平和のページ


オリエント・シールド21、矢臼別演習場での日米共同訓練について


矢臼別演習場の砂防ダム    2014年5月21日

  幅218mのトライベツスリットダムの下流にたまった砂の山。
ダムにある白い丸が当初につけた放流用の穴でしたが、スリットを入れたため、すべてふさがれました。聞くと、土砂を下流に流す量は理論上どちらも「変わらない」とのことでした。
    左が気持ちよさそうに泳いでいたアメンボ。右は、スリット化した砂防ダムの前の石川議員。私の頭の上の場所に切り込みがあります。(玉川流域第1号砂防ダム)
かねてから現場に行きたかった「矢臼別の砂防ダム」、ようやく実現できました。
イトウを守る自然保護団体の方々と一緒に、玉川流域第1号、楓沢流域第2号、そして一番巨大なトライベツスリットダムの3ヶ所をみてまわりました。やはり写真で見るのと現場で見るのとは大違い。とりわけ関心があった「スリット化」は、一言でいえば「砂防ダムは必要ない」と思いました。
そもそも湿原に200m超の砂防ダムが必要なのか、と当時は大きな議論になっていました。ダムは川を完全に堰止め、いくつかの「穴」から必要な土砂を下流に流す。しかし、幻の魚と呼ばれるようになったイトウが上流で産卵出来なくなる。大きな声があがりました。その結果が、後年度に幅2.1mの縦の「スリット」をいれたわけです。
幅2.1メートルの「スリット」は砂防ダムをつくる前の川幅ではなかったか、とするとなぜ砂防ダムを造ったのかという疑問が再び起きました。なおイトウの産卵はダムの上流でも確認されたとのことでした。
下流の石を持ち上げるとカワゲラが何匹もいて、流れの静かなところではアメンボが泳いでいました。川床は礫や砂となって自然にもどっているようです。子どものとき、カワゲラなどの虫で魚を釣った思い出があります。きれいな川にいる水生昆虫です。
何千年も絶えることのない川に、たかだか60年の耐用年数のコンクリートブロックのダム。幅2.1メートルのスリットを入れることにより、もともとの川にもどってしまいました。なぜダムなのか。人間の目先の利益の愚かしさを想いました。


戦争への道             2014年5月9日

  改憲手続き法改定案を日本共産党以外の賛成で可決する衆院憲法審査会。反対して座るのは笠井亮議員=8日
しんぶん「赤旗」より
衆議院憲法審査会での改憲手続き法改定案の採決場面である。
手前に座って反対しているのが笠井議員。
自民、公明、民主、維新、みんな、結い、生活の7党のいわゆる「オール与党」が、改憲への準備に足を踏み出したことを意味する。
戦前、帝国議会でただ一人「治安維持法」に反対した山本宣治を彷彿とさせる。「山宣独り孤塁を守る!だが僕は淋しくない、背後には多くの大衆が支持している」と有名な言葉をのこしている。この治安維持法こそ、戦争への大きな一歩であった。
しかし時代は進んでいる。なぜなら日本共産党が国会で一定数の議席を維持しているから。
集団的自衛権。いままた戦争への道をすすんでいる。だからこそ、どんな小さな戦争への道をふさいでいくために、全力をあげなければならない。
孫子の世代に平和のバトンをわたすために。


2013年もちつき望年会  12月29日

   
平和のおそなえ。
 
川瀬牧場産のブルーベリー
のおやつ。今年はブルーベ
リー狩りが期待されます。
恒例の矢臼別平和もちつき望年会が、川瀬牧場で開かれた。今年は例年以上に集まった。
戦争司令部の日本版NSC、秘密保護法. etc 戦争ができる日本へと大きく舵をきっている安倍首相。「面舵いっぱい」を「取舵」にするのは、「自共対決」の日本共産党を大きくすること。ずらりと並んだ平和のお供え。
新たな決意の「望年会」であった。

2013年6月の米海兵隊の発射・着弾音
 矢臼別平和委員会の監視所から聞いた155ミリ榴弾砲の発射と着弾音です。
 当日は雲が低くたれこめていたため音が反響し、ひときわ大きいものでした。
 それにしても、故川瀬さんはこんな音の中で生活していたのですね。
 (音が大きいので注意してください)
 
     



2013年、米海兵隊の実弾射撃訓練、大誤射事件!   2013年7月6日

矢臼別演習場での13回目の砲撃訓練です。
おもなニュースを掲載します。
  どまんなか@
  どまんなかA
  どまんなかB
  どまんなかC
  連絡会ニュースF
  連絡会ニュースG
 
     町道から見た着弾地(連絡会ニュースGより)


安倍首相の暴走に危機感!       2013年6月1日

   
   

