第一部  6章シュマーレンバッハの「動的貸借対照表論」

会計の都合で時代の流れを止めるわけにはいかない。従って、時代の流れの間尺に合わなくなった会計の枠組みは変更せざるを得ない。静態論会計という会計の枠組みは、社会経済の発展によって変更せざるを得なくなる。すなわち、経済基盤の安定に伴う継続企業の実現、企業の大規模化にともなう固定資本の増大、長期信用制度の発展、資金調達方法の多様化、利害関係者の量と質の変化などの社会の仕組みそのものの進化・発展によって、時代の目は、企業(会計)を長期的に捉えるようになる。企業を長期的に捉える動態論会計の土壌はでき上がった。静態論から動態論への会計のパラダイム変革の立役者に、シュマーレンバッハやペイトン及びリトルトンなどがいる。動態論会計への転換により、それまで「惰眠」をむさぼっていた複式簿記は覚醒するのである。
 
シュマーレンバッハの「動的貸借対照表論」は、ペイトン=リトルトンの「会社会計基準序説」とともに近代会計学の聖典とされ、後世の会計に絶大な影響を与えてきた。シュマーレンバッハの学説は、「ドイツ動態論」といわれ、端的に言えば「資産を前払費用とする」学説であるとされる。

 


 

 

1、パラダイム革命
 人々に共有されている世界観、ものの見方、共通の思考前提、思考の方法論などを総称して「パラダイム」(Paradaigm)という。
 Paradigmは、ギリシャ語「パラ;para、横に」と「ディクヌーナイ;deiknunai、並べる」の合成語で、並べ方ということから「パターン」等を意味した。ここから、「枠組み」のほかに「範例、模範」の意味になる。
 科学史家トーマス・クーンが、パラダイムの概念を引っ提げて論壇に登場したのは1962年であり、日本には「科学革命の構造」(1971年 みすず書房)で照介されている。

 トーマス・クーンによれば、科学の歴史を分析してみると、科学はある支配的なものの考え方のもとで、累積的に変化する流れと、基本的なものの見方を変化させる二種類の変化が伴うような発展形態をとることを指摘し、革命的な変化を「パラダイム革命」と呼び、その代表例として、コペルニクスやニュートンを挙げている。
 また、パラダイムには社会科学や政治的体制論にも応用され、一般に「思考の枠組み」という意味で使われている。
 トーマス・クーンは、パラダイム革命が起きる前提として、「どの場合にも革新的な理論というのは通常の問題を解く仕事がうまくいかないことがはっきりするようになってはじめて出現する」という。
 「ある特定の食い違いに対しては、天文学者たちは、プトレマイオスの複雑な円の組み合わせの体系に特別な補正を加えて、それをできるだけなくそうと努めた。ところが時が経つにつれて、天文学者たちの通常科学的研究の努力の結果として、天文学はおそろしく複雑になり、一方を直せば他のほうに食い違いがまた現れるという有様になったことに気が付いた」(1971  みすず書房  中山茂訳 トーマス・クーン「科学革命の構造」)
 また、新理論出現の前提として、問題意識、危機意識が存在するという。クーンは、この状況を「前パラダイム状況」と呼んでいる。

 コペルニクスの場合には、従来のプトレマイオスの理論では、恒星に対してはうまくあてはまるが、惑星の場合は、位置や春分点の歳差に関してうまくあてはまらないという、テクニカルな謎解きと改暦に対する社会的要請、特に歳差の問題を差し迫って解かなければならないという前パラダイム状況の中から「地動説」を展開したのである。
 会計の場合にも、パラダイム革命が起きた。それは、従来の債権者保護思想を背景とした財産計算思考に根ざす静態論会計が、時代の間尺に合わなくなったと主張する人々によってなされる。
 静態論会計から現代会計の基本的思考である動態論会計への転換を迫った革命者に、ドイツのシュマーレンバッハとアメリカのペイトン及びリトルトンがいる。
 シュマーレンバッハの「動的貸借対照表論」とペイトン=リトルトンの「会社会計基準序説」は近代会計学の聖典とされている。
 「危機にあるパラダイムから新しいものへと移るのは、新しい通常科学の伝統をもたらすものであるが、それは古いパラダイムの整備と拡張で得られる累積的な過程とは、はるかにへだたっている。むしろそれは新しい基本からその分野を再建することであり、その再建とは、その分野の最も基本的な理論的前提と、パラダイム的方法やその適用の多くを変えることである。その移行期間の間は、新旧のパラダイムで共に解ける問題がかなり重なり合うものである。しかし解答の仕方には決定的な差異がある。移行が完了すると、その専門家集団は、その分野に関する考え方、方法、目標をすっかり変えてしまう」(1971 みすず書房  中山茂訳トーマス・クーン「科学革命の構造」)
 静態論から動態論に移行して久しい現代においては、「静態論」とか「動態論」とかいう言葉はほとんど死語に近い。それは、動態論が完全に支配しているからである。
   

