第一部  第4章  商法会計の原型

商法会計は、制度会計のなかでも特に重要な位置を占める。商法会計の歴史は、証券取引法会計及び税務会計よりもはるかに古く整備され、1673年の「サヴァリー法典」において商人の詐欺破産防止を主目的として始まったとされている。
 このサヴァリー法典を基礎として静態論会計ができあがるのであるが、動態論会計が支配する現代の会計にあっても、静態論的な考え方は捨て切れていない。特に最近では、国際会計基準の導入や含み益・含み損などのディスクロージャーの観点から、静態論会計からの逆襲がある。

 


 

1、  商法会計

そもそも会計学は、一方においてフランス、ドイツにおける商法会計規定の制定・解釈学として発展し、他方においてイギリス、アメリカにおける会計士会計学として発展してきた。
 日本の会計制度は、明治23年(実質的には32年)に商法が制定され、フランコジャーマン系の商法会計の時代が長く続いたが、第二次世界大戦後はアメリカ会計学(証券取引法会計)が導入され、現在の会計制度はこの両者に税法(税務会計)がミックスされ、三つの会計制度が鼎立している。これをトライアングル・レギュレーションと呼ぶ。
 日本の商法は、ドイツ商法をその原型として、明治23年に制定されている。ドイツ商法は、1673年フランス商事王令(サヴァリー法典)を引き継いだナポレオン商法のもとに成立している。
 商法会計の歴史は、フランス商事王令において商人の詐欺破産の防止を主目的として始まり、その後株式会社の会計問題に関わりながら、債権者保護を基調としてその目的を拡充してきた。 

2、サヴァリー法典の成立


  およそ安定した商業活動を行うためには、商品や営業財産及び債権に対する法的保護を必要とする。商取引の当事者は、絶えずさまざまな紛争に巻き込まれざるを得ないから、これを合理的に解決する法制度として成立したのが商法である。
 商法が最初に法典化されたのは、1673年の「フランス商事王令」(制定に尽力したジャック・サヴァリーの名をとって「サヴァリー法典」ともいう)である。サヴァリー法典は、慣習法や地方・都市などの規則の統一がその主目的だったのではなく、むしろ、当時のフランス経済に弊害を及ぼしていた、破産、とりわけ詐欺破産や財産隠匿の防止に力点が置かれていた。
 当時のフランスは、17世紀に入ってようやく絶対主義国家の基盤を整え、先進国に伍して世界商業戦へ割り込みを策していたルイ14世の時代である。
 ルイ14世は、「朕は国家なり」「太陽王」の言葉があるように、絶対専制君主ぶりを発揮し、保護貿易によって得た富は、ヴェルサイユ宮殿を造らせ、フランス文化の中心とするなど、多方面に偉才を発揮した人物である。
 ところで、当時のフランスは表面の華美に反して宮廷の腐敗もはなはだしく、財政が乱れ、産業も不振で、破産、とりわけ詐欺破産や財産隠匿が横行していた。
 「ルイ14世の場合にこそ、愛妾の影響が、王の外面的生活の形成にあずかっているありさまを、いわば記録文書の文句そのままにうかがうことができる。ラ・ ヴァリエールへの愛がルイ14世をヴェルサイユ宮殿の建造に駆り立てた。………そして、新しい愛人が現れて王の心をとらえるたびに、かならず奢侈の新しい洪水が見られた。愛人が新しく変わるたびに、浪費の度合いは拡大される一方であった。フォンタンジェ嬢にいたっては、金貨をすべての窓から投げ捨てさせた」(1987論創社 金森誠也訳 ヴェルナー・ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義」)
 そこで、財政の立て直しを図ったのが大財政家コルベールである。彼は財政を整理して、国民の利害を国家に結び付け、民力を計って適当に課税し、国内の商工業を保護奨励した。さらには、外船の関税を引き上げてその数を抑え、地中海、インド方面への通商を盛んにした。この財政政策を「コルベール主義」といい、「重商主義」の典型とされた。
 さて、コルベールは、当時のフランス経済にさまざまな弊害を及ぼしていた破産、とりわけ詐欺破産や財産隠匿の防止を図るため、商法整備に着手した。
 この、商法の整備に参加したのが商業に精通するジャック・サヴァリーである。1673年に完成した「商事王令」は、彼の実績から「サヴァリー法典」と呼ばれる。
 