宇宙の軍事化への一歩         2012年6月22日
JAXA法の「平和条項」の削除する法案が、民主党の積極的な推進で、民・自・公の多数で可決
された。民主党を支持してきた平和関係の団体は何を思っているのだろうか。
軍事がかかわるとろくな事はない。科学技術の発展の土台である自由な研究に制約が必ずか
かる。民間企業の軍事部門はその会社の従業員でさえ、立ち入り禁止である。これが国の研究
機関にも制服組からの干渉がはじまるだろう。軍事力は徹底的に監視しなければ、自らが政治
を支配し、巨大化していく。歴史の教訓である。  JAXA for Peace はこちら→

さらに、原発事故を理由に、原子力基本法に「こそっと」入れられたものがある。
国会で市田議員が、「原子力基本法の「原子力利用」について「我が国の安全保障に資する」と
書き加えたことは、政府が掲げる「原子力平和利用3原則」にさえ抵触する」と指摘した。
原子力=安全保障=核兵器に直結していく。解釈はいくらでも拡大されていく。
止まれ! 民主党政権のもと、軍拡の準備が次々と行われていく。

米海兵隊、12回目の実弾砲撃演習が終わる   2012年6月22日

時間帯 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日 21日 合 計
8:30〜 0 0 0 1 2 0 0 8 1
9:00〜 0 0 40 19 24 1 11 29 12
10:00〜 0 0 55 27 59 44 60 17 5
11:00〜 0 0 39 16 25 56 23 0 38
12:00〜 0 0 37 33 40 25 24 0 54
13:00〜 0 0 45 18 14 28 23 20 2
14:00〜 0 0 15 0 88 25 23 23 29
15:00〜 0 0 13 12 18 14 106 48 85
16:00〜16:30 0 0 0 1 2 6 47 30 9
小 計 0 0 244 127 272 199 317 175 235 1569
19:00〜 0 1 0 0 0 5 18 28
20:00〜 4 20 2 0 0 7 3 8
21:00〜21:30 4 13 0 0 0 17 12 0
夜間小計 8 34 2 0 0 29 33 36 142
合 計 8 34 246 127 272 228 350 211 235 1711

10日間の砲撃演習予定を1日残して、21日に終了した。後半、台風くずれの雨・風が
通過したが演習はまったく休まなかった。前回多発した山火事は今回も発生し、原因
はタバコの不始末とのこと。「本当?」と疑いをもっている。
それにしても、日本の税金を使って何のための演習なのか。日本の防衛とは無縁の
演習であることは明らかである。
直ちに廃止すべき筆頭にあるが、かれらの「事業仕分け」には眼中にない。
さて、次は「外出」という名の訓練である。いまだに自治体への連絡がない。

 
公開演習での榴弾砲の説明
 
 小火器のなかでも一番大きい機関砲



矢臼別の平和碑     2011年 12月 30日


 矢臼別平和碑(作品 : 辻 弘)
  平和を願う母子(レリーフ)
   左側が空いている。

29日は恒例の「平和もちつき望年会」であった。
矢臼別十大ニュースが発表され、それぞれが1年をふり返り、2012年度のたたかいに思いをはせていた。
三宅先生から、「2014年の平和盆おどりは50回目の節目となる。それまでに馬飼であった川瀬氾二に因んで馬頭観音を設置したら」という提案があった。ぜひ実現したい。
演習場の中は、戦場であり、修羅・畜生道の世界といえる。怒りの姿なのでピッタリではないか。平和を破壊するものたちへの怒り。そして畜生道だけでなく、修羅道を救うといわれる阿修羅像もよいのではないか。
矢臼別平和碑の作者、辻先生が亡くなった。三宅先生曰く。平和が実現したとき、母子像の左側の空白に「鳩」を描く予定であったとのこと。いわゆる未完の作品であることのお話しをされた。
「鳩」を描くのは我々。そのためにも馬頭観音はふさわしいのではないか。


やはり今年度も米海兵隊が!     12月 25日
 今年度の米海兵隊の矢臼別演習場での砲撃訓練は4年に1回の休みの年です。しかし、沖縄から海兵隊がやって
きます。日米共同訓練です。
 2月下旬〜3月中旬で、部隊は沖縄の第3海兵兵站群第37戦闘兵站連隊、自衛隊側は帯広にある第4普通科連隊。
それぞれ中隊規模の部隊が演習を行なうとのことです。
 「兵站」はロジスティックスのこと。殴りこみ部隊を支えるもっとも重要なものであり、戦闘能力も非常に高いものといわ
れています。(ロジスティックスがなければ、前線部隊は壊滅させられてしまう)
 自衛隊は「実践部隊」として、いつでも戦場に赴けるよう米海兵隊からの吸収に躍起になっています。
 米海兵隊は「オトモダチ」ではない。命令ひとつで殴りこみ、破壊と殺戮を行なう軍隊であり、自衛隊もそのあとをつい
ていく軍隊であることを繰りかえし訴えていかなければならない。軍隊と災害救助隊を混同してはならない。

