2024年4月のメッセージ

「心の目を開いてくださる方」
 (ルカによる福音書24章35~49節)         
   

 与えられているルカによる福音書に「(45)そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、(46)言われた。『次のように書いてある。《メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。(47)また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる》と。エルサレムから始めて、(48)あなたがたはこれらのことの証人となる。(49)わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。』」とあります。主イエスは弟子たちの心の目を開かれたのです。
 ここで注目させられますことは、来るべきメシアによる救いの出来事を、エルサレムと結びつけているということです。そこにはルカの明確な聖書理解があります。すなわち、神の救いのご計画は、旧約聖書によって証しされ、約束されていますように、エルサレムにおいて、来るべき方の十字架と復活の出来事によって成し遂げられるとの理解です。イザヤ書2章1~3節は次のように告げています。「(1)アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。(2)終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭(かしら)として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい(3)多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る。」と。
 ルカが繰り返しエルサレムに立ち帰ろうとする根拠がここにあります。旧約聖書が証しする神の救いは、エルサレムにおける主の十字架と復活の出来事により、証人たちによってエルサレムからあらゆる国の人々に宣べ伝えられて行くのです。それゆえ教会は、したがってわたしたちは、自らの思いによって出て行くのではなく、約束された聖霊に覆われ、導かれることによって、派遣されるのでなければなりません。
 その意味においてルカ福音書においてはエルサレムこそが向かうべきところであり、ここエルサレムにおいて御言葉と聖霊によって心の目が開かれ、上よりの力に満たされて遣わされて行くのであります。ですから、何よりもまず主イエスが約束された聖霊によって心の目を開かせてくださいと祈り求めて参ろうではありませんか。                                           札幌発寒教会指導教職 牧師 久野真一郎(札幌琴似教会)


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2024年3月・4月の説教