「経済の衰退に伴う企業の破産、これに加うるに、財産の隠匿、持出し、詐欺破産といった不正に対し、法律の干渉が決意され、もって、信用制度の回復、経済秩序の維持が図られたのであった。従って、この王令は、このような状況下にある企業に、指針を与え、不正なかんずく詐欺破産を防止し、これを厳しく取締まることによって、企業をそれから守ることを目的とした、またそれは商事裁判制度を確立するものであった」(1975同文館 岸悦三「会計生成史〜フランス商事王令会計規定研究〜」)
 サヴァリー法典の正式な名称は、「商人の商業のための規則として役立つフランス及びナヴァルの王ルイ十四世の王令」(Ordonnance  de  Louis  XIV. ROY  DE  FRANCE  ET  DE  NAVARREServant  de  Reglement  pour  le  Commerce  des  Marchands )という長い名前である。
 また、サヴァリーは、王令の注釈書として2年後の1675年に「完全なる商人」を著している。
 サヴァリー法典は、その後1807年にナポレオン法典に引き継がれ、ヨーロッパ諸国の商法制定の模範とされ、やがて日本の商法にも影響を与えた。 

3、サヴァリー法典の内容

当時のフランスは、産業も不振で、加えて破産、とりわけ詐欺破産、財産隠匿といった不正が横行していたから、法律をもって信用制度を回復し、民力を計ることが急務とされていた。
 コルベールの重商主義政策は、フランスの財政を立て直すことを目的として、商工業の振興、保護育成を図るとともに、他面においてこれに厳しい規制を加えた。

 サヴァリー法典は、このような状況下において作成されたものであるから、詐欺破産や財産隠匿を防止し、これを取締まることによって、企業をそれから守ることを目的としたものである。
 しかし、サヴァリー法典が会計史上画期的なものとして扱われるのは、商業帳簿及び財産目録の規定が、近代国家の法令のなかに置かれたことにある。
 この法典は、立法趣旨を述べた前文と12章122条からなっている。
 重要な条文については次の通りである。
 「第1章第 4条:商店主志望者は、自己の従事しようとする商業にふさわしい程度に、複式簿記及び単式簿記による帳簿及び記録に関して、為替手           形、為替証書に関して、オーヌ尺の次項に関して、リーヴルとマルクの重量に関して、商品の寸法に関して、試問をうけなければ          ならない」
 「第3章第1条: 卸売並びに小売を行う大商人、普通商人は、すべての自己の取引、為替手形、債権、債務、家事費に支出した金銭を記載した帳簿を          備付けなければならない」
 「第3章第8条: また、すべての普通商人は、6カ月なる同期間内に一切の動産、不動産、債権、債務について、自署したる財産目録を作成しなけれ          ばならない。そして、これは2年ごとに、照合され、再調製されなければならない」
 「第11章第12条:詐欺破産者は、特別訴訟手続によって訴追され、死刑に処せられる」
 (1975同文館 岸悦三「会計生成史〜フランス商事王令会計規定研究〜」)

 法典の内容については、帳簿を作成しない場合は、破産を宣告されるばかりでなく、詐欺破産者とみなされ、死刑に処せられるという厳しいものであった(死刑の条項はナポレオン法典では削除されている)。

