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近は、ちょっと死球があったりすると、やれ遺恨だリベンジだとかしましいこと
ですが、なんと1試合に7個も死球をぶっつけたチームがあったのだ。
1979(昭和54)年5月12日に行われた、後楽園球場の日本ハム−ロッテ戦が
その試合。ぶっつけたのはロッテでやられたのが日本ハムだ。
いきなり初回、死球乱舞の劇は幕を上げる。ロッテ先発の三井雅晴投手は乱調
で、一死をとったのみでノックアウト。ワンポイントで左腕の福間納投手をはさんで、
死球劇の先陣を切った望月卓也投手がマウンドに上がった。横手投げの投手で
あるが、コントロールが今一つだった。しかしこの試合では「今一つ」どころではすま
されなかった。
二死2,3塁で登板し、迎えた打者は古屋英夫三塁手。カウントを0−2と悪くした
ところでインシュートを投げたところ、これが古屋の背中に大当たり。この時点でも、
ファイターズ・ベンチから「敬遠ならちゃんと敬遠しろ!」とヤジが飛んでいたが、もち
ろん冗談交じりである。
ところが。
二死満塁で打者は7番の加藤俊夫捕手だ。ここで望月は2球目のストレートを、
今度はわき腹にドスンだ。日本ハムベンチもいきり立ったが、押し出しで1点もらえ
ているので我慢した。ロッテの高橋博士捕手もマウンドに駆け寄り、望月を落ち着か
せようとしている。しかし、しかし。
さらに二死満塁で打席には8番の高代延博遊撃手が入る。望月には高橋捕手の
アドバイスも功を奏さず、なんと高代にまでわき腹にぶっつけてしまったのである。
さすがにムカッと来たファイターズ。ベンチから鈴木コーチがマウンドへ飛び出し、
「いいかげんにしろ!」と望月投手を一喝した。高橋捕手が駆け寄って鈴木コーチを
抑えたため、乱闘沙汰にはならなかった。
すっかりビビった望月は、この後に連続安打を食らって、一死も取れずにKOされた。
この時の3連続死球というのは日本記録である。
これでなんとか収まるかと思われたロッテの死球病はなおも続く。3回には4番手
の左腕・安木祥ニ投手が7番の加藤の左足にぶっつけた。加藤は2打席連続死球
である。そして5番手の倉持明投手が、5回に9番・菅野光夫二塁手の左肩に、8回
にも同じ菅野の左手に命中させた。これで6個だ。その8回に、倉持の後を受けて登
板した奥江英幸投手が、1番の島田誠中堅手の左ヒジに当ててしまった。
当時のファイターズ監督は、あの「親分」こと大沢啓二だが、熱血漢で知られる大沢
監督、ここまで何とか我慢してきたものの、さすがに頭に来た。サングラスを光らせて
マウンドに行きかけたところ、道仏主審が必死に食い止め、大事には至らなかった。
あ、試合結果ですか? こんなピッチャーどもで勝てるわきゃないです。2−14で
オリオンズ大敗でした。