相振り飛車への私感



24th February 2004



 最近、相振り飛車が注目を集めているのは、ちょっとでも将棋界に興味のある人なら知っていると思う。
 それと言うのも、羽生、谷川を代表とする将棋界の第一人者たちが次々と相振り飛車を採用しているからである。その中でも最初に相振り飛車に目をつけたのは羽生だった。
 羽生が相振り飛車に目をつけた理由は、「力戦になるから」ではないかと聞く。
 相振り飛車は研究全盛の現在でも定跡が体系化されておらず、本人のセンス・経験によるところが大きいと言われる。

 そんな中でも「道しるべ」的存在として、小林健二『定跡・相振り飛車』、杉本昌隆『相振り革命』『新相振り革命』などの定跡書があった。(見たことはないが、内藤國雄『相振り飛車』と言うのもある)
 それらの相振り飛車の定跡は、基本的に『▲向かい飛車△三間飛車』と言うのが基本である。これが相振り飛車の基本中の基本、常識である!と、長らく言われてきた。
 おそらく、現在でもその『常識』は変わっていないと思っている。
 だが、こんな常識的な相振り飛車は、トップ棋士たちの間では行われていない。それは何を意味するかと言うと、相振り飛車にも変革が訪れていると言うことではないかと思う。

 1~2年前ごろは、羽生が相振りをやったとか、谷川が相振りをやったとかと言うのは年に1~2度の話であったようだ。
 それが、あるとき羽生がインタビューで「相振りに興味がある」と言った。
 このときが、『現代相振り飛車』の始まりであったのだろうと思う。

 羽生が火をつけ、次々と振り飛車党以外のトップ棋士たちが採用するようになった『現代相振り飛車』は、今までの相振り飛車(仮に『近代相振り飛車』とでもしておく)とは一線を画している。
 『近代相振り飛車』と『現代相振り飛車』の違いは何か、事細かいデータをあげて説明することはできないが、えばぁ自身の感じ方から解説してみたいと思う。



現代相振り飛車1 ~金無双の否定~

金無双(文鎮囲い、二枚金)金無双 3九玉型美濃囲い美濃囲い

 NHK将棋講座(何月号かは忘れた)の、NHK将棋トーナメント観戦記『佐藤康光×丸山忠久』の中に、『現代相振り飛車は金無双を否定することから始まった』とあった。
 その日、えばぁもリアルタイムでNHKを見ていて、佐藤が飛車を振り、しかも丸山まで飛車を振ったことに驚いていた。なんせ、えばぁは「丸山後手? じゃあほぼ横歩取りじゃん・・・寝ようかな。」と思っていたからである。
 もちろん解説の森下も驚いていたのだが、その森下は解説中、こんな言葉を言った。

 『継ぎ歩アンド垂れ歩。これ、今日覚えていってもらいたいですね』

 ・・・いや違う。確かに大切だと思うがこんなことを言いたいのではなかった。
 森下はあの相振り飛車の解説中、『金無双には進展性がない』と言ったのである。

 近代相振り飛車においては、『対抗形の振り飛車側の囲い=美濃囲い』であるのと同じような感覚で『相振りの囲い=金無双』と言われていた。それくらいオーソドックスな囲いで、お手軽だったのである。
 『相振り革命』の最初のほうでは、囲いの説明もなされている。
 そこには、金無双の進展性は『ある』と書かれている。これがなぜ『進展性がない』と言われ、現代相振り飛車ではあまり見られなくなってしまったのか。

 その原因は、『相振り飛車においての、美濃囲いの再評価』にあると思われる。
 『美濃囲い』と言っても一般的な2八(8二)玉型美濃囲いではなく、3九(7一)玉型美濃囲いのことを指す。
 この囲いが現代相振り飛車では見直され、比較され、そして金無双を駆逐しているのではないかと考える。

 美濃囲いは長年『上部に弱い』と言われ続け、近代相振り飛車では採用数の少ない囲いであった。
 だが現代相振り飛車では採用数が増え、前述の佐藤(金無双)×丸山(7一玉型美濃囲い)も、結果論ながら丸山の勝ちに終わり、美濃囲いの優秀さを物語っているように感じないでもない。
 じゃあ、『金無双の欠点は?』と考えてみると、大体誰でもこう言うはずだ。