 さて、サヴァリー法典において特徴的とされるのは、まず近代国家の法律上に「複式簿記」の文言が現れた最初であること、さらに、財産目録の備付規定についても同様である。
 サヴァリー法典の財産目録の特徴は、今日の財産目録と貸借対照表からなっている。
 サヴァリーは「完全なる商人」の中で、財産目録に関して次のように述べている。
 「終りに、財産目録を作成する普通商人が開業日以後または既に財産目録が作成されたことがあるなら、最終の財産目録作成後、利益を得たか、損失を出したかを知るために、それの貸借平均表Balanceを作成せねばならない」(1975同文館 岸悦三「会計生成史〜フランス商事王令会計規定研究〜」)
 財産目録の貸借平均表には、借方、貸方を設けて、借方側には現在の財産目録に含まれる商品、債権、現金など、貸方側には、負債、資本を示すことによって利益を計算すべきであるとしている。
 そして、「棚卸に携わる者は主人自身であることが望ましい。しかし、主人が全部行い得ない場合には、このことを最も信頼のおける代理人を選んでさせなければならない」(岸悦三「会計生成史」)ほどの慎重さをもって実地棚卸をすべきであり、もって全財産を網羅した財産目録が要求された。この財産目録を左右対称に表示したものが貸借対照表である。
 つまり、サヴァリーは「貸借対照表は財産目録を要約して作成」されるとした。この点が会計的に重要なところである。
 「サヴァリーの財産目録の特質は、それが今日われわれがいう財産目録と、貸借対照表から成っていることである。すなわち彼はいわゆる財産目録に続いて、それを要約し、資産、負債、資本、当期利益を借方、貸方に示す貸借対照表を挙げ、これを“Balance du present inventaire”「現在の財産目録の平均表」とした。この場合の“de”(du)「の」は、出所、起源を示すと同時に所属をも表わすと考えられる。従ってこれは「現在の財産目録から作成された貸借対照表」であると同時に、「現在の財産目録に所属する貸借対照表」なのである。すなわち、貸借対照表は財産目録の不可欠の構成要素(Bestandteil)なのである。換言すれば、財産目録は貸借対照表を含むのである」(1975同文館 岸悦三「会計生成史〜フランス商事王令会計規定研究〜」)
 このような貸借対照表は、財産(または状態)貸借対照表と呼ばれるものであり、資産は債権者に対する担保力を有するもの、負債は債権者に返還すべき債務であると考えられ、もって純財産を確定することになる。

 このように、サヴァリー法典の思想は、すべての商人に帳簿作成を義務づけ、財産目録に基づき作成される貸借対照表において純財産を表示せしめ、債権者の信用回復につとめ、産業を賦活することにあった。
 サヴァリーは、商法の祖と呼ばれ、同法典は、商法の基礎となったばかりでなく、その後「静態論」と呼ばれる会計思考の基礎となった。 

4、静態論の確立

原始商法たるサヴァリー法典は、その後ヨーロッパ諸国の商法の基礎となり、世界の商法典として継承発展していく。
 「原始商法たる本王令会計規定はその後のヨーロッパ諸国の商法によって継承され、発展せしめられた。
 まず1794年、本王令の影響の下にプロシャ一般国法簿記・会計規定が成立した。ここには年次財産目録作成規定と評価規定がおかれた。ついで1807年ナポレオン商法、1835年のギリシャ商法が制定され、年次財産目録が規定された。
 更に年次財産目録およびそれに基づく貸借対照表作成が1867年7月24日付フランス会社法、1838年オランダ商法、1850年トルコ商法、1860年セルビア商法、1862年ならびに1908年のイギリス会社法、1872年のベルギー商法、1874年のノルウェー商法、1883年のイタリア商法、1888年スペイン商法、1887年ルーマニア商法、1888年ポルトガル商法、1897年ブルガリア商法、1903年ロシア商法、1909年スウェーデン商法の諸法において規定された。1895年のフィンランド株式会社法においては年次帳簿決算が規定されているにすぎない。これら諸法の規定はすべて実地棚卸による財産目録の作成を前提としている」(1975同文館 岸悦三「会計生成史〜フランス商事王令会計規定研究〜」)

 しかし、各国の商法は、財産目録は実地棚卸によって作成されるべきであるとしながらも、「付すべき価値」についての正確な規定を欠いていた。

 ところが、1861年の普通ドイツ商法において、財産目録における資産は「付すべき価値」という無色透明な規定としながらも、当時の学説及び判決の通説は「売却価値」であるとし、また、1873年の帝国商事裁判所は、「貸借対照表における財産評価は、客観的真実に一致すべきもので、市場価格または取引所価格である」とした。すなわち、「現在価値を正確に示すものでなければならない」ものと規定した。
 「ドイツにおいて会計学すなわち貸借対照表論(Bilanzlehre)の出発点となり、さらにわが国の商法に大きな影響を与えた1861年普通ドイツ商法(Allgemeines  Deutsches  Handelsgesetzbuch)において、当面の考察で必要な条文はつぎの通りである。
  (第28条:略)
 第29条:すべての商人は開業の時に、不動産、債権及び債務、金銭の額およびその他の財産を詳細に記載し、同時に財産の価値を附し、かつ財産およ      び債務の関係を表示する決算書を作成しなければならない。ついで商人は毎年かかる財産目録およびかかる財産の貸借対照表を作成しなけ      ればならない。
       営業の性質上、商人が毎年財産目録の作成を行うことが適当でない在庫商品を有するときは、当該在庫商品の財産目録を2年ごとに作成すれ      ば足りる。
       商事会社については、これらの規定は会社財産に関して適用される。
 
