「もう笑わなくちゃ」(7) P.158〜P.159

帰路についた。
 残った四人はふき出すように、笑いをこらえるように腹をかかえて喜んだ。作戦は成功のようであった。

 午前六時  於 吉田彰宅
 アパートの一角にある吉田彰の部屋の扉の前に立って吉田彰は後悔の念を隠しきれずに居た。眉を寄せ、髭を寄せ、長い足をますます長くさせながら、どこにもやれない苦しみを味わっていた。
 思い切って彼は扉を開けた。『すまなかった幸子、僕が悪かった。』彼は夜更けにもかかわらずなおも部屋の灯されている明かりを認めて心のなかでそう叫んだ。そして感動的であったのは彼の眼の前にあった光景であった。夫の帰りを待って、待ちくたびれた美しい妻の姿があったのである。ピンクのネグリジェの裾がへその上までめくれているにもかかわらず、大胆に拡げられた二の足。茶ぶ台の上には全部食べたケーキ。そしてゴーゴーと部屋中を響く高いびき。吉田彰はこう思った。『昔の女はただじっと夫の帰りを待っていただろう。しかしなんともたのもしい幸子よ。夫が居なくとも一人で生きていけるこのたくましさよ。おゝいとしの妻よ。』
 彼は思わず駆けよって幸子を抱きしめた。そして酔いのいきおいにまかせて、その外出着の姿のまゝですぐ寝てしまった。

 朝日の差し込む部屋のなかで彼は幸せな夢を見ながらよだれを垂らしていた。

 他の四人の策謀空しく、吉田彰にはぬかにくぎの喩えに終わってしまった。いったい幸せとは何だろう。他の四人が吉田彰から得た人生教訓には深くて大きなものがあった。それ以来吉田彰の愛称は、その雄然とした物に動じない様と貫禄から“不動明王?とされた。

 (この物語はフィクションで、登場人物及び団体名など一切関係ありません。作者より)

注:文最後の行の「雄然」は「悠然」のことだと推察される。

 

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