事と喧嘩は江戸の華、なんて言葉がある。同じ意味で、乱闘騒ぎはプロ野球
の華
などという人もいるようだが、私は疑問だ。気の荒いスポーツマンがやって
    いるのだから、多少は大目に見たいとは思うが、それにしても限度問題で
    ある。悲しいことに、その限度を越えた事件が、去年のガルベス事件を含め
    いくつかあるが、その中でも最大規模なのがこの事件だ。

     昭和27(1952)年7月16日。今は亡き平和台球場での話である。
    折りからの雨の中、西鉄−毎日戦が始まった。プレイボールは午後4時55分。
    夏場とは言え、今で言えば薄暮ナイターといった時間帯だ。しかも、当時は照明灯
    設備などない。いかに、当時は試合時間が短かったとはいえ、暗く雲が垂れ込め
    て雨まで落ちている中での話だから、ややムリはあったやも知れぬ。
     福岡地方気象台によると、当日の日の入りは午後7時29分だったというから、
    十分やれると審判団は判断したのだろう。

     しかし雨だけはどうにもならない。2回表毎日の攻撃中に15分間中断。しかも
    ゲームは打ち合いになり、3回に西鉄が5−1でリードしたところでまた中断した。
    しかも今度は1時間。
     4回表、毎日は反撃に出て3点を返し、1点差に迫った。しかし、雲行きを案じた
    毎日ベンチは引き延ばし作戦に出た。その裏の西鉄の攻撃の途中で中止にな
    れば、試合は成立せずノーゲームになる。
     各選手は、やたらとスパイクの紐を結び直したり、1球ごとにタイムをとったり、
    あまつさえ、ベンチに水を飲みに戻るなど、少々露骨な行動をとった。呆れたこと
    に、西鉄の打者が打った打球をわざと落球するなどを繰り返す有り様だ。

     当然、西鉄は得点を重ねることになり、この回一挙に4点を奪い9−4とした。
    これで5回表の毎日の攻撃を乗り切れば西鉄の勝ちなのであるが、毎日の打者
    は打席に入らない。毎日の監督・湯浅禎夫は、「暗くって、これじゃボールが見え
    ない」とアンパイアに申し出た。雨が降ってる中の夕方のゲームで、だらだら時間
    をかけたのだから、実際ボールは見にくかったのだろう。審判団は協議の末、
    湯浅監督の提案を受け入れ、日没ノーゲームを宣告した。

     毎日側とすれば「してやったり」だが、収まらないのは西鉄だ。いや、選手より
    収まらない人々がいた。ファンである。雨の中、だらだらした試合を見せられて、
    それでも地元の西鉄が勝ちそうだから我慢していたが、ノーゲームと言われては
    黙っていられない。

     怒りを爆発させたファンは、スタンドに飛び降り、審判団に襲い掛かった。
    大勢の興奮したファンに取り囲まれた審判たちは真っ青になって、「悪いのは
    あっちだ」と毎日ベンチを指差した。審判の言い分はもっともだが、その前に毎日
    側の露骨な延滞行動に警告を与えるべきだったろう。

     しかし、ファンは審判の指摘に本来の敵役を思い出した。そうだ、もともと悪い
    のはやつらではないか!
     ベンチで引き上げ準備をしていた毎日の選手たちに暴徒が襲いかかった。
    選手たちは、あちこちを蹴られ殴られながら必死に脱出を試みる。事態の急変に
    肝をつぶした球場関係者が警察に通報、警官が駆けつけたものの、多勢に無勢
    でどうにもならない。慌てた警察は、各署に増援を要請し、総勢300名もの警官
    隊が球場に突入するという大事件に発展した。

     毎日ナインは、警官隊に守られながら、どうにか宿舎に到着したが、ファンは収
    まらず、深夜まで騒ぎ続けた。事に重大さに驚いた湯浅監督は辞任、パ・リーグ
    は毎日球団に対し、罰金5万円を課した。

     確かに毎日の行為は責められて然るべきだが、九州のファンはすごいね(^^;)。
    王さんも大変だわ(^^;)。



     戻る