第31条:財産目録および貸借対照表の作成に際しては、すべての財産および債権は、その作成のときにそれらに附すべき価値によって記載されなけれ      ばならない。
       不確実な債権はその見積価値によって記載され、回収不能な債権は償却されなければならない。
 第217条:一定額の利子は株主に対して約束され、さらに支払われてはならない。年次貸借対照表によって、かつ会社定款に準備金の留保が定められ     ている場合にはその額を控除した後に、純剰余(reiner UeberschuB)として生ずる額だけが、株主に分配され得る」
 
(1994  東京経済情報出版  小林健吾編著「日本会計制度成立史」)

 1861年普通ドイツ商法においては、「財産および債務の関係を示す決算書」の作成を要求し、財産の評価については「市場価格」で評価すべきで、債務については「その時点で返済すべき負債」を意味していた。
 また、第217条では、「貸借対照表によって……純剰余として生ずる額」として、純財産の時点比較の差をもって純剰余の計算(成果計算)を行うとしている。
 従って、この財産指向的商法の考え方により、財産計算と成果計算の両者を同時に行うところにその計算体系の見事さがある複式簿記は、成果計算の存在を否定されてしまったのである。
 すなわち、リトルトンのいう、「15世紀末葉に出現した簿記が、その後数世紀にわたる惰眠をむさぼっていた」という「惰眠期間」に入ることになるのである。
 このような評価の考え方で導かれる貸借対照表の純財産は、「もしその時点で資産をすべて売却し、すべての負債を返済したら、なんぼ残るか」ということ、従って、企業の解散を前提とした純財産の計算を意味するのである。
 すなわち、(財産目録から作成される)貸借対照表に表示される数字は、企業の清算、売却を仮定されなければならないとする「静態論会計」ができあがる。
 静態論会計における貸借対照表について重要なことは、貸借対照表能力と評価の問題である。「貸借対照表能力」とは、貸借対照表に何を記載すべきか、または何を記載すべきでないかという問題である。静態論会計における、すなわち債権者保護思想における資産には、有形財産と債権にかぎられるのである。つまり、換金して債権者に返済し得るものに限られる。他方、負債については、一切の返済すべきものを記載されなければならない。
 評価の問題は、貸借対照表に記載される金額を決定することである。この決定に際して、「付すべき価値」論争が、1861年普通ドイツ商法を起点として連綿と繰り広げられることになるのである。
 また、静態論のもとでは、期間損益計算は財産計算の結果から派生する副産物であり、基本的には損益計算書の作成は不要であり、たとえ作成されたとしても、それは財産増加の原因を説明する付属物でしかない。
 静態論会計は、債権者保護思想を背景として財産計算の思考に根ざすものであり、商法会計の考え方である。
 「静的貸借対照表論(静態論):シュマーレンバッハが貸借対照表を財産計算の見地から説明する見解を、静的貸借対照表論(静態論)と命名した。ただし、彼の財産計算は収益還元価値計算であったが、以降いかなる型にせよ、貸借対照表に財産(資本)計算あるいは表示の機能を認めようとする見解がこの名で総称されるようになった。それゆえ、この中に含まれる学説は多種多様である。発生順に大まかに分ければ、客観的売却価値説・個人価値説、この延長上に立つ営業価値説・新静態論となる」(1990  中央経済社 「会計学辞典[第二版]」)
 いままで、現在の会計制度の一つとされる「商法会計」のルーツを明らかにした。現代会計の主人公たる動態論(成果計算)の考え方に変わるのは、シュマーレンバッハという経営経済学者の出番を待たなければならない。


 

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