今 |
、大リーグにはいくつ球団があるか、ご存知でしょうか? 筆者が野球に興味を持った当時
は24球団だった。それがいまや30球団である。アメリカン・リーグとナショナル・リーグの2リーグ
制で、各リーグがそれぞれ東地区、中部地区、西地区の3つの地区に分かれている。
そして日本はご存知の通り、セントラルとパシフィックの2リーグ制であるが、分かれた
のは昭和25(1950)年からで、この年をもって、日本の近代プロ野球幕開けとしている人
も多い。
昭和24(1949)年の4月15日のこと。日本野球連盟の名誉総裁に就任した正力松太郎
(巨人オーナー)は「二大リーグの育成」を提言した。アメリカ大リーグを意識した発言だったが、
この正力オーナーの一言で、球界周辺はにわかに騒がしくなった。つまり、プロ球団を持ちた
いと名乗り出る企業が相次いだのである。終戦後、娯楽の少ない時期にイッキに盛り上がった
プロ野球人気を見て、「野球は儲かる」と思ったのだろう。
名乗り出た主な企業は、朝日新聞社、毎日新聞社、近畿日本鉄道、星野組、西日本新聞社、
大洋漁業、日本生命、大昭和製紙、富士フィルム、そしてなんと後楽園まで。
正力名誉総裁の構想としては、いきなり2リーグに分割するのではなく、当初は球団数を
10ほどに増やして、徐々に2リーグに意向するというものだった。
だが、やはり異論もあった。せっかくここまで人気が出たプロ野球、そんなに簡単に新参者に
甘い汁を吸わせてなるものか、ということだ。それまでの間、職業野球は偏見の目で見られ、
日陰者扱い。戦時中も弾圧されかかったこともある。そんな苦労の挙句、ようやく国民に受け
入れられ、利益も上がるようになったのだ。なのに、いきなり新人にいい思いをさせるのは
面白くないって感じでしょうな。気持ちはわかるし、もっともな気もするが、いさかか肝っ玉が
小さいかな(^^;)。
中でも、強硬に反対したのが、例によって巨人。いくつかの新聞社が加盟を申し出たが、
巨人の母体はご存知の通り、読売新聞社。同じ新聞社が球団を持つのは何としても避け
たい。中でもライバルの朝日、毎日だけは絶対にお断り、というわけだ。やれやれ。
無論、反対したのは巨人だけではないので念のため。
2リーグ化の検討会議は連日開催され、当初は新球団加盟賛成派が主流を占めたが、
徐々に反対派が巻き返し、最終的には4球団対4球団と、意見が真っ二つに分かれた。
これを持って、同年11月26日に日本野球連盟の解散が決まった。
同日、東京會舘別館で太平洋野球連盟(パシフィック・リーグ)の結成が発表された。
旧日本野球連盟での新球団加盟賛成派だった南海、東急、大映、阪急の4球団に加え、
新たに毎日(毎日新聞社)、近鉄(近畿日本鉄道)、西鉄(西日本鉄道)の3球団が参加
して都合7球団となった。
遅れること1ヶ月弱、12月15日にセントラル・リーグも新規球団を加えた7球団を発表した。
2リーグ化反対だった巨人、阪神、中日と太陽を買収した松竹の4球団と、新たに大洋(大洋
漁業)、西日本(西日本新聞社)、広島(市民球団)の3つを加えた7球団とした。が、翌年の
1月12日に、急遽、国鉄が加盟して8球団でスタートすることとなった。
しかしまあ、反対派も結局新規加盟球団を加えて再スタートしたんだから、なにもあれほど
反対しなくてもよかったのにねぇ。セントラルとパシフィックって、なんだか仲悪そうでしょ?
それって、こういう経緯があるからなんですよ。セントラルから見れば、パシフィックの連中は
勝手に出てったやつらってことらしいんですね。でも、昔の話だしねぇ、互いに誤った見識だ
ったとも思えない。単に行き違いってだけだと思うんです。今はそれほど仲が悪いとは思え
ないけど、もうちょっと歩み寄ってよって思うことも多いです。指名打者問題とか、交流試合
とかね。ファンのためにもやって欲しいことはけっこうあるのですが・・・。
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