第四部 第2章 自由か計画(統制)か

 歴史の振り子は自由と計画の間を行き交う。アダム・スミスの「神の見えざる手」に対して不信が出始めると、政府による経済統制が行われる。政府による経済統制が行き過ぎると、「予期せざる結果の法則」によって経済は逼塞し、統制が解除されアダム・スミスは復権する。経済学の祖アダム・スミスは、時の必要に応じて引っ張りだされる。国家による経済統制は、自由と計画の間を行き交うのである。会計は経済の流れの中で、時の経済の内容に応じて変質していく。今、世界の経済システムは、「小さな政府」「市場経済」「機会の平等」の流れの中にある。日本版ビッグバンは、遅ればせながら世界の経済システム(つまりアメリカ型経済システム)に全面降伏に近い形で追随しようとしている。国際会計基準の導入もその流れの中にある。

 


 

 

1、自由競争社会(アダム・スミスのテーゼ)

 1989年にベルリンの壁が崩壊し、1991年にソビエト連邦は解体、社会主義は崩壊した。1917年、レーニンは11月革命によって社会主義国家を建設した。この国家は無益な競争を無くし、計画経済によって平等で豊かな国家を築こうという目的を持っていた。しかし、この非常に愛他的精神にあふれた建国の目的は、100年も経たないうちに崩壊した。自由競争のない社会は成長しないどころか、没落することを国家的規模で証明したのである。自由競争をやらずして無駄を無くす方法を未だ人類は発明していない。
 自由競争経済は、すなわち市場経済である。市場経済は、経済を動かすエンジンとして人間のエゴイズムというものを組み込んでいる。お互いに自分の合目的的理性に従い、自分の収入を増やすために行動する。経済活動全体は「神の見えざる手」によって統御され、うまく機能する。政府の規制は種々あるにしてもそれが基本である。
 自由な競争は、人間のエゴイズムを刺激し、創意工夫を促し、結果として社会全体の利益を増進させる。これが「アダム・スミスのテーゼ」といわれるものである。アダム・スミスのテーゼは、次の通りである。
 「あらゆる個人は、自分の自由になる資本がおよそどれほどのものであろうとも、そのためのもっとも有利な用途をみいだそうと不断に努力している。実をいえば、かれの眼中にあるのは自分自身の利益なのであって、社会のそれではない。ところが、自分自身の利益を考究してゆくうちに、かれは、自然に、否むしろ必然に、この社会にとってもっとも有利な用途を選好するようになるのである」(
1965 岩波文庫 大内兵衛・松川七郎訳 アダム・スミス「諸国民の富(三)」)

 
人間のエゴイズムは、アダム・スミスの国富論の中では「自己の境遇を改善しようとする各人の自然的努力」、「人間性の利己的にして本源的な衝動」と表現されている。
 さらに、国富論の中で、有名な「見えざる手」の比喩が出てくる前後の文章は次の通りである。
 「いうまでもなく、通例かれは、公共の利益を促進しようと意図してもいないし、自分がそれをどれだけ促進しつつあるのかを知ってもいない。外国産業の支持よりも国内産業のそれを選好することによって、かれは自分自身の安全だけを意図し、また、その生産物が最大の価値をもちうるようなしかたでこの産業を方向づけることによって、かれは自分自身の利得だけを意図しているわけなのであるが、しかもかれは、このばあいでも、その他の多くのばあいと同じように、見えない手(
an invisible hand)に導かれ、自分が全然意図してもみなかった目的を促進するようになるのである。かれがこの目的を全然意図してもみなかったということは、必ずしもつねにその社会にとってこれを意図するよりも悪いことではない。かれは、自分自身の利益を追求することによって、実際に社会の利益を促進しようと意図するばあいよりも、いっそう有効にそれを促進するばあいがしばしばある」(1965 岩波文庫 大内兵衛・松川七郎訳 アダム・スミス「諸国民の富(三)」)

 個々人の神授のエゴイズムの追求に任せておけば、社会全体の福利は最大限達成されるとするアダム・スミスのテーゼは、当時の支配的な経済学であった重商主義による保護貿易と統制に対する批判であった。
 重商主義者の考える「富」は、もっぱら金銀の獲得と貨幣の蓄積にあるとされ、それは貿易差額によってのみもたらされるものだと考えられていた。重商主義の考え方を採用した国家は、貿易差額に関係すると思われる産業部門に保護奨励を加え、いわば温室的に一部の産業を助成し、一部の貿易商人に独占的特許を与えて、他の商人が自由に競争に参加することを排除した。
 しかし、重商主義による独占的な統制経済体制は、
18世紀の半ば以降、行き詰まりを示し始める。それまで増大を続けていた貿易差額は、急に不安定になり、たびたび恐慌ともいうべき商業不振が度重なった。産業に対する保護奨励は無雑作となり、例えば北海の鰊漁業などは、鰊を獲りに行くのではなく、奨励金を獲りにいくとまで言われるようになったのである。
 「塩づけにしん漁業に対する奨励金はトン数奨励金であって、船の積載量に比例はしても、その船が漁獲するばあいの勤勉や成功に比例したものではないから、魚をとるためではなく、奨励金めあてに船を装備するということがあまりにもありふれたことになっていたのではないか、とわたしはおそれている。
1759年に、奨励金が1トンにつき50シリングであったとき、スコットランドの全帆船漁業がもたらしたのは、わずかシー・スティック4樽にすぎなかった。この年に、シー・スティック各1樽は、奨励金だけでも政府に113ポンド15シリングを支出させ、販売用にしん各1樽は159ポンド7シリング6ペンスを支出させたのである」(1965 岩波文庫 大内兵衛・松川七郎訳 アダム・スミス「諸国民の富(三)」)
 実際、重商主義政策によって利益を享受できたのは、政府特権を与えられた一部の独占的商人たちであった。

 
「この全重商主義体系の考案者がだれであったかということを決定するのはたいして困難ではなく、われわれは、それが消費者ではなくて生産者であったと信じてさしつかえない、というのは、消費者の利益はまったく無視されてきたのに、生産者の利益にはひじょうに慎重な注意が払われてきたからであって、しかもこの後者の階級のなかでは、わが商人や製造業者こそ、だれよりももっとも重要な設計者であった。本章で注目されてきた重商主義的諸規制においては、なにをおいてもわが製造業者の利益に特別の注意が払われてきたのであって、消費者の利益というよりも、むしろ生産者の他の若干群の利益のほうが、製造業者の利益のための犠牲にされてきたのである」(1965 岩波新書 大内兵衛・松川七郎訳 アダム・スミス「諸国民の富(三)」)
 
もともと、政策は、軋轢を生まない全体の幸せとか公平感というものはない。一方の是は、他方では非を生む。全体の是というものがあるとすれば、最初から政策は存在しない。
 統制経済は、政策目的に沿って財源の傾斜配分、特定の産業育成、そのための新規参入の抑制といった手段を講ずるものであるから、従って保護を受けた産業は、利益を享受できるのは当たり前のことである。
 重商主義政策の利益を享受できたのは、重商主義の発案者であった。スミスは、こういった「一部の富者と権力者のために営まれる産業」を優遇する重商主義的産業保護政策は、大多数の国民の犠牲の上に成り立っているものであり、富というものは、重商主義者の主張する「富は金銀」ではなく、普通の人間、すなわち特権階級以外の大多数の国民にとっての「生活の必需品と便益品」こそが富であるとしたのである。

 そこで「生活の必需品と便益品」は、自国における大多数の国民の労働によって不断に生産され得る富であり、この場合の市場は、重商主義者(貿易差額論)のいう海外市場ではなく、国内市場ということになる。
 かくして、アダム・スミスは、富の観念、富の獲得方法、市場の性格というものを根本から転換させたのである。
 スミスは、「富」を重商主義者のいう金銀ではなく、大多数の国民の必要とする「生活のための必需品」であり、そのエネルギー源は人が生来神授されている「利己心」、「私悪」、「私利私欲」、「個人的悪徳(私恵)」であるとした。そしてこの神授の私悪こそが、神の「見えざる手」に導かれて、「公益」に通ずるとしたのである。
 この考え方は、近代資本主義黎明期の自由主義思想家であったバーナード・マンディビルの「蜂の寓話」における「個人的悪徳が、公共の福祉」(
Private VicesPublick Benefit:「蜂の寓話」の副題)に通ずるのである。
 従って、政府がやらねばならないのは、警察、消防、国防ぐらいに限られるのであって、それ以外のことは余計なことならまだしも、公益を損ないかねないとしたのである。

 「なにか異常な奨励をおこなうことによって、社会の資本がある特定の産業のほうへ、自然におもむくよりもより多くの分けまえをその産業にひきつけたり、またはなにか異常な制限をおこなうことによって、さもないばあいある特定の産業に使用されるはずの資本の分けまえをしいてその産業からひきだしたりしようと努力する体系は、実際にはいずれもその企図する大目的をくつがえしてしまうものである。それは、実質的富および偉大さにむかう社会の進歩を加速するどころか減速させるものであり、この社会の土地および労働の年々の生産物の実質的価値を増加させるどころか減少させるものなのである。
 それゆえ、優先させたり、あるいは制限したりするいっさいの体系が以上のようにして完全に撤廃されれば、自然的自由という自明で単純な体系がおのずから確立される。あらゆる人は、正義の法を犯さぬかぎり、各人各様の方法で自分の利益を追求し、自分の勤労および資本の双方を他のどの人または他のどの階級の人々のそれらと競争させようとも、完全に自由に放任されるのである」(
1965 岩波文庫 大内兵衛・松川七郎訳 アダム・スミス「諸国民の富(三)」)

