空白のうた 1 夜   九時半  空白を呪い殺すために  このできそこなった秩序と  戦うために  ぼくは定立する  この命題を提出する  まだ無いが  このといってもそれはまだ無いが  ぼくは必ず  それを作り出す    行け  そこから先を  ぼくの手と目と頭と  限界を越えて狂うなら  狂え  この狂気は正気だ  得がたい正気なのだ  ぼくはそれを信じる    雨が降っていた  昨日のことだ  図書館を出ようとすると  降り出していた雨は  止む気配もみせず  仕方なく 五分ほどの道のりを  歩いて帰ったのだ  あの雨  ぼくは孤独だったのかもしれない  「ゲーデル・エッシャー・バッハ」と  池田満寿夫の画集を抱えて  ぼくは孤独であったとしよう  その原因は  「ゲーデル・エッシャー・バッハ」などでは  解き当てることはできまい  それを知っているのは  ぼくの神だ  ぼくの空白  長らくぼくを司ってきた空白が  それを知っているだろう  空白の恐ろしさを  ぼくは何度か死にたくなる悦楽のような苦痛のような  空虚な感じとして書こうとしたような気がする  空白は空虚とは違う  ぼくの神としての空白は  意味をつけられなかったことによって意味を支配する  神だ  ぼくの神としての空白は  余分な空間に余分なものをみなつめこむことによって生じた別の余分 な空間だ  空間が余分なので  ぼくは意味でありうる  意味でありえてぼくは幸福だった  懐かしいな ずいぶん昔のことのように思える  ぼくが幸福だったことがあるなんて  今のぼくにはちょっと信じがたいことだ  ぼくには理解を超えたものが多数存在した  理解を超えるということ自体理解を超えていた  ぼくには分からないことがあるのはいいとして  ぼくには分かってはいけないもの 分かることを禁じられたもの  があるように思えるのは どういうことなのだ  たとえば クラスメートの女の子だったし  それから 性であり異性であり友人であり大人であり親であり老人で あり子供であり性であり年齢であり身体であり観念の諸形態であり歩 くということであり座るということでありあくびをするということで あり国家であり家であり国であり太陽神でありぼくの左手であり長ら くご無沙汰した先生に手紙を書かなければいけないことであり川であ り流れであり およそ何もかもが存在することだった  そうだ 存在ということが分からなかった  存在しているか?本当に  半肯定 それらは存在しかけている  雨に打たれて 陽を浴びて 濡れて 乾いて  存在しようとしている  ぼくは存在を隠したかった  不意に分かってしまったのだ  在りかを隠したいということが言葉に違いないと  心というのは成分でしかないのだと  それらが懐かしいのは まだ見ぬ故郷が懐かしいのと同じだ  ぼくたちは作ってしまったのだ  少なくとも劇場を  演じられているのは 時間の劇だ  空間の劇は  ぼくらは見ることを禁止されているので  ぼくたちにとって 無いのも同じなのだが  それもある  ぼくたちが住んだこともない土地へ  ぼくたちの心は埋められに行く  死ぬたびにぼくたちは  河原で踊り送り火をたくが  それは つきない故郷への思いを断ち切るためだ  時間に住まなければならない  これは脅迫なのだ  恋をしても  ぼくは孤独だったかもしれない  雨はポツポツ ぼくを濡らしながら耳元で囁いた  ゴクツブシとかなんとか  ぼくは悪魔に入られたように  怒鳴り返した  声にはならない言葉を  手でつかんで 心臓からつかみ出したまでは良かったが  それは手の中でたちまち溶けて  ぼくの指をつなげてしまったのだ  どこまでも行くか  それでも行くか  おおつか よういち と いう名を  連れて行けるか  自分の名前に吐き気を もよおさずに  どこまでも行くか  いや  どこまでも行くなどと言ってはいけない  行き先は決まっているのだ  空白へ  ぼくの作り出した空白へ  音楽が垂直に積み重ねられる  楽園へ ぼくは地獄を作りにいくのだ  空から来るものが 神ではありえない楽園を  地からわくものが 神でありえる楽園を  逆転させない地獄 ワンダーランド  おお 地中へ ツルハシを持って  ぼくは納骨に行く  十字架を切って  ボルテージの低い詩句を引きつれて  それで 孤独だったか孤独だったか  孤独?