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前書いた「番外編〜代打ホームラン」の項が、筆者の予想外に好評のようで、ああいうのを
もっとやってくれ、というリクエストをいくつかいただいた。そこで、しばらくの間、記録の項を
休ませていただいていたので、そのリクエストにお応えすることにしました。今回のお題は、
「消えたホームラン」。
ま、ようするにホームランを打ったには打ったんだけど、何らかの理由で取り消されてしまっ
たっていう、かわいそうな選手たちのお話です。
さて、この話でまず登場するのは、当然、このお方。長嶋茂雄さんですね(^^;)。
昭和33年に入団したゴールデン・ルーキーの長嶋は、その絶大な期待に見事に応え、打率
.305、29本塁打、92打点という素晴らしい成績をあげて新人王に輝きました。しかし、本来
であれば、この29ホーマーは30ホーマーになっていたはずなんですね。
この年の9月29日、後楽園球場で行なわれた対広島戦の5回。1−1の同点の場面で打席
に立った長嶋は、広島先発の鵜狩道夫投手からレフトスタンドに飛び込むホームランを放った。
満面の笑みでダイヤモンドを一周した長嶋だったが、球審のプレイがかかるとカープの藤井弘
一塁手が鵜狩投手からボールを要求した。ボールを受け取った藤井はそのまま一塁ベースを
踏み、一塁塁審に「彼はベースを踏んでないよ」とアピールした。塁審もこのアピールを認め、
アウトを宣告。驚いた巨人ベンチは抗議したものの、塁審も長嶋のベース踏み忘れを確認して
いたため、どうにもならない。試合も2−4で落としている。
なお記録だが、公式記録員も困ったようで、投手からの送球を一塁手が受けてアウトになった
のだからピッチャーゴロということにしたそうな。
長嶋に比べ、慎重居士の異名を持つ王貞治は、公式戦はもちろんのこと、日本シリーズや
オープン戦まで含めても、ムダ打ちが1本もない。雨天中止による無効ホームランもないのだ
から、これはすごいものだ。ただし、日米野球において、生涯ただ1本の無効ホームランがある。
昭和41(1966)年の11月14日、小倉球場で行なわれたL.Aドジャース戦でのお話。
3回、1死1,2塁のチャンスで打席に立った王は、ドジャース先発のウィルハイト投手から左中
間スタンドに3ランホームランを放った。しかし、1塁走者の柴田が打球を見ていたため、打者走
者の王が追い越してしまったのである。当然、アウトのチョンボで、王にはシングルヒット2打点
の記録しか残らない。しかし、結果的にこの2点打が効いて、巨人が3−1で勝っている。
もったいないのがサヨナラホームランの取り消しでしょう。
昭和42(1967)年7月19日、後楽園での東映ー近鉄戦。5−3とリードを許した東映最後の
攻撃は、連打で無死1,2塁という絶好のチャンスをつかんだ。ここで打席は3番の白仁天。
白は期待に応え、近鉄の若きエース・鈴木啓示投手からレフトスタンドへ豪快なサヨナラホーム
ランをかっ飛ばした。絵に描いたような見事なサヨナラ劇・・・のはずだったが、打球を見据えて
いた一塁走者の吉田正昭を、喜び勇んだ白が追い越してしまったのである。瞬間、二塁塁審
は「アウト!」と一声。ホーム付近に出迎えていた東映ナインは呆気にとられた。もちろん、二塁
走者の大下剛史と吉田の生還は認められたので5−5の同点にはなったのだが、その後の攻撃
はリリーフの板東里視投手に封じられてしまった。おまけに10回表に近鉄が決勝の1点をもぎ
取り、そのまま6−5で勝ってしまったのだから、東映としてはやりきれない。
同じようにもったいないのが満塁ホームランの取り消し。
これは昭和51(1976)年4月29日のこと。後楽園で行なわれていた日本ハムー近鉄戦は、
