第一部  8章 ディスクロージャー

経済学に、「世の中にうまい話はない」という原則がある。単純明快で誰もが知っている原則である。しかし、この原則は、人間の歴史の営み、にがい経験からの教訓でもある。
 人間は、「認識」能力に関しては、他の動物ときっぱり一線を画されるべき高等さを持ち合わせているようであるが、古今東西を通して、こと「儲け話」に関しては、相当に甘い。そして、多くのにがい歴史の教訓がある。
 「太陽は最良の殺菌剤であり、電灯は有能な警察官である」というディスクロージャー制度(経理開示制度)が生まれる背景は、「にがい儲け話」の教訓がある。
 


 

 

 

J.k.ガルブレイスの「バブルの物語」(1991 ダイヤモンド社)には、うまい儲け話に乗せられた人々が陶酔的熱病(Euphoria ユーフォリア)にかかり、財産を失っていく様子が描かれている。
 ユーフォリア状態とは次のように表現される。
 「金がものをいうとき真実は口をつぐむ」(ロシアの諺)
 「個人として結構まともで気のきいた人でも群集の一員となるととたんに馬鹿になる」(ドイツの詩人  シラー)
 「多少なりとも感受性のある人は誰しも自分だけ取り残されてはならないと思う」(ガルブレイス)
 ガルブレイスの「バブルの物語」には、17世紀にオランダで起きた「チューリップ事件」、18世紀にイギリスで起きた「サウス・シー・バブル事件(南海泡沫事件)」、20世紀に入ってからの大恐慌など、人々が欺き欺かれていく状況が描かれている。
 ところで、こうした事件が引き金となって、会計法規が整備されるケースが多い。ディスクロージャー制度が確立していくのは、サウス・シー・バブル事件を教訓としてイギリスにおいて芽生えている。
 サウス・シー(南海)とは、西インド諸島や南米などの広範な地域を指すが、東インド会社があげた実績を見た人々によって想像された黄金郷、エル・ドラードである。
 東インド会社の貿易の活況を背景として、1711年イギリスにおいて南海会社(南海とアメリカのその他の地域と貿易する大ブリテンの商人たちの会社)を設立する法案が通過した(この南海会社の設立は、「ロビンソン・クルーソー」の作者であるダニエル・デフォーではないかといわれている)。
 この南海会社は、政府から強大な特権を与えられ、更に黄金郷相手の商売ゆえ、人々の射幸心はいやがうえにも高まり、無数の内容のない、不良な、まるでシャボンの泡のように中身のない泡沫会社(Bubble  Company)が設立された。
 「投機ブームにのって設立された会社事業の大部分はインチキ企業やいかがわしいものが多く『泡沫会社』といわれるにふさわしいものばかりであった。『40年前の沈没船から金を引揚げる会社』『海賊に対抗する船を建造する会社』『すべての主人、女主人に、かれらの召使いからくすねられる損害を保険する保険会社』等々である」(1989 講談社現代新書 浅田實「東インド会社」)
 そして、「スペイン領アメリカから途方もない富が発見された」「黄金の湖が発見された」などの情報が流布されるに至り、国民全員がユーフォリア状態に陥り、株価は上昇し、誰もが「全員があたる宝くじ」的なバブル状態になったのである。
 しかし、実体のない幻想はいつかほころぶ。1720年に極度までに膨張した株価は一つの事件を契機として反落していった。この事件とは、議会が勅許状のない会社を法律違反として起訴するという法案を通過させ、比較的大きな泡沫会社にこの法令を適用させたことである。