だったか?  孤独だったさ「だった」でたくさんだ  ぼくは あらゆる韜晦と縁を切る  ぼくは あらゆる辻褄合わせと合理化とを打ち切る  ぼくは あらゆる敗北を返上する ぼくはあらゆる遠慮や  演技やフリや遠まわりや婉曲と切れる  少なくとも この場でぼくとは一つの固体だ  変形は無視できるまでに小さくしてやる  剛体としてぼくが発音し始めるのはもうまもなくだ  出発を歌うのも訣別を歌うのも欺瞞なのだ  ぼくは存在を疑いはしないが信用しない  ぼくは表現を信じる ぼくが固体でいるのは  多分ここだけだろう  賭けてもいい この命というやつをだ  ぼくは 敗北させるだろう  何をかは分からない しかし  ただ敗北させるだろう  敗北させることなら誓える  この空白が  ぼくが敗北させようとしているのは  この空白  空白  まっ白。まっ白。まっ白。まっ白。まっ白。  まっ白。まっ白。まっ白。まっ白。  息をひそめろ    見つかるな    シーン    だまって    シーッ    し        。    し    死    死?    黒く夜が黒く昼が赤く  ぼくの観念を偏らせる  うん  死 だ  ぼ  く  の   死  だ  ぼくが敗北させようとしている空白  ぼくの神    空白        十時十五分    十時二四分      何杯コーヒーを飲んだろう  ぼくは撹乱しようとして飲んだ  撹乱しようとしてかくはんして飲んだ  しかし コーヒーなんかききやしない  何にもならないこともないが  そういうことじゃないんだ  ぼくはぼくの神をおだてなきゃならなかった  そういうことだ  ぼくはおだて おだてて いい気にさせすぎた  他人にすれば ぼくがいい気すぎるのだが  どっちにしても ぼくは殺すべきものを生かした罪で  こんなものを書かなければならない  たった八ページ書くのに ほぼ一時間  ぼくが取り戻すためには  こんなに失わなけりゃならない  だが急ぐのだ  ぼくには  目的がある  こんなことをするのは  そのためなのだ    ぼくがぼくでいるために  もう一人必要だ  婉曲表現はやめたんだ  女だ  目的は女なのだ  ぼくの作った幻の共和国が静止してみえたのは 強大な  君主制がしかれ 誰も息ができなかったからだ  ぼくは既に玉座をとりはらった  そこには瓦かなんか置いてある  ぼくの体は未来の住人のために開かれている  ぼくの体(ボディ)は屈強な男五六人集めても  倒せない  それはぼくのココロでもある  そいつが死ぬほど欲しているのは  もう一つの体(ボディ)なのだ  ぼくの共和国を王制に引き戻さないための強力な発条  ぼくの体(ボディ)は共和制を要求している  ぼくは それを承認した  なら あとは  やればいい  計画は十分だ  遠慮する必要もない  文句つける奴は代わりにやってくれるか?  くれまい  それならぼくがやるだけだ  ぼくは心得ている  世界中で最も進化した頭脳であるということを  最も進化しないことによって用いる術を知っている  もう準備はたくさんだ  歩くときだ    未来の住人のために示すときだ  未来とは自分であると  現在とは自分であると  過去とは自分であると  宣言するときだ  今宣言する  現在とは俺のことだ  未来とは過去とは俺のことだ  モダン?ポスト・モダン?  ふん!だ  モダンは俺の苗字だ後方の奴だけが  プレかポストかせいぜい六十年にも足りないスケールで  ひしめいて議論なんかしたりするものだ    発表するという機構  足枷としかならない媒体  亡霊はどこからでも来る  それに対して  守りを加えようとしても  無駄だ  何も守り抜くことはできない  亡霊は勝つとか負けるとかいうことがないからだ    亡霊は飯を食わない  亡霊は自転車に乗らない  亡霊はコーヒーも飲まない  亡霊は歩かない  亡霊は傘をささない--彼らは濡れるということがないのだ  行きつ戻りつ会話ぐらいはする  しかし言葉を持つわけではない  河だ  ぼくが最後に見た河が  また  見えてきた  見える  