ドラフト問題   〜国会質疑と憲法22条、民法90条の適用について〜


 −  ついでですので、過去に国会で審議された内容をごく簡単に説明させてください。
    いちばん最初は昭和49年の衆議院法務委員会で、以降数度ありますが、突っ込んだのはそんなにあり
    ません。まず昭和53年3月2日の衆議院法務委員会でのやりとりです。社会党の円山法務委員が以下
    のような質問を行なっています。
    「新人選手に球団選択の自由を認めず、その犠牲において戦力の均衡化をはかることは民法90条に違反
    しない
のか
     この問いに対し、当時の瀬戸山法相、香川民事局長、鬼塚人事局長の各員は「90条違反に関しては消
    極的
である」と答弁しました。ただ、「ドラフト制度が新人選手に不利なのは間違いない。球界側の自主的
    改善が望ましい」という要望を出しています。

     さらに円山委員のあとを受けて同党・寺田委員が「ドラフト制度は独禁法二条六項に違反しないのか
    と質問しましたが、これに関しては戸田公正取引委員会事務局長が「違反していない」と明快に否定してい
    ます。
     この委員会では、主に選手の職業選択の自由に関してと、独禁法違反についての質疑だったようです。

     昭和54年5月30日の衆議院法務委員会では、主に選手の人権面についての質疑でした。「日本野球
    機構の監督官庁である文部省が、人権面からドラフトを見直すよう示唆すべきだ」との武藤委員の質問に、
    佐藤法務委員長は、「ドラフトに関しては今後理事会を設けて検討したい」との回答がなされましたが、進展
    ありませんでした。

     同年7月11日の衆議院法務委員会では、とうとうプロ野球側から参考人が召喚されました。この時、
    下田(コミッショナー)参考人が「ウェイバー方式は、球団が企業努力をしないでいいととらえかねないので望ま
    しくない」と答えています。ちなみにウェイバー方式とは、各球団が順繰りに欲しい選手を指名していくもの
    で、事実上、指名された選手は指名した球団としか入団交渉を行なえません。

     以上のように、おおむね選手の人権問題と、職業選択の自由に関する争点のようです。独禁法違反という
    ユニークな見解も出ましたが、これは明確に否定されており、後追いの質問も出ていません。


多村−わかりました。ではまず、職業選択の自由の問題から触れておきたいと思います。
    憲法22条1項は、「何人も、公共の福祉に反しない限り、……職業選択の自由を有する
   と規定しています。
    ここでいう、「職業選択の自由」の意味については、いろいろな説明のされ方がありますが、ごく
   簡単に言えば、自己の従事すべき職業を決定する自由を意味するとされます。それでは、ここに
   言う「職業」とは何なのかということですが、具体的には、サラリーマンであるとか、公務員である
   とか、または、医師であるとか、弁護士であるとか、といったことでしょう。
    とすれば、プロ野球選手というものが、この職業に当たるものということになりそうです。
   従って、プロ野球選手になる決定を妨げることは許されません。

    それでは、ドラフト制度がプロ野球選手になるという決定を妨げるものといえるでしょうか。ここ
   は解釈の分かれるところだと思います。ドラフト制度があることでプロ野球選手になる道を実質
   的に断たれて
しまっていると言えるのかどうかです。この判断のためのは、ドラフト制度の正確
   な理解が必要となります。

    さて、話は変わりますが、ここで1つ抑えていただきたいことがあります。憲法上の権利、いわ
   ゆる人権と呼ばれているものは、原則として(あくまでも原則論です)、国家との関係で問題と
   なるもの
です。というのも、憲法は、国家と私人(一般市民と思ってください)との関係を
   規律するもの
だからです。
    国家権力は非常に強大な力をもっています。そして、権力というものは常に濫用される危険がある
   のです。とすれば、個人の権利と言うものが不当に制限、侵害されないように、憲法という強固な
   ルールを予めつくっておいて、国家権力の動きに歯止めをかけようということになります。これが
   憲法が作られた由来なのです。

    とすれば、職業選択の自由も、原則としては、国家に対して向けられているのです。プロ野球選手
   になるということを、国家が妨げてはならない、ということを意味するに過ぎません。憲法22条
   1項を直接の根拠に、国家以外の行為を止めることはできないのです(くどいですが、原則論です)。
    というのも、私人(人)はそれぞれ尊厳をもった平等な存在のはずだからです。平等であるなら、
   私人と私人との間には力関係の差はないはずです。そして、力関係の差がないのなら、私人同士の
   話し合いでルール(契約)を決めて行為してくれれば、うまくいくはずなのです。