 

2、スミスの否定(ケインズ政策)

 歴史の振り子は、自由と計画の間を行き来する。自由が過剰になり、その弊害が無視できないものになると、軌道修正が図られる。
 20世紀の資本主義は、
19291024日のウォール街で株式相場が大暴落し、これが世界恐慌につながった大波乱を幕開けとする。アメリカが大恐慌を脱して失業を一掃するのは、1940年代の戦時経済体制で巨大な戦費支出が始まった後である。
 大恐慌の荒波を乗り越えるための海図を描いたのは、ジョン・メイナード・ケインズ(
John Maynard Keynes)である。
 ケインズは、
1936年に「雇用・利子および貨幣の一般理論」(The General Theory of EmploymentInterest and Money)を刊行し、それまでの自由放任主義の経済に代わって、国家の経済への積極的介入を図る修正資本主義に理論的根拠を与えた。ケインズは、古典派経済学が主張する市場万能主義を廃し、「国家による総需要管理」の必要性を説いた。
 古典派経済学は、スミス以来の国家干渉を否定する自由放任の経済政策(レッセ・フェール 
LaissezFaire思想)を基本とする。スミスは、「国富論」の中で、個々人が自己の利益を追求するに任せておけば、社会全体の繁栄につながるのであって、政府の市場介入は有害無益であるとする「利己心の原則」を主張し、産業革命による経済力の増大を背景に台頭してきた産業資本家層に支持されてきた。

 イギリスの青年宰相ピット
Pittは、スミスの自由貿易主義を国策として実施し、1786年のイギリス・フランス通商条約にもその趣旨を盛り込んだ。それにより織物manufactureを中心としたフランスにイギリス商品が関税なしで殺到。フランス商工業者は破産、失業、貧困が相次ぎ、フランス革命の一要因にもなったという。そして、フランス革命の直後のイギリスでは、1792年議会の予算演説でPittは、イギリスの財政政策が「国富論」から出ていることを表明したという。
 利己心の原則では、需給の均衡は「神の見えざる手」によって自動的に調整してくれるとする。このような考え方が、デモクラシー思想が普及しつつあった市民社会にも広く受け入れられたのである。
 しかし、
1929年に発生した大恐慌は、物価の下落、生産や貿易の停滞、銀行や企業の倒産、労働者の大量失業という未曾有の事態を招き、深刻な政治問題を引き起こしたのである。
 アメリカは、この
1929年の大恐慌を契機としてルーズヴェルト大統領によるニューディール政策が行われた。これはケインズ政策の先取りであるといわれるものであった。
 ケインズ主義、すなわち不況期には財政政策によって有効需要を増大させる経済政策は、ケインズの特許品ではなく、当時多くの経済学者によって主張されていたし、一般理論の刊行以前においても連邦政府はすでに赤字財政によって直接的な救済措置、公共事業、その他雇用増進のための公的措置を行っていたのである。
 しかし、健全財政が景気回復の道と信じられていた当時は、赤字財政政策を行うことは、マルクスと同じくらい危険な考えであるとされ、多くの学者や高官から猛烈な反対にあったのであるが、それでも直接的な必要性から実行されたのである。
 ケインズの一般理論は、政治的に難しい議論に理論的根拠を与えたものといわれている。

 
「連邦財政の赤字は、1933年以降、直接的な救済措置、公共事業、その他雇用増進のための公的措置、に伴なう支出によって増加した。このうち後者の措置は、連邦緊急救済局、公共事業局、土木工事局、工事振興局を通じておこなわれた。1936年は、ニューディールが始まってからちょうど3年目にあたり、また『ケインズの年』と呼んでもよさそうな年であるが、この年の連邦の歳入は支出の59%にすぎず、半分よりごくわずか多いだけだった。この赤字は当時の国民総生産の4.2%に相当した。のちにケインズが主張するに至ったことが、きびしい状況によって、経済政策におけるどうしようもない力によって、既に必要とされていたのである。しかし、必要なことだからといって、それが是認されたわけではない。状況の力は財政の誤りの口実とはならなかった。したがって、フランクリン・D・ルーズヴェルトを含む多くの人にとって、多年の間、ケインズ的経済政策は、経済学の知恵から出た行動としてではなく、政治的に不可避であると見せつけられたことをむずかしい議論で正当化したものとみなされることになるのである」(1988 ダイヤモンド社 鈴木哲太郎訳 JK.ガルブレイス「経済学の歴史」)
 いずれにしても、ケインズはスミスに始まる自由主義的市場経済学を根底からひっくり返し、国家による経済の管理を主張したのである。
 スミスとケインズの処方箋はまったくの正反対のように見えるが、これは時代背景の相違からくるものである。
18世紀後半の産業革命期の社会と、20世紀初頭の帝国主義時代の社会とでは、よって立つ社会経済基盤が異なっているのであり、この差異が処方箋の差となってあらわれたとみるべきである。
 ケインズの「一般理論」の中心思想は、「有効需要(
effective demand)の原理」である。それは、レッセ・フェール哲学とそれに支えられた古典派経済学の命題である「供給はそれ自身の需要をつくる」とする「セイの法則」を否定するものであり、「供給は需要によって限定される」とし、それまでの経済学の基本的命題を塗り替えてしまったのである。

 
セイの法則Say’s Lawは、「販路法則」と呼ばれる。セイ(Say)の主著「経済学」(1803)において発表された。販路法則は、ケインズによって「供給は需要をつくる」という形で定式化され、「セイの法則」として名づけられた。そして古典派経済学の基礎的命題として位置づけられた。
 有効需要の原理に立った場合、需要を拡大したり縮小したりするもっとも手近な方法は、政府の総需要管理政策である。不況とは有効需要の不足に他ならないから、政府は公共事業を拡大したり、金融緩和を行い、有効需要を創出する方法が採用されるのである。
 第二次世界大戦後のおよそ
40年間、世界の先進各国はケインズの描いた海図に基づいて経済成長の維持と社会福祉政策を行ってきた。とりわけケインズ的手法に基づいて経済成長の維持と社会福祉政策の拡充が、国民を国家に結びつけるものとされてきた。

 

3、スミスの復権

 歴史の振り子は自由と計画との間を行き交う。
 
1970年前後になると、現実の問題に直面して、ケインズ的経済政策批判が巻き起こる。
 まず、アメリカの場合である。
 アメリカの場合、現実の問題とは
1973年と1979年の二度にわたるオイル・ショックによって高度経済成長が終わりを告げ、成長率は半減、そしてケインズ的政策による福祉予算が膨張し財政赤字が急速に拡大したこと、さらには景気刺激策とインフレーションにもかかわらず失業が減らないというスタグフレーションという現象が出現したことである。
 すなわち、石油危機を一種の触媒として、経済は限りなく成長するものであるとするケインズ的経済政策ないしは福祉国家観の見直しが迫られたのである。

 
「70年代に始まったアメリカ経済のスランプ、『豊かな国アメリカ』という大前提の動揺は、リベラリズムの経済運営に対する批判、ひいてはニューディール以来の政府の役割に対する広範な見直しを促進することになった。政府の経済への介入こそが経済の不調の原因であるといった意見は、正しく、保守主義の自由放任主義的メンタリティにとってぴったりのものであった。折から、石油危機は西側先進国の経済に深刻な打撃を与え、それまでのケインズ主義的な経済運営がかつてのような効果が発揮できないことが明らかになってきた。例えば、景気刺激政策とインフレーションにもかかわらず、失業が減らないといったことはその一例であり、スタグフレーションといった新語が作られたのはこの頃であった。これによって『豊かな社会』を政府が運営管理することが出来るという戦後の前提が崩れ、経済活動に対する政府の役割が再び大きな争点となっていった」(1993 講談社学術文庫 佐々木毅「アメリカの保守とリベラル」)
 「政府の市場介入を正当化するケインズ経済学は、70年代の半ば過ぎまでマクロ経済学の主流であり続けた。公定歩合、公共投資などの政策変数を調節して、出力としての総生産、物価、経常収支などをコントロールするというイメージのケインズ経済学が、科学技術が万能視される60年代の時代文脈と整合的であったこともまた、ケインズ経済学によって有利に作用したことも見落としてはなるまい。しかし、すでに述べたとおり、1973年のオイルショックを経て後、高度経済成長期には終止符が打たれ、また東西対立のもとで軍事予算と福祉予算の膨張が避けがたくなったため、財政赤字の膨張が先進各国の頭痛の種になった。その結果、『国家の活動はごく狭い範囲に限定すべきだ』とする考え方が、およそ半世紀ぶりの復権を成し遂げたのである」(1999 ダイヤモンド社 佐和隆光 「漂流する資本主義」)

