生命の指標(らいふ・いんできす)は我が内にあり
          -「児童」後の子ども達への児言態的実践-


◎はじめに -家庭教師としての教育実践-

 私は十年ほど小学校に勤めたのち体を壊し平成九年からは家庭教師として主に中学生や高校生と接している。

体を壊してしまったことは残念であったが、教育を考える上では案外怪我の功名とも言えるべき事が多い。何よりも意義深いのは下は小学生(時には幼児)から上は高校生と日替わりで様々な世代の子ども達と接することができた事である。

しかもその中にはかつて小学校の頃に担任した事のある子ども達が何人も含まれていた。そのためにより長い成長の期間から自分が実践してきた事の意義を考察できるようになったのである。


そこで今回は「自分の存在意義」を追求し始める中高生と関わりながら上原輝男先生の師である折口信夫博士の「生命の指標(らいふ・いんできす)」という仮説を上原先生の心意伝承の点から考え児言態的に実践してきた事の概略を紹介してみたい。そしてその中で本号の特集である「神性」と「野性」に関した私見も述べてみたい。



* 文中の名前はすべてペンネーム、学年はそのスナップを記録した当時のもので記述している。活動の一端を「ワニワニ学級」というホームページに掲載している。

     http://www2.plala.or.jp/WANIWANI/index.html

 また、実践記録という性格上、文献の引用などは最低限にとどめてある。もう少し詳しい注釈・引用や上原先生の特集も同ホームページ内の「学問のお部屋」に記載しているので参照されたい。

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HP注  このホームページ内の慣例に合わせて、私の名前は雑誌掲載版と違って「たぬき」と表記しています。