 『壁銀』

 誰が見てもすぐわかる『壁銀』が、金無双の最大の欠点だ。
 あの壁銀は上から攻められているうちはまだいいが、横から攻められることになると邪魔者以外の何者でもない。
 『金無双は壁銀の活用法がポイント』と『相振り革命』で言っているが、そんな活用を考えるより敵陣を攻めるほうを考えたい、それが現代相振り飛車の感覚なのではないだろうか。

 これに加え、『意外と3九(7一)玉型の美濃囲いは玉が遠い』と言うことが認識されたのだろう。
 そして美濃囲いは上部に全然耐久力がないわけでもなく、横にはご存知の通り強いので飛車切りの猛攻も可能。

 現代相振り飛車はこれらの思想によって金無双を否定し、美濃囲いを主流としたのではないかとえばぁは感じている。  (※ 金無双は『絶滅した』わけではないのでご注意)



現代相振り飛車2 ~矢倉は嫌→三間飛車衰退?~

矢倉囲い矢倉囲い(相振り)

 『矢倉囲い』と言う囲いがある。
 矢倉囲いは上部に強い囲いで、飛車の正面に玉を囲う相矢倉の将棋では常識的な囲いだ。
 たとえばだが、相矢倉の局面を左右逆にして角を飛車側に置くと相振り飛車っぽくなる。(すごく強引)
 要は、相振り飛車も相手の飛車の正面に玉を囲うので、矢倉囲いは有効なのだと言いたいのである。

 近代相振り飛車においても矢倉囲いの思想は存在した。
 近代相振り飛車の基本とされた▲向かい飛車△三間飛車において、先手が矢倉に組む順が『相振り革命』でも紹介されている。近代相振り飛車基本形においてもっとも作戦勝ちを狙えるのはこの 矢倉囲いを狙うことだったのだ。

 これまたNHKトーナメントの話だが、この▲向かい飛車△三間飛車が『山崎隆之×藤井猛』戦で現れた。
 この将棋は、『先手が矢倉に組めるかどうか』の将棋であったと言っても過言ではない。
 後手の藤井は矢倉に組ませないよう駒組みを進め、山崎はそれでも強情に矢倉を狙いに行き、そこから乱戦になった結果、玉砕した。

 なぜ山崎はそれまで矢倉にこだわったのか、それは『組めれば作戦勝ち』だからである。
 藤井が矢倉を阻止に行ったのも、『組まれたら作戦負け』だと思ったからに違いない。

 そしてまたまたNHKの話、今度は『藤井猛×森内俊之』戦の話である。
 序盤はえばぁが見ても「おいおいめちゃくちゃだな~」と思う藤井の序盤であったが、飛車先は切られたものの矢倉になりそうな雰囲気になっていた。
 そこで、森内は矢倉が完成する前に角切りを敢行し、(おそらく)無理であった攻めをなんとかつなげ、勝利した。

 なぜ森内は角を切り、パッと見無理と思われる攻めを敢行したのか。
 それはなにより、『矢倉を作られたらいけない』と思ったからであろう。

 ここまで書けばわかってもらえただろうか。
 現代相振り飛車には、『完全な矢倉を作られたらやばい』という思想があるのではないかと考えているのだ。

 その矢倉を一番狙いやすいのが、三間飛車が相手のときである。
 と言うことは、『現代相振り飛車では、相手に矢倉を作られやすい三間飛車に振るのは損なのでは?』と言う考えが浮かんでくる。
 自然に見える飛車先交換が、相手の矢倉への第一歩であるからだ。
 飛車先の交換も簡単な気持ちでは出来ず、角の打ち込みにもあまり強くなく、持久戦になればなるほど(例えば)向かい飛車との角の威力の差が出てくる三間飛車は損な戦法なのではないだろうか。

 そう考えたえばぁは、2ch棋譜スレから、2003年にA級棋士が指した相振り飛車の棋譜を探した。
 とはいえ棋譜スレに全ての棋譜が並んでいるわけでもないので正確なデータではないことはご了承願いたい。
 その中で、三間飛車が登場した棋譜は以下である。

JT杯  久保×羽生 △三間  向かい飛車に振りなおし
JT杯  羽生×藤井 △三間  先手が矢倉に組む。後手は矢倉崩しに
王将戦 平藤×藤井 △三間  向かい飛車に振りなおし
NHK杯 久保×森けい二 △三間  先手が矢倉に組む
銀河戦 久保×羽生 ▲三間  後手が矢倉に組む
NHK杯 山崎×藤井 △三間  先手が矢倉を狙いに行く。後手は三段銀で矢倉を阻止
NHK杯 田中魁×久保 △三間  先手が矢倉を組む
銀河戦 小倉×久保 △三間  乱戦
王位戦 羽生×平藤 ▲三間  後手が左玉に
竜王戦 鈴木大×森内 △三間  乱戦
順位戦 藤井×羽生 △三間  先手が矢倉を狙う
王位戦 小倉×羽生 △三間  5三銀型で先手の矢倉阻止

