4ヶ月にして無残な姿に....左右から挟まれた感じなので左右共にフロントフェンダーからドアリヤフェンダーまでベコベコで、フロントタイヤはあさっての方に向いて、リトラクタブルライトは二度と上がらず、ボンネットにはお山ができてどこから見てもスクラップ...でもさすがにミッドシップです。正面からいってないのでラジエターが無事だったため自走可能。この状態でディーラーまで乗っていけました。
 この時呼んだ警官が最悪で、どう見ても相手が悪いこの事故で「スピード出し過ぎだ!」と私にまで安全運転義務違反の切符を切る始末、当然後で裁判所で不起訴になりました。
 車は見た目はトランクと屋根以外はベコベコだから当然廃車だろうと思っていたんですが、なんと修理可能ということで1.5ヶ月の入院の末直ってしまいました。修理には150万円ほどかかったそうです(保険屋さんが払った?相手の保険いっぱい:私の保険少し)。
 この話には後日談があり、あとでアライメント調整に出した時にフロントのサスペンションのロアアームが曲がっているのが判明しました。ディーラー曰く「あまりに奇麗に曲がっているので気が付きませんでした(確かに左右比べないと気が付かないほど奇麗なカーブだったが..ひどい!)」それになんとホイールベースが左右で違ってました。これもなんとか調整してもらいましたが、なんともお粗末な修理ですね...やっぱり保険の修理はこんなものなの?


初ボーナスは罰金

 僕の会社は新人の初めての夏のボーナスは、入社したばかりなのでちょっとしたお小遣いがもらえるんですが、私が入社した当時はそれが5万円でした。
 初めてのボーナス...額は少ないけど何を買おうかいろいろ考えながら迎えた土曜日...
 快調に飛ばす私、いつもレーダー探知器が自動ドアに反応する酒屋の前を通りすぎる時、いつものように探知器が「ピーピー」いつものこと無視していると、赤い旗が振られてゴールイン!!。
 37kmオーバーで罰金5万円。みごとボーナスの使い道は決まりました。しかも免許停止30日(当然講習受けました)のおまけつきでした。


100Km超の恐怖の1回転

 さすがにミッドシップは良く回る...リヤがほどよく流れてるときはすごく速いんですが、それ以上に流れると即スピンモードに突入してしまいます(私には乗りこなす腕が足りなかったようです)。
 あるときいつも走りにいってた中高速コーナー主体の峠を走っていると、バイクの走りや君達のギャラリーがたくさんいたので、ちょっと調子にのってキンコンドリフト(昔の車は100km超えるとキンコンと警告が鳴った)するつもりが、S字の2コーナー目で振り返しのため思いっきりスピンモードに突入、目の前に壁が...あれ?さすがミッドシップは良く回るので、自車線内から全く出ないで奇麗に一回転して止まりました。
 やっぱりミッドシップ、ドライバー中心に回るのはコーナーリングだけじゃなかったんですね。


下取り直前ぶつけられる

 ついにMR2も下取りに出してRX−7を買うことになったんですが、納期が2ヶ月もあり「その間に事故ったら嫌だなぁ」と思っていた納車3日前に、やられてしまいました。
 家の近所を走行中、脇道から出てきたおばちゃんが私の車を認めてセンターラインあたりまでノーズを出して停止したので、徐行しながら通過した瞬間...なんとおばちゃんは発進したのです。とっさにハンドルを切りましたが、バンパー右を当てられ、避けたためについでに左フェンダーを電柱に擦ってしまいした。
 おばちゃんは止まった時にエンストしてしまい、あせってエンジンをかけた時に操作を誤って飛び出してしまったというのです。おばちゃんはちゃんとあやまってましたが、私も動いていたので100:0にならないかもしれないと思い、保険で出ない分は自腹を切ってもらう約束をしました。
 今更修理するのもなんなので、下取りはそのまま状態で出してマツダのディーラーさんに後をまかせたのですが、半年ほどしてマツダから「保険やさんがお金はらってくれないんですけど...」と連絡があり、相手の保険屋に連絡すると「100:0じゃないので払えないんですけど...」なんなんだこいつは?と思いましたが、「足りない分はおばちゃんが出すと約束してるから出してもらえ!」と言ったら素直に了解してくれて無事支払われたみたいです。
 そういえばRX−7の1ヶ月点検時には、修理してないのに御売約の札がついてたっけ。


