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ーヒットで得点することは、ままある。エラー絡みであるとか、四死球を連発
するとか、野選やボーク、暴投に捕逸、打撃妨害というのもあろう。だが、いずれ
にせよ守る側には名誉なことではない。
しかし、ノーヒットで勝った、などというのは次の一例しかない。
昭和14(1939)年というから、日本では戦前、世界的には第二次大戦
の初年度だ。5月6日、甲子園球場で行われた阪急−南海の3回戦である。
投手戦になったこの試合、動いたのは4回表だ。ワンアウト後、鶴岡がサード
ゴロエラーで出塁する。続く中村金次はライトフライに倒れたが、国久松一が
右中間を割る三塁打を放った。二盗に成功していた鶴岡が生還して、南海が
先制した。
阪急は6回裏に反撃する。打順良く打者はトップの西村正夫。この西村が
四球で出塁すると、二番・山田伝(これがまた面白い選手。いずれご紹介し
ます)はすかさず送りバントを決めた。が、打球処理を焦った南海の宮口投手
はファンブルし、オールセーフになってしまう(犠打とエラー)。続く三番の上田
藤夫も送りバントをして一死二、三塁とした。
打者は4番の山下好一だが、動揺した宮口投手は死球をぶつけてしまう。
これで一死満塁。このチャンスに5番の黒田健吾は、きっちりとレフトへ犠牲
フライを打ち上げた。まず同点。但し、ノーヒットだ。
7回、阪急の攻撃。先頭の岸本正治は四球で出た。続く田中幸雄は三塁前
にバントしたが、この打球を抑えた南海のサード・鶴岡は一塁へ大暴投してし
まった。ボールがファールグラウンドを転々とする間に、一塁走者の岸本は長躯
ホームイン。とうとう勝ち越した。しかし、ノーヒットなのだ。
この時の暴投が、いっそベンチに入るとかスタンドインしてしまえばよかったの
だが(この場合は、ボールデッドで走者はテイクワンベースのみなので、三塁まで
しか進塁出来ない)、不運にもボールはグラウンドを逃げ回るばかり。
このまま阪急が逃げ切り、空前絶後のノーヒットで勝利するという珍記録が生
まれた。この記録の立役者(?)になった南海の三塁手・鶴岡一人は、後の
ホークス黄金時代を作った大監督である。