フォト コーナー

オオバナノエンレイソウ・・・いまが   5月20日

 
散策路沿いにオオバナノエンレイソウ
 
やちぼうず
 
ミズバショウ
 
エゾエンゴサク
武佐の森が爽やかになってきました。
オオバナノエンレイソウ、やちぼうず、ミズバショウ、エゾエンゴサク・・・・・
いっせいに花が咲きはじめました。 ウグイスの声も・・・・・
やはり早朝の散歩が最高ですね。

残雪に福寿草    4月 6日(2012年)

 釧路も雪が溶けるスピードがはやまっています。
今年初めて武佐の森に足を踏み入れました。散策路の残雪を踏みしめながら、春を探すと・・・・・黄金のつぼみが。
福寿草が枯れ葉のすきまから伸びていました。
   


お祭りの夜店    8月 5日

港祭りが今日からはじまった。初めての耐震岸壁のエプロンで。
あいにく霧雨(このレベルは小糠雨?)であったため、人はこれからという状況であった。やはり夜店が似合う。
たしか忠臣蔵の堀部安兵衛の最期を脳裏によぎる祭りとして描いていたと思う。(池波小説) それほどお祭りは子どものときの強烈な印象として残るものと思う。


ハナミズキ    7月 27日

釧路は今がハナミズキの季節。公立大学でたくさん咲いていました。春採のスケートセンターの向かいの食堂にも・・・
釧路地方が中心だった映画ハナミズキは昨年の8月。映画に出演した漁師さんが若くして亡くなっている。
ご冥福を・・・


青い実    7月 25日

花の季節も移り、今は青い実が・・・
釧路地方もようやく暑い夏になってきた。
暑いといっても25℃だが・・・ 気仙沼の35℃を思うと・・・

 ナナカマド

 スズラン


はしどい   6月 23日


むらさきはしどい
釧路市の木である「はしどい」が咲き誇っている。白より紫が多くみかける。
「はしどい」「ライラック」「リラ」といろいろ呼ばれているが、清楚な雰囲気はかわらない。


霧の街 釧路   6月 10日


 濃い霧のため車はライトを
今年は霧が多い。
といっても、最近少なくなっていた霧が、昔のようにもどった感がする。それにしても朝の出勤時は、毎日霧である。この6月〜7月の海霧が過ぎると、釧路は快晴が続く一番良い季節になる。
海霧は、かいむ、うみぎり、ガスなど、いろいろ呼ばれている。
別海の開拓農民を描いた窪田精著の「海霧のある原野」は「ガス」。
原田康子氏の小説「海霧」は「うみぎり」。
これは明治から始まる原田氏の自伝的小説である。昔の釧路の姿がよくわかる。文庫本で上・中・下の3巻。
ところで、石原裕次郎のヒット曲「北の旅人」の釧路は「雨になる」で、霧は函館である。なぜか?


レンギョウの花  5月 29日

連日の霧、霧雨で花見がしおれています。
桜の花びらも散り始めました。かわりに
レンギョウの黄色の花が目立っています。

昨日の「大震災を考えるフォーラム」で、支援に行った看護師さんが「一番たいへんなのは『先がみえないこと』」と述べていました。
ちなみに、レンギョウの花言葉は「希望」だそうです。


土筆  5月 20日

春の足音が、かけ足になってのぼってきているようです。
子どもが小さいとき、はかまをとって炒めて食べたことがありますが、最近はとんとご無沙汰ですね。
頭の胞子の部分は苦味があるので食べなくても良いのでは?


オオマルハナバチ部屋に侵入  5月 15日


突然、部屋で大きな羽音。
オオハナマル蜂であった。
桜などの花によく来ている蜂で、見ているだけならほほえましく思っていました。しかし、部屋に入ってこられるとやはりビックリします。
外にうまく逃がせなかったので倒してしまいました。ごめんなさい。

お尻が白くないので、今問題になっている外来種のセイヨウオオマルハナバチではないと思います。


久しぶりの休み  5月 4日


  山の中にひっそり佇む支雪裡(鶴居村)
正月から休みがとれなかったので、リフレッシュを兼ねて、「すいとん」を食べにいった。ほんとうにおいしい「すいとん」だと思う。
私は子どもの時に、母親がつくってくれて、食べた記憶がある。冬の寒いときなどは、あったかくて美味しい思いが残っている。戦中派は、やな時代を思い起こすこともあるだろうが。
山の木々は芽吹く寸前で、山全体に「これから」というエネルギーを感じた休みであった。



晴れた五月の青空に ♪  5月 1日 メーデー


福島原発で倒れた労働者を背負う仲間?
あいにくの雨であった。しかし、「晴れた五月の青空」である。
働くものの団結で・・・・・
会場は雨と寒さであったが、熱気がこもっていた。
「連合」が労働組合の本来の力を失うなか、全労連系のメーデーは力強い!
久々に北大通を大きな声でデモ行進した。


津波2メートルの影響  3月 13日


流木を一ヶ所に集め、処理を行なっている。

 ものあげ場のヘドロの上を歩いた足跡
 それにしても臭い!!

