手兼監督というのは、最近はさっぱり見かけなくなったが、昔はけっこういた。
今をときめく(?)阪神の野村監督も、かつての南海時代は現役捕手で4番を打ち
    おまけに監督だったのである。

     後にも阪神監督となり、昨年亡くなったかの村山実もそうだった。昭和34
    (1959)年にプロ入りし、この年、昭和45(1970)年には投手兼任の監督
    に就任した。34歳というから若い監督さんである。

     この頃のタイガースは投手王国。あの江夏がエースとして君臨し、上田次朗
    もこの年の入団である。ベテランの若生智男や権藤正利もいたし、さらに村山
    がいたのだから強力だ。
     監督をやりながら、自らの調整や練習までこなすのはたいへんだったとは思う
    が、投手としても素晴らしい成績を残した。

     この年は、25試合に登板し、14勝3敗、防御率は0.98。この0点台の防御
    率というのは、未だかつて破られていない日本記録である。
    監督としても、優勝こそ逃したものの、巨人に次いで2位になるなど、立派な成績
    を残した。

     ・・・のだが、ここでトラブるのがタイガースの伝統か(^^;)。0点台の防御率など
    文句のつけようもないのだが、投球回数は156回(自責点17)しかないのだ。
    この最優秀防御率に加え、14勝3敗で勝率.824。これも最高勝率のタイトル
    を獲得することになった。
     江夏など、このシーズンは大車輪の活躍で、都合337回2/3も投げている。
    なのにタイトルに無縁だった。そこへ、自らローテーションや投手起用を決めら
    れる村山「投手」が、タイトルを独占するのは如何なものか、というわけだ。

     色々な見方が出来るが、江夏の言い分(江夏本人がそう言ったわけではない
    が)も、もっともな気はする、と言ったら、村山に酷だろうか。



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