浜大樹の強襲揚陸訓練は中止     6月 17日
 東日本大震災の影響と思われるが、今年の「転地演習」のおける浜大樹への強襲揚陸訓練は中止となった。
 それでも「転地演習」は行なわれる。今年は1〜2ヶ月遅れ、8〜9月に、千歳市にある第7師団が矢臼別演習場で
大規模訓練を行なうと発表された。
 もともと、LCAC(エルキャック)など揚陸艇は、他国の領土への攻撃に使われるもので、「専守防衛」に違反するから
持てないとの議論があった。今は、空中給油機とともに、当たり前になってしまった。自衛隊は世界のなかでも有数の
「軍隊」である。憲法9条から常に批判を続けなければ、かならず暴走をはじめる。災害救助を考えるなら、消防やレス
キュー隊などの強化・充実を真剣に考えることが求められているのではないか。
 

私たちの暮らしと憲法     5月 3日

 午後2時から釧路革新懇の主催で開かれました。
 教員からは、教育基本法の改悪から悔しい思い、教育の「構造改革」が進み、ナショナリズムの徹底が異常になってきていること、教員が「成果をあげなければ」と追い詰められ、子どもたちは勉強の目的を見失ってきている、併せて家庭の厳しさが反映していることなど教育の現場の大変さが語られました。
 保育者からは、保育の「新システム」の告発が行なわれ、
 介護事業者からは、介護保険制度の問題点が、
 弁護士からは、自治体における滞納請求のやり方が、生存権を脅かす「異常なとりたて」に走っている現状を告発し、憲法の重要性を訴えました。  こちら→
 労働組合からは、「労働者は幸せか?」と題して、首切りや本人の知らないうちに就業規則が変えられ退職金が出なくなったことなど、この間の労働相談から、働く者の厳しさが告発されました。また、12万円の給料や一日2〜3時間のパートで交通費も出ないような仕事が憲法にてらしていかがなものか、など出されました。
 私(石川明美)は、中学・高校時代に時代に「お前ら権利ばかり主張して義務をはたしていないではないか」と先生から怒られたことを紹介し、数年前の生活相談でも子どもが同じような怒られかたをされたことを聞き、この40年間変わっていないことを話しました。憲法に国民の義務は三つ、権利はたくさん書かれていることはなぜなのか、権利は義務のご褒美ではないことなど、憲法が暮らしのなかにしっかり根付いていないことを訴えました。(権利という言葉の数は??) 
 矢臼別の三宅さんからは、川瀬氾二さんの本が出版されたことが紹介されました。
 川瀬氾二さんは自分史を書いていました。そして、「私たち戦中派の後期組はあまりモノを書いていない」、「川瀬さんが8月1日入隊、私が4月4日に入隊」と経過を説明し、戦後の苦労をもっと書くべきだと述べました。
 右の書籍は、今回発売になった川瀬氾二著「矢臼別の馬飼いと自衛隊」(税込2,200円)で、5月3日の出版に大きな意味が。
 1、矢臼別に生きる 2、矢臼別の馬飼いと自衛隊 3、矢臼別の三大馬鹿 4、意見陳述の4章で構成されているが、さきに矢臼別の三大馬鹿を読みました。
 これはおもしろい。

 東日本大震災の教訓から「憲法を変えなければ」と元なんとかが話し、「自衛隊ありがとう」と盛んに宣伝している姿をみると「おかしい」と気がつかないのか?
 災害でもっとも中心になるべき消防を削減しておいて、その代わりを自衛隊にやらせていること、自衛隊の半分がいなくなっても、どこからも攻め込まれない日本という国、ビンラディンは法で裁かなければならないのに、軍隊で殺害しておきながら「喜びと報復の危険」しか報道しないメディア。
 「おかしい」ことを「おかしい」と発言していかなければ・・・・・

 水公舎発行、2,200円



演習場のどまん中から第11集     3月 20日

矢臼別平和委員会から「演習場のどまん中から第11集」

 昨年の5月28日から矢臼別演習場において米海兵隊の実弾砲撃訓練が行なわれた。11回目になる。その報告集が完成した。
 表紙は、5発の白リン弾の同時発射である。中東のガザ地区への白リン弾の攻撃がなまなましく報道されての演習である。真夜中に、軍隊も進出していない住宅密集地に撃つのは、どう考えても「煙幕」ではない。現地からは学校に落下した映像が届けられた。火の雨が降り注ぎ、住民が逃げている写真は恐怖である。まさに非人道的兵器である。
「米海兵隊は日本を守る」と思っている人は、少数になってきているのではないか。