 ケインズ経済政策に対して真っ向から批判したのは、ノーベル経済学賞を受賞したフリードリヒ・ハイエク(
FriedrichAHayek)、及び同じくミルトン・フリードマン(Milton Friedman)である。
 ハイエクは、
1920年代から1930年代にかけて行われた、自由主義の立場に立つ経済学者の「社会主義は不可能である」という主張と、社会主義の立場に立つ経済学者の「可能である」という反論から出発した「社会主義経済計算論争」から学び、それを学問にした人物である。
 社会主義経済を否定する立場からは、社会主義経済では「市場がない」ために、需要と供給の均衡点がなく、従って資源配分は「政治権力における恣意的な連立方程式の計算」にならざるを得ず、理論的に言って破綻すると主張した。
 はからずもこの論争は、1970年代以降、計画経済の困難が分ってきた段階で、否定派が勝利するわけであるが、ハイエクは、社会主義経済学者の方が理論的には成立可能性はあるものの、経済を動かすにはコンピューターをもってしても複雑系の実際の経済には対応できないと主張し、社会主義経済体制も、その亜流であるケインズ的経済政策も否定し、「理性の濫用」であり、有害であるとした。
 ハイエクは、人間の理性は万能でもなければ完全な知識を持っているものなどいないのであり、この人間の理性の限界ゆえに、計画化社会というものを危険視する。計画化の運動は、専門家の野心の表れに過ぎないとし、専門家の選好尺度を計画される社会に押し付けることになるとする。

 「計画化社会ならば、自らの考えている切実な目標が重要なものとしてとりあげられるだろうという、専門家の幻想は、その『専門』という言葉が示すような特殊なものでなく、一般に広く見られる幻想である。人々は例外なしになんらかの偏った好みや特殊利益によって動かされているものであり、その意味で誰もが程度の差はあれ専門家なのだ。そして、誰もが、自分たちの価値観は単に個人的なものでなく、合理的な人々が自由に討論すれば、他の人々もその正しさを納得するだろう、と考えているのである。世間には、伝統的な風景の保存を求め、その美観をけがす産業の汚染を一掃したいと思っている田園愛好家もいれば、絵画的ではあるが不衛生な古い建物を一掃したいと思っている熱烈な健康主義者もいれば、国土を巨大な高速道路網でズタズタに切り裂きたいと思っているモータリストもいれば、専門化と機械化の徹底を求める効率狂信者もいれば、個性の発達のために独立した職人たちの保存を求める理想家もいる。そしてその誰もが、自分たちの目標は、計画化によってのみ完全に達成できることを知っており、それゆえに計画化を求めているのだ。しかし、これらの人々が強く要求している社会計画を実行に移せば、それぞれの目標があからさまに衝突しあうことになるだけだ」
 「経済計画の目的、あるいはその一部分の目的は、計画そのもののあり方によって様々である。一つの経済計画を作ることは、対立したり優先を競ったりする様々な目的、つまり多様な人々の多様なニーズの中から、どれかを選ぶということを必ず含んでいる。このことこそ、経済問題の本質的な点なのである。だが、それらの目的のうちどれとどれが対立するのか、どれかを実現するためにはどれが犠牲にされざるをえないのか、つまりは、どの目的とどの目的が選択しなければならない選択肢となるのか、ということは、すべての事実を知っている人間にしか可能ではない。そしてそれを知っているいわば専門家が、多様な目的のうちどの目的が優先されるべきかを決定する位置に立つことになる。そのことは不可避的に、彼らの選好尺度を、計画されるべき社会に押しつけることになるのである」
1992 春秋社 西山千明訳 FA・ハイエク「隷属への道」)

 ハイエクは、有機的複雑性を持つ社会現象の全要素間の相互依存関係を網羅的に取り込んで予測・説明することは、途方もなく大きなモデルが必要であり、とても人智の及ぶところではなく、従って、予測可能性を前提とするケインズ経済学を「理性の濫用」であるとして非難する。そして、不完全な人間が、それぞれが社会や市場で行う自由な努力が相互に作用し、相互作用の成果として偉大な発明や繁栄を得ることができるとする。
 
M・フリードマンは、「現代のアダム・スミス」であるといわれる。
 フリードマンの議論の核心は、次の言葉に簡潔に表現される。
 「経済的自由は、政治的自由にとって不可欠な必要条件だ。経済的自由は強制や中央集権的な命令がなくても人びとが相互に協力し合うことができるようにさせることによって、この自由は政治的権力が行使される分野を減少させるのだ。そのうえ自由市場体制は権力を分散させることによって、政治的権力の集中が引き起こすかもしれないすべての弊害を相殺する効果をもたらす。経済的権力と政治的権力とが同じ手に握られることほど、暴政の出現を必至にさせるものはない」(
1980 日本経済新聞社 西山千明訳 MR・フリードマン「選択の自由」)
 フリードマンは、人々が互いに協力し合える自然発生的な、自発的交換関係によって成立する経済的自由があらゆる自由の基礎であり、この自由を政治的権力によって強制・束縛する「大きな政府」を徹底的に批判した。
 フリードマンは、ケインズ的経済政策、つまり、インフレによる失業の克服策が、さらなるインフレとさらなる失業を招いたものとして、政府が介入するから問題を大きくしてしまう、従って、資本主義経済は多少の波乱はあるものの、それは「市場の自動調整機能」に任せるべきであると主張した。

 
「われわれは、『インフレか失業か』という偽りの二者択一によって、誤って導かれてきた。このような選択は幻想でしかない。ほんとうの選択は、いっそうのインフレの結果としていっそう高率な失業率を発生させるか、それともインフレを克服していくための一時的な副作用として失業に耐えるか、ということでしかない」(1980 日本経済新聞社 西山千明訳 MR・フリードマン「選択の自由」)
 フリードマンの考え方によれば、当然のこととして、ケインズ主義的な「大きな政府」と「福祉国家」は批判の的となる。
 福祉国家に対しては、「家族の絆を弱め、自分で働き、自分で貯蓄し、新しい工夫をしようとする人々にさせる誘因を減少させ」、ひいては離婚と家族の崩壊が起こり、従って貧困問題はますます深刻化するという、「予期せざる結果の法則」を招くものであると主張した。「予期せざる結果の法則」は、人間社会の持つ複雑さゆえに、社会科学が一層ジレンマに陥り、復讐を受けることをいう。
 フリードマンは、政府が介入する「結果の平等」を批判し、「機会の平等」を主張する。

 「『神の前における平等』にしろ『機会の平等』にしろ、どちらも人が自分の生活を形づくっていくにあたっての自由と衝突するところは何もない。それどころか、実情はそのまったく逆だ。平等と自由とは、同一の基礎的な価値観、すなわちすべての個人は、それ自体として究極的な目的とみなされなくてはならない、というひとつの盾の両面だ。ところが、最近の何十年間において、アメリカでは以上とはきわめて異なった自由の意味、すなわち『結果の平等』という新しい意味が出現するようになってきた。いまやすべての人びとが、生活や所得で同一水準になければならないとか、競争の決勝点において同一線上に並ぶようにしなければならない、というのだ。このような『結果の平等』は、明らかに自由と衝突する。この『結果の平等』を推進しようとする人びとの努力こそが、政府をいっそう巨大化させたり、政府による自由への制限を生み出す主要な源泉となったりしてきたのだ」(
1980 日本経済新聞社 西山千明訳 MR・フリードマン「選択の自由」)
 つまり、「機会の平等」さえ与えられていれば、それを生かすも殺すも個人の自由に基づく選択の問題である。努力によって成功するか、努力がいやならそれなりの結果しか得ることができない。こういった個人の自由意志による選択の問題に政府が介入すべきではない。政府の介入、すなわち「結果の平等」を指向することは、「大きな政府」と「権力の肥大」に結びつき、自由は権力によって束縛され、結局は怠け者をつくり、人間社会の複雑な構造ゆえに社会科学が復讐を受けることになる。
 つまり、ケインズ主義的な福祉国家は、膨大な財源を必要とするにもかかわらず、その当初の目的はことごとく失敗し、権力の肥大と特殊利益の横行、さらには自立心を失った怠け者をつくるという、マイナスの面しかもたらさない。
 フリードマンは、「売り手と買い手との間における自発的な交換(これを簡単に言えば『自由市場』)から発生してくるいろいろな(相対)価格が、それなりに自分の利益を追い求めている何百万人もの人びとの活動を相互にうまく調整し、その結果、すべての人の生活が以前より良くなるようにしてくれるのだ」(『選択の自由』)という、アダム・スミス以来の古典派経済学の立場に立って、自由競争、個人主義、小さな政府といった自由競争社会への復活を主張した。
 フリードマンが一貫して主張しているのは、個人の自己責任の原則を再建し、個々人の利己心が「神の見えざる手」によって巧妙に束ねられる市場メカニズムを復権することにあった。

 

4、新自由主義(新保守主義)

 1973年と1979年の二度の石油危機を一種の触媒として、ケインズ的経済政策ないしは福祉国家政策に修正が迫られることになる。
 福祉の拡大は、失業の恐怖やより大きい報酬が労働者のインセンティブであるという、労働市場本来の機能を削いでしまい、結果として「怠け者」を作り出し、特に
1960年代にL・ジョンソン大統領によって推進された数々の福祉政策によって巨額の財政支出を余儀なくされたのである。

