H15度 ねこ娘さん&怪力バード君 関連スナップ・・・「修羅」「うつり」


最初は「修羅」についてねこ娘さん(高3)と怪力バード君(高2)の修羅に関するやりとりを紹介する資料として作り始めたのですが、ねこ娘さんの「感情移入」発言から「うつり」ということが今後の何らかの柱になりうるのではないかという事を感じ、上原先生の「芸談の研究」の「うつり」に関する記述や折口先生の「呪詞」「教育は感染」に関する記述の引用もおりまぜてみました。

1,怪力バード君記

 小論文「Xと修羅との関係」より(明治大講座「修羅残像」を踏まえて)

 ・・・YOSHIKIにとって初めての修羅は紛れもなく十歳の頃の父親の自殺だろう。・・・WEEK END という曲の一部である。

「手首を流れるおまえの体に絡みつけると一瞬のうちに甦る記憶に視界を閉ざされ笑いながら逃げていくおまえの姿を見つめる傷ついた俺が立っている」

ここに出てくる「おまえ」とは恐らく父親、「血」とは父親との繋がりである血縁。そしてその復活。YOSHIKI自身の自殺未遂のことを描いていると思われるこの詩。自殺であの世へ行った父が未遂に終わったYOSHIKIを嘲り笑う場面が想像できる。

それにしても「一瞬のうちに甦る記憶」とあるが、YOSHIKIは走馬燈を見たのだろうか。これらのことからもYOSHIKIが修羅人生を歩み、父親とのあの世との関わりを持とうとしていることがわかる。・・・・(7月11日 第1稿)




2,ねこ娘さんから怪力バード君への感想
 ・・・以前私も歌詞の分析をしていました。特に浜崎あゆみの歌詞に注目していて・・・彼女もそれなりに家庭環境でいろいろと苦しんでいたそうです。

そういった経験が歌詞に出ていて面白いよね。自分との接点を見つけたり、日本人の心意伝承と関連させて考えてみたり。

・・・YOSHIKIにとっての修羅がどんなものであるか知りたいね、個人的には。修羅の中にも死への恐怖の他に「あの世」への執着というか期待というか懐かしさっていうものもあるんじゃないのかなって。

・・・「死」への執着が強い人の中には実は「生」への執着が強い人もいると思うんだけど、そういう人って、人との繋がりをすごく求めるよね。・・・みんな「血」とか「死」とか「あの世」とか興味あるから、この論文、とっても面白いと思います。(8月22日)

3,怪力バード君からの礼状
 ・・・この前、ねこ娘さんが修羅について「あの世の懐かしさ」といっていたのについて、ものすごくハッとするような気がしました。

生まれる前の魂ってのは天上にいて、生まれた後もその記憶がその人の何処かにずっと根付いている、みたいな事を考えました。

確かに自分的にも修羅っていうのは血みどろのイメージの他に、修羅に抱かれて、何か安らぎみたいな感じがします。自分が生の世界と死の世界の狭間でもがいていたとして、それをいつのまにか包んでいてくれるのが、修羅だというふうにも感じます。

YOSHIKIも父親の自殺という境遇になってそのとき「修羅に抱かれた」のではないでしょうか。そしてそこからなかなか抜け出せなかったのでは。「あの世への懐かしさ」もあったろうし、ねこ娘さんが書いてくれたように「あの世への執着・期待」「あの世なら苦しみがないだろう」というのも何処かにあったんだろうと思います。(9月14日)

4,9月23日 ねこ娘さん 授業にて
*前回浜崎の新曲forgivenessの歌詞が話題。「・・・僕たちは時にどうしようもない過ちを犯し そのうちに少し俯瞰になる 傍観者のごとく まるで何もなかったような顔をして歩き出す だけど今日も覚えている 戦いは終わらない・・・」


*ねこ娘「昨日ね、あゆの歌をかけながら寝たせいかもしれないけど、(夢に)あゆが出てきた。初めて出てきた。(内容は)忘れちゃったんだけど、あゆの歌大好きだよ、頑張ろうね、みたいな事を言ったような気がする。お互い頑張ろうねみたいだった気がする。」


*ねこ娘「(次号テーマをあなただったら?)何となく興味があるのは感情移入みたいな・・・別に自分は悲しくないけど他人の心情とシンクロして悲しくなるとか、そういうのに興味がある。」


(一昨日の月例会で紹介された聖徳の子の月作文や合宿での風景と心のつながりの話題・・・時空などのイメージが転換すると感情移入も変化するだろうという内容のやりとりの後)