2、シュマーレンバッハ

会計学を学ぶものにとって、シュマーレンバッハは近代会計学の祖として有名である。
 「周知のようにシュマーレンバッハの動態的会計理論は、1919年に始まり、当時のドイツや西ヨーロッパにおいて経営学や会計学の学問的立論の基盤を構築したばかりでなく、経済学や法律学関係の諸学問にも大きなインパクトを与えた。この動的貸借対照表理論は、その後20年もおくれて1940年アメリカのペイトンおよびリトルトンの会計理論に引き継がれていった」(1995  中央経済社  内倉滋「シュマーレンバッハ動態論」)
 説明に先立ち、シュマーレンバッハの人となりを説明する。人名辞典から要約してみる。
 SchmalenbachEugen:ドイツ1873〜1955  経営経済学者、ハルヴァー近郊シュマーレンバッハに生まれる。ライプチッヒ大学卒。1904年ケルン商科大学経営経済学教授、1933年ナチスのユダヤ人排斥の際追われる。1948年復職。主著『動態貸借対照表論』Dynamische  Bilanz (1919)は会計学史上不朽の名著である」

 

3、前パラダイム状況の出現

 さて、1861年のドイツ商法では、当時の商人に貸借対照表の法的基礎として、複式簿記ではなく、財産目録を要求していた。
 そして、財産目録(貸借対照表)の資産の評価は、その時点における売却時価によるものとされていた。
 「かの有名な1873年のドイツ帝国商事裁判所の判決は、『貸借対照表は実際の財産状態の客観的真実に一致すべきである。したがって市場価格または取引所価格を有する財産は、原則としてそこから明らかになる価格で貸借対照表に記載されるべきであり、他方その他の財産については、現在の客観価値(objective Wert)は他の方法で探求されるべきである。……貸借対照表の基礎にあるのは実際、全積極部分及び全消極部分の擬制的、瞬間的、一般的換価の思想である』と述べており、それは一般的に売却時価を意味するものと解された」(1994  東京経済情報出版 小林健吾編著「日本会計制度成立史」)
 この考え方における財産指向的貸借対照表は、債権者保護思想であり、この思想の背景には、1673年に制定されたサヴァリー商法典の流れがある。

 つまり、負債については債権者に返済しなければならないものであり、債権者に返済すべき資産が企業に十分に担保されているかどうかを確定することが法の要求するところであった。
 法(商法)は、社会の信用状態の安定・確保を目的とするところであるから、法の要求するところは企業の担保力である。
 こういった商法の考え方における会計は、売却時価で計算される貸借対照表があれば事足りるわけであり、損益計算書はことさら必要とはされない。従って、財産計算と成果計算を同時に行うシステムである複式簿記は無視されたのである。
 ところが、社会経済の進展に伴って、前パラダイム状況が出現する。
 前パラダイム状況は、1870年ドイツ改正商法であり、株式会社の設立を従来の許可主義から一定の要件さえ満たせば株式会社の設立を許可する準則主義の採用から問題が発生した。
 この準則主義の採用によって、多くの株式会社が設立され、それらの多くが財産を時価評価し、評価益を配当し、そのため、債権者を害する結果となったのである。
 「1870年改正商法(株式法)は、株式会社の設立をそれまでの許可主義から準則主義に変え、同時に設立後の政府による監督も廃止した。そのためは、数多くの株式会社が設立されたが、それらの会社の多くは、財産を時価で評価することにより生じた評価益を配当する傾向が強かった。そのために、債権者を害する結果となった。また、鉄道会社にとって配当金の計算は営業活動からの利益を基準にすべきであるのに、固定資産を時価評価することにより計算された利益は営業活動からの利益を表さなくなる、という主張が鉄道会社の側からなされた。このような事情から、商法は固定資産について原価差引減価による評価を認めることになったのである」(1994  東京経済情報出版  小林健吾編著「日本会計制度成立史」) 

