実際には存在しないものを、あたかもそこに存在するかのように感じる…それが視覚化の技術です。視覚化とは言われますが、この技術は視覚のみに適用されるものではありません。眼の前に薔薇の花の形をした存在があったとして、何も香りがしなかったとしたら?あるいは料理だと思って口に運んだものに味がなかったとしたら?前者は造花と疑われるかもしれませんし、後者は料理の腕云々以前に、食べ物であることを疑われるのではないでしょうか。
人間の受け取る情報の大半は視覚に由来するといわれています(あくまでも言語化しうる情報といった意味でですが)。それゆえ視覚化という名称が用いられるのです。しかしながらわれわれの現実把握はその他の感覚に負うところも多いということは論を俟たないでしょう。視覚化という名称は、あくまで五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)の代表として視覚を取り出しているに過ぎません。視覚化の実際の作業では五感をフル活用させる必要があるのです。
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実際には存在しないものをありありと想像する…生まれながらにそうした能力に長けている人もいるようですが、そうでない人間にとっては、この作業はなかなか難易度が高いものかもしれません。ポイントは二つあります。(実はこの二つは表裏一体なのですが)。
@ありありとイメージできること。
Aそのイメージが実際に存在すると思い込めること。
今回は@よりもAを重点的に実践しましょう。自分の眼の前に透明の壁をイメージしてください。色・形等必要な情報量が極端に少ないため、イメージするのは比較的難しくないと思います。初めのうちはうまくいかないかもしれませんが、三日も掛からずにできると思います。
イメージ形成よりも難しいのは、この壁に現実感を持てること。イメージを形成した際に次のような言葉が頭をもたげてくるかもしれません。
「所詮自分が作った妄想に過ぎない」
そうです、確かにその壁はいわゆる客観的な存在ではありません。しかし、それでよいのです。自分が現実感を感じられるかどうか、それがこの作業のポイントです。とはいえ、これがなかなか難しい…。「自分が作った妄想」という点については、健全な感覚ですので、ずっと保持してもらいたい意識です。この意識があって初めてイメージをコントロールできます。(そうした意識がないと、自分の形成したイメージと実際の客観的存在との区別が付かないということであって危険です。先天的にイメージする力が発達しており、かつ自分でその能力をコントロールできない場合、そうした状態に陥ることもありえます)。ただし「所詮─に過ぎない」の部分が問題です。現代においては、そのようなイメージに対する否定的な意識は常識的に形成されるものなのかもしれませんが、そうした意識を積極的に肯定的な意識に変換する、これなくして効果的な視覚化は為しえません。
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以上を踏まえた上で、より複雑なイメージ形成(これについては後に触れます)に進んでみてください。イメージの力を感じる近道になるかもしれません。