シフトと聞いて、懐かしくなる世代はもう立派にオジサンであろう(^^;)。しかし、
王シフトの馴れ初めとなると、知っている人は少数派になるだろう。

     時は昭和39(1964)年、5月5日。王シフトを編み出し、最初に敷いたのは
    広島カープなのだ。以前から、広島・白石勝巳監督(奇しくも巨人OB。昔は
    名ショートとして鳴らした)は、川本徳三スコアラーたちと、王の打撃内容を徹底
    的に分析した。その結果、王の打球のほとんどが右翼方面に飛んでいる(それも
    内角球の場合、90%以上)ことがわかった。
     このことに加え、王の猛打を防ぐには精神的な揺さ振りも有効と判断した白石
    監督は、このプランを実行に移すこととした。

     さて、5月5日である。3日の阪神戦で、王は広島投手陣をメッタ打ちして、なんと
    4打席連続本塁打を記録して、ゴールデンウィークで後楽園球場に大勢訪れた
    少年ファンの声援に応えていた。
     少年ファンは喜んだろうが、対戦相手としては喜んでもいられない。

     1回裏、巨人の攻撃。空前の5打席連続本塁打の期待を担って、王が左打席に
    入ると、カープの野手はいっせいに右方向に歩み出した。満員のスタンドは何事
    が起こったのかとざわつき、王は呆気にとられた。
     二塁手は一、二塁間の真ん中へ、三塁手は三遊間の真ん中、遊撃手はセカン
    ドベースの真後ろに、左翼手は左中間の真ん中、中堅手は右中間、右翼手は
    ライト線いっぱいに移動したのだ。

     王の心境はいかばかりだったか、広島・大羽進投手の前に、「リキんで」ファース
    トライナーに倒れた。動揺があったのか、5打席連続本塁打の新記録どころか、
    この日の王は4打数無安打に終わっている。
     この結果を見て、白石監督と川本スコアラーはがっちり握手してニンマリ。広島
    の策はものの見事に当たった。

     王の打棒に悩まされていたのはカープばかりではない。この日の広島の守備と
    王の打撃結果を知った各球団も、こぞって王シフトを採用した。

     とはいえ、王もこのままでは終わらない。7月15日、後楽園球場での広島戦。
    打席の王は、シフトの裏をかいて三塁線にバントを転がした。これにはカープ内野
    陣が驚いた。ガラ空きの三塁線を破ったバントの打球(^^;)は、そのままレフト線ま
    で転がって行き、ようやくレフトが追いついた時には、王はセカンドベース上で笑っ
    ていたとか。王シフトの元祖に対する、王のささやかな復讐と言ったところか。
     しかし、これは例外中の例外で、ほとんどの場合、王はシフトを気にすることなく
    自分自身のバッティングを貫いた。王の王たる由縁であろう。

     王シフトと言えば、笑える記録がある。昭和47(1972)年の日本シリーズでの
    話だ。当時、王シフトは公式戦に限ったことではなく、日本シリーズやオープン戦
    からオールスター戦まで、王を相手にするチームは例外なく採用した。

     この年のパシフィック優勝チームは阪急ブレーブスだが、やはり王シフトで守っ
    た。
     第1戦、阪急は王シフトをさらに拡大させ、ショートの大橋穣を外野に回した
    つまり、外野手を4人で守ったのである。レフトは左中間に、大橋はセンターの定
    位置に、センターは右中間、ライトはライト線に移動した。
     面白いもので、王の打球はセンター深く守った大橋に向かった飛来した。大橋
    は背走して、フェンス際でこの打球を抑えた。
     この場合、当然記録はショートフライになるわけで、この打球は「史上最長の
    ショートフライ」として話題になった。


※篠原様よりご指摘があり、年月日等にあった誤りを修正させていただきました。
 王の4打席連続本塁打 → 正 5月3日 誤 5月4日
 広島の王シフト採用日 → 正 5月5日 誤 5月4日
 阪急の王シフト      → 正 1972年 誤 1971年
                → 正 第一戦 誤 第二戦

以上です。篠原さん、ありがとうございました。  2007.2.24



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