 このことが、1861年普通ドイツ商法の「付すべき価値」論争を生んだのである。
 すなわち、財産を時価(売却価値)で評価することは、市場価額が存在するものについては、ある程度の客観性が保証されたにしても、市場価額が存在しない使用資産である固定資産について、評価する経営者の判断となる。資本運用の受託者である経営者は、当然ながら恣意を介在させることになる(つまり、よく見せることになる)。
 財産を時価で評価し、債権の担保力を測定するという財産指向的会計では、結果として債権者の権益を守ることができないという前パラダイム状況が出現するに至ったのである。
 「1861年普通ドイツ商法第31条の「附すべき価値」を売却価値と解釈する客観価値説に対して最初に反論を加えたのがシェフラー(Hermann  Scheffler)である。彼は鉄道会社の従業員であったが、そこでの経験から、設備を正しく評価すること、種々の準備金を計算すること、配当金を正しく計算することが重要であることを知り得たのである。そこで、彼は、普通ドイツ商法第31条の「附すべき価値」は何も具体的な価値を規定しているのではないという解釈から出発し、彼独自の価値概念すなわち主観価値説(Subjektive   Werttheorie)を展開した」(1994  東京経済情報出版  小林健吾編著「日本会計制度成立史」)
 1861年普通ドイツ商法の「付すべき価値」論争は、「貸借対照表論争」と呼ばれ、1870年商法では有価証券について、売却価値ではなく「相場を超えざる額」として評価するように改め、1884年商法では固定資産について減価償却(原価差引減価による評価)が認められるなど、法的にも徐々にではあるが前パラダイム状況から脱却するように改められていく。

 こういったいきさつの中で、特筆すべきは、1884年商法の中に「損益計算書」の用語が初めて登場したことである。
 すなわち、財産計算から損益計算への会計目的の転換の考え方が芽生えてきたのである。

 

4、シュマーレンバッハの基本思考

 ここにシュマーレンバッハが登場する。
 経営経済学者であるシュマーレンバッハは、商人は経済性の尺度として利益に最も関心を寄せている事実に着目した。
 「多くの商人にとっては、損益計算を行うときはどれだけ儲けたかを知り得ることはもちろんである。これはもっとものことであり非難すべきではない。自由経済においてはそれは経済組織の支柱となるのである。しかしながらそれはわれわれの興味をひくものではない。商人の損益計算のわれわれに対する本質的な目的は、商人的経営の成果の正しい経営操縦richtige  Betriebssteuerungの目的のために確定する必要である。小さな関係においても、経営が商人的経営と呼び得る程大きい場合には、その経営が健全であってなお収益をあげつつあるか、それとも沈滞しているか、あるいはすでに損失を見つつあるかについて概観を失うことがよくある。衰頽しつつある経営で、その原因を追求する機会を有する人は、商人はその経営がもはや有利に働いていないことの認識が遅く、もっと早く認識しておれば梶の変え方によってその不幸を避け得たという場合を意外に多く発見するのである」(1956  森山書店 土岐政蔵訳 シュマーレンバッハ「十一版・動的貸借対照表論」)
 シュマーレンバッハは、利益が商人の経済的支柱であり、損益計算こそ経営への役立ちであることを主張した。シュマーレンバッハの「動的貸借対照表論」は、こうした主張に立って貸借対照表を新たに解釈しようとしたのである。

 シュマーレンバッハは、「貸借対照表法規の初期の発展においては、債権者保護が一役を演じたことはその限りにおいては正しいことである」とし、財産貸借対照表を否定するのではなく、財産法的会計思考に近代化を迫ったのである。
 すなわち、資産を市場価額に基づいて評価することによって債権者の担保力を測定しようとする当時の財産法の限界を察知し、新たな視点から貸借対照表論を展開した。
 財産法的会計は、まず鉄道業を始めとする巨額の固定資本を有する企業の会計からその限界が主張される。すなわち、時価評価による財産法によれば、物価変動の影響がもろに利益に影響し、利益と経営成績が連動しないのである。
 また、金融機関の企業に対する貸し出しの巨額化、長期化、株式会社が社債を発行することによる債権者の不特定多数化などによって、債権者の質が変化し、こうした債権者は企業の短期支払能力よりも、企業の長期存続に関心が移行したこともある。
 こうした社会経済の進展、すなわち、企業の大規模化、債権者の質の変化、時価に左右される利益では受託者である経営者はそのアカウンタビリティをまっとうできないという状況の中で、シュマーレンバッハの動的貸借対照表論が展開された。
 すなわち、企業というものが永遠に成長発展すべき運命を生来的に持っていて、利益こそがその経済的支柱であると考え、時代の流れの中で新たに浮上してきた企業の使命・本質から会計を解釈しようしたのである。

