手の分業化が進み、今や年間で10試合も完投する先発投手は数えるほどになってしまった。
私は別にこの傾向が嫌いなわけではない。プロで先発投手として大成するには、ほんの少し
    才能に欠ける投手たちも、中継ぎなら能力を充分に発揮することもあるからだ。私は、本質的
    に、彼ら中継ぎおよびクローザーたちが大好きなのだ。

     とはいうものの、やはりチームのエース、あるいは中心投手と言われる人たちには、完投を
    望む気持ちが多少なりともある。高校野球などで、打たれながらも完投するエースたちに、
    ちょっとした美学を感じて感動することも多い。従って、最近のプロ野球のエースたちに、どこと
    なく物足りなさを覚えていたのも事実である(まあ、大リーグはもっと少ないのだが)。
    ねぇ、あなただってそうでしょう?

     そんな中、中日の球団史を読んでいて、とんでもない投手を見つけた。是非、紹介したい。
    繁里 栄(しげさと・さかえ)投手、その人である。
     今でこそ、日本のプロ野球も上記のような状態であるが、黎明期や戦中戦後の選手の足りな
    い時期には、かなり強烈な登板を強いられた投手も多かった。

     昭和14(1939)年4月23日。この5ヶ月後に、ヨーロッパではヒトラー・ドイツが世界を相手
    に戦争を始める。そんな時代の話である。大浜球場での対南海Wヘッダー第一戦に、名古屋
    軍のエース・繁里は先発した。南海の先発・ルーキーの天川との投げ合いとなり、両チームと
    もにゼロ行進が続く。8回表に名古屋が均衡を破った。4番の加藤正二右翼手が左中間を抜く
    と、5番の大沢清中堅手がセンターへはじき返して、待望の先取点を挙げたのだ。
    繁里は、この1点を守り抜き、見事に南海を零封した。完投勝利だ。

     続く第二試合。名古屋のマウンドに登ったのはまたしても繁里だ。しかし、別にファンも南海
    も驚かない。このようなケースは、頻繁とは言わぬが、そう珍しいことでもなかったからだ。
    しかし、いくらなんでもWヘッダーで連投させなければならないほど、投手事情が悪かったの
    だろうか。はい、悪かったのです。ただでさえ選手(特に投手)が少ないところへ持ってきて、
    当時、名古屋は村松、西沢といった主力投手が相次いで故障しており、投手陣はまさに火の
    車だったのである。

     そう言った事情の中、繁里はプレートに立った。しかし、さすがに第一試合完投の疲れは
    抜けない。当たり前である。第二試合は第一試合終了後、わずか43分でプレイがかかっ
    たのだから。立ち上がりから四球を連発、あるいは連打を食らって、あと一押しでKO、という
    ところで繁里は踏ん張った。他に投手はいないのだ。彼が頑張るしかない。
     ここで援護しなけりゃ男じゃないってところだが、名古屋打線も繁里を見殺しにはしなかった。
    2回表に芳賀の2点打で先制すると、4回にも第一試合の殊勲コンビ・加藤&大沢の連打で
    チャンスを作った。ここで、繁里のボールを受けていた新人捕手の服部受弘捕手がセンター
    前に快打して3点目を奪った。さすがに疲労の色が見える繁里にはありがたい援護だった。
     しかし、疲れは隠せない。6回裏南海は、先頭の鶴岡一人三塁手がレフトスタンドに叩き込
    んで1点を返した。さらにヒットを打たれたが、なんとかこの回を投げきった。続く7回は下位打
    線、3人で打ち取ったが、上位に回る8回9回が問題だ。しかし、天は繁里に味方した。
    突然の大雨に見舞われたのである。結局試合はそのまま終了、7回コールドで3−1となった。

     第一試合は9回完投(というより完封)。第二試合はコールドになったとはいえ、記録の上
    では立派な完投勝利である。ここで惜しかったのは、鶴岡の一発さえなければ、Wヘッダー
    の2試合連続完封という、とんでもない大記録が作れたことだったが、それを言っても仕方が
    あるまい。なにしろ繁里は、この前日にも先発しており5回を投げていたのだから。
     ただ、この時は調子が悪く、イーグルス打線に5回を投げ4点を奪われていた。その繁里の
    あとを受けて登板したのが中村三郎なのだが、彼はさっきまで一塁を守っていたのである。
    つまり、繁里がKOされたら、あと投げられる投手がいなかった、ということを意味している。
    このことがあったからこそ、繁里は踏ん張ったのだろう。
     ちなみに、繁里はKOされた後、そのままベンチに戻ったのではない。なんとそのままレフト
    のポジションにつき、最後まで試合に出続けたのだ! ほとんど、高校野球というか、草野球
    と大差ない選手起用だったわけだ。それほど選手の数が少なかったという証左でもあるだろう。

     このエピソードを見て、現在の投手がだらしない、とは一概には言えないだろう。ただ、完投
    という言葉が、ノスタルジーの彼方に行ってしまうことだけは勘弁して欲しい。中継ぎ投手が
    活躍する場も欲しい。だが、同じように、完投して満足そうにマウンドを降りてくる投手だって
    見たいんだ。


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