Jesus, Lover Of My Soul
信仰生活の証し
 
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■神の手
50代 男性

 私は昭和二十三年の三月三十日、荒川区の「熊野前」という都電の駅の側で、男三人兄弟の長男として生まれました。昭和二十三年と申しますと、終戦の何年か後ということであり、食料の苦しい時代です。親の話によりますと、弟二人はまあまあ食べていたそうですが、私の場合はお米がなくてジャガイモとかトウモロコシを食べて育ったそうです。また、その頃は今と違いまして幼稚園に通うような子は少なく、私も幼稚園には行かず、地元の尾久小学校へ入学しました。小学校二年の時に体を悪くして、三ヶ月か四ヶ月学校に行けなかったということを覚えています。

 私の家庭は、特にクリスチャンホームというわけではありません。父親は洗礼を受けて信仰をもっていましたが、母親は信仰をもっていませんでした。従って、小学生の時は、家の中で聖書を読んだり、お祈りをしたりしたような記憶もありません。

 中学校は、北区にある私立の聖学院中学校に入学しました。そこで初めて聖書を読んで讃美歌を歌い、聖書の話を聞くようになりました。毎日欠かさず、ちょうど二時間目と三時間目の間に三十分の礼拝の時間がもたれました。一日おきに、中学校と高校とかわりばんこで大きな講堂で礼拝が行われ、講堂の礼拝がない時は各クラスのホームルームという形で礼拝を行いました。

 そういう中で、聖学院中学校、高等学校の六年間、毎日聖書を学び、讃美歌を歌って生活をしましたので、そのころから今の教会生活の基があったのではないかと感じております。
また、礼拝の他に週に一、二時間、聖書の時間というカリキュラムがありました。中学と高校ではいくつかの大切な事を学んでいるのですが、その中でも聖書の時間に学んだことは不思議とよく覚えていています。それだけインパクトが強かったのではないかと思います。

 高校を卒業した後、中央大学の法学部に入学することができました。昭和四十一年です。

 中学の時は数学が好きだったものですから、理工系の方に進もうと考えていました、あまり社交的でもありませんでしたし、しゃべるのも上手でありませんでしたので、文化系よりも理工系が自分に向いていると考えておりました。

 ところが、高校一年か二年の時に熊本で水俣病の事件がありました。熊本窒素という会社が公害を起こして、それを含んだ魚を食べたことによって水俣病という公害病が多く発生しました。そのような中で、自分も、世に生まれてきたからには何か人のためになる仕事はないだろうかということを真剣に考え始めました。ちょっと生意気かもしれませんけれども、少しでも人の役に立つような仕事をしたいと思い始めたのが高校一年か、二年の時だったのです。

 人のためになるにはどうしたらいいのかと考えて、一番直接的なのが、今の法律社会の世の中では法律を勉強して、困っている人をなんとか一人でも、自分の力によって守っていくということができればいいなと思ったのです。それで、将来は弁護士になりたいと、中央大学の法学部を志望するようになり、運良く入学することができました。

 大学に入るとすぐ、一年生の後半の時に、今度は大学紛争が始まり、ほとんど授業ができない毎日が続きました。ゼミだけは組んでおりましたので、ゼミの勉強だけは仲間と共にしてきました。とはいえ、四年間まったく授業がない中で、ほとんど勉強らしい勉強はできない状況で過ごすことになりました。

 大学が終わったのが二十二歳の時ですが、司法試験受験にために就職はしないと決めていましたので、会計士をしていた父の事務所の手伝いが何年か続きました。当時、司法試験の勉強というのは三年ぐらいやれば受かるものだと考えていました。従いまして、まだ勉強しなくてもいいだろう、そのうち勉強すれば受かるのだと楽観していました。卒業して四、五年目になりますと、みんなが就職して社会人となっていく中、まだ自分としては身分がないわけですから、早く受かって仕事につきたいと思うようになりました。ちょうど二十六、七歳の時だったと思います。

 それで、勉強に集中しようと決心をしまして、父の手伝いをやめ、図書館に通って勉強をするようになりました。もともと体が丈夫でなかったので、家で勉強をすると運動不足になって体調を壊すのではないかと考え、運動をしながら勉強をしようと、なるべく通うのに運動になるような図書館を探しました。一番環境が良く、家からも電車に乗り、歩く距離もある図書館が国会図書館でした。毎週月曜日から土曜日まで通い、朝から夕方まで勉強に励みました。日曜日は、答案練習会という司法試験のための受験の講座がありました。中央大学のある研究室がもっているのですが、そこで司法試験の模擬試験のようなものをやって試験に備えているのです。日曜日にこの答案練習会に通いました。

 最初は、三年間か四年間やればうかると思っていましたが、実際はとんでもないことになってしまい、実際は十年か十一年、恥ずかしくて何年かとあまり言えないですが、そのぐらい勉強してやっと受かったのです。

