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れも有名な記録なのであるが、権藤正利の欄でこの記録は後述と書いた手前
詳細を書きたいと思う。
大洋時代の話である。昭和30(1955)年がスタート。7月9日、熊谷球場で
行われた広島戦でリリーフに登り、打たれて負け投手になったのがケチのつけ
始め。その後、何度登板しても勝てず、この年は8連敗で終了する。
翌31年、3月22日、中日球場で行われた中日戦に先発した権藤は、好投して
9回完投しているが、不運にも児玉利一にサヨナラヒットを浴びて敗戦投手となる。
悪い予感がしただろうが、その予感は見事に当たって、なんとこの年は1勝も出来
ずに13連敗で終わってしまった。これで21連敗。
そして昭和32年もやっぱり勝てず、6月2日、甲子園球場での阪神戦に先発して
敗戦投手となり、この年7連敗目。とうとう28連敗である。
そして運命の7月7日、七夕が訪れた。地元・川崎球場での巨人戦。先発した権藤
を気合を入れた。2度のピンチを何とか切り抜けて9回まで投げ切り、ジャイアンツ
打線をシャットアウトした。打線も奮起して4点を権藤にプレゼントする。しかも、先制
打を放ったのは権藤本人である。
3年越しの連敗を、とうとうストップした権藤は、試合終了後にナインの胴上げを受
けた。
よくも負け続けたものだと思われるかも知れないが、逆に言えば、それだけ負け
ても登板させる価値のある投手だった、という信頼の裏返しでもあろう。
なお、1シーズン中での連敗記録は、昭和41(1965)年に阪急・梶本隆夫投手
が作った15連敗。