 と、パッと見ていただくとわかるように、何かと『矢倉、矢倉』と出てくる。
 三間飛車の勝率そのものは悪くはないのだが、とにかく矢倉を狙われる可能性が高く、ちょっと間違えば作戦負けになってしまう可能性は避けられない。
 『序盤の手が広い』とされ、近代相振り飛車では向かい飛車と双璧を誇っていた三間飛車は、現代相振り飛車においては、矢倉に組ませない5七(5三)銀型や3筋位取りなどの様々な工夫が必要だと考えられ、軽い気持ちで振れる場所ではなくなってきていると感じる。



現代相振り飛車3 ~四間飛車の増加~

 近代相振り飛車において、四間飛車は『損である』と考えられていた振り場所だった。
 攻めが遅れがちになり、先攻を許すと考えられていたからである。

 しかし現代相振り飛車において、トップ棋士の四間飛車の採用率は驚くほど上がっている。
 前述の佐藤×丸山(NHK)も相四間飛車であり、森内×谷川も相四間飛車であった。相振り飛車を指しているA級棋士で四間飛車の採用が見られないのは、常々『向かい飛車が最強』と公言している鈴木大だけであった。
 (鈴木大は先後構わずほとんど向かい飛車。)
 あとは藤井であれ久保であれ、相振りでも四間飛車に振っている。
 この採用率の増加はなんなのであろうか。

 まず考えられるのは、『囲いの変化による、戦い方自体の変化』ではないか。
 相金無双も見られた近代相振り飛車では、『2歩持って攻める』と言うのが基本であった。
 そのためお互い飛車先の歩を換え、金無双の弱点である6(4)筋(玉のコビン)を、それこそ森下曰く『継ぎ歩アンド垂れ歩』で攻める・・・と言うのがよく紹介される攻めであった。

 しかし現代相振り飛車の主流は美濃囲いに移った。
 それでも確かに継ぎ歩攻め、垂れ歩攻めはあるが、以前の金無双よりは響きが薄いと考えられる。
 そのためセコセコ歩を換えて・・・と言う攻めは消え、それより角の使い道を広げるほうに重点が移ったのではないかと思う。
 そして、三間飛車は角交換に強くないというのが定説であり、それに代わって四間飛車の採用率が増加しているのではないだろうか。

 もうひとつの考え方は、とても簡単だ。
 単に『無難だからじゃないの?』と言う考えである。

 世の中、対抗形でも四間飛車が最も多いのである。
 だから、相振り飛車でも四間飛車は無難なのではないか・・・。
 また、矢倉を狙われる三間飛車や、序盤平易ながら、早々に自分から動くのは得意でない向かい飛車よりは、お互い▲6五歩(△4五歩)をポンと突くだけで角が向かい合い緊張感が走る四間飛車のほうが序盤からの戦いに柔軟性がある・・・と言う見方も出来る。
 この無難説は、谷川、森内、佐藤、丸山ら居飛車党またはオールラウンダーたちがこぞって四間飛車をよく採用する・・・と言う事実を考えたものであるが、どうだろうか。



簡単なまとめ

 悪形である壁銀が原因で金無双が否定され、3九(7一)玉型美濃囲いのバランス・遠さが見直された。
 こうして囲いの主流が美濃囲いに移ったことにより、序盤早々から歩を換える近代相振り飛車の戦い方は減少し、それによって損と見られていた四間飛車の採用率が増加した。
 そして『完全な矢倉に組まれると追いつきづらい』と言う思想による、三間飛車衰退の可能性。

 この3つが、今のところえばぁが感じている『現代相振り飛車の要素』である。
 しかしまだ『現代相振り飛車』というものは発展途上であり、今まであげた要素がいつ、また変化するかわからない。
 現状ではまだ試行錯誤の状態であり、未だ『経験とセンスが問われる戦法』であることは変わっていない。
 えばぁは今後も振り飛車党のひとりとして、この現状が今後どう変わっていくのか見守っていきたいと思う。


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