平和へのもちつき     12月 29日


 「花いかだ」の面踊り
第44回矢臼別平和もちつき望年会
 「にくいやつをつく」から、29日に川瀬牧場で開かれました。
 今年の10大ニュースは、@「酪農の今、未来を語る」交流集会 ANPT再検討会議にむけて核廃絶署名いっせい行動 B11回目の海兵隊訓練、やりたい放題に徹底抗議 C川瀬氾二さん没一年を追悼 Dお盆に砲撃、自衛隊の横暴に抗議 E「日米関係を考える」会の発足 F「花いかだ」活動開始 G戦争体験の掘り起こし・伝える運動が広がる H渡辺さんデビュー、9条の会ではじめての講演 I矢臼別平和委員会「会員だより」200号を発行
 もちつきのあとの交流会で「花いかだ」の面踊り「矢臼の氾二郎」が喝采をあびました。(左の写真) 上演時間は約15分。お呼びがかかればどこにでも出向くとの事。集会や学習会などぜひ利用してくださいとのことでした。
      花いかだ→
      


今年も矢臼別平和盆おどり     8月 8日

今年もやって来た 矢臼別の夏よ
 ああ 矢臼別に 結んだ絆と絆
    平和の太鼓 響き渡れ
    打ち鳴らせ 打ち鳴らせ
            (かがり火のうた)
米海兵隊の実弾砲撃訓練から14年、そして今度は普天間基地の訓練移転がもちだされてきた。たぶん全額国民の税金が使われるのであろう。
「抑止力」の名のもとに、どこまでアメリカに卑屈なのであろうか。
故アレン・ネルソンのご家族が矢臼別にやって来た。
「だまされるな」「戦争で平和は築けない」と訴えた。
大きな拍手が鳴り響いた。


川瀬氾二さんの碑の除幕式    7月 18日

演習場のどまんなかで暮らしていた川瀬氾二さんの碑が完成し、除幕式が行われました。

「時速四キロの人生」

あの小さなからだのどこにあのような大きなエネルギーがあったのか。
人が人を殺しあう戦争が絶え間なく続いている。 人類が戦争を禁止し、戦争を過去の話にできる時代。その時にようやく四キロの歩みを止め、峠の茶屋で一休みできるのではないだろうか。そして人類の本史への歩みを。
大規模軍事訓練「転地演習」に抗議!

「転地演習」(旧名称は北方機動演習であった)。
旧ソ連がなくなり、ロシア軍との協力も行われようとする時代に、北方機動演習以上の訓練が行われている。「軍隊は敵がいなくなればあらたな敵を自らつくり出す」という言葉は真理ではないか。
軍隊は常に国民的監視が絶対に必要である。


大規模地震での避難訓練    7月 10日

自衛隊の大規模演習である「転地演習」において、海上自衛隊は9日に浜大樹に上陸演習を行った。翌日の10日には、釧路の西港で大規模地震と巨大津波による被害を想定した「住民避難訓練」を実施した。
橋が落下し、孤立した大楽毛住民を避難させるという設定であるが、巨大地震の後は余震が続き、海岸には近づくなというのが鉄則ではなかったか。
負傷者ならばヘリコプターによる内陸の病院へのピストン輸送のほうが現実的である。報道によると「おおすみ級輸送艦」の治療施設は診療所程度とのことである。
どう考えても無理な設定である。
やはり自衛隊の大規模演習に住民をまきこんだ訓練を想定しているとしかいいようがないのでは?
自公政権時代に「国民保護法」によってミサイルや爆撃など敵の攻撃による住民避難訓練を行ってきているが、さらに大規模な訓練に発展するのでははないか、懸念をもっている。周辺国から見れば、日本は本気に戦争準備を行っていると見られている。
こんなことにお金をかけるより、友好交流にもっと使うべきではないか。戦争防止に何倍も役にたつ。


矢臼別平和盆おどり    7月 1日

8月6〜8日開催  メーンは7日(土)です。

今回の「米海兵隊の砲撃訓練」は、着弾地付近で火災が何回も発生。どう考えても着弾地以外に砲弾が着弾しているのではないか?
疑問はつきない。
矢臼別演習場の南側にあるパイロット・フォレストは、7千ヘクタールの広大なカラマツ林である。ここに野火が広がったらと思うとぞっとする。
野火の地域を明らかにすべきである。

普天間のヘリ部隊の矢臼別演習場への訓練移転も浮上している。矢臼別演習場には、模擬砂漠も、森林も、米軍専用ホテルもある。そして外部から訓練が見えない。こんな良いところはないのではないか。日出生台は、かなりの訓練地域が丸見えである。
 