見えるのは亡霊の目を通しているからなのだが  今は そのことで亡霊の存在も許せる  (いずれは完全に承認しきって共存するか 完全に否認して抹殺する  かのどちらかに決めるのだが)  ジーザスに似てるな  この亡霊は  ぼくが昔飼っていたやつで  その頃は聖書風の砂地や荒地や集落や河や民衆や  家畜やその他もろもろのオブジェをはびこらせて  詩を作ったものだ  宇宙の話しをするには  そんなシンボルでもないことには  ぼくには荷が重過ぎたからなのだ  ぼくは銀河を  文字通り  河とみなし  人間を流れている河原のほとりに住み着いた  乞食のイメージで表した  流れているのは河原だ河じゃない  というイメージは時間に直結していた  時間とは崩壊だ 人間の身体とは時間なのだ  崩壊していく 短くなっていく ロウソクや砂時計や水時計のように 人間とは時計なのだ  という思想にならない思想  人間は河から恵んでもらっているにすぎない  ぼくは貧しい ぼくたちは貧しい  貧しさとは人間の本質的な属性である  いくら豊かになったところで人間は貧しい  宇宙が地球より大きく  人間が地球より小さい以上  これはどうしようもないことなのだ  ぼくたちには 宇宙をつくることはできない  それほど人間は貧しい  ということだ  乞食というのは しかし それだけの意味しかないシンボルとして用 いた言葉ではない  王と乞食 ルンペンとキング ベガーズとキングダム  言うまでもないことだ  何物も持たないのは  ぼくとておなじこと  なにものをもたないことで全てを持つ方法も  既知だ    中途半端が一番よくない  貴族の暮らしは嫌悪すべきものなのだ  王か乞食かだ  何故なら  王か乞食でなければ  全てを持つことができないからだ  その全てさえ決して全てではない全ては  中間層には許されていない  彼らは 無意識の支配者たるべく義務付けられているので  何も支配できない  ように見え  何も持たないように  見なされる  持っているのは彼らなのだが  何をごたくなれべてやがんだ  全部でたらめじゃないか  どうしたんだぼくの神は  そんなにやわじゃなかったはずだぜ  空白の狂気  ぼくはなめつくさずには済まさないぼくの神に  たてついては 打ちのめされたのではなかったか  頭を入れ替えるんだ  スイッチを入れろ  こんな低調さで  「低いこと」と思われたら思われたら  たまらない  「低いこと」とこの低調さは別物だ  ことわっておく  どん底の神格はまだだったが  そこの状態はもっともっと荒々しいものだ  荒ぶる神として「底」を定義づけよう  ぼくはまだ手懐けられない神をいくつも持っている  一つづつひねり出して絞め殺していかねば 九月二四日 朝   十時二三分  降っている  水びたしだ  ぼくの部屋も  観念も  目も  湿原のようだ  獣が  足をとられて  立ち上がれない  ぼくの目は  死の谷のようだ  部屋は  宇宙線で満ちている  湿気が痛い  ぼくは全体的な部分を  ぼくの中に閉じ込めている  囲っているのは  ぼくの手つきで示される  虚構の水準なのかもしれない  ぼくは湿りがちなのだ  ぼくを貫いて  流れている  あの河ではない  時間か?  には違いない  時間は水のように  蒸発もするが  雨となって降り注ぐこともある  部屋は静止している  寒い  宇宙線と思ったものは  時間だった  目がない  見ることのできない  トルソーが  ぼくを見ている    斃れているのは  見たこともない獣のように  しなやかのトルソーだ  胸から上で生きた  旧人類だ  雨に降られた  溶けるように  くたばっていく    いい気味だ  いい気味  笑うのは誰だ  笑うな  笑っているのは    俺だ  おまえをほんの出来心で  殺してしまった俺なのだ  歩くように 書け  歩くように  手のとどかない  高い空中を  手押し車 押して  花を売りながら  歩くように  書け    記憶されない  公式を適用する記憶  記憶は  水気が多すぎる  罪意識が多すぎる  忘れることができないということ  一度見たら 忘れないということ  この俺は許可しない  書いて 忘れろ  死んでいく人だ  次々と書き棄てて  部分を死なせて行け  全体的な部分を  部分的な全体から解放してやるんだ  上がり 下がり 横にすべり  いつか自身が鬼となって  他人の記憶を盗み出し  ちくちくと脅しをかけるようになる  時々出没しては  時の話題を独占するようになる  おまえは忘れても  奴らには忘れさせるな  それが生き残るための生き残らないための唯一の手立てだ  要するに確率二分の一  5分の勝負に持ち込むには  他に手は無い    黙れ!  