5、「一致の原則」

動的貸借対照表論の考え方は、「期間の合計は全期間になる」という「一致の原則」(又は「合致の原則」)を基点とする。
 「一致の原則」は、企業の設立から解散までの全期間利益は、収支計算に基礎をおく限り、各期間が独自に計算した期間利益の合計に一致するという考え方である。ここでいう期間利益とは、成果計算としての期間利益である。
 すなわち、「社員達は企業の解散に至るまですでに、この会社が如何に発展しつつあるか、よく管理されつつあるか、売上や価格が如何であるかを知りたいのである。営業遂行自体のためにこれらの計算を行って、これによってその営業の処理をきめて行かなければならない。これに加うるに税法があり、商法上貸借対照表規定がある。これを要するに全存続期の経過してしまう前に、全存続期でなくてその一部の期間の損益計算を行わねばならない。そこで全存続期間の計算にかわって期間成果計算 Periodische  Erfolgsrechnung が発生する。すなわち存続中の企業の成果計算が行われるのである」(シュマーレンバッハ「十一版・動的貸借対照表論」)として、経営操縦のため、税のため、商法上の必要性から、絶対的・客観的な全期間損益計算にかわって、期間損益計算が行われるべきであるとしたのである。
 企業の設立から解散にいたる全期間損益計算においては、全体収入から全体支出を差し引いたものが、絶対的・客観的な利益である。
 しかし、期間損益計算においては、その期間に発生した収入、支出をもって成果を測定するわけにはいかない。何故なら、期間中に発生した経営の努力と成果は必ずしも収入と支出に結びつかないからである。この例として、機械装置等の固定資産の問題があり、信用経済のもとにおける掛け(売掛け、買掛け)の問題がある。期間損益計算(期間成果計算)を行おうとすれば必ず未解決の項目が発生する。
 この、未解決項目が存在するが故に、期間計算における成果の成分を「収益」及び「費用」とするものである。
 シュマーレンバッハは、「収益」を「企業が価値を創造したもの」、「費用」を「企業が価値を喪失したもの」と定義した。企業の(期間の)成果は、収益と費用の差として求めることにより、「利益=収益―費用」という損益法原理を導いたのである。
 この損益法原理が、従来の財産法原理(期末純財産―期首純財産)に修正を迫ったのである。
 さらに、収益、費用は計算結果の真実性を保証するために、収入と支出を基準として測定されるべきであるとした。
 この収入支出基準が守られる期間利益の合計は、全期間利益に一致するのである。
 この「一致の原則」が、現代会計学の基礎となり、発生主義をはじめとして、取得原価主義、実現主義などの会計理論の支柱となるものである。
 また、この原則は、損益計算書を復活せしめ(複式簿記の復権)、「貸借対照表を女王の座から召し使いの座に引き降ろした」のである。
 「企業の成果を計算することが商人の緊急の使命なりと唱えることは、これによって同時にその成果の成分Komponentenたる収益と費用とを定めることが非常に重要であることをいうのである。そしてこれらの成分を示すのは貸借対照表ではなくて損益計算であるから、これによって次のような原則が生ずるのである。すなわち、締切計算において優先を得るものは貸借対照表ではなくして損益計算である。損益計算は貸借対照表の内容を決定せねばならないが、貸借対照表は損益計算の内容を決定するものではない。
 貸借対照表は年次決算の女王Herrinではなくて、召使いDienerinであるということは、成果貸借対照表の意味である」(1956  森山書店 土岐政蔵訳 シュマーレンバッハ「十一版・動的貸借対照表論」)

 