 「こういった調子で、幾多の『泡沫会社』が設立されたのである。こういう『泡沫会社』に対して、当局もこれを容認していたわけではない。6月はじめ、議会は勅許状のない会社は法律違反として起訴するという法案を通過させた。しかし、多くの会社はこの法令を免れる手だてを講じたりした。
 しかし、8月18日比較的大きい『泡沫会社』であった王立絹布会社、ヨーク建築会社、イギリス製銅会社、ウェルズ製銅会社の四会社に法令が適用された。これによってそれ以下の多数の会社も株価はたちまちゼロにまで下がっていった。株に対する大衆の信頼はこれによって、根底からゆらぎ出した。今や、すべての人びとが売り急いだ。1週間以内にロンドン保険会社の株は175ポンドから30ポンドに下がった。売りの大波は泡沫会社の筆頭ともいうべき『南海会社』株にまで及んだ」(1989 講談社現代新書
浅田實「東インド会社」
 このことによって、それ以下の多数の株価はたちまち急落し、多くの投資家は没落、多くの自殺者が出た。毎日、新聞には喉を掻き切った人、首吊りした人、薬で自殺した人などの記事で一杯になった。全国民を投機熱に巻き込んだバブルがはじけたのである。
 このサウス・シー・バブル事件の結果、イギリスでは100年間株式会社の設立が禁止されたのである。この事件を教訓として企業内容開示制度、いわゆるディスクロージャー制度が芽生えるのである。
 資本主義は、生来的にバブル(投機熱)という持病を持っている。これは、オランダのチューリップ事件(チューリップの球根が法外な値段で取引されたバブル事件)や、サウス・シー・バブル事件、世界大恐慌に限らず、日本においても明治の鳩ぽっぽ事件、昭和においても十姉妹・セキセイインコ事件など、枚挙にいとまがない。

  「この日本経済の一連の現象をバブル経済という目新しい言葉で表現したのはマスコミであろう。この表現のもとはいうまでもなく1720年英国社会におこった史上有名ないわゆる南海泡沫事件(サウス・シー・バブル)にある。
 南米や南太平洋のスペイン植民地を黄金の郷(エル・ドラード)と考え、その開発を目指して設立された「南海会社」の株が20年はじめに異常人気を博して高騰、それにつけ込んで山師たちが206もの幽霊泡沫会社を作り、全国民を投機熱に巻き込んだが、半年であえなくバブルははじけすべての株が崩落、無価値となって国民に多大の犠牲を払わせた。そういう事件である。それと同じだというのだ。識者もそれに同調する人が出、同じころのオランダのチューリップの異常高騰暴落の事件から明治の鳩ポッポ、昭和の十姉妹やセキセイインコの暴騰崩落事件なども引き合いに出し、それと同じことだと論じたりしている。
 だが違う。実態が違う。与えた社会的影響に至っては質的に違う。チューリップや十姉妹騒ぎはたとえ自殺者が出たとしても、集団欲ぼけヒステリー現象、宗教的狂乱などと同じく人間の持つ業の一つの現われで、いつ、どこの社会でも大小はあっても常時見られる精神的流行病のようなものだ。南海バブルだって詐欺漢のまいた紙きれに踊っただけのこと。極言であろうが犠牲者は自業自得といい切ってしまうことも不可能ではない。
 問題は土地の暴騰だ。日本人の大多数を占める勤め人の切ない、いや最大ともいえる願望は、近代社会の利便と楽しみが享受し得る大都市内、もしくはその近郊に多少とも安息感を与えてくれる住居、できれば独立した家を持ちたいということにある。事の当否を問わず一所懸命の大昔よりそれが国民の願いだったのだ。
 今回の地価の大暴騰はその望みを瞬時の間に根本から打ち砕いた」

 (1991.10.23 日本経済新聞社  会田雄次「経済教室〜企業倫理、トップの自覚こそ〜」)

 しかし、バブル自体は、実勢に反した価格を矯正させるように働くことがあるから、必ずしも悪玉と極めつけられない面を持っている。善玉と悪玉のバブルがある。問題はバブルがいわば熱病と化し、一般の素人までも巻き込む異常な陶酔状態や、バブル戦場に死屍累々と地を覆うような悪玉は退治しなければならない。ここに法が介入することになる。
 サウス・シー・バブル事件後、イギリスでは1825年に泡沫条例を廃止し、1844年に近代的な目論見書の政府登録制度が作られた。目論見書(prospectus 趣意書、発起書)とは、証券の募集、売り出しの際に投資者に証券発行者の事業内容等を開示し、投資を勧誘する文書である。しかし、目論見書に記載すべき事項が詳しく定められるにはさらに40年間待たなければならない。
 1895年にはイギリス会社法、アメリカ証券法・証券取引法、ひいては日本の証券取引法の基礎となった調査報告(デーヴィ卿委員会報告)がなされた。