ねこ「自分が悲しくないのに誰かの気持ちを察して涙が出てくるとかいうのは、よく考えると不思議じゃない。」

たぬき「その感覚が究極になると、誰かじゃなくて目に見えない存在と交わることになってきて、それが神様になると神人交感になってくるんだろうね。

それができる事が犠牲論・・・神と交われる特殊能力の持ち主だ・・・っていうことで・・・。だから感情移入が豊かにできる人の方が、脳天気にボケーッとしている人より友達の悩みを取り込んで一緒になって悩んだり苦しんだりしてしまうんじゃない。」

参考
☆「感情移入」ドイツ Einfuhlung の訳語 芸術作品または自然の物象に自己の感情や精神を投射して、その対象に共感し融合する意識作用。十九世紀末、リップス、フォルケルトなどが美学の根本原理としたが、現在では美的享受の特質の一面として理解されている。(昭和56年版 小学館 国語大辞典)

*自分の感情や精神を他の人や自然、芸術作品などに投影することで、それらと自分との融合を感じる意識作用。(1995年版 小学館 大辞泉)

☆「アニミズム」自然界の諸事物に霊魂・精霊などの存在を認め、このような霊的存在に対する信仰。英国の人類学者タイラーはこれを宗教の起源とした。(1995年版 小学館 大辞泉)



 芸談の研究 心意伝承考
三、古傅と、鑑と、教訓と

P11,・・・いわば未経験でありながら、それを予感しうるという前論理的思考を我々はどうしても認めねばならない。そうして、この予感しうるという前論理的思考の定着を考えてみるとき、われわれはわれわれ以前の、父祖より子孫への心意伝承を思わないわけにはいかない。

それは知識よりもなお深く、殆ど疑うことすらさせない人間の意識の底辺を形成している。今ここでいう心意伝承とは、物語・口伝等の内容を言うのではない。強いていえば、目的に向かわせる感情の流し方、伴わせ方をいうのである。もとより、それの方法の直接的な解説を目的とする伝承がなされているわけではない。

 しかし、伝えんとする意志と、承けようとする意志とが、おのずから一致しないでは伝承は成立しない。古語りがあるからそれを語るのではない。古語りを語りたいとする意志は、伝えんとする目的の発見以前に、その古語りに流し込まれた感情を己の感情に投影することが出来たからとしなければならない。即ち既に、伝えをいかに承けたかということになるのである。

 古傅の尊重は、古きが故というよりも、人間の感覚の基本的攝取のあり方自体が、伝えをつたわりながら自覚し確認したものであることを知っていたからとしなければならない。

「教え」そのものに価値があるのではない。それを「教え」とすることに感じるのである。それを「教え」とすることにというところに「傅え」が見いだされるからであり、そのことがつたわって来るということであり、感じるとはこうした仕組みを持っていたのである。

(折口先生は、教育とは感染作用だと言われたことがあるがそれは教育の定義というよりも、教育という人間行為を、人間生命の不連続の連続という人間関係の中で把えた、またそうした人間関係を関係づけしめる人間本性に深く根ざした見解であったと思う)


・・・・従って「教え」は解答として求められることはしなくて、求めるものに感染(うつり)感応する働き(作用)を言っている。だから少なくとも教わる者は、抗い、論うことは見当ちがいであり、その必要がないことになる筈である。教わろうとすることは、感染・感応を期して受けようとしているのである。感染感応が起きたとき、伝わったのであり、またそうあるべき伝授するのであって、ものを伝授しようとするのではない。

 この原理を直観的に把えているのが鏡に託された日本人の心情であろう。鏡が鑑に昇格するのは、われわれがこの原理を持つからである。・・・・




”移り”ということ  
P17,うつるということが日本人にとっての重大思考構造であることを暗示したのは、折口博士であった。先生は、日本人にとっての教育とは感染作用であると言われた。

まさしくうつるは寫るではなく、移りである。芸談の中にこの語の多いことは、芸談の行われるべき動機とその役割を物語るものであると思う。如何に感応したかであり、移りの実証を、自己満足的に語るものが、あるいは時には矜持として、時にはその暗示性の故に説得力のあるものとして信じて疑わない述べ方となっている。

 芸談は自己の得た移りの感得を、純粋に、率直に述べ立てることによって、移りの効果を期待されるという信念を持つようである。


P18, ・・・役者が役者として成立したと認められるとき、それは「うつる」ときなのだと言える。それは、よく似合う時でもあるが、仮に、似合わない役者などあったとすると、それは、既に役者たり得ない。資格においてではなく、役を感じさせないことにおいてである。

従って「うつる」は、単一対象の中に、働いている何かを、観客の目が把えることにおいて成立する。しかも、このことは結果においてではなく、目的として、最初の条件として観客は期待していると言える。