「外出」    6月 11日

6月10日
バスから降りた海兵隊員。
多くが19〜20歳と思われた。
 バス4台で、200人弱が釧路市内に「外出」を行った。
 ほとんどが5〜6人のグループ行動であったが、たまに単独で何人かがいた。郊外の大型店にもくり出していた。
 夕方は、議会も終わったので6時〜7時半まで、末広の繁華街のパトロールを行った。ここもグループで動いていた。何人かは酔っ払っていたが、昔と比べるとずい分と規制をかけているように見えた。
 彼らは「公務」上の行動であり、日本の法律ではなく「地位協定」という別枠にとりかこまれている。
 それにしても、事件や事故がなくほっとした。

 


白リン弾の同時撃ち    6月 4日


  現地監視本部からの撮影
連日、米海兵隊による矢臼別演習場での激しい砲撃が行われている。
これが「タコクラゲ」といわれていた白リン弾(煙幕)である。
赤い火の粉が飛び散るように落ちていく。これが人体に付着すると消せないし、治療が困難だと、イラクで医師が話していた。
煙幕弾として使われると述べているが、人口密集地に直撃すれば、残虐兵器そのものである。

ガザ地区への白リン弾攻撃→


5・23全道集会    5月23日

米海兵隊はアメリカに帰れ!
普天間基地は撤去せよ
「5・23全道集会」が別海町で開かれ、沖縄やF15移転訓練の苫小牧から連帯あいさつ。そして、平和新聞編集長の布施祐仁氏が情勢報告を行いました。
「嘉手納のF15の全国への移転訓練後、その空いた日程に新たな訓練が行われている。金武町の県道104号越え実弾砲撃演習の本土移転後は、ざまざまな訓練施設が出きており、銃弾が町の中に飛び込んでくるなど危険はいっそう増えている。痛みを分散するということは、まったくのウソである」と実態を暴露し、「撤去しかない」と訴えました。
集会後、町内をデモ行進し「マリンゴーホーム」の声が響き渡りました。

 中標津空港に到着した本隊200人(20日)

倍の輸送量なのに、安いとは?    4月29日
 米海兵隊の実弾射撃演習が5月26日からと決まった。今回は大隊規模である。
 ところが、輸送の金額は、前回の中隊規模より安い! 
   今回 430名 12門 100両 ・・・・・ 3億6497万円(JTBカーゴ)
   前回 230名  2門  50両 ・・・・・ 3億7611万円(日通)
 たぶん兵士輸送のチャーター便は2機から4機に、車両運搬のトレーラーも倍は必要であろう。
 よほどのダンピングなのか、それとも以前が暴利だったのか。

矢臼別演習場への輸送業者入札決定    4月11日
 最近は、入札結果を公表するようになった。
 5月に行われる矢臼別演習場での米海兵隊の榴弾砲などの輸送業者は、JTBカーゴに決まった。
 ここ2〜3年、日通の独占が崩れはじめている。旅行最大手のJTBグループが日出生台に続き落札した。
 2年前の矢臼別演習場の入札と比べてみると
                予定価格      契約金額     落札率
   今年  JTBカーゴ  424,058,598円   364,974,000円   86.07%
   2年前 日通      408,692,652円   376,114,590 円  92.0%

 いずれにしても、4億円近い日本国民の税金が使われている。
 沖縄の部隊は、半年のローテーションで世界各地を転戦しているとのこと。矢臼別演習場での訓練が
イラクやアフガンでの部隊投入につながっていく。このどこが日本の防衛になっているのか?
 軍事力、軍事プレゼンスは国民的合意がないまま、軍人と官僚と政治家の一方的報道で終わっている。

11回目! 米海兵隊実弾砲撃演習    2月23日

   5月中旬から6月中旬まで矢臼別演習場で実施!

◇米海兵隊移転訓練反対!   ◇米軍再編強化反対!
◇普天間基地の無条件撤去を! ◇米軍は日本から出て行け!

米海兵隊矢臼別演習場移転訓練反対全道集会

    日時:5月23日(日) 13時〜
    場所:別海町 ぷらと広場


12月29日 第43回矢臼別平和もちつき・望年会

 
   矢臼の餅つき  →歌はこちら→

    ヨイヤマカセ ×4
     矢臼の5月は花盛り
     平和公園サクラ咲く
     平和のハトも舞い降りる
     命豊かな矢臼別
     ヨイヤマカセ
     ヨイヤマカセ

