最 |
近では、プロはもちろん高校野球レベルでも全国大会では滅多に振り逃げはない。
3ストライク目を取り逃がした捕手は、まず間違いなく一塁へ送球し振り逃げを防ごうと
する。おまけに、打者走者はほとんどが諦めており、全力で走る選手は少ないことも
ある。
昭和35(1960)年7月19日、駒沢球場。行なわれていたのは東映−大毎戦。
ホームのフライヤーズが3−1とリードして向かえた8回表、オリオンズの反撃は
二死満塁、そして打者は主砲・山内和弘である。東映のマウンドを守るのはエース・
土橋正幸。そしてカウントは2−3だ。
まさに名勝負、次の一球でゲームが決まる可能性が高い。
ここで土橋はインサイドへシュートを投げ込んだ。このタマがキレよく、しかも厳しい
コースに決まったため、稀代のシュート打ち名人と謳われたさすがの山内も手が出ず
見送った。球審・井野川のコールは「ストライク!」
やれやれ、ピンチを逃れたと思いきや、この3ストライク目のボールを安藤順三捕手
が後逸してしまったのである。土橋はずかさず、安藤にボールを追うよう指示した。
が、ベンチの保井浩一監督(代理)は、「なにをぐずぐずしている。チェンジだ、さっさと
戻れ!」と命じた。狐につままれたような顔で、土橋や安藤ら、東映ナインはベンチに
帰った。一方のオリオンズ、二死だったから各走者は全員走っていた。
さて、ここで振り逃げの定義を思い出してみよう。「無死または一死で一塁もしくは
一・二塁、一・ニ・三塁に走者がいた場合、第三ストライクと宣告された投球を捕手が
後逸したり、またはその投球が球審か捕手のマスクに入り込んだ場合はアウトとなる」
つまり、この条項以外はすべて振り逃げ可となるのである。では、このケースでは
どうだろう。満塁ではあったが二死だったのだから、立派に振り逃げ可なのである。
場面を駒沢球場に戻そう。三振した山内はベンチに帰りかけたが、ベンチからは
走れ走れ!と声がかかる。もちろん、各走者たちは走っている。ここで山内も気がつい
て、慌てて走り出し、無人のダイヤモンドを一周してベンチへ戻った。
さすがに東映ベンチもおかしいと気づき、アンパイアに抗議を始めた。
まず、「振り逃げにはならないのではないか」と文句を言ったが、これは上記の通り、
きちんとした条文があるのだからダメ。次に「山内のバットに触れた。チップではないか」
とイチャモンをつけたが、もちろんこれも認められない。最後には「山内は走塁放棄に
なるのではないか」とまで言い寄ったが、山内はベンチに入ったわけではないのでjこれ
も却下された。
結局、58分の中断の後、試合は再開された。結果的に、この満塁振り逃げで得た
4点がモノを言って、5−3で大毎が逆転勝ちした。
戻る