 
19641968L・ジョンソン大統領によって、「偉大な社会」福祉プログラムが推進された。このプログラム推進の背景には、戦後の復興と経済成長が続いている1960年代に、豊かさの裏に潜む陰の部分のあることを知らしめた次の著作がある。K・ガルブレイス「豊かな社会」(1958)、M・ハリントン「The Other America」(1962)、レイチェル・カーソン「沈黙の春」(1962)。ガルブレイスは、学校教育、低所得世帯の住宅、公共交通機関等の質の悪さを指摘し、アメリカの豊かさの中に、どうしても自力で脱出できない貧困層のいることを指摘した。ハリントンは、ガルブレイスの指摘をさらに発展させ、アメリカ社会には40005000万人の貧しい人々からなる「見えない国」が存在するというショッキングな指摘をした。カーソンは、海洋生物学者で、殺虫剤、除草剤として大量に散布されてきたDDTをはじめとする有機化合物が、いかに生態系を破壊し、毒性が人体に影響を与えているかを指摘した。こうした認識が政治家にも浸透し、L・ジョンソン大統領によって「偉大な社会」福祉プログラムが推進されたのである。このプログラムの中で、最も財源を必要としたのは、所得のいかんにかかわらず、高齢者と障害者を社会保障でカバーする高齢者医療保障制度、年齢にかかわらず貧困者を公的医療保障でカバーする医療扶助の二つの政策である。さらには、1964年の「経済機会法」によって貧困撲滅運動を展開し、巨額の財政支出を必要としたのである。1999 中央公論新社 猪木武徳・高橋進「世界の歴史29 冷戦と経済繁栄」より)
 企業側にとっても、同様のことがいえる。ケインズ的経済政策によって、経済への政府介入が進行するにつれて、企業家的な努力や能力よりも、政府の力に依存するようになる。このことが、資本主義を支えてきた企業家的精神を萎えさせてしまったのである。
 こうした時代文脈の中で出現したのは、ハイエクやフリードマンの主張であり、「市場の手にゆだねよ(
laissezfaire)」と「小さな政府(small government)」という合言葉である。それは、新自由主義または新保守主義と呼ばれるイデオロギー政策の体系であり、アメリカではレーガン政権、イギリスではサッチャー政権、日本では中曽根政権の指導原理となったのである。
 新自由主義は、政府がこれまで引き受けてきた諸課題を「市場のメカニズム」に委譲することを政策課題とする。具体的には、衰退産業の保護解除や、需要管理による完全雇用政策の放棄、社会保障支出の削減が試みられた。
 アメリカでは、
R・レーガンが1981年に40代大統領に就任し、政権の座にあった8年の間に、レーガノミクスと呼ばれる様々な経済政策を行った。

 
「レーガン政府は、企業家の意気をあおり、連邦政府の浪費、特に税金を告発した。この税金が悪の根源で、主導性を失わせアメリカの活力を失わせるものなのだ。アメリカは、だれでもがロックフェラーになれる、夢と冒険の大陸であるが、そのための条件は、自由企業の神聖な掟が自由に駆使されることだ。そしてだれもが、アダム・スミスやリベラリズムの創始者たちの“見えざる手”によって、個人の富は全員のためのものとなるのだということを忘れないことである。『豊かになれ!』、金持ちはより金持ちになる。貧乏人も、国から救いの手が差しのべられるのが、怠けるアリバイであるかのように待ちぼうけていずに仕事につきなさい!最貧の人々や取り残されてしまった人々には慈善の手が伸びるだろう。国の仕事ではない。メッセージは単純である。そしてだれもがそれを理解した。さらに良かったのは、レーガンが、過去の失敗や70年代の景気後退に象徴されるケインズ信奉の危機から脱し、力をつけて再出発できたことである。ケインズの理論の、需要促進と赤字予算に基礎を置くもので、特にヨーロッパで“栄光の30年”(19451975)の成功を生み出したものが、それは終止符を打ったといえる」(1992 竹内書店新社 小池はるひ訳 ミシェル・アルベール「資本主義対資本主義」)
 レーガン政権以前のアメリカ経済は、低所得と低投資、その結果としての低生産性と低成長、インフレといった問題点を抱えていた。レーガンの経済政策、すなわちレーガノミクスは、政府の役割をコンパクトにし、サプライサイド(供給面)の政策によって民間活力を引き出すことを理念とした。
 レーガノミクスの第一は、貯蓄を増進し、投資を促進する税制改革である。これは、それまでのケインズ経済学が主として需要の動向を分析して政策に反映させてきたのに対して、供給側の分析から政策アプローチを行うサプライサイド経済学の登場であり、経済学者アーサー・ラッファー教授の考案した「ラッファー曲線」理論に基づいた減税政策である。

 ラッファー曲線は、釣鐘型の曲線で、その曲線の両端に税率ゼロと税率
100%の点があり、その二つの点のところでは政府の税収はゼロである。税率100%では誰もが働かなくなる。その間のどこかに税収を最大にする最適税率が存在するという仮説である。ラッファー教授の説では、当時の税率は高すぎるので減税が必要だとされた。ラッファー曲線のアイデアは、余りにも単純、楽観的で、かつ実証的裏付けのないものとして、多くの経済学者から嘲笑を買い、ラッファブル曲線(laughable curve 笑止千万な曲線)と呼ばれた。
 レーガン政権では、
19811983年の3年間に25%の所得税減税を実施し、さらには1987年の税制改革では、所得税率を15%、28%の二本立てに簡素化した。
 このようにレーガン政権では、サプライサイドの強化策の一環として税制改正を行い、貯蓄刺激策を打ち出したのであるが、実際には貯蓄率は下がり、その結果、設備投資の停滞、財政赤字の巨大化、対外債務の増大を招いてしまった。
 レーガノミクスの第二は、「小さな政府 
small government」の流れの中で実施された「規制緩和」である。アメリカでは、1978年航空規制緩和法を皮切りに、トラック輸送の規制緩和、1980年代には、エネルギー・電信電話の規制緩和が進んだ。

 
1970年代後半、多くの先進各国で、様々な規制や統制によって自由な市場が機能障害を起こし始めていた。こうした規制に対する反省から、規制を減らし自由をもっと拡大しようとする動きが現れ、アメリカにおいてはレーガン、イギリスにおいてはサッチャー、日本においては中曽根政権で規制緩和が推進された。
 イギリスにおいては、サッチャー政権下においてサッチャーリズムと呼ばれる経済改革が行われた。
 その第一は、
1986年、宇宙創生時の大爆発になぞらえた「ビッグ・バン」と呼ばれる金融・証券の大改革である。証券手数料の自由化、従来分化していたブローカー機能の一元化、証券会社への銀行の出資自由化、SEAQと呼ばれるスクリーン表示による自動取引システムの導入など、従来の枠組みを一変するものであった。
 この改革は、ニューヨーク市場活性化の煽りを受けて地盤沈下傾向にあったシティーの復権を狙ったものといわれる。
 ビッグ・バンによる改革以前の
1979年に突如実施された為替管理の全廃によるインパクトも大きい。このことによってロンドンの国際金融センタとして地位が確立できたといわれる。
 さて、サッチャーリズムには、「
There is no such thing as society 社会なんて存在しない」という政治哲学が根底にあるという。
 この「社会なんて存在しない」という言葉は、自助努力の必要性を説いたものとされている。この言葉の背景には、「イギリス病」とまで呼ばれたそれまでの「ゆりかごから墓場まで」という行き過ぎた総合的社会福祉政策でイギリス人が働かなくなったこと、及び戦後保守党と労働党の交代政権による政策の不連続性によって経営者がやる気をなくしていること、そして国家をも凌ぐ勢いであった労働組合の力は頻繁にストライキを発生させそれが異常に高い賃金を招き、そうしたことが企業の国際競争力を弱めていたという背景がある。
 「社会なんて存在しない」という言葉だけだと利己的個人主義を正当化してしまうように解釈されるのであるが、この言葉はもともと
19871031日の「Women’s Own」という雑誌のインタビュー記事の中にある言葉であり、前後の文脈からは、「個人がしっかりしなければ、国はよくならない」、「個人がしっかりするということは、自分の面倒は自分で見る」という自助努力を促そうという意思が込められている。

