言 |
うまでもないことだが、バットは木製だ。一方、学生野球や社会人野球など、
アマチュア球界は一部を除いて金属バットを使う。野球規則においては、
バットは、材質の他、長さも1.07m以下など細かい規定が定められている。
プロ野球では、必ず木製バットを用いることになっていて、それも青ダモなど
の一本物が基本である。一頃流行った圧縮バットは今では禁止されてい
る。この圧縮バット禁止については、だいぶ問題になったから覚えておいで
の方も多かろう。
ちょっと話が脇道に逸れるが、なぜ圧縮バットが禁止になったのか、その
経緯を聞いていただこう。
圧縮バットというのは、木製のバットを薬品加工して、堅さと反発力を増
したドーピングバットとも言うべき代物だったのだ。
それを知った当時の下田武三コミッショナーは、フェアではないという理由
で、圧縮バットの禁止を提唱した。フェアではないという他に、圧縮バットは
折れると粉々に砕けることが多いため危険である、という報告も寄せられて
いた。
セントラルもパシフィックも猛反対した。圧縮バットを使い、球場を微妙に
狭くする工夫で、ホームランを量産していたのだから無理もない。さらに、
野球用具メーカーも異議を唱えた。一本物のバットは材料の確保が難しく、
結果として価格も上げざるを得ないからだ。その点、圧縮バットなら、長い
木でなくとも、短い部材を薬液で集め固めて使用出来る(つまり寄せ木細工
のようなバットが出来てしまうのだ)。安価で利益を出しやすいから圧縮
バットを生産したい。
もうひとつ大きな問題があった。巨人の王貞治がホームラン記録を伸ばし
ていた時代だったということだ。ここで圧縮バットが禁止になったら、王の記録
の伸びが鈍ることは必定だ(王は圧縮バットの愛用者だった)。
すったもんだの挙げ句、王の引退を待つように、圧縮バット禁止が決まっ
た。経過はどうあれ、結果はそうなのだ。何せ、王の引退翌年から禁止になっ
たのだから。大リーグは、もちろん圧縮バットは禁止だ。いずれは時代の趨勢
に流されるを得ないが、何とか王が辞めるまでは圧縮バットを使わせたかった
という見方は、そう的を外していないと思う。
だいぶ余談が長くなったが、本題に戻ろう。
上記のように、プロではバットは木製でなければならない。しかし、昭和23年の
6月10日に行われた急映−中日戦で、急映の主力打者・大下弘は、なんと
竹製バットを使用した。知人の某運道具店の主人に頼まれてのことらしい。
竹バットといっても、さすがに節のついた切り出しのままの竹ではなく、竹片を
接着剤で接合したものらしい。筆者も見たことがないので想像に過ぎないが、
これは後の圧縮バットの走りではないだろうか。
それにしても、竹では軽く過ぎて却って打ちにくいとか、タイミングがずれると
か、そういう不都合はなかったのだろうか。気になるところだ。
では、その竹バットを使った結果はどうだったのか。
第一打席三振のあと、第二打席で右前安打、第三打席二塁ライナー、第四
打席中前安打、第五打席も中前安打と、なんと5打数3安打の猛打賞であ
る。
いかに接合してあるとはいえ、竹バットなんかで硬球を打ったら、打球音
だって違いそうなものだが、敵の中日ベンチはおろか、審判も味方のベンチ
もまるで気づかなかった。ゲームの終盤(大下は全打席終了していた)にな
ってはじめて主審が気づき、以後の使用を禁じたが、収まらないのは中日で
ある。
3−7で負けた中日は、違反バットなのだから大下の安打は全て無効で、
再試合を行なうべきであると主張した。もっとも主張であろう。
何しろこんな事件は初めてだから、連盟も面食らった。討議を重ねたもの
の、なかなか結論は出ず、裁定を下したのは9月になってからである。
「再試合する必要は認めず。大下選手には罰金(100円)を命ずる」
という沙汰がなされた。
球場の指定席料金が100円だったから、かなり軽度の罰金である。今なら
大問題に発展しそうな事件だが、大下本人に悪気はなかったことと、当時、
大下が少年層を中心に絶大な人気を誇るスーパースターだったことも考慮
されたのだろう。この時代の大下人気を想像するのに、今のイチロー人気を
思い浮かべればいいかも知れない。
もしイチローが、規定外のバットをテスト的に使ったのが見つかったら、連盟
は対応に苦慮するだろうが、やはり軽度の罰金に訓告程度で、間違っても
出場停止には出来まい。