Visitor's Review
はじめから読む

O.K.internet(3)
Published Enemy

改めて気づいたことは、やるせないほど強く「個」であることとその無力さを意識することで攻撃性が強まるということだった。レディオヘッドに限らず、ロック的なモノというのはそうだ。ならばそれは、今ネットにアクセスしている面々にとって、どういう関係があるのか。

ロックのような類のポップミュージックを聴く人間のうちどれだけがそう思っているかは知らないが、音楽に限らずあらゆる創作活動の世界は普通のルールの世界とは違う。違っていなければならない。
集団は公益を前提とした盟約に基づく必要がなく、単に感覚の共有を(もしあれば)認めるだけだし、そこでは過剰な個を堅持することも一向に構わない。

僕達は意味なんか持たない個でもそれが「自分」である限り守りたいはずだ。僕はだからロックが好きだ。また、公共のシステムが嫌いだ。
だが、我が身の生活は他者同士から成る共生のシステムの中にある。音楽の世界でほんの少しの解放感を感じられても、ほとんどの公の場では自分の感傷には口をつぐまざるを得ない。

当初の批判に戻れば、自分の感傷に過ぎない、他者には面白くもなんともない言葉の投下は一見パーソナルな妄想の世界を公の世界と混同しているだけのようにも見える。これは、せっかくネットに通信費を払って参加している人間には許せないことなのか。

本当だろうか。そこで、インターネットの機能をちょっと考えてみるのだ。

もし、現行のネットの機能が有益な情報交換を図る通信手段のみだったらそうかもしれない。そこには秩序があったほうがいいし、飛び交う情報それ自体の形態も洗練されたほうがいい。お見合いサイト(なんだかねえ)であれば、「有益な」人脈を多く持ちたがるだろうし、音楽関係でも「有益な」情報を求める動きはやまない。テーマのある掲示板でヨタ話なんかしてる場合じゃない。もっと役に立つ、ここでしか知ることができないマニアックな「アイテム」情報を、さあ!てな具合いだ。

だが、実際はネットの役割が波及すればするほど、混沌の様相を呈してしまう。ノイズの奔流。それが現在のウェブの正体だし、今見ての通り、大量に無益なゴミのような情報も混在している。これは実社会の状態と似てなくもない。
大体こんなタルい文章が3回も来ても載せるってんだからyah-yaBallさんも人がいいぞ、つくづく。
だから、いわゆる「垂れ流し」である。buzzで松尾スズキも文句言った。まあ、彼を基準に文章力を設定なんかされたらあらゆる文筆系サイトは立ち行かないだろうけど。
他にもネットの黎明に関わった計算機畑の人間、あるいはある程度ネットを活用してきた人間からの批判が尽きないのは、そこに「機能」や「効果」を求めるシステム側の危機感があるからだ。それは、とりあえずは「正しい」。

そう、何か似ている。
どんなに個のバラつきが叩かれても、実社会の中にレディオヘッドのようなロックバンドが君臨するポップミュージックというある意味ムダな領域があるように、ネットという情報社会にもため息が出るくらい有意な情報群中にどう考えてもムダそのもののこぼれ落ちた情報の「私生児」たちがいるのだ。

そのことを後ろめたく思うべきか。弱さから発する言葉をポロポロとこぼしてしまうことを恥じるべきか。
まずは恥じるべきだ。松尾スズキ流に言えば「含羞」だ。
だが、だからやめろということではない。もっとも恥じることで止まるような言葉ならそれまでで、それは攻撃の意志を獲得してるとは言えないだろう。どんなに叩かれてもなお攻撃性を増す発信、それこそ信じるに足る表現力を持つと言う気がする。
しかも情報の私生児、無駄な感傷を持て余す者からしか発し得ない表現性というものだ。
システムが正常に機能していることを示す「有益さ」なんかよりも遥かに、やむなくも無益な、私生児の存在が僕をネットへ引き付けてくれる。その余剰な部分でしか、僕の興味は満たされない。どこでそれを拾うかは僕の選択の問題に過ぎないが、ロックの問題はロックファンに問うて何が悪いのさ。

だからこれは、本当は公的視点からの批判者に対する反論というよりは、僕を含む、「落してしまう人たち」への確認だ。


掲示板の方ではもう既に過去の話になってるらしく(4/4現在)、なんだか熱弁をふるっている自分がちと哀れな感じだ。だが始めた以上、しょうがない。次回でさっさと僕の私生児クンを落し切ってしまいたい。
ということでつづく。

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