その最も始原的なものが「のりうつる」であろう。「呪る」と「似る」とは同一語源からなると言われているが、呪術としての発見の「のりうつる」から、芸能としての発見の「似合う」への転換が、どこかで行われたとしても、それは同一軌道の上でのことであって、その目的が、心意過程としての働きを自覚するものであることにおいて変わりはない。

ただ呪術から芸能への転換は「役」の成立と介在とが、もたらしたものにちがいないと思われるのである。



1,「情のうつり」
P20,振りの語には外面を、すがたの語には内面を把えていることは明らかである。すがたはこの場合、素型なのであろうか、そしてこの「振にては時の人気をうつすとも、すがたに古今変わり目なし」という、文脈の乱れの故に、演技の着眼点を見せることにおかず、看られることに定めていることを却ってよく示している。

・・・「うつすとも」に対応する語がないことによって素型は、模写-転換ではないとしなければならない。・・・模寫・轉寫・寫實による芸を見せることと異なた情のうつりを課題としている。このために11条もの同種同工の例を繰返し、見せる者と見る者との反比例的結果からの脱出と、その秘訣を暗示するものといえよう。


また「其情に移らざれば」とある語は、方法的に情に移動することを思わせられるが、情そのものの流動性の把握を意味すると観なければならない。選別的方法というより、筋道として述べていると思われるからである。

方法的といえば「遣ふ人の心を人形にうつして」であり、絶感の場に至る最初の方法であるかもしれないが、これとても手段方法というより、入魂とか感応とかを絶対としてのことである。そしてその入魂とか感応とかを可能にしているものに、情そのものを流動し感染するものとしての把握があるのだと思う。


2、浮遊性・発動性・透視性
P22 つまりそれがどう受けとめられるかといううつりによって考えているからといえよう。演技者が主体でありながら、客体化する時がうつり(投影)なのであって、この状態におかれるから、観客も亦、自身の情のうつり(反応)を楽しむのである。

 従って、芸におけるうつりとは、芸が芸において写すのではなくて、芸が人(観客)に感染する感度において、芸の成立を認めているといえるようである。


P27 一体、情にこのように吸引されていく理由は、情そのものの働きが「うつり」-感染であることに帰因すると考えられないだろうか。いわば、知的理解よりも感情の納得を高しとし、感情の納得を俟って落ち着きと安らぎを得るからであろう。ために、彼は最高目的に和を据えたのであろう。和は和合なのであって、情の「うつり」の一致を言っているにちがいないのである。


3,移行の過程-感染
P28 先の戯財録に明らかなように、誠らしき嘘を作る要諦に、理を捨て、気のうつることと発見したことは、もっと注目してよいことではなかったかと思うのである。・・・芸能界ばかりではない。俳諧においても・・・即ち「移り」は日本人の伝承的感覚なのかもしれない。

P29  心を外にあらわすことが既に移行で、その移行の過程を見せられる時、感染していることになるのであろう。

P30 この「らしく」という用語は両方ともその主張するところを述べようとするときに無意識に発せられたものにちがいない。しかし「らしく」という語は”移り”が内包するものを直観的に把えたものと言うことができないだろうか。

・・・実に若しゆの理想像は先に見る者に出来上がっており、それに合致することが「らしく」なのである。姿に移る移らぬは、見る者が見ようとする期待像に二重写しになるかならぬかであったということができよう。

・・・従って、本来、「うつし」は”移し”なのであろう。いわば、事実において、物理的において、移行できる筈もないものを、印象において、現実像が期待像に重なり合って来る感覚的不可思議さを思う故に、またその印象の高まりを、過程的に表現するために”移し”と稱んだのではなかったろうか。

「らしく」は、その期待像が既にあること、更にそれへの人の接近において現実像を把える特殊な尺度であったと思うのである。その期待像と現実像とを距離的接近として尺度する物の言い方が「躰と芸と移りて上手成べし」となるのだと思うのである。


(苦しみという事から前にねこ娘さんが書いていた修羅の意識へ話題をつなげる)
たぬき「修羅になつかしさとかあるっていうのは貴種流離だとかの残像があるからなのかな?・・・あなたはどんなつもりで言ってるの?」

ねこ娘「あれは帰るべきところだと思ってる。何て言うんだろう・・・。修羅っていうと別に地獄とかでもないし、天界とかいうイメージもなくて狭間の世界っていうイメージがあって」

たぬき「何の狭間?」

ねこ娘「人間の世界でもなく神界でもなく・・・」

たぬき「それは何かで聞いて知っているの?」(六道など)

