不毛の惑星、テラ。
メンバーズ・エリートに選出された者の特権のひとつに、惑星テラへの定住権があるが、好き好んでこの惑星に居を構える者はいない。
キース・アニアンが地球再生機構リボーン管轄下の、ユグドラシルと呼ばれる巨大な建造物へ初めて足を踏み入れたのは、パルテノンの元老院に就任して後のことだった。
VIPといえども、容易には内部に足を踏み入れることを許されない。
そう、グランド・マザーの許可がなければ。
キースはこれまで幾度もグランド・マザーへコンタクトを取り続け、ユグドラシル視察を願い出ていた。それが、ようやく叶ったのだった。
専用艇からテラの大地へ一歩踏み出したキースは、相変わらずの空気の薄さに眉を顰める。エアポートから眺望する巨大ビル郡は打ち壊されもせずに残っている。廃墟と化したそれらは見るからに危険である。
赤茶けた大地は、砂漠が地表の六割を占め、海は汚れて生物の影もない。分解しきれない毒素が地中に溜まり、誰の目にもテラは息絶えていた。
迎えに現れた、緑の制服を着けたリボーン職員に導かれ、キースはユグドラシル内部に足を踏み入れた。
外観の禍々しさには反し、ユグドラシル内部は近代的な造りをしている。
ユグドラシル内部に居住している人々は、ほぼ全てがリボーンに関係する職務に就いている。何千人ほどがユグドラシルに居住しているのはキースは知らされていなかったが、かなり大規模なシティであることがうかがい知れた。
キースを先導する職員が、リボーンについての基本的な知識を説明してくれる。が、それは通りいっぺんの、育英都市でリボーンについてコモンが知る程度の知識の域を出るものではなかった。
キースは元老院の人間として、丁重にもてなされた。ふさわしい一室が用意され、本格的な視察は明朝行われることになっていた。
近々、キースはこの二百年就任するもののなかった、国家元首の座に就く。
それは人類統合機構のトップに立つということだった。グランド・マザーの巨大な一つ目に見下ろされながら、しかし、キースの足はぐらつくことはなかった。
「イエス、グランド・マザー!」
張りのある自分の声を、キースは強く意識する。これを為す為に私は生まれた。
私には力がある。圧倒的な力。強い光と──なお暗い、影。
グランド・マザーは、旧体制における、「神」とは存在を異にしている。彼女は絶対であるものの、その実態は一つのシステムに過ぎない。だがそれは、人類を導く教義そのものだった。
かつて人類が失った──人類自らが打ち倒した宗教の替わりに、今では彼女が人類に光を与えている。彼女は冷徹だが、その本質は限りなく……善か、あるいはそれに近いものである。
少なくとも、人類にとっては。
もちろんミュウにとっては真逆だろう。キースは独自に行った調査により、ミュウ因子が根絶不可能なものでないことをもう知っている。いつかは、グランド・マザーにその究極の問いを突きつけねばならないことを知っている。だがまだ時は至らない。
キースは目前の光景を見下ろした。
ユグドラシルの一室の、一面強化ガラス張りの、大きな窓から見下ろすリボーン施設、遠く広がるテラの夕景は幻想的だった。
銀河系の、このテラの太陽は数千年前に比べ衰えている。その太陽が、廃墟となった巨大ビル郡の間に沈む。地平と空の合間の赤と紫。色彩が天空を彩る、その幽玄的な妖しさ、おそろしさ。
昼間、テラに降り立ったときは息絶えていると思わせた惑星の自然の、なんと雄大なことか。
紫が群青に色味を変えるころ、地上の灯りがぽつぽつと灯り始める。こんなちっぽけなものであっても──キースにとっては愛しい、地上の灯だった。
ガラス窓に、映る姿がある。
先日、E-1077を廃棄したときに棄ててきたはずの面影だった。もう彼を失いたくはなく、二度と手にかけたくなどないと願うのに、運命はキースにそれを強いる。何度殺めても彼はキースの前に姿を現してくれた。
「……顔向けなど、出来ないというのにな」
キースは窓ガラスに手を触れた。白い優しい手が、そっとその手に重ねられた。
目前の景色は、すっかり濃紺に染まっている。重く垂れ込めた雲の合間に、遠く星の光が瞬いていた。
キースは飽くことなく、その光景を眺め続けていた。
*
リボーン職員に導かれ、キースは地中深く、地殻付近まで到達するエレヴェータに乗る。
さすがのキースも気分が悪くなる。死に掛けたテラといえども、地中の温度は相当なものだし、エレヴェータ内部も気温が上がる。また、狭い密室に数十分の間閉じ込められ、ひたすら地中深く深くへ潜ることは気が滅入る。
だからエレヴェータが止まり、ようやく目的地に到達したのだと告げられて、キースは内心ほっとしたものを感じながらエレヴェータから一歩足を踏み出した。
そしてぎょっと足を止めた。
地中深く、テラの、グランド・マザーの膝元、人類統合機構の総本山の真下にあるには、いささか不似合いな光景。
青く塗られた壁や天井。愛らしい花が咲き乱れる花壇。笑いさざめく子供の声を耳にし、キースは案内役のリボーン職員を振り返った。
「これは一体?」
「彼らは『カナリア』です」
カナリア……
幼い、下は五、六、上は十ほどの幼児の群れ。あどけない表情で、みな同じカナリアン・イエローの服を着て、キースと職員のほうへやってくる。あっという間にキースは彼らに囲まれてしまった。
「あなたはだれ?」
「お外は? お外はどうなってる?」
「僕たち、いつになったらここから出られるの?」
「地球再生の後に地上を謳歌する存在、それがカナリアです。彼らは地球再生の最終フェーズまで、大切にこの地で育てられます」
キースは目を閉じた。まぶたの裏に、アルテミシアの夏の日差しと飛び立っていく一羽のカナリアの姿が、鮮やかに描かれた。
カナリア……シロエ、私の手をいつもすり抜けて、掴まえられない。
茶番だ、とキースは笑うことが出来なかった。
朗らかに、無邪気にキースにまとわりついてくるカナリアたちの中に、一人、少し離れたところからキースを見上げてくる群青色の瞳がある。
E-1077以降、ずっとキースとともにある、シロエの白い手がふわりと頬を撫で、そして離れた。
キースはカナリアの少女の、少年の、やわらかな茶色やとび色の髪に軽く触れると、その一歩を踏み出した。
群青色の瞳の子供はおびえた目をして後ずさった。キースはかがみ込み、おびえた少年に視線を合わせる。
大きな瞳。長い睫毛。小さな鼻、桜色の唇。ばら色の頬、つややかな黒髪……細くてまっすぐな手足も、シロエがこの年頃の子供なら……。
何よりその群青の瞳。生き生きと踊る瞳。キースの唇が震えた。
「シロエ」