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リーグ分裂後、3年を経過した昭和28年。分裂後、セントラルリーグを初制覇
した松竹ロビンスは、親会社の経営難から主力選手を大量放出し弱体化。この
年、とうとう球団を手放すことになる。大洋との合併だが、事実上、吸収による
消滅だった。
この結果、セントラルは6球団となり、現在の形になる。
一方、パシフィックも当初は7球団だったが、いかにも球団数が奇数というのは
日程が組みにくい。セントラルの影響もあり、6球団制にする意見もあったが、
ではどの球団を切るかとなると、やはり決められない。仕方なく7球団で開幕する
ことになった。
しかし、ここで唖然とするような制度を導入する。なんと、勝率3割5分を割っ
たチームは翌年の公式戦に参加できない、というものであった。前代未聞の
申し合わせだが、万が一、規定の勝率を割ったチームが複数でたらどうする
つもりだったのだろう。
それなら、最下位チームを外すという方が納得できる気がするが。
結果的には.350を割ったチームは出なかった。が、どう考えても7球団制と
いうのはやりづらいということも確認することになった。減らせないなら増やして
偶数にしよう、という意見が出て、高橋ユニオンズを加入させた。
ところが、この年のシーズンが終わってから、勝率.350を持ち出したお節介な
人がいた。パ・リーグ理事会総裁の永田雅一氏である。この人が言い出したのは、
勝率3割5分を割ったら罰金を取ろう、という制度だ。まあ、弱小チームへの奮起
を促す意味だったのだろうが、ひどいと言えばひどい制度。金額は500万円。当時
の500万円というのは、今の貨幣価値に換算すると、おおよそ3億5千万〜4億
円といったところか。
とはいえ、最下位と違って勝率.350を切るというのは、毎年出るわけではないし
接戦のペナントレースであれば出ようがないのである。
ところが、翌年いきなり犠牲者が出た(^^;)。笑ってしまうのは、犠牲になった球団は
提案者・永田オーナーの大映スターズだ。140試合で43勝92敗5分けで勝率
.319。さらに翌30年にも141試合42勝98敗1分けの勝率.300ジャストの驚異
の弱さを記録したトンボ(高橋)ユニオンズが罰金をふんだくられた。
その翌年も高橋が危なかった。154試合で52勝98敗4分けの.351とギリギリ。
10月に入って残り7試合を5勝2敗で乗り越えたのが大きかったのだが、相手チー
ムがユニオンズに同情した、という話もあって、こうなるとプロ野球としての誇りも
何もあったものではない。
この年、罰金対象球団がなったこともあって、この悪制も廃止となった。
だが、早くも夏場あたりには、まるで消化試合のような不甲斐ない戦いを続ける
弱小チームを見ていると、この制度を採用したくなるのは私だけかな?
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