 
「われわれ、あまりにも多くの人が『もし問題があれば、政府がこれに対処すべきだ』と考える時代を生きている、と私は思う。『私が困難に陥れば、助けてもらえる』。『私はホームレスだ。だから政府は私に住む場所を与えてくれる』。彼らは、彼らの問題を社会のせいにする。しかし、社会なんてものは存在しない。あるのは、個々の男であり、女であり、家族である。どんな政府も個人を通さないかぎり、何もすることはできない。そして、人々は、まず最初に自分の面倒を見なければならない。まずわれわれ自身の面倒を見、そして次に隣人のことに気をつけるのが、われわれの義務である。人々は、義務を果たさないのに、あまりにも多くの権利があると思っている。もし最初に義務を果たさなければ、権利なんてものはない」(http//www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/HO41.HTML  「森田浩之のロンドン通信」より)
 サッチャーは、「働く動機が欠如している」という英国病の克服のために、国営事業の民営化を実行し、「ゆりかごから墓場まで」という福祉政策の大改革及び税制改革に取り組んだ。
 国営企業の民営化は、
1981年のブリティッシュ・エアロスペースを皮切りに、ジャガー、ブリティシュ・テレコム、英国航空、ブリティシュ・スティールと順調に進み、1990年には電力、さらには水道事業まで実現した。
 サッチャーが数多く行ったイギリス経済活性化策の中で最大の効果を挙げたのは、民営化であったといわれる。サッチャー以前の英語の辞書には民営化:
privatizationという言葉すら存在しなかったが、サッチャーの民営化の成功により、privatizationという言葉は世界の常識となった。そして、サッチャーの11年半にわたる長期政権で自由競争原理をフルに活用した市場経済への転換に成功し、英国病という言葉を死語にしたのである。
 さらに、サッチャーは国営企業の蘇生を図るには、単に民営化するだけではなく、国民に関心を持たせることが不可欠であるとして、株主は個人が主体であるべきとの方針を打ち出し、抽選方式で理論価格よりかなり低い価格で一般に幅広く売り捌いたのである。
 民営化路線は今でも引き継がれ、イギリスでは「ステイクホルダーズ・エコノミー」を目指すべきであるとさえ唱えられているのである。

 例えば、ブリティシュ・テレコムの場合、個人投資家に対する売出価格を機関投資家向けよりディスカウントし、さらに3回分割払いでの払い込みを認めたうえ、3年間保有し続けた個人株主には、保有株数の1割を追加で無償交付した。イギリスは、鉄鋼、自動車、港湾、航空、通信、ガス、電力など政府保有株式を100%民間に放出し、ブリティシュ・テレコムや英国航空などは世界有数の優良企業に変身しているのである。

 さらに、サッチャー政権下で行われた行政改革に「エージェンシー制度」がある。エージェンシー制度は、民間の活力を行政に取り入れ、より改善された行政サービスを求めたもので、公務部門の管理managementに関する変革である(組織constitutionに関する改革ではない)。
 エージェンシーの長には、公務員のみならず民間人も含めた幅広い層から最適な人材を登用しようとして公募を行う。また、エージェンシーの目的は、経営目標、期待される効果を明記した基本文書を所管大臣が作成し、その基本文書に基づいて、人事、給与、賞与、物品管理、日常的財務会計など、最大限の自由な管理をすることが認められる。エージェンシー制度の導入によって、公務員の削減に努め、政府の経費削減の約60%になるものとされる。
 こうしたサッチャーリズムは、ビッグ・バンと呼ばれる金融証券制度の大改革や、民営化
privatization、そしてエージェンシー制度の導入などの、反社会主義(反福祉国家)政策を推し進め、経済を国家から市場へと引き戻し、英国病からの復活を成し遂げたのである。

 

5、アメリカ型資本主義

 レーガノミクスやサッチャーリズムの経済システムは、今でも世界の潮流にある。大きな政府から小さな政府、統制経済から市場経済、結果の平等から機会の平等へと流れは変化している。ミシェル・アルベールのいう「市場は善、国家は悪」とする「国家の代わりとしての資本主義の時代」の到来であり、「市場原理主義の時代」である。アダム・スミスは現代でも生きているのである。
 
「スミスが現代にまで通じる『市場主義の教父(マーケティズム)』だとされるときには、そこにはおおよそ次の三つの命題が含意されている。その三つの命題とは、@市場は自己調整的なメカニズムをもった体系である。A自由な市場原理は国際経済にも適用できる。つまり自由貿易主義は正しく、これは『開かれた経済』の原理である。B政府の役割はできる限り狭い範囲に限定されるべきである。つまり、『小さな政府』が望ましい」(1999 PHP新書 佐伯啓思「アダム・スミスの誤算〜幻想のグローバル資本主義(上)」)
 そして、地球的規模で資本と情報が行き交うグローバル資本主義の時代には、国際競争に参加するための要件として共通の取引ルールを採用することが条件とされる。インターナショナルな時代には多少のニュアンスの相違と見られてきたものが、認められなくなることを意味する。すなわち、資本主義のモード変換を余儀なくされるのである。それが嫌なら、ミシェル・アルベールのいう「時代遅れの蟻」か「壁の花」になるしかない。
 さて、グローバル資本主義の時代では、アメリカ型資本主義がもっとも国際的普遍的を持っているものとされる。
 アメリカ型資本主義は、特異な建国の歴史、多民族国家、広大な国土と豊かな自然条件など、様々な理由からオープン・マーケット・システムを軸に発展してきたのであるが、それは国際的には特異な存在であるにも関わらず、グローバル経済の時代にはむしろ普遍性を持ったシステムといえるのである。

 「社会主義中央計画経済システム以外の大部分の国においては、程度の差はあっても、何らかの形で市場を通した経済運営を行っている。しかし実際には市場経済にも様々なバリエーションがあり、今日問題になっているのは、まさに異なったタイプの市場型経済システムの間の、競争ないし共存のあり方である。市場型経済の一つの極端なタイプは、不特定多数の経済主体が自由に参加する市場メカニズムに、経済の資源配分の決定を全面的にゆだねるものである。国としてこれを選択することは、いうは易く実際には強い信念を要するシステムであるが、これを比較的純粋な形で採用してきたのが、ほかならぬアメリカである。
 アメリカ型資本主義は、市場メカニズムを絶対視するという意味で、ひとつの極端な経済システムである。しかしそれは次の二つの理由によって、少なくとも現時点ではもっとも国際的普遍性を持った、資本主義市場経済の「テーゼ」となっている。一つはほかならぬ世界最大の経済であるアメリカが、このシステムを採用していることである。もう一つは、このシステムの最も基本的な特色の一つが、市場への参加者が多ければ多いほど、より良いマーケット(金融経済学でいうところの効率性の高い市場)が形成され、それによって市場への参加者全員が恩恵を受けるという、強い信念に基づいていることである。このためアメリカ型システムは参加者の資格を問わない、オープンなシステムである。そして市場の効率性を高めるために、常に新規参入が可能な状態を維持することが、最重要視される。この特質ゆえに、アメリカ型システムは一国のシステムとして極端なシステムであるにもかかわらず、貴重な国際公共財となっているのである」
1994 東洋経済新報社 井出正介 「日本の企業金融システムと国際競争」)
 さて、アメリカ型資本主義、すなわち、「純粋市場経済」においては、企業と投資家、債権者などの利害関係者との関係はドライである。日本型資本主義が、様々な経済主体間の長期的・総合的なリターンをベースに考えるウェットな「ネットワーク経済」であるとすれば、まさに対極に位置する。   
 市場経済では、投資家、債権者などのステークホルダー(利害関係者)と企業の間では特別な長期継続的な関係は形成されにくい。多様な利害関係者の関心ごとは、誰が、いつ、どれだけの分け前を得られるかという側面だけである。関心ごとが薄れれば、離れて行くだけの話である。ネットワーク経済のように長期的な関係であれば「ある局面では損をしても、別な局面ではお互いに利益を分け合う」といった総合的なセット取引が成立もしようが、市場経済においては、いかにステークホルダーの利益のためになるかという単一の指標が、ステークホルダーからみた企業の評価尺度である。

 「市場型経済における企業経営の優劣は、結局のところ、株主資本をいかに増やしたかで評価される。いいかえれば、いかに株主の持ち分を最大化するかということである。しかし、ここで誤解してならないのは、これは株主の利益だけを最大化することとは根本的に異なるということである。大切なリスク資本の運用をあずかる公開企業の経営者に対して、株主資本のリターンを最大化させる形で動機づけすることが、長期的・総合的には株主のみならず、負債資本提供者、従業員、消費者、競争相手、国を含む多数のステークホールダー(利害関係者)にとって、最も望ましい資源配分をもたらすというのが、自由市場システムの信念である。現実に、
ROEの高い企業の財務内容は通常優良であるから、負債提供者も歓迎するはずである。また、そういう企業は負債、株主資本とも有利に調達できるため、成長が促進され、従業員も報われるはずである」(1992 日本経済新聞社 井出正介・高橋文郎「企業財務入門」)
 様々なステークホルダーとの長期継続的な関係が成立されにくい市場経済においては、投資家や債権者は、あくまでも金融投資として企業の発行する有価証券のみに関心がある。発行者が誰であるかについては、特にこだわらない。つまり、投資家は特定のリターン・リスク特性を提供してくれる金融資産であれば、発行者は誰でも良いのである。