ねこ娘「いやいや、イメージ。だから何て言うんだろう・・・何でもそうだけどさ、人間って女の人から生まれてくるのに、女の人がコワイとかさ・・・自分が生まれてきたところになつかしさはあるけど、なんかちょっと畏れ多いっていうか、怖さとかもあるし・・・って思うんだけど。」

たぬき「血のことは気にしてる?」

ねこ娘「関係はあるかなとは思うけど、そんなには気にしていない。前回はちょっと気にしたけどね。修羅っていうとやっぱりこう生々しく傷つけあうとか、そうしたイメージもあるから。やっぱりこう血みどろの世界っていうのもあるけど、それは生まれた時と同じかな、って。」

たぬき「生まれた時とっていうのは?生まれる時の苦しみが、っていうこと?」

ねこ娘「生まれた時の。暗い中、出てくるじゃん。で、実際に血だらけでしょ、赤ん坊って。よくわかんないけどすごいでしょうよ。ああいうのとかの無意識があるのかどうか。マアあるんだろうけど。」


参考 心意伝承の研究「殺しと血の心意伝承」
P233(本地物語の発想について)人間界を神仏の前世として捉えている意識があり、輪廻転生の本地としてこの世を観る立場は厳然としている。従って主人公への危害の増大は、より威力ある神仏への転生を約束する代償の確認であった筈である。

P239 中世的発想でいえば、神仏への転生の記憶を喪失する時、それは人間界に留るとするほど彼等に人間自尊があったとは思われない。彼等は最も忌避すべき修羅道に墜ちたのである。殺し場は、もう神仏へ転生昇華しないで、修羅道の印象を強めたといってよいのだと思う。
等との関連から)


*ここで明治大学の「修羅」スライド・・・歌舞伎で平知盛の血まみれメイクをみせる。

たぬき「今血まみれで出てくるって言ったのがこれとも・・・」

ねこ娘「ああ、あれかもしれない。狭間っていうか自分の内側の場所。自分との戦いの場で自分だから懐かしいっていうのもある。」

たぬき「自分だからっていうのは?」

ねこ娘「人間は基本的には自分が好きだからさ・・・自分が嫌いだけど好きじゃん。そういうのが自分の中にある、それが修羅かな・・・。」

たぬき「別の現代人向けに書いてある雑誌なんてみるとこの知盛のメイクは歌舞伎版のゾンビなんていう紹介のされかたをしているんだよね。でも赤ん坊が出てきた時にそんなのを感じたのかね・・。」

ねこ娘「それはあるだろうね。で、何かで読んだか何か・・・産婆さんが手伝って生まれた子をたらいで洗ってあげてるなんていうのがあるでしょ。」
たぬき「産湯ね。あれってただ汚れをとるっていうよりも最初の禊ぎ・払いなんだろうね」

ねこ娘「あと、毛を剃ってしまうのもあるでしょ。生まれて少したって。何でだろうね。」


(折口全集2巻「貴種誕生と産湯の信仰と」は、この時点では最初の2ページまでしか読んでいない)


ねこ娘「あと、修羅っていうと男の侍同士がっていうイメージもあるんだけど、白雪姫なんかも思いだしちゃうんだけど。毒リンゴのお后とか。」

たぬき「修羅っていってもいろいろだからね。阿修羅像なんてあるでしょ」

ねこ娘「アア!なんか、わかんないけど・・・やっぱ心意伝承なのか、修羅っていう言葉に魅力を感じてた。ちっちゃい時。なんかマンガのキャラクターで出てきてたんだけど、やけにその名前に気に入っていたんだ。」(この後さらに NHK ドラマ阿修羅のごとく の話題へ)



5,9月30日 ねこ娘さん授業にて
 24日の授業の翌日、千葉県にある国立歴史民俗博物館に行く。図録「異界万華鏡」を購入。六道図に修羅界から人間界へという設定で描かれている。六道の順に関する知識などがあったのかを問う。


たぬき「生まれてくる赤ん坊の姿から修羅からやってきたっていう連想はあの時に感じたことなの?」

ねこ娘「あの時。・・・直観。」   (図録の六道図を見せる)

ねこ娘「知らないで言ったよね、そういえば・・・。今普通に聞いていたけど。きっと多分さ、始めから人間がきれいなところから生まれてきてるっていうのがないからなんだよ。人間ってきたないっていう意識があるからだと思うよ。」