    ところが、実際には、私人同士であっても、力関係に差があるのは明白です。例えばマスメ
   ディアのような巨大企業(一法人ですよね。法人も自然人とは肉体を持たないなどの差がありますが、
   権利・義務の一帰属主体であるという点では変わらないのです)と一個人との関係を、対等だと思う
   人はいないでしょう。
    そこで、以上の原則を前提としつつも、国家対私人という関係の場面以外でも、人権規定が適用
   されないかが、問題となります。つまり、私人と私人との間においても人権規定を適用して、ある行
   為を止めることができないか、という問題です。これが、人権規定の私人間適用の問題と言われてい
   るものです。

    なぜ、こんな話を差し挟んだのか、お分かりいただけますよね? ドラフト制度というものは、
   国家が法律で定めている訳ではありません。つまり、国家による制限ではないのです。社団法人
   日本野球機構
という公権力以外、一民間団体による制限ですよね。
    そこで、仮に、職業選択の自由が侵害されていると先に判断しても、野球機構とプロ野球界入り
   を希望する者との間に憲法22条2項が適用されるのか、を判断しなければならないのです(おそ
   らく、順番的には職業選択の自由に反するということが明らかになった上で、論じる問題だと思い
   ます)。

    私人間に適用されるか否かですが、学説、判例ともに一般には「間接適用説」というものが有力
   視されています。これは、私人間に憲法規定を及ぼすためには、憲法をそのまま適用するのでは
   なく、私法上
の一般条項を解して適用しようとするものです。憲法というものが、あくまでも
   国家対私人との関係(公法関係)を規律するものであり、安易に私人対私人(私法関係)に適用
   されてはならない
という理解に基づきます。なぜかといえば、私人対私人との関係に憲法規定を
   安易に持ち出すことは、国家権力によって一方私人の自由を奪うことになるからです(先のマスメデ
   ィアと一個人の関係で、憲法規定を適用した場合を考えてください。確かに、その一個人は救われる
   ように思われますが、一方でマスメディアという一法人は、その自由を奪われるのです。なるほどと
   思われるかどうかは分かりませんが、それだけ国家権力に対する不信感というものが思想背景にある
   ということです)。

    さて、では、私法上の一般条項とはなんぞや、ということになると思いますが、それは、民法90
   条(公序良俗に反する契約は無効)のような規定のことを指します。例えば、「ドラフト制度は公序
   良俗に反する」として、選手契約を無効にしてしまうわけです。

 −  なるほど、わかりました。安易にドラフト等のプロ野球問題を憲法で判断するのはおかしい、ということですね。
    そのために、民法や独占禁止法などがある、というわけですか。ではその民法90条に違反するのではないか
    、という疑義が出た件に関してはどうお考えになりますか?

多村−なぜ「民法90条に違反しないのか」という話が出てくるのか、私なりに補ってみたいと思います。
   野球選手契約も、売買契約(民法555条)や賃貸借契約(民法601条)のような契約の一種
   ですが、契約が有効であるためには、いくつかの要件を満たしている必要があります。その要件の
   1つとして、契約の内容が常識を外れていてはならないというものがあります。少し難しく言うと、
   「社会的妥当性を有すること」とか、「公序良俗に反しないこと」と言われているものです。
   そして、この要件は、民法90条で規定されています。

 民法90条
  公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反スル事項ヲ目的トスル法律行為ハ無効トス


    条文をご覧頂ければ、お分かりになると思いますが、「公ノ秩序」=公序と、「善良ノ風俗」=
   良俗に反してはならないとはっきり規定されていますね。「法律行為」というのは「契約」とニアリ
   ー・イコールとお考えください。公序とはとは国家社会の一般的利益秩序を、良俗とは社会一般の
   道徳観念を指すとされています。そして、人倫に反するもの、正義の観念に反するもの、暴利行為、
   基本的人権を侵害する行為、射倖的行為(賭博行為)などがこれに当たるものと考えられています。

    そうです、基本的人権に反するような契約は、民法90条に違反し無効になるのです。職業
   選択の自由(憲法21条1項)は、基本的人権に当たりますから、仮に職業選択の自由を侵害したと
   認められれば、民法90条でもって選手契約が無効とされるのです。

    答弁に立った法相らが具体的にどのような構成で「消極的」としたのかは分かりませんが、おそら
   く、プロ野球界の健全な発展のためにドラフト制度の占める意義が大きいということを理由に、
   公序良俗に反するとまでは言えないと考えたのでしょう(これは、職業選択の自由を侵害する
   ものでもないということを述べたに等しいです)。


 −  つまり、当時の法相は、ドラフト制度はプロ野球の健全な発展に役立っていると判断してもいいのでしょうね。
     まあ、この辺は時代によっても人によっても異なるでしょうが、法相という責任ある立場の人間がそう発言した、
    というのは特筆してよいでしょうね。


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