 「多数の企業が多様な経営戦略にもとづいて、いろいろなタイプの経営資源を、いろいろな形でミックスして、様々なタイプの製品やサービスを提供しているような発達した経済では、結局のところ、企業の総合的な価値創造活動を客観的に評価する主要な手段としては、一定の期間における総合的な財務的パフォーマンスにもとづいて判断するほかないといえよう」(1992 日本経済新聞社 井出正介・高橋文郎「企業財務入門」)
 従って、投資判断も基本的には公表された財務情報のみに基づく。アメリカは、財務情報の開示問題(ディスクロージャー)においては、世界で最も厳しい規制を持っている。言い換えれば、アメリカの会計制度はディスクロージャー規制である。日本の企業会計が、単体ベースでは処分可能利益の算定を中心とする、利害調整機能(配当規制)と情報提供機能の二つの機能の調和の上に成立しているが、アメリカの場合には、ディスクロージャーを中心に制度を作って、配当規制は州の会社法、税金は内国歳入法に基づき計算しており、会計が単にディスクロージャーに偏っていても問題はない。これは、企業金融が、アメリカが直接金融を中心としているのに対し、日本は間接金融を中心としているからである。
 開かれた市場経済の原則は、誰でも、いつでも、自由に市場に参加できるということであり、これを資本市場に当てはめると、企業はリスクを織りこんだ期待リスクを約束する証券を市場にオファーすれば、いつでも市場から資金を調達することができることを意味する。このためには、企業の実態を市場に正しく伝えるためのディスクロージャー制度が不可欠な条件である。
 資金提供者は、ディスクローズされた財務情報に基づき自ら分析・予測を行い、リスクを上回るリターンが望める場合には投資し、そうでなければパスすることになる。そうした最善の判断にもかかわらず、投資家や債権者は、たとえ優良と目されている企業であっても、債務の支払い不能や倒産という憂き目もあり得るということを前提に投資を行うのである。すなわち、そこには自己責任が伴うのである。適正なディスクロージャと自己責任の原則は、一体のものである。
 さらに、アメリカで最も重要視されている経営指標に
ROEReturn On Equity:株主資本利益率=当期利益/株主資本)がある。これは、投資家が投下した資本に対して企業がどれだけ利益をあげたかを示す指標であり、別に目新しい指標ではないが、アメリカにおける企業の評価尺度は、結局、株主資本をいかに増やしたかで評価される。いいかえれば、いかに株主の持ち分を最大化することが経営者の最大の課題とされるのである。
 
「純投資目的の投資家が株式投資の中心を占めるような経済では、株式会社は第一義的には資本の増殖のためのブラックボックスとして位置づけられる。そして、市場を通ずる価値創造のプロセスの結果、投資家の集合体から成る資本市場の期待を満たす財務的なパフォーマンスをあげ続けて初めて、企業は価値ある存在として認められる。どのような企業もそれ自体で存在価値がある訳ではなく、事業として適正な利益(キャッシュフロー)を生まない限り、資本の無駄遣いとしか評価されない、このような企業観である」(1994 東洋経済新報社 井出正介「日本の企業金融システムと国際競争」) 

 

6、日本版ビッグバン

 199611月、当時の橋本首相によって「日本版ビッグバン」と呼ばれる金融システム改革が提唱された。1986年にイギリスが実施した金融大改革「ビッグバン」にちなんでこの名称で呼ばれる。
 「ビッグバン」の本来の意味は、天文学上の
Big Bang Theory(爆発宇宙論)に由来する用語で、宇宙発生の原因となった大爆発のことである。イギリスにおいて1986年に実施された金融大改革のことで、金融改革が経済社会に与えるインパクトの大きさからこのような命名がなされたものである。
 日本版ビッグバンは、橋本首相が提唱した六大構造改革の一つ、「金融システム改革」である。ちなみに、六大構造改革とは、「行政改革」「財政構造改革」「金融システム改革」「経済構造改革」「社会保障改革」「教育改革」である。
 ビッグバンの背景には、東京市場の空洞化がある。改革のスピードが最も遅れた金融機関に合わせる「護送船団方式」といわれる金融行政や、バブル崩壊後の金融システム不安が原因で、日本の金融システムの改革は欧米に
10年は遅れているという認識があった。日本が厳しい商品規制をしているうちに、欧米の銀行・証券会社は、デリバティブ取引などの革命的な商品を開発・駆使して高収益をあげるようになり、日本の金融機関は取り残されたのである。しかも、日本の金融機関は、バブルの影響で不良債権を抱え四苦八苦の状況にあった。そこで登場したのが、ビッグバンである。ビッグバンの二つの課題として、「改革」と「不良債権の処理」ということを具体的に挙げている。
 「改革」の中核となる思想は、「フリー;
Free(市場原理が働く自由な市場に)」「フェア;Fair(透明で信頼できる市場に)」「グローバル;Global(国際的で時代を先取りできる市場に)」という三原則が掲げられている。

 
「平成811月橋本総理より三塚大蔵大臣及び松浦法務大臣に対し、2001年までに我が国金融市場がニューヨーク、ロンドン並みの国際金融市場として復権することを目標として、金融システム改革、いわゆる日本版ビッグバンに取り組むよう指示がありました。
 
21世紀の高齢化社会において、我が国経済が活力を保っていくためには、1200兆円にも上る個人金融資産がより有利に運用される場が必要であり、これら資金を次代を担う成長産業へ供給していくことが重要です。また、我が国として世界に相応の貢献を果たしていくためには、我が国から世界に円滑な資金供給していくことが必要です。
 金融システム改革とは、このような観点から、フリーすなわち市場原理が働く自由な市場、フェアすなわち透明で信頼できる市場、グローバルすなわち国際的で時代を先取りする市場の
3原則にのっとり、抜本的な金融市場の改革を進めていくものです。これを利用者の側からみれば、例えば、幅広いニーズに応える商品が登場し、銀行・証券等の取扱い業務が拡大することによって、貯蓄をより多様により容易に運用でき、使い勝手がよくなるものと考えられます。
 一方、我が国金融市場の活力を甦らせるためには、本改革の推進と並び金融機関の不良債権を速やかに処理していく必要があり、金融システムの安定には細心の注意を払いつつ改革を進めていきます。
 この改革は、財政構造改革、経済構造改革等の6つの最重要課題の一つとして、全力を挙げて取り組んでいくものです」
 (大蔵省ホームページ 
http://www.mof,go.jp./big-bang/bb1.htmより)

 Free
FairGlobalなシステムに移行するという「改革」の中核となる思想は、これまでの日本の経済システムは、「不自由」「アンフェア」「ローカル」なシステムであったことを物語っているのである。
 ビッグバンの最大の意義は、現在の日本の金融制度を国際標準(グローバルスタンダード)に合わせることにある。2001年に改革を完了し、目指すべきは「東京をニューヨーク、ロンドン並みの国際市場に復権すること」である。
 さて、
Freeとは、「市場原理が働く自由な市場」にするために、参入、商品、価格等の自由化を進めることを意味している。具体的には、銀行、証券、保険分野への参入を促進、幅広いニーズに応える商品を提供できるような体制作りとして長短分離などに基づく商品規制の撤廃、証券・銀行業務の取扱業務の拡大、更には、多様なサービスと多様な対価を提供するために手数料の自由化などがある。
 
Fairとは、「透明で信頼できる市場」を達成するために、ルールの明確化、透明化、投資家保護を行っていくことを意味する。具体的には、自己責任原則を確立するために、充分な情報開示(ディスクロージャー)とルールの明確化は図ることである。
 
Globalとは、「国際的で時代を先取りする市場」にするために、法制度、会計制度、監督体制の整備を行うことを意味する。
 すなわち、ビッグバンは改革の三原則、
FreeFairGlobalの原則を実行することによって、2001年までに、現在の日本の金融制度(すなわちFreeFairGlobalでない、不自由、アンフェア、ローカルな日本の金融制度)を国際標準(グローバルスタンダード)に合わせ、失墜した東京市場をニューヨーク、ロンドン並みにすることにある。

 
「次に、日本型システムの中身をもう少し掘り下げてみたい。日本人は、若者ですら競争を極力回避して、横並びで仲よくやりたがる。リスクも極力避けたがり、官庁や大企業に就職したがる。もともと競争、リスク、選択の自由は、市場経済を構成する三大要素みたいなものだから、その全部が嫌いな日本人は、市場経済のプレーヤーとしては極めて弱々しい。日本は市場経済、自由主義経済の国だというが、私にいわせれば、日本の企業はそんなに競争していない。たとえば乗用車メーカーは日本に8社もある。家電メーカーも10社近くある。こんなに多くの会社が共存共栄しているのは、本格的な競争社会ではあり得ないことだ。アメリカの自動車メーカーは3社、家電メーカーはほとんど消滅してしまった。日本には業界団体が業界を仕切り、上手に棲み分けを図っている。それは決定的な勝者と決定的な敗者を出さないという意味で、別に悪いことではないが、アウトサイダーから見ればアンフェアと映る。外国の企業が日本の市場に参入しようとすると、排除のメカニズムが働くのが問題なのである。
 日本は市場経済の国だとされているが、その実、市場は不透明、不公正、不自由なまま長く放置されてきた。本来市場経済は自由、透明、公正でなければならない。そういう市場経済につくり変えることが、何よりも必要なのである。規制緩和をどんどん推し進めることも必要だが、それだけではなく、自由主義経済、市場経済において最低限守るべきルールをきちんと明示化した上で、ルール違反を摘発するための監視機関を設ける必要がある。監視機関が絶えず市場を監視しており、ルールを犯す者を見つけたら厳罰に処する。そうしないと、市場経済は有効に機能しない。こうした監視機能において、日本の行政は非常に遅れている」
(佐和隆光 
http://forum.justnet.or.jp/naminori/jnonline/sawa.htmより)

