ち星とセーブ。どちらも投手の勲章だが、どちらが良いかと聞けば、やはり
勝ち星と答えるピッチャーが多いだろう。しかし、1試合で勝ち星もセーブも、
    となれば、どんなピッチャーもニンマリだが、そんなことは不可能だ。いや、
    不可能なはずだった。

     その不可能が起こったのが、昭和49(1974)年8月18日である。
    近鉄の前のフランチャイズだった日生球場での、近鉄−日本ハム戦。
    日本ハム先発は、後に西武でも活躍したアンダースローの高橋直樹投手。
    ゲームは、3回表にファイターズが2点を先制する。そして迎えた6回裏の
    バファローズは4番の強打・ジョーンズ。下手投げの高橋は左に弱い上、
    ジョーンズは大の苦手である。おじけたのか、たちまち0−2と、カウントを
    不利にした。

     まずいと見た日本ハムベンチは、二番手に左腕・中原勇投手をマウンドに
    送る。しかし、無失点の高橋を引っ込めるつもりもなく、サードを守らせた。
    アッパー且つプルヒッターであるジョーンズの打球が三塁に飛ぶ可能性は
    低いと踏んだからだ。
     中原は、打ち取るどころか四球を出してしまう。ここで高橋が再びマウンド
    に戻り、後続を断った。

     高橋はその後快調に投げ続け、最終回を迎える。ここでまたジョーンズを
    迎えるが、今度はベンチは動かない。が、案の定、高橋はホームランされて
    しまった。しかしながら、このソロホームラン一点のみで抑え切り、勝ち星を
    モノにした。

     さて、ここでルールを思い出してみよう。
    高橋は先発して中原に代わったが、5回2/3を投げているから、勝利投手
    の権利は得ている。しかし、その中原に代わって、3番手として最後まで
    投げ切っている(「完了」という)。この時のイニングは3回1/3だから、よく
    考えてみるとセーブの条件もクリアしているのだ。
     そのルールに従い、高橋は勝利投手とセーブを両方獲得してしまった。

     しかし、いくらなんでもこれは・・・という意見が出るのは当然で、その後
    ルール委員会で検討し、「勝利投手になった場合、セーブは与えない」と
    いう一文が加えられ、高橋は史上唯一の珍記録保持者となった。


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