川瀬犯二さん、アレン・ネル
ソンさんの前に並んだお供
え餅
平和の文字が輝いて!
  足かけ4年、ついに完成!
   5〜6人は入れる広さです。

  わが輩はふろである。
  まだ名はない。
  生まれは基地のどまんなかである。
  1年の大半は寝ていることになろう。

  入浴できるかは、道東勤医労へ

10月1日 グーグルマップで川瀬牧場を、矢臼別演習場を、
 グーグル(google map)で、右上の「航空写真」をクリックし、住所に「別海町矢臼別41」と入力すると、
高度5万メートルからの川瀬牧場を見ることができます。+ボタンを押せば、高度5千メートルぐらいまで
降りられます。川瀬牧場は、実際にはもう少し右上になります。
 着弾地が黒々と見え、右側の灰色の四角は、砂利を敷いた着弾地です。以前の説明では、クラスター
爆弾の子弾の着弾地とのことですが、禁止された今は、どう使っているのでしょうかね?
 「砂漠のようだった」と言う人もおり、当時、イラク戦争の真っ最中でしたから、脳裏に恐ろしいものが
浮かんだものでした。
 緑の大地が、戦車や榴弾砲の訓練で、赤茶けた姿は無残です。
 グーグルマップはこちらで →→

8月8日 矢臼別平和盆おどり


 今年も松平さんのトランペットが響きわたりました。

 

 なんと蟹工船も参加!

平和のかがり火は夜空たかく・・・


8月6日 核兵器廃絶〜ピースウェーブ in 釧路

 6日の釧路は、久しぶりの快晴でした。
 64年前の広島もこのような雲ひとつない静かな日だったのでしょうね。
 私は、過去、毒ガス兵器、対人地雷兵器、クラスター爆弾を禁止する国際条約が結ばれてきた歴史を述べ、これらをはるかに上回る残虐で非人道的な核兵器は必ず禁止できることを訴えました。
 オバマ大統領の「核兵器の廃絶」へむけたプラハ演説をとりあげ、来年の5月に予定されているNPT国際会議の成功を訴えました。
 しかし、唯一の被爆国である日本の政府が、オバマ大統領を応援し支えるのではなく、「核の傘」を守れと要求したとの報道があります。あまりにも情けないし、被爆国として許せません。
 30分間にわたって、核兵器廃絶を訴えた石川議員


第45回矢臼別平和盆おどりの予定

矢臼別平和盆おどり
8月8日(土)午後6時30分から
場所:川瀬牧場(矢臼別平和碑広場)

 前夜祭
   7日(金)午後7時から
    焼肉交流会
    ステージ「燃えろ矢臼別」
      松平晃、菊地哲史
      沖縄エイサー同好会など

 朝の交流
   9日(日)朝6時から
米海兵隊移転訓練反対全道集会
8月8日(土)午後1時から
場所: いこいの森駐車場(別海町役場向い)

 全国5ヶ所の分散移転のはずが、2年連続矢臼別だけでした。今年も、すでに6月の東富士が中止になっています。
 この移転訓練は、すべて日本の税金で行なわれています。
 矢臼別での訓練は、日本の防衛とは、まったく関係ありません。


中止になりました。


6月20日 「川瀬氾二の生涯」出版される!

 北の反戦地主
    矢臼別演習場のど真ん中で生ききった!
 川瀬氾二の生涯

  著  書:布施祐仁(平和新聞編集長
  出版社:高文研
  四六判 214頁
  本体価格 1600円
目次
 なぜこの本を書いたのか
 T 北海道に渡るまで
 U 原野への入植・開拓
 V 演習場の設置と土地買収
 W 憲法九条と出会って
 X 退去を迫る権力との攻防
 Y 沖縄の海兵隊もやってくる中で
 Z 演習場の中に温泉を掘ろう

 終わりに


5月16日 川瀬氾二さんを送る会

 午前11時から、200名の方々が参加し、「川瀬氾二さんを送る会」が、川瀬牧場のD型ハウスで行なわれました。東京や大阪からも参加された方もおり、それぞれの想いを川瀬さんに語りかけていました。
 弔辞は、三宅信一、石田明義、浦舟三郎の3氏が行い、たくさんの弔電が読まれました。その後、国際政治学者の畑田重夫さん、参議院議員の紙智子さんがお別れの言葉を送りました。
 日本国憲法では軍隊を持てないはずの政府。小さく生みだした「警察予備隊」が、世界有数の軍隊に成長しました。そして、国連の平和維持軍さえ行っていないソマリア沖の、海賊対策の名の下に、P3Cや陸上自衛隊まで派兵するというのですから、驚くべきことです。
 自衛隊は、すでに海外では「army」と呼ばれています。軍隊は国民的な力で抑えなければ、自らの意思で膨張を続け、敵をつくり出し、戦争を引き起こすものです。
 川瀬牧場は、その抑止の力のひとつとして、守り引き継がなければならない大事なものです。
 世界に誇る憲法9条をもつ国民のひとりとして。