 
1990年代に入ってバブルが崩壊した後、一種の機能不全に陥ってしまっている日本の金融システムを、市場経済が本来持つべきとされるFreeFair、すなわち自由、透明、公正な状態へ原点復帰しようとするのが、ビッグバンのねらいであり、金融システム全体のグランド・デザインの変更なのである。
 さらに、金融機関性悪説に基づきマーケットルールを制定し、それをきちんと明示した上で、ルール違反に対しては厳しく罰する。法律の遵守(
Complianceコンプライアンス)を厳しく要求する。そのための監視機関を充実する。
 アメリカの場合は、ルール違反に対しては厳しく、監査体制も充実されている。日本の監査体制は、大蔵省内の監督局に
300人足らずの人員で日本の全金融機関を監査しているのに対し、アメリカの場合は監査のための人員は15,000人を超え、さらに、1988年のマイケル・ミルゲンのジャンク債の場合、80億円の罰金が科せられるというように、ルール違反に対しては非常に厳しい。また、アメリカの金融業界の企業は自浄努力を促すために、企業内にコンプライアンス・オフィスを開設し、弁護士資格を持つ専門家を雇って企業内の監視を行っている。そのためのコストは、違反した場合の罰金を考えた場合、かえって安くつくという考え方がある。
 
Globalは、「国際的で時代を先取りする市場にする」ために、法制度、会計制度、監督体制の整備を行うことである。会計制度の改正は、会計制度のグローバルスタンダードである「国際会計基準」に則して行うことになる。
 国際会計基準が企業の経営・評価のモノサシとなることによって、企業の統治機構(コーポレート・ガバナンス)も改革を迫られることになる。株主に対しての企業価値を最大化するための経営機構の改革である。
 財務指標のとり方についてもグローバルスタンダードに変更を余儀なくされる。日本は「経常利益重視」の経営を伝統的に行ってきたのであるが、会計上の利益は企業価値を表すものではなく、利益は資産の評価方法や減価償却の方法などで変更可能なのである。世界の流れは、事業活動上の正味の資金収支であるキャッシュフローベースを指標にとることが常識化している。
 こういった世界のモノサシの中に、日本の会計制度なり、企業の行動なりが放り込まれているのである。

 
「今までの会計システム、金融システムというのは、要するに負債主義の統制ないし管理経済という日本の経済システムの実態を前提にしたシステムであり、会計制度もそういう位置付けになっていたのだと思います。ビッグバンというのは別にとんでもない先取りしたことをやろうというんじゃなくて、後追いの現状追認の面が多い、現実に移行しつつある資本主義・市場経済の世界への制度的対応だと思います。だから、会計制度というものも、負債主義・管理経済から資本主義・市場経済へ転換するんだということを意味しているんだと理解している。負債主義と資本主義というのは言葉のあやで、ばかばかしい議論になるかもしれませんけれども、負債性の資本を提供している人たちにとって意味ある会計情報を開示しているのが現行の会計制度だと思いますね。これは債権者保護という言い方がされているのを言葉を変えただけかもしれませんが、たとえば利益の問題で言えば、新聞を含めて経常利益だけを問題にしていたし、マーケットだってつい数年前までは、経常利益がふえているかどうかというところでもって企業を評価していた。利払が確実に行われるかという、そこのところに着目したシステムであれば、経常利益を見ていればいいという話で、これはまさに護送船団の金融機関を間に挟んだ管理統制経済の中における会計制度としては整合性があったんだろうと思うわけです。それが資本の提供者、シェアホルダーに対する会計情報というところに重点が移ってきて、今の一連の改革の意味、必要性があったということなのではないでしょうか。経常利益から税引き後の最終利益へ、会計が捕捉する利益の重要性が移行していることにも対応しています。技術的にはともかく、思想の変更なのですから、これが額面どおりに実行されれば、相当大きなインパクトがあるし、意味のある画期的な改革だと私は思います」(199810 中央経済社 「企業会計10月号」「座談会;『グローバル・スタンダードに迫れるか』末村 篤(日本経済新聞社編集委員)」
「現在わが国で進められている会計制度の改正作業は金融制度改革(「日本版ビッグバン」)のなかで行われている作業であり、目指すはわが国会計制度のグローバルスタンダード化であることを見落としてはならない。
 金融制度改革は証券市場の活性化が目的だが、そのためには市場原理が十分に生かされなければならない。市場原理の徹底とは投資家が自己の責任において投資を行うということである。しかし投資家が自己の責任において投資活動を行うためには、投資判断を下すに足る情報が得られなければならない。これがディスクロージャーの強化が要求されるゆえんである。そして、日本の証券市場を国際的に見て魅力的なものとするには、そこから提供される情報もまた国際的に見て遜色のない内容を持つ必要があろう。わが国の会計基準の見直し作業(企業会計審議会による検討)は、まさにその観点から行われているものである」(
1997 東洋経済新報社 徳増○洪・加藤直樹「企業会計ビッグバン」)

 

[補足1 ハイエクの信念]

 「ハイエクが1974年ノーベル経済学賞受賞記念講演の中で採り上げた次の物語は大いに説得力に富んでいるので、多少の脚色を施した上で、その物語のあらすじを紹介しておこう。
 数キロメートル離れた二つの村があるとしよう。甲村には美味しい酒を造る酒屋がある。他方、乙村には造り酒屋はないけれども、美味しいミルクを絞る牧場がある。乙村に住む酒好きの男が、あるとき、酒を盗みに甲村にゆこうとした。これまで両村は没交渉だったため、両村を結ぶまともな道はない。そこで男は草木ぼうぼうの中を何とか歩いて甲村にたどり着いた。目的を果たした男は、来たとき踏みしだいた跡をたどって乙村にもどる。さて今度は、甲村に住むある男は、病気の子供にミルクを飲ませたいと思い、乙村の牧場にミルクを盗みにゆこうとした。草木ぼうぼうの中、先の男が草木を踏みしだいた跡が残されている。それに気づいた男は、ただ単にその方が歩きやすいからというだけの理由で、先の男が歩いた跡をたどって乙村にたどり着いた。目的を果たした後、同じところを歩いて甲村に帰る。
 さて、二人の男が利己的に振る舞った結果、両村を結ぶ道らしきものが出来上がった。二人の男が両村間に道を作ろうなどという意図がなかったことは明らかである。にもかかわらず、二人の利己的な男のおかげで、まるでだれかが意図して作ったかのような立派な道が両村の間に出来上がり、それがきっかけになって両村間で物品の取引、すなわち貿易が始まり、結果的に、両村民の福利(ウェルフェア)が高まったのである。
 結局、個人の自発的(したがって利己的)な行動が複合された結果、価値ある社会的制度、装置が出来上がるのであって、政府や利他主義者の意図によって出来あがるわけでは決してない。これがハイエクの哲学的信念なのだが、そこから導かれるのは次の命題である。個人や個々の企業の自発的(利己的)行動に制約を課すような規制は断固撤廃すべきである。わが国には数えて約1万
1000個もの法的規制があり、企業や個人の行動に対して様々な制約を課している。昨今、規制緩和の大合唱が喧(かまびす)しいが、なぜ規制緩和が好ましいのか。その根拠はハイエクの哲学的信念に由来するのである」
1999 ダイヤモンド社 佐和隆光「漂流する資本主義」)

 

[補足2 20世紀はどんな時代だったか]

 「日野啓三(作家・読売新聞社編集委員): 世界の総人口の推計グラフを目にしたことがあります。紀元ゼロ年から17世紀までは人口増大の線グラフはフラットですが、18世紀(約6億)あたりからグーッと上がってくるんですね。20世紀初めに16億、現在は60億近い。100年間で45億人増えました。
 人類という種が非常に栄えた時代ともいえるし、異常事態が生じたともいえると思うんです。このカーブは、一般に有機的なシステムでは破滅曲線であって、これだけ見ても、この100年間は、とんでもない時代だったといえるんじゃないか。
 20世紀を大きくまとめると、一つは地平の拡大です。科学技術、生産と経済、中産階級の増大。無意識を発見して意識の面においても拡大した。視野が原子核の内部から宇宙にまで拡大した。
 第二は、抑圧され、陰になっていたものが顕在化した世紀だといえます。勤労人民、植民地、女性。自然のイメージも客観的になった。
 もう一つ、21世紀への遺産という意味で、アメリカ型自由競争社会の世界化という現象があります。それから来る諸問題。地球資源の収奪とか自由競争における敗者・弱者の問題。そして暴力・テロリズム、人格崩壊。普遍的な文明と個々の地域の文化との摩擦もあります」
 19971228 読売新聞 「20世紀 どんな時代だったのか 東京座談会」)

 

 

[補足3 海と文明]