12−3と近鉄大量リードのまま8回裏ファイターズの攻撃に入った。大差がついたため、日本
ハムはスタメン選手を若手に切り替えていたのだが、その時、ショートのポジションに入っていた
のが行沢久隆なのだ。1死満塁の好機で打席に入ったルーキー・行沢は、見事にレフトスタンド
へ満塁ホームランを叩き込んだのである。行沢にとっては、プロ入り3打席目の初安打が初ホー
ムラン、おまけにそれが満塁ホームランという、堪えられない一発になったのだ。
喜色満面、大喜びでダイヤモンドを回った行沢は、打球を見ていた一塁走者の服部を追い越し
たことに気づかなかった。二塁塁審のアウトのコールに唖然とし、同時にかわいそうなくらいガッ
カリした顔を見せた(これは筆者もスポーツ紙で見ました(^^;))。
気の毒なことに、行沢はとうとうこの年ホームランは出ず、初ホームランは翌年まで持ち越し、
満塁ホームランに至っては、西武に移籍した昭和56年まで待たねばならなかった。
おまけに、この手の取り消しホームランで満塁ホームランが無効になったのはこの例だけなの
だから、本当に行沢はツイてなかった。
多分、日本でいちばんサイテーな無効本塁打記録がこれだろう。
時は昭和41(1966)年の5月10日。場所は川崎球場、カードは大洋−阪神戦である。阪神が
4−1と3点リードして迎えた9回裏、大洋の攻撃もすでに1死。タイガースのマウンドを守るのは
エースのバッキーである。しかし、ここから鯨打線が猛反撃に転じた。近藤昭仁二塁手がライト
前にヒットを飛ばすと、続く伊藤勲捕手はバッキー投手の投ずる3球目を捕らえてライトスタンドへ
2ランホームランを放った。さらに重松省三左翼手も、動揺するバッキーの3球目を打ち返して
レフトオーバーの同点本塁打をかっ飛ばしたのである。そして真打ちの近藤和彦中堅手も、ガック
リ気落ちしたバッキー(なぜ阪神ベンチはバッキーを代えなかったのだろう??)の、またしても
3球目をハッシと打つと、これもレフトスタンドに飛び込むホームランとなったのだ。
いずれも3球目を打った3連発ホームランでサヨナラ勝ち、という至極劇的な幕切れに
ファンも大洋ベンチも躍り上がった。ところが話はこれで終わらなかった。
何を思ったか、阪神ベンチが抗議をはじめた。なんと、バッキーが近藤和彦に3球目を投げる
直前に、ライトの藤井弘が右翼線審にタイムを要求していたというのである。手沢線審によると、
重松の同点本塁打で興奮したライトスタンドの大洋応援団から空き瓶が投げ込まれ、それを片づ
けるため、確かに藤井がタイムを要求、手沢も宣告していたというのだ。
収まらないのは大洋側だが、審判団協議の結果、手沢線審のタイムは有効、よってバッキーの
投じた3球目およびそれを打った近藤和彦の打撃結果はノー・カウントとなってしまった。
バッキー以上にガックリきた近藤和彦は、息を吹き返したバッキーを打てず、ピッチャーゴロに
仕留められた。おまけに、延長10回表、阪神は山内和弘に決勝ホームランが出てそのまま逃げ
切ってしまう。大洋と近藤にとっては踏んだり蹴ったりである。
面白い後日談がある。この事件の仕掛け人(?)である阪神・藤井も、今度は自分が関わった
3連続ホームランをフイにしているのだ。昭和43(1968)年9月8日、中日球場での中日−阪神
戦は折からの雨の中、決行された。中日が5−0でリードした4回表、遠井吾郎一塁手、ウィリー・
カークランド中堅手、そして藤井弘右翼手が3連続本塁打して2点差に迫った。しかし、5回表の
阪神攻撃中、雨が激しくなりノー・ゲームとなってしまった。ご存じの通り、ノー・ゲームで出た記録
はすべて無効である。よって藤井のホームランもナシ。悪いこと(!?)は出来ないものだ。
最後に、世界一の無効ホームラン記録を紹介しよう。このエピソードは山崎武氏の著書
「野球博士のおもしろエンサイクロペディア」に掲載されているものであることをお断りしておく。
