球式。微笑ましい、苦々しい等々、意見は様々。プロ野球では、タレントなどの
有名人の投球式はもはや当たり前。開幕戦やオールスター、日本シリーズは
    もちろん、オープン戦でも見受けられる。高校野球も、教育関係者の式
    だけでは飽き足らないのか、今年のセンバツでは毎試合、子供の始球式
    が行われた。まあ、これはこれで微笑ましかったけどね。少なくとも、自分
    のアピールしか考えてない芸能人の投球式よかずっとマシ。

     さて、今回は事件番外編ということで、始球式の面白い例を挙げていこう。
    プロ野球史上、初めて女性による始球式が行なわれたのはいつかご存知
    だろうか? 実は昭和49(1974)年のことで、割と最近の話である。
     この年の開幕戦、岡山県営球場で行われた阪神−大洋戦でのこと。なぜ
    開幕戦が地方球場開催なのかと思われるかも知れないが、言うまでもなく
    センバツの影響である。阪神がAクラスになっても、大抵は開幕戦とセンバツ
    が重なるので、甲子園で出来ないのだ。もっとも、最近の阪神がAクラスに上
    がることはほとんどないので(^^;)、高校野球は安心して(?)甲子園を使える。

     話を戻して、この試合の始球式の女性だが、池田厚子さんと言う。知らない
    人の方が多いだろうが、この人、昭和天皇の四女、つまり皇族だったのだ。
    少し前まではとても考えられなかったことで、戦前派の両軍監督、阪神・金田
    正泰、大洋・宮崎剛はガチガチだったそうな。もっとも、若い選手たちやスタン
    ドのファン(年配者は除く)はヤンヤの喝采。
     池田さんは、正規のプレートからではなく、ホームベースの近くから、下手で
    ポンと軽く投げ、それを大洋の一番打者・重松省三が空振り、見事に阪神・
    田淵幸一捕手のミットに収まった。
     メジャーな巨人戦でなく、しかも地方球場でのゲームで行われたのが微笑ま
    しい。どのような理由があったのだろうか?

     大リーグでは大統領の始球式が当たり前であるが、我が日本ではどうか。
    初めては、昭和32(1957)年、後楽園球場での巨人−国鉄戦。
    投げたのは、時の総理・岸信介であった。

     昭和39(1964)年のオールスター第三戦での話。オールセントラルのトップ
    バッター・阪神の山内和弘が右打席に入っていた。その山内がオールパシフ
    ィックの捕手の南海・野村克也と「始球式のボール打ったらどうなるだろう」と
    話していたところ、始球式に登板した大阪市の中馬市長がボールを投げてしま
    った。気づいた野村は慌てて捕球したが、山内は呆然と見送った。つまり、山内
    は、始球式のボールを打ちもせず、もちろん空振りもせず、見送ってしまった
    のである。無論、空前絶後。

     極め付きの話を。アマチュアでのことだが、戦後まもなく、九州の八幡製鉄
    マニラへ遠征し、試合をした時のこと。例によって、始球式が行われて、ビジター
    の八幡製鉄のトップバッターは、儀礼通りに始球式のボールを空振りした。
     さて試合開始である。トップバッターが2ストライク目を見送ったその時、審判
    (フィリピン人)は「ストライク、バッターアウト」を宣告した。びっくりしたのは打者
    と八幡製鉄ベンチである。慌てて抗議すると、審判は澄まして「我が国では、
    始球式での投球もカウントする」とのたまい、再びびっくり。

     さても面白き始球式かな、というところだが、いずれも黎明期、混乱期での出来
    事で、今ではこんな楽しいこと(?)は起こらないだろうなあ。



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