街中が「冷凍庫」  1月 15日


 遠くに見えるのは幣舞橋、ハス氷がところ狭しと・・・
釧路では、一番寒い日が続いています。
昔はマイナス20度以下がありましたが、最近は10度台です。
釧路川は、ハス氷でうめつくされていました。

それにしても寒い!!


明けの明星  12月 2日早朝

早起きは三文の徳
昔の人はよくいったものです。
赤旗新聞の早朝配達で、金星と月のランデブーを見ることができました。
カメラの三脚がなかったので手振れがあり、きれいな写真とはなりませんでした。
手前の塔が市内のテレビ塔です。
奥に見えるのが「地デジ」用の新しい鉄塔です。
市内に三つのテレビ塔があり、今年のアナログ放送が終了した後、どうするのですかね。
撤去する前に、一度は登ってみたい場所です!


深まる秋・・・晩秋  10月 25日

桜の木は葉がすべて落ちてしまいましたが、もみじは今が真っ盛り。
山々の紅葉もあとわずかです。
札幌や旭川からは雪の便りが・・・・
釧路は太平洋側の気候のため、雪は11月〜12月ごろです。


はじめてのパークゴルフ  10月 17日


 あさもやのなかを4人1組でまわる挑戦者たち
はじめてパークゴルフに参加しました。来春の道議選挙をめざす「松永としお杯」です。
新釧路川の河川敷にあるタンチョウ・アオサギの36コースでパー132です。約2kmもあります。
優勝は男性でスコアは95。私は142で、ブービー賞に近いものでしたが、まぐれは恐ろしいもので、ホールインワンをやってしまいました。
河川敷なので、静かで空気も新鮮な場所です。高齢者のスポーツとしてはすばらしいものですね。私と一緒にまわった方は86歳で、何と100台のスコアを出していました。


←朝もやのなかのパークゴルフ場


秋  9月 30日

雲ひとつない秋晴れ
初の「クールビズ」も今日で終わり。
市内のナナカマドの実も赤くなり、いよいよ紅葉を迎えます。
事務所の駐車場で、珍しく「孔雀蝶」をみつけました。近づくと逃げられ、写真におさまってくれません。子どものとき、昆虫採集で捕まえた記憶があります。


夢風車  8月 14日

厚岸のお墓まいりの後、片無去(かたむさり)にある「夢風車」に寄った。
広い牧草地でゆっくりと草を食む牛をみていると時の流れのそとにいる自分を発見する。
となりの「のんき村」の花季香で石炭アイスを買い、ゆっくりと太平洋の石炭を掘った。


部分月食  6月 26日


薄雲がかかってハレーションが、
夜の9時過ぎに月を見ると満月なのに欠けていました。部分月食なので、通常の形とは随分違います。
釧路はうす曇だったのではっきりとは見えませんでした。残念ですね。

次回は12月21日(火)で、皆既月食となり、いわゆる「赤い月」になります。


手作りそば  6月 22日

同じく選挙で標茶に行き、昼食はそばでした。
標茶の農家の蕎麦を使った手作りそばです。
久々に、蕎麦らしい蕎麦を食べた感がしました。
地産地消といいますが、異常ともいえる低コスト流通体制にどれだけ挑戦できるか。ぜひがんばってほしいと思いました。

知床峠を見上げて ハートの残雪  6月 22日


 ハート型の残雪(知床峠方面)
選挙の遊説で羅臼の湯元橋にさしかかったら、ハート型の残雪を見つけました。
ガスがかかっていましたが、写真の真ん中です。


にぎわい  6月 4日

中心市街地にあって、なかなか売れない旭小学校跡地。
校庭での、かつての子どもたちのにぎわいが、たんぽぽのにぎわいに置きかわっています。
ありし日の 子らのにぎわい はなやかに

つくしは元気いっぱい  5月16日

さくらも少しだけ咲き始めました。
遅い釧路の春です。
つくしがたくさんのびていました。
子どものころ、おひたしで食べました。
せりは苦くて嫌いでしたが、今ではこんなおいしいものはない。
子どもの時代の味覚とは違いますね。

昨年、湯沢市でせりを育てている方からいただきました。せりのおひたし、酒の友ですね。

残雪、武佐の森  4月11日

 市内もふきのとうが出はじめ、ようやく春らしさが感じられてきたので、久しぶりに武佐の森をのぞいてきました。
 湿原ゾーンはまだ雪が残っていました。
 ここからは、かけ足で春がやってきます。

恋問館の海岸から  2月16日

音別の帰りに「恋問館」に。 (道の駅です)
春霞でしょうか。海岸から釧路市街がうっすらとみえました。
「まなぼっと」や「高山の焼却場」が・・・・・

画像ソフトで2枚を繋ぎ合わせ、接合部を修正しました。出来ばえはいかがですか?

氷の轍  1月18日

 道路が凸凹のアイススケート場となっている。
 川北の交差点でタクシーが氷の轍に入って動けなくなっていた。後から押したが、私自身の足がすべって力がまったく入らない。
 なんとか脱出できたが、その後が深い轍となっていた。これは危ない。
 さっそく道路維持事業所に連絡。砂か、氷割りか、対策をとるとのことです。
 市内の日陰の道路は似たり寄ったり!
 いまこそ緊急雇用で対策が求められている。


09年以前の写真はこちらです→