 その十年間、月曜日から土曜日まで図書館に通い、それから日曜日はお弁当をもってその答案練習会にかよう日々がずっと続きました。そうやって勉強していく中で、お互いに支え合って、受験勉強をしたり、人生を語り合ったり、自分の励みになる友だちを、そこで得ることができました。職場で選んだような利害関係に依らず、本当に心を割って話し合える真の友人で、今でも心の支えになっています。

 このように国会図書館で勉強し続けても、簡単には受からないので、友達の中には進路変更をして就職したり、違う方向に進んだりした人も多くいます。ところが、私はどういうわけか、そういう気にはまったくなりませんで、何年かかっても勉強するんだというつもりでいました。「お前は馬鹿じゃないか」と言われたこともあります。何でこんなに勉強ばかりしているのか。何のためになるのか。三年か四年やってダメだったら進路変更して勤めた方がいいんじゃないか。人生にはもっと楽しいことがいっぱいある。勉強ばかりして青春が無駄になってしまう。何人かの友達から、こんな風に云われました。

 確かにそうかもしれません。けれども、今思えば、友達の考えと私の考えは違いました。勉強していく中で、自分として確かに苦しいとか楽しいとか、色々ありましたけれども、もうやめようと考えたことは一回もありません。やめたいと思うほど落ち込んだことはあります。いつも合格発表は桜田門の前にある法務省の中庭の掲示板に出るのですが、その中庭にいって番号がない時には非常に落胆して、またあと一年かとがっくりして家に帰るのです。それが十年間もあったのですから、その時はつらくて、一ヶ月ぐらい何にもやる気になりませんでした。

 でも、不思議なことに、またしばらく経つと、来年に向けて頑張ろうという力が湧いてきます。そういうことの繰り返しで、十年間生活してきました。それも今思えば、神の力があったのではないかと考えています。何でこんな風に十年間、あるいは十年以上も勉強できたのかということを自分なりに考えてみましても、決して自分の力だけではできなく、神様が守って下ったからこそできたことだと考えるのです。

 今日の証しの題は、「神様の手」とさせていただきました。神様というのは色々な手を持っていらっしゃる。神様が手をもって私達を守ってくださるのはもちろんなのですが、その守り方にも色々あるのではないかと思うのです。たとえば右手で突き放して、左手で突き放して、しかし、また大きな手で最後にはすくいあげてくださるということもあります。大きな手ですから、神様の指と指の間から落っこちしてしまうことが何回かある。それでも、もう一つの大きな手でもって、またすくってくれるということがあったりするのです。今思えば、長い受験生活の中で苦しいことがたくさんあったのですが、それでも継続して、ずっと耐えて来られたのは、自分一人の力ではなかったと思えます。神様が大きな手で、一端は突き放したり、落ちこぼれたりした自分を、下の大きな手で、あるいはもう一方の手ですくってくれたからだと考えるのです。本当に神様の力というのは偉大で、大きなものであるということがつくづく分かりました。

 一般の人がまったく考えられないようなことを神様は計画されて、それを一人一人に与えてくださっています。幸い、私に与えられた恵みは、ひとつの事に向かって何かをし続ける事ができる力だったのではないかと思います。幸か不幸か、小さい頃から体が弱くて、いろいろな病気がありました。今でも、血糖が高かったり、椎間板ヘルニアだったり、体に色々な障害をもっています。そのような色々な事に対して我慢出来たり、辛抱が出来たのは、神様が私のことを常に見てくださって、私をすくってくださったということがあったからだと思います。

 このような神様の恵みがあって、十年間の勉強後、昭和六十年に、司法試験に合格しました。合格して、これはきっと神様がわたしに対して大きな恵みを与えてくださったことなんだと自分なりに分かりまして、その秋に父が通っていた荒川教会を初めて訪れました。弟が小台の教会に通っておりましたので、そちらの教会にも何どか行きました。結局、、荒川教会の皆様方の暖かい人柄と、勝野先生の分かりやすい説教に魅力を感じて、荒川教会に決めました。荒川教会は、父も言っていますが、教会員の皆さん一人一人がが信仰篤く、どんなことも話して、共に喜んだり、悲しんだりすることができる教会だと思います、私が荒川教会に来る前に、父から聞いていたことは、病気で苦しんでいる植木亜紀子ちゃんのことでした。父は、何でこんないい子がこんなに苦しまなければならないのか、とよく言っていました。私は亜紀子ちゃんには会うことができませんでしたが、父からいろいろ聞いていたことを、今でもよく覚えています。色々な人の出会いの中で、私は神の恵みを戴いてきました。

