「万葉の歌人」
高校のクラスマッチには色々な種目がありました。私は3年生の時、「かるた」(小倉百人一首)でクラスの代表選手4人の一人として出場しました。季節は多分正月明け。ということは卒業間際のイベントです。放課後に選手は残り、(受験前の時期に)「一枚札」(む、す、め、ふ、さ、ほ、せ)を誰が集中して担当するかなどを決め、特訓練習をしました。試合当日、いざ会場(図書室)に向かいました。我が3年1組は理系のクラスで男子ばかり。トーナメントで順調に勝ち進み、決勝戦で3年10組(被服科の女子ばかりのクラス)と当たりました。最後の残り4枚まで勝負はつきません。次の1首を発声した1秒後に決着しました。
相手チームの「お手付き」と見方チームの「正解札」で見事に優勝。
この時の私の「かるた」歴は15年。3歳の頃からやっていました。といっても小学校低学年まではいわゆる「みそっかす」。私の地方の言葉では「あぶら」。同チームの兄、姉に1枚だけの「上の句」を教えられ、その言葉が出てきたら確実にとるというもの。兄弟5人が2チームに分かれ、おばあちゃんが歌を読みました。1日に3ゲーム。今と違い、遊ぶ物の少ない時代の楽しい遊びの一つです。この頃、年末年始の「かるた大会」のニュースに触れるたびに、昔買った解説本を読んでる内に一つの発見をしました。「万葉の歌人」や「いにしえの人」は「愛」を口にしていないことです。自然を「愛でる」ことに情熱を傾けています。愛が無い訳ではないのでしょう。しかし口にはしません。
今、巷に溢れている「愛」という言葉は戦後のもので、戦前には無いものと思っていました。進駐軍が運んできた「外来種」を戦後の日本人が「便利」に使っていると思ってます。本来の漢字の「愛」にはもっと深い違った意味があると感じています。
兜に愛の字を付けて戦った戦国武将が2009年の大河ドラマに登場するらしい。
ちょっと興味がある、どのような意味合いで「愛」を付けたのでしょうか?
12.天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
作者: 僧正遍照(そうじょうへんじょう)(816〜890) 「古今集」・雑上
= 垣武天皇の孫) 俗名:良岑宗貞(よしみねのむねさだ)
六歌仙の一人。桓武天皇の孫で、蔵人頭になったが、
仁明天皇の崩御にあって出家、比叡山に入る。僧正となって、元慶寺を創立した
意味: 空を吹く風よ、雲の中にある天女たちの通路を閉ざしておくれ。
舞を終えて帰ってゆく美しい乙女たちを、もうしばらくここにとどめておきたいのだ。
ました。33.久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
(紀友則(きのとものり)( 生年未詳〜905頃)
= 紀貫之(bR5)の従兄弟。古今集の選者の一人)「古今集」・春下
三十六歌仙の一人で、『古今集』の撰者であったが奏覧の前に没した。
意味: うららかに日の光がさしているおだやかな日なのに、桜の花びらは、
落ちついた心もなくはらはらと散っている。43.逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり
(権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)(906〜943)
= 左大臣藤原時平の三男。三十六歌仙の一人。本院中納言、
あるいは枇杷中納言と呼ばれ、琵琶の名手であった。
= 右近(bR8)と親交 「拾遺集」・恋二
意味: あなたと契りを結んでからの、この恋しく切ない心に比べると、
あなたに逢えずにいた頃の私の思いなんて、底の浅いものであったのだ。15.君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪は降りつつ
(光孝天皇(こうこうてんのう)(830〜887) 第58代天皇) 「古今集」・春上
第58代天皇(在位884〜887の4年間)。任明天皇の第三皇子、
親王時代が長く、帝位についたのは55歳の時であった。
一説に「源氏物語」の光源氏のモデルであったとも言われる。
意味: あなたのために、早春の野に出て若菜をつんでいる私の袖に、
春の雪がちらちらと降りかかっている。「万葉の歌人」 詞とmp3音源を掲載します。
(ページを開くとすぐに曲が流れます。)