 三宅信一さんの弔辞     →こちら
 紙智子参議院議員の弔辞 →こちら

  在りし日の川瀬氾二さん

  弔辞をよむ紙智子参議院議員


5月12日 核兵器廃絶にむけた国民平和大行進

 根室のノサップ岬を出発し、根室、浜中、厚岸、釧路町、弟子屈、標茶町を通り、十二日釧路市に入りました。
 釧路市の鶴ヶ岱公園から城山十字街、幣舞橋、そして北大通りを約80人で行進し、栄町平和公園で集会を開催しました。
 ようやく桜の咲いた釧路ですが、雨降りの大変寒い天候のなか、元気よく核兵器廃絶の訴えを行ないました。
 

5月3日 憲法記念日・・・憲法を考える集い・・・川瀬・アレンを語る

 62回目の憲法記念日の3日、釧路市で「川瀬・アレンの遺したもの」と題して、長年の友人であった三宅信一さんが想いを語りました。
 川瀬氾二さんの生い立ちから、矢臼別への入植、そして反戦地主として「ここにいたい」と基地のなかから平和を訴えていた姿を笑いと涙をおりまぜながら話し、最後に川瀬さんを「憲法に生きた男」と述べました。
 アレン・ネルソンさんは、その出会いから、なぜ毎年矢臼別に来るようになったか、矢臼別平和盆おどりでの彼のPTSD体験をあきらかにし、日本の多くの人、数万人もの人に戦争の実相を語りかけ、憲法9条のすばらしさを訴えてきたことを話されました。
 アレンさんは「日本に骨を埋めて」との遺言で、6月25日(木)午後1時、石川県加賀市の光闡坊(こうせんぼう)で「納骨の儀」がとり行われます。アネッタさんも参加し、三宅さんが弔辞をよみます。

  アレンと矢臼別(三宅信一記)→こちら

     三宅信一さん

     アレン・ネルソンさんのブルースがユーチューブにアップされています →こちら

 集いの合間に、自称「矢臼別のシンガーソングライター」の菊地さんから、川瀬さんが唯一気に
入ったと言われた「矢臼別に来たのなら」を演奏しました。
 
→ここから聞けます (圧縮したので音はよくない)♪♪♪

  川瀬さんは「矢臼別へ来たのなら誰にでも居場所がある」の部分がよかったとのこと。

川瀬さんを送る会は、
  5月16日(土)午前11時から午後2時30分まで、
  川瀬牧場のD型ハウスです。
  必ず事前に参加の連絡をしてください。参加費は3,000円です。(昼食付き) 準備の関係上、
  連絡をいただかないと困るとのこと。
  献花は実行委員会で準備します。 
  

川瀬氾二さんの逝去を悼み、少し歴史をふりかえってみました。

根釧地方の開拓

 根釧地方の開拓の歴史は、大きく分けて三つにわけられる。
 第1は、明治以降第二次世界大戦終了まで、
 第2は、第二次世界大戦終了直後の緊急入植計画
 第3は、1956年以降(根釧パイロットファームなど)である。
 明治維新以来、日本資本主義を育てるためにすすめられてきた、内国植民地としての北海道の開拓は、1910年にはじまる
第1期北海道拓殖15ヵ年計画と1927年からの第2期北海道拓殖20ヵ年計画の時期に大々的にすすめられた。 北海道でも後進開発地域であった根釧地方は、主として第2期拓殖計画によって急速に拓かれていった。
 戦後の開拓は、復員軍人、中国やサハリン、千島の引揚者たちによって行なわれた。 川瀬さんもそのうちの入植者の1人であった。
 入植者の最初の原野とのたたかいは抜根からはじまる。密生したナラ、ハン、白樺等の樹木を一本、一本、根っこから抜き倒すのである。1日に平均10〜20本、直径15センチ以上の木になると4〜5本。1本倒すのに半日をついやす木も何本もある。 根を横に張っている白樺やハンの木はまだいい、根を地中に深くくいこませ、そのうえ固いナラの木の抜根には、開拓者の誰もが手こずらされている。

川瀬一家
 川瀬氾二さん、大正15年6月(1926年)、岐阜県羽島群川島村の百姓の子として生まれる。尋常高等小学校高等科2年を終え、各務原(かがみはら)の陸軍航空廠で足かけ5年、旋盤工として働く。昭和26年(1951年)、新聞広告に愛知県庁の拓殖実習生の募集があり、応募した。そして、北海道弟子屈拓殖実習場に入る。
 昭和27年4月(1952年)、別海村三股(みまつか)地区に入所する。(現在の矢臼別) 入植といっても住む家があるわけではない。樹木が密生した原野である。小屋づくりからはじまる。四畳半程度のいわゆる「おがみ小屋」であった。 人の気配すら感じることのできない、原野のど真中のこの小屋で、26歳の青年、川瀬氾二さんの開拓生活がはじまった。 入植1年は何も手につかず、夏は土方を、冬は製材所で働き生活資金をまかなった。三度の食事は、くる日もくる日もご飯とみそ汁だけ、みそ汁の中味はイモだけ、イモがなくなると大根の切干。
 開拓当時は、暦も時計もなかったため、今日が何日なのか、何曜日なのか、さっぱりわからなかった。