 もう一人、荒川教会にいまして私に大きな恵みを与えてくださった方がいます。今は亡くなられましたが、油木孝子(旧姓・冨沢)さんです。当時はまだご結婚されておらず冨沢さんと言いましたが、私が荒川教会に通うようになった時、冨沢さんと村松義孝さんが中心になって青年会の活動されておりました。何ヶ月か通う中で、村松さんもそうなのですが、冨沢孝子さんの信仰の篤さに、私は導かれました。私は、彼女よりも年上で、人生的には長い間生きているのですけれども、信仰生活あるいは物の考え方について色々話す中で、「ああ、信仰をもっていくと、こういうような考え方ができるのだ」と感心したことがいくつもあります。今はちょっと言葉で表すことはできませんが、そういう場面がいくつもありました。教会学校の教師会に入ったのも冨沢さんの勧めによるのです。青年会や教師会の中に加わって、神様を信じて信仰を持つと、こういうことが言える、こういうことが出来るということを体験させていただいてきました。そのことが、今の私の荒川教会での信仰生活、あるいは日々の日常生活で心の支えになっています。

 神様は、本当に一人一人にとても大切なものを与えてくださっています。それはさっき言った手の話で言えば、神様のご自分の手をもってすくってくださるという事と共に、自分の手にいろいろな「人」という手袋をはめて、その手袋をもってまた違う人をすくってくださるということを計画されているのだなあと思うようになりました。私にとって、今お話しした冨沢さんもそうですが、教会員の皆さんが神様の手袋みたいな存在になっています。

 現在、私は昭和六十三年から弁護士として仕事をさせていただいています。最初は東京駅の近くの弁護士事務所に入って仕事をしていました。朝はゆっくりなんですが、夜遅い仕事でたまに十一時、十二時になることがあります。どうしても今日中にやらなければならないという仕事がかさんできますと、神経的にも疲れてきますので、体にもいろいろな影響が出てきます。平成四年の時に、腫瘍が見つかって、副腎を切るという手術を受けました。副腎というのはひとつあれば大丈夫だそうですが、健康面も考えまして、平成八年の時に今の事務所に独立しました。それからは自分で仕事が調節できますから、忙しい時は忙しいのですが、自分のペースで仕事ができるようになりました。

 事務所を開いた時に、国府田先生や青年会のメンバー集まってくれまして、その時に先生が読んでくれた聖書の箇所を今でも覚えています。人は仕事に使われるようになってはいけない。神様の御心のうちに仕事をやればいいんだ、ということを、聖書の箇所を引用して教えてくれました。確かにそうで、人が仕事によって振り回されたり、いろんなことによって振り回されると、たいした仕事はできないのではないかと思います。神様の御心のうちにすべて委ねて、神様の計画の中で自分の仕事をしているのだと仕事に臨むのだということを教わった時に、非常に気持ちが楽になりました。どんなに忙しいときでも、これは神様が与えてくださったことで、後に休養を与えてくれるのだ。神様は手をもって、どんな時でも、落ちこぼれても、手を持ってすくってくださる。苦しい時があっても、受け皿をもって大きな手ですくってくださる。そういうことを、その時に思って、それをずっと自分の中で大切にして仕事をしてきました。

 幸い、現在まで大病することなく守られていますが、それはいろいろな神様の恵みのお陰ではないかと思って、感謝しています。多くの方とも知り合うことができ、人々を通してたくさんの支えを戴いてきました。これも自分一人では決して出来ないことで、神様が守ってくださっているのだということを感じています。

 私はずっと独身で、周りから散々云われていたのですが、昭和の時代が終わって平成十四年の二月に、いとこの紹介で今の伴侶を得ることができました。二人の子どもにも恵まれました。今考えてみますと、本当に何でこういうような現在までの生活ができたのかというと、神様の計画の中、特に神様のいろいろな手をもって恵みを与えてくださった。いろいろな方法、いろいろな形、またいろいろな人を通して大きな恵みを私にくださっているからであると感じて、感謝しております。

 今日読んでいただきました聖書の箇所ですが、『コリントの信徒への手紙二』の四章七節に、土の器に納めた宝とあります。本当に私達は神様に宝を与えられていると感じています。十四、十五節を読んでみます。

 「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。」

 私達は実に豊かな恵みを神様からいただいて、今日まで生活してきたのだということを本当に思います。教会に来て、毎週聖書を読み、讃美歌を歌い、説教を聞く中で、その思いが日に日に強く感じられて来ます。結婚して、いろいろ家庭の事情だとか、いろいろな状況の中で、教会に来づらいようなことも起こってきます。しかし、私は教会に行かないということは、これからも決してないと断言できます。それは今まで神様が私を守ってくれたからです。これからも神様が大きな恵みを与えてくれるし、それを自分だけではなく、多くの人々にその素晴らしさを教える必要があると感じているからです。

 お祈りします。

 ご在天の父なる神様、今日私にこうした証しをする機会を与えてくださいまして、ありがとうございます。本当に神様の大きな恵みによって生かされ、今日まで来ました。またこれからも大きな恵みをいただくことと思いますが、その恵みによって、あなたの素晴らしい宝物を、いろいろな形で多くの人に与えることができる者としてください。この感謝をイエス様のお名前を通して御前におささげいたします。

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日本キリスト教団 荒川教会 牧師 国府田祐人  電話/FAX 03-3892-9401  Email: yuto@indigo.plala.or.jp