 「海洋と軍事支配の関連ではパクス・ロマーナ(ローマによる平和)は地中海をローマの内海とすることから成立し、パクス・ブリタニカ(英国による平和)は三角貿易やインド航路を含む七つの海の制覇から成ると言われた。パクス・アメリカーナ(米国による平和)においても、その起源は大西洋航路の圧倒的な物量作戦で第一次大戦において英国を支えたことにある。第二次大戦も米国は、大西洋をその名も北大西洋条約機構である軍事同盟の内海とし、外洋である太平洋においてはアラスカーハワイーグァムの不滅のラインを支えに海洋の西の果てに前線を築き、中東にはインド洋から発進する緊急展開戦略で備え、さらに抑止戦略を根幹に海洋核を位置づけてきた。・・・・・・・・・・
 海は長い間、高速移動が可能な唯一の空間として異質の刺激を社会にもたらし、発展を触発してきた。海上権力論とは裏腹に、公海では政治権力の密度はむしろ薄く、ゆえに権力で遮断や妨害されることなく交流と交通を安価に実現できる広域として海は存在してきた。バスコ・ダ・ガマのインド航路発見も、政治権力の林立する陸路や地中海を経る輸入に対して東方物産の価格破壊と普及を可能にし、通商拡大による新たな世界システムを生み出した。それはまた大競争時代の幕開けを意味し、海洋をとりこんだ交易システムは世界史の時間軸を一気に高速化させた。異質との出会いは支配と従属の契機にもなり、軍事力と一対の経済競争も展開されてきた」
199816 読売新聞 猪口邦子「海と文明〜共生へネットワーク」)

 

[補足4 脱アメリカの模索]

 「明治以来、紆余曲折を経つつ欧化と米化を自ら体験してきた日本人も、アメリカ化を基軸に悪として退ける人は少ないだろう。まして、自らの社会のあり方を決めるのは近代化に向かう途上国の人々自身である。彼(女)らがアメリカ化を良しとしたら、その選択は尊重されなければならない。しかし、と私はつぶやかざるを得ない。米国とは、普遍的理念を掲げる、それ自身は極めて特殊な社会ではなかったか、と。あれほど宣教師的理念が強く、あれほど物質的享楽の追及が強く、あれほど自立の気質が強く、と、『あれほど』が山ほど続く社会が、世界中にモデルとして広まって良いものだろうか。
 また、市場経済のモデルで経済的向上を願う途上国は、本当に欧米の植民地主義、傲慢への怒りを超克し、自らの文化や宗教の犠牲をいかなるものか理解してその道を選択していくのだろうか。そうした怒り、文化的・宗教的犠牲への憤りは、途上国内の深刻な対立と世界的規模のテロ活動として噴出するのではなかろうか。
 何よりも、20世紀末の地球環境問題は「アメリカ的生活様式」の破産を宣告したはずである。私たちがそれを知りながら、21世紀の全地球規模の近代化=アメリカ化を不可避の現象として座視し続けるなら、それは将来の世代への犯罪とさえ言えるのではなかろうか・・・・・・・・・・・・・
 21世紀とは、それゆえ世界的規模の近代化=アメリカ化と、そのこと自体がわれわれに強いる不断の脱アメリカ化の模索の時代である」
 199815 日本経済新聞 大沼保昭「経済教室 21世紀への設計図 脱アメリカ化試みる時代」) 

 

【補足5 経済システムと資源配分メカニズム】 略

 【補足6 問われる長期・総合的リレーションの正当性】

 「わが国の経済、金融、経営を律する基本的な価値観の一つに、企業と企業、企業と金融機関、企業と従業員、企業と投資家など、様々な経済主体間の関係を長期的・総合的なリターンをベースに考えるべきだというものがある。企業グループ、企業系列、メインバンク制、終身雇用、下請関係などに共通する考え方である。株式の安定保有、相互保有もその一環であることはいうまでもない。このような価値観のもとでは、リレーションの深い経済主体の共存共栄を図ることが取引の性格を決める。その一環として、『この取引では損ないし低いリターンでも、別なところでつじつまが合えばいい』、『悪い局面ではお互いに損を折半する代わりに、良い局面でも利益を分け合う』、『ある商品(例えば生保による株式投資)と別な商品(グループ保険の引き受け)をセットで考える』といったことが正当化されることになる。株式投資のリターンが低くても総合的な取引の拡大とセットで考えて時価発行に応じるという判断も、広い意味ではこの範疇に入るといえよう。
 ある特殊な環境のもとで、こうしたシステムを善しとする強いコンセンサスが得られることは十分ありうる。しかし、そのシステムがグローバルな汎用性を持つかどうかは別問題である。特にアメリカ型のオープン市場の競争の基本ルールである独占禁止法の基本精神に照らしてみた時、長期・総合的リレーションに立脚した取引関係という考え方は、受け入れがたいものである。例えば特定の企業との間で他とは違った有利(あるいは不利)な条件で行う取引は互恵取引または差別取引と呼ばれ、アメリカ独占取引禁止法のもとでは厳しく規制されている。株式の相互保有を通じた系列関係やグループ内取引の正当性がグローバル化の中で、そういう観点から新たに問い直され始めているのである。
 今後、わが国でも企業間の関係を独占禁止法、あるいはそのもとでの公正競争という立場から律していこうということになれば、当然、伝統的な株式の保有構造の是非も問われることになる」(
1992 日本経済新聞社 井出正介・高橋文郎「企業財務入門」) 

 

【補足7 ハイリスク・ハイリターン】

 「アメリカ型システムでは、企業評価の第一義的な基準として、株主資本に対するリターンが強調される。市場における競争の生き残りのゲームのルールが、調達した資本のコストを上回るリターンをあげ続けることにあるとすれば、資本コストが低いほど競走上有利になることはいうまでもない。ただ、アメリカ型システムの中で競争する以外にないアメリカの企業経営者からみれば、市場で成立する資本コストはいわば与件であり、全員同じ条件で市場から資本を調達して勝負するという建て前になっている。このため、基本的には同じコスト(もちろん、リスクの度合いや資本構成によって現実には差は出るが)で調達した資本を、どれだけ増やすことができるかが評価の基準となる。したがって、どの企業経営者もほかより高いリターンを目標とするのは当然である。
 ところで、純粋市場型経済のもう一つの基本ルールは、市場が効率的になるにつれて、リスクをとらずに平均以上の高いリターンをあげ続けることは、不可能であるということである。もし、そういう事業機会が存在すれば、誰もがそこに参入し、遠からずリターンは平均並みに低下するためである。このため、高いリターンを志向することは、裏返せば高いリスクをとることと不可分である。結果的にアメリカ型システムは、ハイリスク・ハイリターン経営を奨励する、強いバイアスを持っているといえよう。アメリカの企業の多くが、かなりのリスクを負ってもユニークな戦略、ユニークな商品を追求し、改良型の技術や商品ではなく、画期的な技術や商品の開発を強調するのは、このためである」(
1992 日本経済新聞社 井出正介・高橋文郎「企業財務入門」)

 

【補足8 切り売りかパッケージか】

 「企業の資金調達は畜産農家の肉牛の売り方に似ている。
 メインバンクを中心とする特定少数の大金融機関に資金調達の大半を委ねてきたわが国の伝統的な企業金融方式は、いわば牛1頭をまるまる金持ちの商人(銀行プラス商社)に農家の庭先で売り渡すようなものである。農家はおいしい霜降りの肉牛を手塩にかけて飼育することに専念すれば、後は商人が引き受けてくれるというわけである。
 これに対してアメリカ流の資金調達方式は、農家が肉牛の個々のパーツの最終消費者のニーズを自ら探って、消費者の多様なニーズを満たすために、肉牛をなるべく細分化して、特定の切り身を特定の消費者に直接売る方式である。
 どちらがより優れているかは一概には判断できないが、わが国の伝統的なパッケージ方式は、メーカーは安くてよい物を作り、銀行や証券は低コストの資本供給、商社が輸出や物流をそれぞれ分担するシステムが大前提になっている。そして、その分担システムは急速に崩れつつあるといえよう」(
1992 日本経済新聞社 井出正介・高橋文郎「企業財務入門」)

 

【補足9 金融監視体制のあり方】
 「これから『ビッグバン』というほど金融自由化を大いに進めて、非価格競争をなくし、価格競争だけに移そうというわけですから、従来の金融ビジネスの中身、金融行政の中身は一変するわけです。これまで見てきた基準になぞらえて言いますと、これからの金融行政は、金融機関にいかに革新的行動、つまり秩序を乱す行動をとらせるかということになります。金融機関にあっては、日々、技術革新によって新しい商品、新しい金融サービスを生み出すことが自らの成績をよくすることにつながっていくわけですから、情報は積極的につくって公開する、そして成績のよいところは高い格付を得て、規模ではなく、利益率に基づく格付を得て、序列は常に変動することになります。新しい金融機関も生まれ、かわりに成績のよくない金融機関は倒産するということになります。

 

 
 こうなってきますと、消費者や企業といった金融機関の顧客は、初めて金融商品や金融機関を選択しなければならない、しかも自らの責任においてリスクをとって選択を迫られることになるわけです。
 この場合、国民の多くはリスク・リターン情報をとって分析し、予測するということが必要となりますが、実はこのことは難しくてできないことであります。こうした国民のためには、国民に保険料を払ってもらって預金保険をかけ、この預金保険料収入でもって
5,000人から1万人の人が預金保険機構で働き、預金者にかわって金融機関の監督をしていくことが正しい道筋です。
 よく日本の方々が理想とする自由の国アメリカにおいては、実は官僚の数は日本の
4倍、人口一人当たり日本の2倍の公務員を抱えています。また、預金保険公庫だけで2万人の人々が働いています。こういった現実を直視しないで、規制緩和をして小さい政府にしようという絵空事を目標に掲げ、金融機関の監督行政を狭めているのが現在の状況だと思います」
199811 中央経済社 「企業会計11月号」 奥村洋彦「金融監視体制のあり方」)

 

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