よく声かけられる

 MR2の特にTバールーフって当時は結構珍しくて、なんだかおっさん達には国産車に見えないらしくて、良く声をかけられました。
 ある時首都高の渋滞をにはまっていると隣の車線のフルスモークのBMW750iLのウインドがススッと開き、パンチパーマのこわーいおじさんがこっちを向くので、なんか悪いことしたのかとビビリまくっていると、いきなり「その車は、300km/h位でるの?」私はビビリまくりながら「そんなに出ません」というと「俺のは速いぞー」と言って行ってしまいました。  またあるときは、大型の工事車の横でTバー開けて信号待ちしてると、上のほうから「その車、1000万位するのか?」と言われるし。ファンキーな外人が踊りながら「ナイスカー!」と手を振るし。他の車ではこんな経験は全然ありませんでした。
 やっぱりMR2はかっこよかったんでね

改良点  わたしはMR2は純粋にスポーツカーだと思っているんで、一応走りメインに改良していきました。
室内等

 とりあえず、TE71からの流用で、ブリットのバケットシートとステアリング(momoコブラ)を取り付けました。ステアリングは純正がしょぼかったのでばっちりでしたが、シートはどうも高さが合わないのでいろいろ改造しましたが、しょっちゅう純正と付け替えてました。ホールドはバケット、ポジションは純正が有利でしたかね?
 ヘッドライトも暗かったのでIPFのレンズと100Wのランプ(当然リレーも交換)にして、安全な夜の視界を確保したのでした。
 あと、今から考えるとちょっとださいんですが、当時流行っていたゲインズのフェンダートリムを装着してしまいました。


動力系

 さて重要な動力系ですが、まずは定番通りマフラーからですが、これはHKSのアルミナイズマフラーを選択しました。もちろん当時は車検対応品など無いので、触媒無しのストレートです。それでも結構静かでしたかね?
 次はやっりエアクリーナです、当時はまだキノコタイプのものは普通ではなかったんですが、HKSからラムフローというのが新発売されたので、こいつを購入しました。今では緑色ですが、当時は赤色のスポンジの毒キノコでした。MR2は純正エアクリーナーがリヤフェンダー内にあるため、毒キノコを付けるのはパイピングをトランクルームまで伸ばして、トランク内に取り付けました。当時は気が付きませんでしたが、これによって今話題の「毒キノコはエンジンルームの熱を吸ってしまう」をちゃんとクリアできていたんですね。
 こいつが結構すごい音で、アクセルを煽ると、トランクから「ブシュー!ブシュー!」ってうなってました。  ここまでやったらブースとアップですよね?もうHKS仕様に染めることにしてHKSのブーストアップ用プーリーに交換しました。ほんとは燃料増量もしようと思ったんですが、わたしのは初期ロットで、安全マージンにかなり燃料が濃い目のコンピュータが付いていたので、必要無しといことでプーリー交換だけにしました。せっかくだからブースト計までつけました。
 ここまでやるとエンジンパワーはノーマルの比ではありません。トラクション抜群のはずのリヤタイヤもコーナーで悲鳴をあげてます。発進加速もものすごく、シグナルグランプリでは負ける気がしませんでした(当時はまだスポーツカーといっても200psクラスのヘビー級FRがほとんどで軽量ミッドシップ+ハイパワーな我がMR2に敵無し?)。


走行系

 パワーアップに絶えられず、当時のハイグリップ定番のポテンザRE71も直ぐに減ってしまい、半年に1度の交換を余儀なくされてしまいました。
 このパワーではノーマルの足回りではつらくなり、ショックをポテンザジムカーナに交換しました。このショックは調整式でしたがさすがジムカーナ用で、一番柔らかくてもノーマル以上、一番硬くすると跳ねまくりで、しかも調整幅が細かくいろんなセッティングで楽しめました。


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