今回は、四元素についてお話しましょう。それらは、上に掲げましたように「地」「水」「火」「空気」とされます。この四元素、実は、魔術における認識上の基盤をなすものなのです。
そのような四つ組について、皆さんも耳にしたことがあるかもしれませんし、あるいはまた、言葉は違えど身近に四つ組として捉えられる事象があったりすることに気付かれるやもしれません。たとえば春夏秋冬であったり東西南北であったり…
それでは本論に入りましょう。
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四元素についての記述は、古代ギリシャのエンペドクレスにまで遡ることが出来ます。(残念なことに、彼の記述は断片としてしか残っていません)。エンペドクレスは「自然万有の四つの根」として上の四っつを挙げています。
さて、現代に生きる我々としては、素直にエンペドクレスの述べるところを受け入れることが出来るでしょうか?我々は原子という言葉のみならず、クォークという言葉まで知っています。ここで、水という言葉をH2Oと定義する「ものの見方」をとったならば、四元素の話はナンセンスであるとして退けられてしまうでしょう。四元素を万有の根として捉えるのは、単なる素朴な自然観でしかないというのが正直な捉え方なのではないでしょうか。
そうです、四元素とは決して科学的な用語ではないのです。
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エメラルドタブレットに記されている金言「下なるものは上なるものの如く、上なるものは下なるものの如し」とは、すなわち小宇宙(ミクロコスモス)と大宇宙(マクロコスモス)の照応を説いたものです。
大宇宙とは自然万有のことであり、小宇宙とは我々個々の存在を指しています。そして、この二つを一致させるための仲介が象徴なのです。
象徴による分類について、上の分類(冷─熱、湿─乾による組み合わせ)を用いてみてみましょう。まずもって、水に冷・湿、火に熱・乾を当てはめるのに異論がある人はあまりいないでしょう。そしてそのように分類したのはある種の感覚といっていいのではないでしょうか。
このようにある種感覚的にふさわしいと判断すること、この感覚が象徴に物事を当てはめる際、非常に重要になってきます。この感覚は、個々の人間のものの捕らえ方を反映したものなのです。それゆえ仮に、火には冷・湿の方がふさわしいと明らかに感じる人がいたならば、そのように分類する方がよいのです。
それでは地や風についてはどうでしょう。上のような感覚によってはなかなかすっきりしないものがあるのではないでしょうか。このような場合、象徴全体を見てバランスを考えることが必要になってきます。例えば冷を重いイメージ、熱を軽いイメージとして捉えるものの見方を採用するとしたならば、地と水には冷、火と風には熱があてはまります。次に冷の当てはまる地と水をみて湿が当てはまるのがふさわしいのは水、同様に熱のうち乾が当てはまるのがふさわしいのは火であるといったように見ていくならば、地と空気に対する分類も全体としてバランスのとれたものになります。
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個々の象徴に対する感覚と象徴全体のバランス、この二つを意識して、四元素の象徴に親しんでみてはいかがでしょうか。色であるとか方位であるとか様々なものを当てはめていくうちに四元素の象徴がどんどん豊かになっていくことでしょう。