 「本委員会は有限責任制の下に法人化された株式会社に関する法律において、とりわけ会社の設立と経営に関する詐欺行為の防止のために、いかなる改正が必要であるかを問う目的で組織され、フランスやドイツ等の会社立法を調査した後、1895年3月『報告書』を作成、翌1896年、『会社法改正草案』とともに報告された。
 20世紀法制の先鋒となった本委員会の会社法改正の努力は、まず、無節操な発起人の詐欺的行為から一般の群小株主(投資家)を保護するため、一般会社の設立手続と公示事項の規定を強化することに向けられた」(1991 中央経済社 千葉準一「英国近代会計制度〜その展開過程の探求」)

 このデーヴィ卿委員会報告書の内容は、従来の証券投資の「信用したあんたが悪い」という投資者の自己責任から、証券の売主に対しても、投資の勧誘の目論見書には如何なる不当表示を含んではならないばかりではなく、投資家の決定に影響を与えるべき内容について表示する責任を課すべきであるとした。すなわち、事業内容の開示に関する限りにおいて「買方注意」から「売方注意」へと立証責任が転嫁されるべきであるとしたのである。
 証券の売主は目論んでいる投資の内容を熟知しているのに対して、投資者はその投資の内容を調査する機会をほとんど持っていない。
 デーヴィ卿委員会では、不当表示を含まない、そして投資者に影響を与える内容については目論見書に記載し、投資者に開示した上で証券市場に参加してもらう、こうした「情報の公正さ」が証券市場における健全な信用を創造できるとした。

 「現代のアメリカを代表する法哲学者ロールズが面白いことを言う。『公正は、参加するかしないかの選択できる慣行、たとえばゲームや取引競争に用いられ、正義は選択のできない慣行に用いられる。』遊びとしてのゲームや経済競争には、参加が強制されないという共通の性格がある。いやなら止めてもいい。たとえばインチキ賭博を開帳しても、それがインチキだと分かっていれば、その賭博には参加者がいなくなるから、賭博場の経営は成り立たなくなってしまう。すなわちインチキをやれば必ず分かるという情報の公開性という条件があれば、自由参加の仕組みが、社会そのものを改善するように働く」(1991・8・19毎日新聞 加藤尚武「理想の行方〜「公正の文化論」〜」)
 情報がインチキであったり、内容が不確かなものであることが分かる仕組み、情報の公開性という条件があれば自由競争はうまく機能し、社会全体がそのものを改善するように働く。
 デーヴィ卿委員会報告では、開示される内容については、投資者の判断に必要とされる内容について記載されるべきで、内容そのものについては、「平均的な慎重さを持つ投資家」の決定に必要な事項としている。

 「財務諸表を作成する場合にどれだけ詳しく記載しなければならないかや財務諸表の監査に際してどの程度の誤りあるいは不適切な表示であれば見逃してよいかが問題になるが、これらは重要性の判断と呼ばれる。勧告書は『平均的な慎重さをもった投資家の決定』に『当然影響を与えるであろう事実』という言葉を用いているが、そうした事実が重要性のある事実である。つまり、『平均的な慎重さをもった投資家』がその事実を知ったならばその株を買わなかった、買った、あるいは売却したと考えられるような事実が重要性のある事実である。現在、重要性の原則と呼ばれている財務諸表作成上の原則の解釈が早くも1895年に示されたことは興味深い」(1987 中央経済社 熊野実夫「企業会計入門」)
 証券市場における情報の開示は、売り手である証券発行者の責任であり、公開性に関しては、「信用したあんたが悪い」から「公開しなかったあんたが悪い」へと責任が転換されるのである。
 証券取引(法)における目論見書、届出書、報告書などの開示制度は、自由競争市場における公正さを保持することを狙いとするもので、19世紀中期から20世紀にかけてのイギリスにおける企業内容開示制度の動きが、その後のアメリカに引き継がれ、戦後日本の証券取引法の基礎となった。
 また、企業内容開示に関しては、その内容を保証すべく「公認会計士監査制度」が導入され、ひいては公認会計士が監査の拠り所とする「企業会計原則」策定への動きへと連綿と繋がっている。

