稲 |
尾和久と言えば、日本プロ野球が生み出した偉大なピッチャーだ。年間40勝
など、数多くの大記録を持った右腕投手である。その稲尾は年間最多登板78
試合という記録も持っている。今回の話は、それにまつわるものだ。
1984年に、阪神の福間納投手は、年間77試合登板というセ・リーグ記録
を打ち立てた。福間と言えば、中継ぎで活躍した軟投派のサウスポーだ。
で、この福間の登板数が増えるにつれ、だんだんと大投手・稲尾の記録に近づ
くにつれ、一部の人間は一抹の不安を覚えるようになる。稲尾の記録が書き換え
られてしまうのではなかろうか?
この件で先頭に立って糾弾したのが、記録の大家・神様として名高い宇佐美徹
氏だ。宇佐美氏は、シーズン終盤、福間の記録が稲尾に届きそうになった頃、
時の阪神監督・安藤統男に手紙を送った。
「あなたは、中継ぎ投手に、あの偉大な稲尾の記録を破らせようというのか」と
いうのだ。
確かに稲尾の78試合登板の記録は、先発で30試合、うち完投が25試合も
あり、救援で48試合を投げ、トータルで404イニングである。対して福間は、
77試合中、先発は10試合でもちろん完投はゼロ。登板イニングも119回1/3
だから稲尾の足元にも及ばない。
そんな福間の作った記録と稲尾の記録を同一視できるか、という憤慨なのだ
ろう。しかし、みなさん、本当にそうだろうか?
西鉄の稲尾と言えば、誰でも知っている大投手であり、数々の記録を打ち立て
ている。巨人との日本シリーズでの伝説も合わせて、記録にも記憶にも残る古今
無双のピッチャーなのだ。その稲尾から、年間最多登板の記録を奪ったくらいで
どうだというのだろうか? 仮に稲尾の記録が破られたとしても、77試合に登板
した内容や実績は少しも揺らぐことはないし、また稲尾の価値が落ちることもない
だろう。
比べて福間はどうか? 彼は地味な中継ぎ投手として生涯を送っている。今で
こそ、リリーフや中継ぎ投手が見直されてはいるものの、当時は日陰者扱いだっ
た。そんな救援・中継ぎ投手が達成できそうな、唯一の記録といえば登板回数で
はないだろうか。毎試合のようにベンチ入りし、命じられれば登板する。過度の緊
張に耐えるタフな精神力と強靭な肉体が必要な、過酷な役目なのだ。
その中継ぎ投手の勲章を奪い取るようなことが、本当に正しいことなんだろうか?
当然、私は宇佐美氏を尊敬しているし、その気持ちは今でも揺るがない。だが、
この件だけはどうしても納得できないのだ。宇佐美氏であれば、中継ぎ投手の役
割やその過酷さは十二分に理解しているだろうに、なぜそこまで稲尾の記録に拘
ったのか? 宇佐美氏は私信として安藤監督に抗議したわけだが、これも考えよ
うに立派な内政干渉である。宇佐美氏に阪神の投手起用を左右する資格も権利
もないはずなのだ。
確かに、記録達成が噂された頃はすでに秋口で順位も決まっており、いわゆる
消化試合ではあったが、だからと言ってチームの采配に口を出すのは行き過ぎで
あろう。週刊ベースボールで記録のページを担当している千葉功氏も、宇佐美氏
の意見に賛成しているようなのは寂しい限りだ。
※その後、2002年のシーズンで、広島の菊地原毅投手が78試合登板の日本記録を
達成しています。
戻る