・・・六道図以前にそのイメージを受け入れる素地がもともとあったのだろうという事で話がまとまる。



(幽霊画を見ながら)
ねこ娘「でも私、こんな風に醜くなった幽霊って好きじゃない、っていうか・・・でも死人っていうか幽霊にはね綺麗な姿でいて欲しい。」

10月18日夜 電話で
ねこ娘「日本人って言葉の響きを大事にしてきたっていうじゃないですか。それも移りと関係あるのかなって・・・」

たぬき「それはあると思うよ。言霊とか言葉の力がのりうつるとかあるから」

参考 折口先生の言語観・教育観
[生命の指標は我が内にあり より] 折口信夫事典(大修館書店)によれば折口博士はこの生命の指標(らいふ・いんできす)の語句を元々の意味よりもかなり拡張して用いていたという。

基本は「外来の魂が宿った物」とされるが、「咒詞や枕詞に神が宿る」「神の言葉のエッセンス」という様な意味でも用いていたという。そして伊藤好英によれば「枕言(ライフ=インデキス)に宿った外来の霊魂を貴人に取り憑けることであった。

枕言を聞かせることによって、貴人の魂が成長する。これは本縁譚に関しても同様で、ライフ=インデキスたる歌または諺にまつわる物語を奏することによって、物語に籠もっている大事な魂が貴人に付く。そこにはおのずから教育的意義も生まれてくる。そのような方法による貴人の教育を、折口は感染教育と呼んだ」とある。

[古代人の信仰 昭和17年 全集20-P126]
扨、神と魂の関係に就いて少しく論じてみたいと思ふ。我々は魂という言葉を使って居るが、昔は霊魂を、魂とは言わなかった。魂は霊魂の働き、或は霊魂の力量といった方が適切であると思われる。

霊魂の作用、霊魂の能力といふらしく解釈せられる。霊魂は何かといふと、たま といふ言葉で言ってゐる。中世に於いても魂といふ言葉は言ふまでもなく存在した。

また魂・大和心などの言葉が平安朝の中頃から用ゐられてゐる。大和魂というのは霊魂の作用を言ったもので、日本人として特になければならない霊魂の働き、といふことである。 既にご存じの通り、大和魂と言ったのは実は漢才といふことに対して言ったのである。漢才・和魂といふ用法が存した。

漢才は普通学問を言ってゐるが、学問以外にも、支那の文かに於いては君子として重要な、持たなければならない教養である。これを普通六芸と称し、これが総て才である。

日本が支那文化を吸収しても、支那風な学問・技芸に特別な扱ひをして、これを才(ザエ)と言ひ、唐才という風に発音して居たのである。段々世の中が進んで来ると、日本文化にも其等の外来のものに打ち勝つものがある、といふ風に自信が深まって来て、それだけ日本的内容が出来て来たのであつた。


これが即ち、大和魂である。さうすると魂と才との関係を申さなければならない。日本人が昔は何に依って教育したかといふことを考へるに、これも庶民の間のことはよく訣らぬが、宮廷・貴族の間のことは大略を知ることが出来る。

・・・結局は昔の教育といふものは、貴い御方は天地の成しの随(マ)に随に叡智を持って御生まれましましたと信じられてゐたのである。昔の人はこれを信仰の上から信じてゐた。故に然様に優れた御方に対し奉っては、臣下が如何に学問教養を積んでゐても、御授け申し上げる知識のある訣はない。御教へ申し上げることは非常に負気ない事である。併しそれでは御教養は付いて来ない。

であるからその間に自然方法が出来て、御教へ申すのではないけれども御側で語ってゐると、自然その方の御教養になるといふ様な方法、こちらは御教へ申し上げる意志はない、御付けなされる方も受けると思ってゐないけれども、自然御教養が備わって来るという方法を執って、それが一番正しいといふのが昔の人の考へ方である。


そうすると教育者も、被教育者である御方にも、教育といふ様な意識なしのことでなければならない。昔からの知識をば物語ってゐる。それが自然に御耳に這入り、それが御体の中に這入って行って知識になる、かういふ風な形になるのである。では御授け申し上げるかといふと、昔から伝わっている歴史上の知識、それから文学上の知識である。


「うつり」「感染」「のりうつり」での思いつき
*感情移入・・・・一体感・共通感(共通感情) 人形に対する意識変化 ・・・・神人交感
             以心伝心  や アニミズム
*景色・風景・・・世界定め 
*教育は感染・・・日本舞踊などの稽古 師弟同行 
*言霊の問題(折口学の 呪詞)
*命の連続・・・歌舞伎などの襲名   天皇(大嘗祭)
*鏡・・・うつしだすもの  御神体としての鏡
*語彙(意味の習得)・・・母国語獲得によって形成されるもの
☆背景には「心意として伝承されているもの」「先験的イメージ」


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