6、貸借対照表の役割

シュマーレンバッハの動的貸借対照表論は、「資産を前払費用と考える学説である」と端的に表現される場合がある。
 「一致の原則」から展開される「動的貸借対照表」は、一体どう様変わりするのか、「資産を前払費用と考える」貸借対照表の役割とは一体何か。
 シュマーレンバッハは、財産状態ないし資本状態の表示、すなわち「財産計算」を目的として作成される貸借対照表を「静的貸借対照表」とし、「損益計算」を主目的として作成される貸借対照表を「動的貸借対照表」と定義している。
 「貸借対照表が経営の状態を、それは長期にわたる状態であっても、一時的のものであっても、表示する職分を有する時、われわれはかかる貸借対照表を静的貸借対照表Statischeと称する。……静的貸借対照表の下では、商人が貸借対照表的な方法によって、その財産を決定せんとすることが主役となる」
 「貸借対照表が経営において演じたる運動を表す職分を有するときわれわれはそれを動的貸借対照表Dynamischeと称する。動的貸借対照表もまた運動自体を示さないで、ある状態を示すことがある。ある期間の初における状態と、その期間の終における状態から、われわれはその期間中に起こった運動を推定する。これらの運動の下では経営の成果を決定する諸々の力に由来するものは常に前面に立つ。それはずっと前面に立つので動的貸借対照表を成果貸借対照表Erfolgsbilanzと称え得るのである」
(1956
  森山書店 土岐政蔵訳 シュマーレンバッハ「十一版・動的貸借対照表論」)

 シュマーレンバッハのいう動的
Dynamischeという言葉は、「損益計算」と同義であると解釈される。企業家にとって、役に立つものは成果測定としての損益計算であり、そのために貸借対照表は作成されるべきであるとしたのである。このために作成される貸借対照表を「動的」(成果)貸借対照表と称した。
 さて、動的貸借対照表に収容される項目は何か。
 シュマーレンバッハは、貸借対照表を期間損益計算上発生した未解決項目の収容表としたのである。
 すなわち、シュマーレンバッハの期間損益計算の考え方は、期間内に生じた収益(企業価値の増加分)、費用(企業価値の喪失分)を収入・支出と関連させながら、期間収益と期間費用の差額として、成果=期間利益を計算することとした。
 この計算構造において、収入と収益、支出と費用が同一期間内に生ずるとは限らない。必ず未解決項目が生ずる。未解決項目とは、例えば、商品を販売したが未回収のもの、商品を購入したが未払いのもの、機械装置等の資産は次期以降も使用できるものであるから期間内にすべての価値が喪失したことにはならない、従って収益未対応相当分は次期に繰り越す必要がある。
 こうした未解決項目を貸借対照表に収容することによって、次期の期間損益計算へ橋渡しができるのである。
 


 そして、未解決項目を次期に確実に引き継ぐことにより、損益の二重計上や脱漏を防止することができる。期末の未解決項目収容表たる貸借対照表が、次期期首貸借対照表に引き継がれる限り、全期間損益計算における収入から支出を差し引いて求められる全体利益と、期間利益の合計は一致することになる。

 当期末貸借対照表と次期首貸借対照表は同一でなければならないとする「貸借対照表同一性の原則」には、こういった論理展開が潜んでいるのである。 
 未解決項目の収容表となった貸借対照表は、収入、支出と収益、費用の関係から次のようなフレームになる。

                                         動的貸借対照表の構造  

1、支出・未費用 (設備資産、前払費用など) 5、費用・未支出(未払費用、買掛金など)
2、収益・未収入  (売掛金、未収収益など) 6、収入・未収益(前受金、前受収益など)
3、支出・未収入(貸付金、商品など) 7、収入・未支出  (借入金、資本金など)
4、貨幣(現金、預金など)  

 例えば、前受手付金の場合は、この期間の収入であるが、財貨の引き渡しが行われていないことから、収益は実現していない。従って、収益が実現するまで貸借対照表の「収入・未収益」に整理しておき、次期以降において財貨の引き渡しが行われた時点で損益計算書に引き継ぐことになる。
 機械装置等の設備資産の購入の場合は、当期の支出であるが、当期において価値のすべてを喪失したわけではないから、期間損益上は「支出・未費用」として貸借対照表に整理し、当期における価値喪失分のみを損益計算書に引き継ぐことになる。
 このようにシュマーレンバッハの動態論では、期間損益計算の観点から資産を定義づけており、資産を費用の固まりとみるのである。従って、「動態論は資産を前払費用と考える学説である」と端的に表現されるのである。
 この考え方によって、従来みられなかった繰延資産を資産とみることができるのである。
 なお、貸借対照表には、損益計算の観点から未解決項目のみを収容するのではないことに注意する必要がある。例えば、貸付金で未回収のものは「支出・未費用」として、借入金で未払のものは「収入・未支出」として貸借対照表に収容されるが、これらは損益計算には無関係の損益中性項目である。
 また、この動的貸借対照表には、貨幣項目は借方のどの項目とも分類できないので例外項目とされている。

 

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