と言っている自分が黙るべきか  しゃべっているのはお前か?俺か?ぼくか?きみか?  誰でもない  しゃべっているのは  ぼくの神だ  空白だ  アリ地獄を支配するアリの哲学  夢見る夢なし  夢なし男    いい加減にしてくれ  何だ またしてもランボーの話しか  ランボーと同じ神話じゃないのか これは  何度繰り返したら気が済む  沈黙は金だなどと言わせたいか  来るな  まれびと説も過去に送り込んだはずじゃないか  今更やってきて俺に何をさせようというのだ  転換しなければ  また戻ってしまう  あの河原に  もう いやだぜ 小石積み上げるのはもう御免だ      十一時 「六声のリチェルカーレ」まで  何度聞いているんだろうか  この間か  この辺だ  ぼくが落ち込んでいる闇は  地図の上では いくらでも確かめられるのだが  手触りでは確認できない  どこもかしこも つるつるだ  全く手掛かりがない  晩年のバッハが  ぼくに呼びかけている  かけ回れと  指示している  どうでもいいじゃないか  精一杯かけまわれ  それだけが お前さんのいる所だよ    あの主題が また  「六声のリチェルカーレ」  闇の奥から ぼくを誘ってくる  原子か Atomか  偏在しろといっているのか  偏在しろといっているのか  オムニプレゼンスの方だな  分かったぞ  広い空間があれば  偏りやすいが  狭い空間しかなければ  素早く原子運動のように  熱運動するように  自分という領域を広げろといっているのだ    どこへ出ればいい?  ではない  どこでもいい  そこを支配する法則を  かくらん戦法で混乱させろ と  そういうことか  そうか?  かけていなければ  いることにはならんと  あんたは言うわけか  分かった  よし  ユリイカ  だよ  同感だ 父の言うことだ 従うさ  ただし 音楽としてはね  ぼくは 音楽としては  あんたに屈服するよ  まいった 本当に  ただの音楽だ  あんたの音楽  それが偉いところというわけだ     十一時十五分     一時五七分  闇は  出口に向かって  開かれている  確かめようもなく  底なしの闇は  出口へ向けて  収斂していく  回廊を巡り  巡って  またしても  欺かれる  閃光と  真空との  因果関係についての  誤解  を解けぬ宗派    衣服だけが  階層を示している  他には何もない  自然と同じ  階層構造など  遺制としてしかありはしないということが  自明であればあるだけ  支配を強める  闇  ぼくの敵    またぞろ亡霊がでしゃばって来る  ぼくの領土を  分割せよと  言うだけでなく  亡霊の組合に加入することを  勧めていく  依然として  亡霊だけが  生きて見える  制度が  有効だ  何をすればいい    埋め尽くすことだ  ぼくの詩で  発掘されない埋蔵詩を発掘し  眠れる化石燃料に火をつけ  ぼくの詩で  立たせることだ  言葉が森林を作る  緑の専制をしくことだ    溝の隅々まで  ぼくの触覚をはりめぐらせるんだ  誰が転んだか 誰が反吐を吐いたかも  ぼくにはお見通しだ  ただし  ぼくの触覚は誰にも触れえない 夜 九時十一分  片手で  片目で  かたわな心で  やりすごす  ことができるだけ  耐えて  慣れて  待つことを覚え  待ちぼうけを  やりすごす  ことができるだけ  片足で     ベッキー   ずたぶくろと   灰を   かぶって   雨の中   カカシで立ってるよ   ベッキー   いちばんやさしい言葉   探しに行ったんだ     これでもぼくはヒーローかい   がまんできなくてゲームに負けて    まだ雨は止まない  どうして