地図

 

地図の中で話を聞くには、

ありもしない悲劇を

創作しなければならなかった。

想像で話すことは許されないその村で、

聞き耳を立てていると、

入ってくるのは、

もう死んだ人たちの噂ばかり。

こちらには、騙す理由はなかったけれど、

よく嘘をついた。

左というつもりで、

右というのはしょっちゅうだった。

自分でも左右については、

もう分からなくなっていたのかもしれない。
 
 

はき違えた靴を

脱ぐこともできずに、

どこまでも進んだ。

すると、熱い壁に焼かれたり、

冷たい電子レンジが落下してきたり、

経験したことのないことばかりが起こるのだ。

いつまでも話していられないのに、

相談が終わらなくて、いらいらしてばかり。
 
 

方向はこちらが示すのだけど、

行く先は決められていることが多く、

自由になるのは、傾きについてだけであり、

距離についてはいつも厳密な規則があったものだ。
 
 

学校を出てから随分時間がたつのだが、

まだ、距離の求め方を理解していない

という理由で、

いつも最後尾を歩かされた。

それが終わったのは、

世の終わりについての迷信を信じることを

やめたせいだと思われる。

彼らは、そこまで行かなかった。

ぼくは残念でならなかった。

ぼくは残念でならなかった。
 
 

これが繰り返しというものだ。

十年前と全く同じ道をたどって、

二十年前へたどりついた。

それは、道路工事ばかりされている

道を通るとき、かすかに漂っていた

夏の強烈な臭気のせいかもしれない。

距離が時間によって短縮される理由が

分かっていなかっただけなのだ。
 
 

いつもならありえないことを話して

いるはずの場面で、

ありえたかもしれない流れを創出することに

夢中になり始めた。

これは終わってしまったことではなく、

始まることのなかった未来を

地図の上で確認することだと言ったっていい。

辛いことがないと

始められない劇もあるだろうが、

悲しい場面のために

中止になる舞台もあるのだ。


Copyright 1999 Yoichi Otsuka