                     (以上、「矢臼別物語」(1974年年6月発行、穂積肇)から抜粋)

1958年    別海村議会が矢臼別に陸上自衛隊の演習場を誘致する決議をおこなった。開拓
         農民は大きなショックをうけて、11名の部落会役員連盟による反対意見書を北海
        道庁、農林省、防衛庁にあげた。当時の田中知事(社会党)は、周辺農民の反対を
        理由に断り、演習場の話しは立ち消えになった。
         その後、町田知事(自民党)に代わり、1961年に再び演習場誘致問題がおこった。
        周辺農家による演習場誘致署名がおこなわれた。 当時の農家は借金も増え、言
        葉に言いあらわせないほどの貧しさであった。そうしたなか「防衛庁に土地を売ると、
        借金を返して手元に百万残るんだよ」という言葉は、貧しい開拓農民のなかに慈雨
        のようにしみこんでいった。
1962年11月 矢臼別原野の開発計画を撤回、演習場設置を諮問。別海村が同意。
1963年3月  矢臼別演習場の供用開始。
1964年    用地買収工作、ほぼ完了
           厚岸町トライベツ30戸
           別海村三股36戸
           新富19戸
        川瀬氾二、杉野芳夫の両氏、買収拒否。

1975年 川瀬、杉野宅に電気の灯がともる。
1977年 小説「海霧のある原野」(窪田精)はじまる
1979年 川瀬宅に電話が設置。D型ハウス設置。
1987年 川瀬所有地を自衛隊が鉄線で囲い込む。「川瀬所有地囲いこみ事件」

1995年 別海町議会、米海兵隊移転反対を決議。(9月)
      米海兵隊矢臼別移転反対全道集会に1000名。別海町長もあいさつ。(12月)
1996年 米海兵隊移転反対の住民署名が、全町民の過半数を突破。(9月)
      別海町議会で「米海兵隊受け入れ決議」を強行。(12月)
1997年9月 米海兵隊の沖縄県道104号越え実弾訓練がはじまる。

矢臼別演習場は、なだらかな根釧台地のため外部からはまったく見えない。演習の音しか聞こえない。また、155ミリ榴弾砲の射程距離も国内最大の距離を誇り、他ではできない演習を行なっている。
そのため、一時期、米海兵隊の演習だけではなく、基地移転計画も浮上した。
演習場の供用開始当時は、年間わずか1〜3ヶ月程度の演習であったが、今では365日ともいうべき、激しい演習を行なっている。
雪解けの3月〜4月は演習場の整備期間で演習には不向きなため行なわれていなかったが、最近は怪しいようである。

                               (以上、「演習場のどまんなか」から抜粋)

2月14日 演習場のどまん中から第9集を発行

08年から09年の矢臼別の四季です。
 写真集ですので、読みやすく、平和運動の資料としても活用
できます。
 略年表 矢臼別の原野高く  (1962年から2008年までの)
 米海兵隊移転訓練反対
  演習場のどまん中から1号〜10号まで
 最近の矢臼別での自衛隊の訓練
  ライジングウォーリア
  カムイの砦
 矢臼別演習場について
 北方転地演習
 9条は世界の宝
 アン・ライトさんと交流
 原水爆禁止運動
 第44回平和盆おどり
 酪農シンポジウム
 平和もちつき望年
 頒価600円  42ページの写真集です。


2008年12月29日 第42回矢臼別平和もちつき望年会


もちつきの風景。

三味線にあわせたもちつきを少しの間、楽しんで下さい。

 →音楽→



 勢ぞろいした団結・平和のおそなえ。
 つきたてのお餅で雑煮、お汁粉などを全員でいただきました。
 締めくくりとして、今年の十大ニュースを発表しました。(下の写真)

 最後に全員でかがり火のうたを歌って来年のたたかいを誓い合いました。
   かがり火のうた→音楽スタート→

   楽譜は[写真]のページに→



 十大ニュースのトップ、自衛隊と米軍の共同演習(2〜3月)
 イラクやアフガニスタンでの戦争を経験してきた米軍から、
 陸上自衛隊は、どれほど吸収しているのか。
 戦える自衛隊への変貌が恐ろしい!!


   十大ニュース、米海兵隊の砲撃演習(12年目)
   時期的に11〜12月は初めて。
   薪ストーブと湯たんぽで・・・・・
   「訓練を公開せよ」の住民の声が、海兵隊を動かした!