こう雨ばかり降るのだろう  ぼくのズック靴の底 水びたしにして  どうしようというのだろう  憂鬱なのは  頭の中まで水びたしだからか  ALL RIGHT  元気 出そう  先へ進むんだ  何も無い地平に  ぼくの越えてきた木が枯れないうちに  そこを離れるんだ  思い出してばかりいられない   九時二六分  島宇宙では眠れない  漂流はやめだ  地球へ帰るんだ  青い空白  地上へ    普段なら  もう くたばってるころだ  どうしちゃったんだろう  このボルテージの低さが  気にならない  何千行でも書ける気がするぞ  何千行でも意味のないことを  つづっていって  ぼくは変われるのか  は分からないが  やるしかないではないか  ALL RIGHT  地上へ  帰還できる    空白   空白  白 空白  空白 空  空空白   空空白  白 空空  空白 空   空白    空白  まっしろの画面が  そうだ まっしろの画面が  詩の大地だ  そこでは詩も絵と同じなのだ     感情を外れて   遥か彼方の    矩形の台地から   囲われた舞台   耕された空虚   ぼくらの祖先の   見えない土地まで    或いは   遥か彼方の   光と言葉の合流点から     崩れる壁に囲まれた   都市の闇市を抜け   やせた三角地帯   ぼくらの子孫の   見えない土地まで      ぼくたちはきみたちとすれちがいざま   お互いの喉笛を かき切り   流れ出した言葉から   ぼくを作った だから   ぼくは 何千行書いても   何一つ付け加えられない      ぼくの放った断末魔を絞め殺したような   声は   この地とあの地を往復する    いつかえってくるのかも分からない 反響を待つ間   決して 眠りから覚めぬ音楽    それを          詩と     定義する  ぼくの愛  誰も受け入れたくない  ぼくのみにくく否定しつくされた愛  も  ぼくは棄てきれない  吝嗇というのではないな  ぼくが棄てられないのは  その取るに足りなさにひそむ 取るにたるなにものかだ  そのみにくさにひそむ美しさだ  その曲がった性根にひそむ真直ぐさだ  愛    神と言うなと書いたことがある  そう 人には犬と聞こえるからと書いた  取り消す  何べん言ったって  人にはやはり神としか聞こえないに決まっている  愛    愛という言葉を決して使わなかった時期もある  それは愛が理解をこえていたからで  分からないなりに使うことができるほどには  ぼくには愛というものと関係がなかったからだ  鏡を見尽くしたら 向こう側にユートピアが見えてくる  という信仰は  ぼくを逃げ出した愛はぼくに舞い戻ってくるという確信に  根拠づけられていなかったか  愛  愛の歌はぼくには書けなかったし必要もなかった  ぼくは ここにいることで あちらにいるべきだという妄想に  執着してきた 今も執着している  どうしてぼくたちは ここにいることで あちらにいる人とへだてら  れてしまうのだろう  ここに生まれたことで あちらに生まれた人を憎まねばならないとい う根拠を作っているやつらとはかたっぱしから縁を切ってきたのだ  ぼくの表現の内でぼくの貯えた空白の王国で  ぼくは いささか縁を切りすぎたのかもしれない  だけども ぼくの王国を 閉ざすわけにはいかない  埋もれて炭化する惨殺体が消えぬかぎり  ぼくが口を閉ざせば いっしょに口をつぐむ無数の人たちがいるかぎ  り  そして 何よりも ぼくが理解できない無数の意味不明のために  そうだ 人間のために 地獄の門といえど  門前払いは食わせないではないか  行き場を失った人間ほど  帰るところのない魂ほど  ぼくがめんどうを見なければいけないものはないのだ  もちろん ぼくの表現の内で  ぼくの言葉で  ぼくの神  空白の  呪い殺しと一緒に 無数の意味不明を  ぼくは 受け入れる  この空虚の  王国に  新しい歌をソケットにいれて  ぼくは発電しよう  こっちから送るんだ  ぼくの作った電気は  発電所で 折り返して  みんなの家を  いくぶん暗くしながらも  穏やかにするだろう  それが大切なことだ 九月二六日   十一時四十分