1923年、アメリカのマイナー・リーグでの話である。ビル・ブリベック一塁手がその主人公。
1日目の試合。ブリベックはレフトフェンス直撃の二塁打を放った。のだが、実はこのブルーミントン
スタジアムは、両翼フェンスがわずか3フィート(約90センチ)しかなく、あまりにも容易に本塁打
が出てしまうとして、急遽工事が行なわれ、ちょうどこの日の試合直前に高さ10フィートのフェンス
が完成したばかりだったのだ。つまり、1日前ならホームランだったわけである。1本損した気分。
しかしブリベックは負けない。2日目の試合では、第一打席で文句なしのフェンス・オーバーの
一発を飛ばしたのだ。ところが天は意地悪い。ブリベックがホームインした15分後、突然降り出し
た大雨のためノー・ゲームになってしまう。続けて2本目の損である。
3日目は快晴になった。今度ばかりは雨天中止はないだろう。ブリベックは期待通り、7回に
左翼越の本塁打を放った。三塁コーチに祝福されながら、ブリベックはホームインした。が。
ここで相手三塁手が投手にボールを要求、三塁ベースを踏んでから三塁塁審に「ブリベックは
ベースを踏んでいない」とアピール、審判もこれを認めてアウトを宣告した。本当に踏んでいな
かったので、三塁コーチもブリベックも何も言えない。これで3本目の無情だ。
さて4日目。今度は一塁に走者をおいてブリベックの打球はレフトスタンドへ高々と舞い上がった。
結果的にぎりぎりスタンドインしたのだが、走者としては捕球される場合を考慮して打球を見極める
必要がある。一方のブリベック君、昨日の失態が頭から離れない。一歩一歩確実に踏み出し、
ベースを踏むことばかり考えていた。そして、気づいた時には一塁走者を追い越していた。
とうとう4本目の損失。
5日目。この試合、レギュラーの2番打者が脚を痛めて欠場していた。そして試合中、9番の投手
に打順が回ったところで、この2番打者が代打として出場した。これが凡退に終わると、「3番」を
打っているブリベック君、「よし、やつの次はオレ」とばかり打席に向かい、もののみごとに初球を
大ホームランした。いや、ホームランしたのだが、当然これは打順を飛ばしており、不正打席の
お粗末で、またしてもアウト。なんと5本目の無効。
そして6日目。熱戦は延長14回まで進んだが決着がつかない。当時はナイター設備などない。
ヘタをすると日没コールドになってしまう。審判は協議の結果、もう1イニングいけると踏んで、プレイ
をかけた。しかししかし、先攻の相手チームの猛打が炸裂、一挙に7点を奪う攻撃を見せた。
まずい、日暮れまで時間がない。しかし負けるわけにもいかない。その裏、ブリベック君は文句なし
の3ランをかっ飛ばした。今度はまったく問題なし。しかし時間がない。ナインは、試合の勝敗はとも
かく、この回を終了しなければブリベックのホームランは無効になることにようやく気づいた(ルール
では、延長に入った場合、表裏の攻撃が完全に終了しない場合は、その前の回で終了ということに
なっている)。
あわてて2アウトまでとられたが、ここでもはや真っ暗闇。どうにもこうにも試合続行ができない。
とうとう審判はゲームセットを宣告、記録は14回引き分けとなった。つまり、15回裏に出た、我らが
ブリベック君の3ランホームランは無効なのだ! 6本目のムダ打ち。
最初の二塁打はともかく、あとの5試合連続ホームランがすべて無効、それも記録が無効になる
例をすべて駆使しての取り消しホームランを放つという、記録マニアにとっては神様のような存在
のビル・ブリベック君(^^;)。後世の私たちのために、ウルトラ・スーパーな記録を残してくれた
我らがブリベック君に盛大な拍手を。
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