 「1895年には、英国会社法、米国証券立法、ひいてはわが国の証券立法の基礎となったとみられるデーヴィ卿委員会の報告書が提出された。その一節を引用する。
 『5 また一方、新しい事業への投資を申し込みをするよう勧誘される人が、その決定に至るまでに独自の調査を行う機会を事実上もたないということは、ほぼ、認めねばならないところである。事実、目論見書の交付と申し込み期限までに許された時間では実質的な調査は不可能である。当委員会の意見によれば「買方注意」の格言は、僅かの場合にしか適用されない。
   したがって、公衆の申し込み勧誘の基礎となる目論見書は、いかなる不実表示も含むものであってはならないばかりでなく、高水準の誠実性を満足するものでなければならない。目論見書は、平均的な慎重さをもった投資家の決定に当然影響を与えるであろう事実をすべて記載すべしとすることは、実行困難な理想案であり、不可能なことかもしれない。しかし、当委員会の意見によれば、これが目指すべき理想であり、この目的のために、最大の公開を確保することが、株式会社設立に関する新しい立法のむかうべき目標である。新しい立法は情報それ自体の開示、あるいは情報を得る手段を備えることを強制するであろう。しかし、もし、人々が与えられた情報を得る手段を利用しなかったり、与えられた情報を利用しなかったならば、責めを負うべきは法律ではないことを決して忘れてはならない。』

 この文書には、後に株式会社の情報開示に関する訴訟や証券行政における判断に用いられる多くの考え方を含んでいる。」
 (1987 中央経済社 熊野実夫「企業会計入門」)

 


【補足 売り手に用心させよ】

 「これと同時に、大衆の投資を保護するために数々の努力が払われた。ルーズヴェルト大統領は、1933年3月29日の議会にたいする推せん書の中で、金融市場の運営を改革することを要求した。『たくさんの州条例があるにもかかわらず、大衆はこれまで、多くの証券販売会社によって行われる道徳的でも正直でもない慣習によって、ひどい損失を被ってきた。……
 『新しい証券を発行し、これを州と州の間の取引によって売り出す場合には、いつでも完全に公開して内容を熟知させねばならぬし、これを購入する公衆にたいして、発行にともなう本質的に重要な点をかくしだてしてはならぬと主張するのは、われわれの義務である。』
 『こうした提案は、「買手に用心させよ」という古い規則に、「売手に用心させよ」といういまひとつの原則をつけ加えるものだ。それは一切の真相を語るという負担を売手におわすものだ。それは、証券の正直な取引をうながし、それによって大衆の信頼を回復すべきである。』
 大統領の提案は、1933年に証券法が制定されると同時に法律になった。この法律はイギリスの会社法がイギリスの投資家にあたえたと同じ方法で、アメリカの投資家に保護を加えることを目的としていた。それは、投資家が危険をおかすのをやめさせることを目的としたのではなかったし、投資家に損失を保証するものでもなかった。その目的は、たんに彼が買おうとしているものを彼にはっきりと知らせるという程度で、彼を保護するにとどまった。それは、証券の発行者にたいして、彼が売りだしている証券について買い手に一切の真相をしらせることを要求しただけだった。新しい証券の発行を大衆の投資家にしらせる前に、発行者は、証券の発行とそれを売出す銀行についての一切の情報をそえて証券取引委員会(
Securities and Exchange CommissionSEC)に登記せねばならなかった。その上発行者は、要約した形でかかれた同じ様にくわしい情報をそえて、設立趣意書を見込みのある買手におくらねばならなかった。もし、証券取引委員会が、情報がいつわりであるか、読者を誤解させるものだと考えるときは、登記は取消され、証券を発行することはできなかった」
(1929 岩波書店 小林良正・雪山慶正訳 レオ・ヒューバーマン「アメリカ人民の歴史(下)」)

 

 

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